短編
name chenge
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いっぱい食べる君が好き
【ぐ〜ぐ〜おなか】
遠征先のホテルの部屋は、ビジネスホテル特有の、どこか無機質な匂いがした。
本来なら同期のメンバーと二人、明日のイベントの確認をしたり、あるいは夜ご飯を何にするかで盛り上がったりしていたはずだった。
「……あの、秋元さん」
「ん? どうしたの、久保ちゃん」
ベッドの上にちょこんと座った久保姫菜乃が、消え入るような声で先輩の秋元康を呼んだ。
急な配置転換だった。久保と同室だった同期が急な体調不良に見舞われ、一人部屋だった先輩の秋元が、急遽部屋を交換することになったのだ。
秋元は年も期も上で、公演での共演回数はおろか、まともに会話をした記憶さえ片手で数えるほどだ。
「その……部屋、交換していただいて、ありがとうございます」
「いいよいいよ、気にしないで。体調悪い子は一人の方がゆっくり休めるだろうしね」
秋元は微笑みながら、持参した美顔器をコンセントに差し込む。
秋元の雰囲気は柔らかいが、どうしても緊張してしまう。
(どうしよう……。何か話さなきゃ。でも、何を……?)
気まずい。あまりにも気まずい。
部屋には、加湿器のかすかな稼働音だけが虚しく響いている。
本来なら今頃、同期と駅前の定食屋に並んでいるはずだった。
そう、安くて美味しいとSNSで見た話題店だ。
注文するメニューまで計画していた、あの定食屋……。
(……あ、ダメだ。思い出すと、余計に……)
久保がギュッと腹部に力を入れた、その瞬間だった。
――ぐぅぅぅぅぅ〜〜〜〜。
静寂を切り裂く情けない音が、部屋中に鳴り渡った。
「…………っ!」
久保は一瞬で顔をゆでダコのように真っ赤にし、両手で顔を覆って俯いた。死にたい。今すぐ消えてなくなりたい。
「…………、……ふふっ」
空耳ではなかった。隣のベッドから、こらえきれないといった風な、鈴を転がすような笑い声が聞こえた。
「今の……久保ちゃん?」
「……はい。すみません……。あの、本当は、同期の子と夜ご飯食べに行く約束してて……」
消え入るような声で弁解する久保。
秋元は美顔器の手を止め、くるりと久保の方を向いた。
その表情は、呆れているどころか、どこか楽しげで、そしてとても優しかった。
「なんだ、そういうこと。……実はね、私も一人でご飯食べるの、寂しいなーって思ってたところなんだよね」
秋元はベッドから立ち上がり、パーカーを羽織りながら悪戯っぽく笑った。
「行こっか。せっかく地方に来たんだし、美味しいもの食べないと」
「……はい!」
久保は弾かれたように顔を上げ、満面の笑みで立ち上がった。
−−−−−−
同期と行こうと約束していた定食屋。あの子には悪いが体調不良では仕方ない。
暖簾をくぐると、出汁と醤油の、身悶えするほど芳醇な香りが二人を迎えた。
「お待たせしました。唐揚げ定食としょうが焼き定食のご飯大盛り二つですね」
テーブルに置かれたのは、お茶碗に山盛りのふっくらしたお米。
久保は一瞬、目を丸くして秋元の顔を見た。
「あの……秋元さんも、大盛り、なんですか?」
「えっ? あ、うん。……変かな?」
秋元は少し照れくさそうに、箸を割りながら小声で続けた。
「私の同期ってさ、みんな食が細いっていうか……ご飯よりタピオカとかパフェが好き!みたいな子が多くて。
楽屋でお弁当をバクバク食べてると、なんだか恥ずかしくて、いつも少し残しちゃったりしてたんだよね」
秋元は、目の前の艶やかな、一粒一粒が立っている白米を愛おしそうに見つめる。
