短編
name chenge
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東名高速道路の下り線。レトロな風体の黄色い車がサービスエリアに滑り込んだ。
パーキングブレーキの音が、車内に漂う重い沈黙を破る。
警察署での厳重注意は済んだものの、4人の心にはまだ、あの公開収録での騒動と、銃声の代わりに響いた「カチッ」という空虚な音が残っていた。
【号砲は鳴った】
運転手の歩美とその後ろに乗っていた小春がお手洗いに向かい、助手席の玲奈と後部座席の由佳だけが車内に残された。
この3日間でお互いのことを理解できたとはいえ、由佳はまだ玲奈に対する苦手意識を拭えずにいた。
わざわざ話す必要はないと決め込み、由佳はスマートフォンを指先でなぞった。
画面に映し出されるのは、特に意味のないニュース記事。
昼間の騒動も、予想に反してさほど騒ぎにはなっていなかった。
公開収録だったからそれなりに観客もいたのに、私達の写真や名前がSNSに晒されている気配はない。
きっと、ラジオ局が何かしら手を回したんだろう。
小春が横須賀ヒロミを襲撃したときの音源も見つからなかったから。
大人への怒りで走り始めたのに、最後は大人に守られてしまった。
自分はまだ守られる子供であると突きつけられ、現実の無力さに打ちのめされる。
「はぁ…」
無力さが深い疲労に変わり、由佳の口からため息がこぼれ落ちる。
するとすかさず助手席の玲奈が、疲れなんて知らないとばかりに、満面の笑みを浮かべてこちらを向いた。
「由佳ちゃん、元気ないの?私さっき渋谷で撮ったストーリー上げたの。見てみて」
冷やかしでもない100%の善意だからこそ、余計に由佳の神経を逆撫でした。
「…うるさい。疲れてるから話しかけないで」
「えー、みてよ―。めっちゃ可愛く撮れたのに」
「見ないし、興味ない。…アンタはいいよね。何も考えずに楽しそうで」
「れなぱだって考えてるもん」
「はいはい」
玲奈が頬を膨らませてこちらを見る。可愛いとでも言うと思ったのか。
期待に応えるつもりはないと無関心を貫き、座席のシートに背中を預けた。
車内に重たい空気が流れる。
小春と歩美、早く戻ってこないかな。
沈黙を破ったのは玲奈だった。
「由佳ちゃんさ、静岡戻ったらどうする?」
「どうするって、何を?」
「れなぱ、もう一回、親とちゃんと話そうと思う。どれだけ本気かって、ちゃんと分かってもらえるように」
そういった玲奈の表情からはいつもの能天気さは消え、真剣な眼差しが浮かんでいた。
「それに、進路のこともちゃんと考えないといけないし」
進路。その言葉が由佳の心に重く伸し掛かる。
4月に配られた進路調査票に書いたのは、元カレが行きたいと言っていた学校だった。
やりたいことなんてないし、将来なんて全く考えてなかったから、とりあえず元カレと同じ大学を目指しておこうという短絡的な考え。
別れるなんて微塵も思ってなかったから、進路については調べもしてなかった。
「由佳ちゃんは?進路決まってるの?」
屈託のない笑顔で玲奈が言う。決まってない、というのはプライドが許さなかった。
「当然。アンタとは違うの」
「へー。あ、元カレと同じ大学とか?ふたりとも特進クラスで頭いいもんね―」
玲奈は、由佳の心の最もデリケートな部分に、何の悪気もなく触れた。
思わず持っていたスマホをシートに放り投げた。
「ごめん、どうしたの」
「アンタってさぁ、本当にデリカシーないよね」
「えー、そうかなー。てか、由佳ちゃんはさ、まだあの彼氏のこと引きずってるの?」
「関係ないでしょ! 私の何が分かるの?!」
「だって、彼氏に振られたくらいで、人生終わりみたいに言うじゃん。
別に、取り返せばいいじゃん。由佳ちゃん可愛いんだから、すぐできるよ」
「バカなの?! 取り返すとか、そんな簡単な話じゃないでしょ!」
由佳が声を荒げた。
本当に好きだったからこそ、自分の気持ちを理解しようともせず、たかが失恋と切り捨てた両親も、面白がって噂する周囲も許せなかったし、憎かった。
それに、1年生に彼氏を取られたから奪い返すなんてマネは、まだ元カレに縋っているようで嫌だった。
「…えー、でもさ。それだけ人を好きになれるって、本当に素敵なことだよね。」
玲奈の言葉は、由佳の感情を否定するものでも、諭すものでもなかった。
ただ、由佳の感情の大きさを、何の含みもなく肯定する、何気ない一言。
由佳は、顔を真っ赤にしたまま言葉を失った。
