短編
name chenge
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
もう打ち切りらしい
【いつか見た夢の続きは】
帰り道の街灯が、アスファルトの上に二人の影を長く伸ばしていた。
「美音の手、冷たいね」
康が私の右手を包み込むように握る。
康の大きな手のひらはいつも体温が高くて、その熱が伝わるたびに、心臓がトクンと跳ねる。
私たちがこうして手を繋ぎ、時には夜更けまで二人きりで過ごすようになってから、もう数ヶ月が経つ。
でも、私たちの間には、決定的な何かが欠けていた。
「ねえ、康…」
言いかけて、言葉を飲み込む。
――私たちは、付き合ってるの?
その単純な質問が、喉の奥に小骨のように刺さって取れない。
大学のラウンジで、友人に言われた言葉がリフレインする。
『美音、康とはどうなってるの? ……実は付き合ってる子がいるって噂だよ。
本気にならないほうがいいって』
康の横顔は、いつだって優しい。
私に向ける眼差しも、髪に触れる指先も、愛おしさに満ちているように見える。
手を繋いで歩くことも、2人きりで出かけることもよくあるし、私から誘うだけじゃなくて康から誘われることもある。
でも、私が康に「好き」と言っても康は曖昧に笑うだけ。
本気の告白じゃなく、仕草や気遣いに対し「そういうの好き」と言ってもだ。
私が康に対して抱えている感情と康が私に向ける感情は別なんだろうと思って距離をおいたこともあった。
これで康から何もアクションが無けれなそれきりの関係なんだと。
でも康は私がわざと開けた距離を詰めてきて、私の隣りにいることが当然といった顔でいつものように話しかけてくる。
だからますますわからなくなる。
康にとっての私って何なんだろう。
―――
飲み会の喧騒が遠ざかり、残されたのは私と康の二人だけだった。
時刻は午前四時過ぎ。
飲み会が始まったのは20時だったけど、3次会のカラオケが思いの外盛り上がり気づけば空が白み始めていた。
地元の古いアーケード街は、シャッターを下ろした店たちが深い眠りについている。
青白い街灯が、飲みすぎた頭に刺さるように痛い。
ガタン、ゴトン――。
遠くで、始発電車が走り出す音が聞こえた。
夜が終わり、容赦のない日常が向こうからやってくる合図だ。
「……もう、朝だね」
康が寂しそうに笑う。
その顔を見た瞬間、私の中で何かが弾けた。
今、この夜を終わらせてしまったら、私はずっと康にとっての何者かわからないままだ。
私は立ち止まり、康の行く手を阻むように前に立った。
言葉なんていらない。話したいわけじゃない。
私はただ、康の瞳をじっと見つめ、顎を少しだけ上げた。
(キスして)
声に出さない叫びを、挑発的な目線に込める。
酔った勢いでも何でも良かった。康にとって私が特別な存在になる事実が欲しかったんだ。
康の顔が近づく。吐息が触れ合う距離。
瞳の中に、街灯の青い光が宿っているのが見えた。
康は私の唇を見つめ、それから、困ったように少しだけ目を伏せる。
左斜め、近づく顔。目を閉じたら康がつけている香水の匂いが強く香った。
―本当に良いのかな。
不安が脳裏をよぎった。
結局、期待した衝撃は訪れなかった。
康は私の唇のわずか数センチ横で動きを止め、震える私の肩を抱き寄せただけだった。
「……行こうか」
促されるまま、近くのホテルに入った。
フロントの無機質なライトが、私たちの後ろめたさを照らし出す。
部屋に入り、ドアが閉まった瞬間に、私たちは縋り合うように抱き合った。
服を脱ぎ捨て、シーツの海に沈み込みながら、私は何度も康の背中に爪を立てた。
言葉を交わせば、何かが壊れてしまう。
だから、肌に触れる行為だけでお互いの存在を塗りつぶそうとした。
(教えて。康は、誰のものなの?)
心の中で何度も問いかける。
けれど、最後までその言葉が口から零れることはなかった。
もし本当に恋人がいるのだとしたら、私は「本命ではない」という事実を突きつけられることになる。
その真実を知るくらいなら、この嘘のような温もりに抱かれて死んでしまいたかった。
朝の光が、遮光カーテンの隙間から残酷に差し込む。
康は手際よく身支度を整え、ベッドに横たわる私の髪を一度だけ優しく撫でた。
「ごめん。今日1限からだった。先行くね。美音は3限からでしょ?まだ寝てなよ」
いつもの、聞き慣れた優しい声。康は最後まで、噂の真偽についても、私たちの関係についても、何ひとつ語らなかった。
パタン、とドアが閉まる。
一人残された部屋には、康が使った石鹸の香りと、私の中に残った虚しい熱だけが漂っている。
康は結局、私にキスすることはなかった。
いや、私がさせなかったんだ。真実を知る勇気がなくて、言葉を交わす代わりに、体温で誤魔化す道を選んだ。
シーツに顔を埋め、ひとりごつ。
「……バカだなぁ、私」
康を失うのが怖くて、私は最高のチャンスを自己欺瞞で潰してしまった。
この曖昧な関係の終わりは、もう康からはやってこない。
康が優しい限り、私は永遠に、この出口のない迷路を彷徨い続けることになる。
この地獄を終わらせる言葉を、いつか私が口にするその日まで。