「でも、本当は私、ご飯が大好きなんだ。
だから、久保ちゃんとなら遠慮しなくていいかもって思っちゃった」
「秋元さん……!」
久保の瞳が、パッと輝いた。
二人は顔を見合わせると、どちらからともなく「いただきます!」と声を揃えた。
久保は、揚げたての唐揚げを豪快に箸で持ち上げた。
キツネ色の衣には、まだ脂が微かに弾ける音がしている。
一口かじれば、サクッという鼓膜を揺らす小気味よい食感と共に、鶏肉の旨味を含んだ、熱々の肉汁がジュワッと口いっぱいに広がった。
すかさず、それを白米で追いかける。
お米の甘みが肉汁の脂を優しく包み込み、口のなかで完璧に調和する。
「んん〜〜〜〜!! ……幸せです……!!」
頬袋を限界まで膨らませ、幸せそうに目を細める久保。
一方の秋元は、生姜焼きに箸を伸ばした。
黄金色に輝くタレがたっぷりと絡んだ厚切りの豚肉。
立ち上る生姜の鮮烈な香りが鼻腔をくすぐり、それだけで喉が鳴る。
肉を一枚持ち上げると、滴るタレがキャベツの千切りを飴色に染めていく。
秋元はそれを大盛りご飯の頂上にワンバウンドさせ、一気に口へ運んだ。
柔らかな肉の弾力、醤油のキレ、そして生姜のピリッとした刺激。
追ってかき込んだ白米が、甘辛いタレと渾然一体となって胃袋へ吸い込まれていく。
「美味しい……! このタレだけで、ご飯もう一杯いけちゃいそう……!」
二人はもぐもぐと口を動かしながら、美味しい!という感動を分かち合った。
アイドルの食事という制限や、周りの目を気にする窮屈さからの解放感。
ほっぺが落ちそうな幸せな時間で、五感の全てが食べることの喜びに満たされていく。
「秋元さん、ポテトサラダも追加しちゃっていいですか?」
「いいよ! 私も出し巻き卵、頼もうと思ってた。
……半分こしよっか!」
「はいっ!!」
気づけば、二人の間にあった「先輩・後輩」という厚い壁は、空になった大盛り茶碗と一緒に片付けられていた。
ホテルへの帰り道。
「ふぅ……。美味しかったぁ……。お腹いっぱいです」
お腹をさすりながら、満足げな溜息をつく久保。
その隣を歩く秋元も、同じくらいの満足感に包まれていた。
美味しいものを、同じ熱量で共有できる仲間がいる。
それだけで、冷え切っていた夜の空気は一変していた。
「あ、そうだ、秋元さん!」
「ん?」
突然、久保がスマホを取り出し、画面を秋元に突きつけた。
その目は、さっき唐揚げを見た時と同じように、いや、それ以上に輝いている。
画面には「ホテル周辺・絶品モーニング特集」の文字。
久保の指は、すでにいくつかのお店にブックマークを付けている。
「さっきあんなに食べたのに、もう朝ごはんの話?!」
「ここのパン屋さん、朝六時から開いてて、焼き立てパンが食べ放題なんです! 食べ放題ですよ! あ、でもこっちの喫茶店の、小倉トーストも捨てがたくて……!」
さっきまで緊張でガチガチだった後輩が、今は食べ物の話で目を輝かせ、自分に猛烈なプレゼンをしてきている。
その熱量に、秋元は少し圧倒されつつも、可笑しくてたまらなくなった。
「ちょっと、久保ちゃん。私、まだお腹いっぱいなんだけど」
苦笑いの秋元に久保が捲し立てるように続けた。
「朝になったらお腹空きます! 白米の次は、パンです! 絶対行きましょうね!!! パン食べ放題!!!」
「わかった、わかったから……その代わり、ちゃんと起きてね?」
秋元の言葉に、久保の動きがピタリと止まった。彼女は朝が弱いことで有名だ。
「……………………はい!!」
長い沈黙の後、悲壮感すら漂う声で、しかし力強く宣言した久保。
その必死な顔に、秋元はまた吹き出してしまった。