「素敵」という、怒鳴り返すことも、反論することもできない、純粋で悪意のない一言が、彼女の怒りを宙ぶらりんにした。
誰も理解してくれなかった自分の気持ちを、玲奈が肯定してくれたことに一瞬喜びを感じた。
しかし玲奈に言うのは癪だと思い、歯がゆい思いを噛み締め、シートに背中を押し付けた。
――――――――――
小春と歩美は、サービスエリアの建物から車へと戻る途中だった。
夕焼けは深く沈み、空が紫色へと変わる瞬間。
「…やっぱり、あのピストル、おかしいよ。本物の銃を手に入れたはずなのに」
小春が口を開いた。
中華街で偶然手に入れた銃は本物だった。
試しに海で撃ってみたんだから、その事実は疑いようがない。
それに、その後ずっと4人一緒に行動していたし、車から銃が入った包みを降ろしていないんだからすり替えられないはずだ。
でも、あの時、横須賀ヒロミに突きつけたのは、スターターピストルだった。
歩美は立ち止まり、小春と向き合った。
その表情は、強い決意と、深い慈愛を帯びていた。
「小春ちゃん。あの時、銃をすり替えたのは、私」
小春は目を見開いた。
「え…どういうこと? 」
「…冷静に考えてみてよ。あの時本当に横須賀ヒロミを殺していたら、その後の小春ちゃんの人生はどうなるの」
歩美の言葉は、小春の殺意が現実の死に繋がっていたという、最も重い事実を突きつけた。
「人を殺していた…。 それで、私の人生も全部、終わってた…」
小春の両手は、無意識に自分の口元を覆っていた。
彼女の全身が小刻みに震える。
殺意を抱いていた時の激情とは違う、人の命を奪っていたかもしれないという根源的な恐怖が、彼女の心を揺さぶった。
―――私は本当に、横須賀ヒロミを殺したかったんだろうか。
小春は脳内で自分に問いかける。
終業式の後、本当は屋上から飛び降りるつもりだった。でも、由佳の提案が、私がもう一度走り出す目的をくれた。
…本当に殺したかったのは、私の絶望を理解してくれない現実だったんだ。
たかがアイドルの解散と周囲は言うけれど、私にとっては、それが人生のすべてだった。辛いことも悲しいことも、心の支えがあったから乗り越えられた。
それを嘲笑われた事が悔しかった。だから、わからせてやらないといけないと思った。
周囲が嘲笑った私の絶望は、殺意に変わるほどの激情だってことを。
歩美は小春の両肩にそっと手を置いた。
「あの号砲は、人生をやり直すスタートの合図だよ。
だから、走って。誰にも奪われない、小春ちゃん自身の人生を。
もう一度、スタートの音に反応して。今度こそ、自分の足で、前に進むの」
銃がすり替わっていた理由を知っているのは、歩美ただ一人だった。
しかし歩美はあの時起きたことを、誰にも言うつもりはなかった。
小春の人生を救ったヒーローになりたいわけじゃない。
それに、小春の殺意と由佳の提案と玲奈のきっかけがなかったら、私もきっと、あの朝テレビに映っていたもう一人の自分に出会うこともなかった。
この世の中は、少し不思議なんかじゃない。ちょー不思議なことで満ちている。
小春は深く息を吸い込んだ。これまでの大会で、スターティングブロックに足を掛けるときと同じように。
歩美の言う通り、私の人生の新たなスタートの号砲は鳴った。
前に進まなきゃいけない。今度こそ、自分の足で。
――――――――――
車は再び高速道路を走り出す。
陽はすっかり沈んでいた。道路沿いの街灯だけが流れ去っていく。
車内は、先ほどの口論と告白の重さから、再び静寂に包まれた。
由佳は窓の外を睨みつけ、玲奈はSNSに夢中だ。
歩美は真実という重い秘密を胸にハンドルを握り、小春は新たな決意を胸に、静かに座っていた。
しばらくして、沈黙を破ったのは小春だった。
「…ねえ、私、この4人で東京に来れて、本当に良かった」
小春の声は、静かだったが、芯が通っていた。3人が驚いて彼女を見る。
「誰にも言えなかった悩みも、由佳ちゃんの気持ちも、玲奈ちゃんの真剣さも、歩美ちゃんの思いも…」
小春はクスリと笑う。
「全部、この4人だったから、どうにか共有できたんだと思う。一人だったら、私はあのまま、どこかで潰れてた」
由佳は、目を窓の外に向けたまま、ぼそりとつぶやいた。
「…まあね。一人じゃあんな馬鹿なこと、しなかったし」
歩美は前を見たまま応えた。
「なかなか良い夏休みだったよ、まあ 警察沙汰になったのはやばいけど」
玲奈はスマートフォンを閉じ、素直に続けた。
「うん、私も。めちゃくちゃ楽しかった!
ねえ、夏休みが終わっても、仲良くしようね!」
その言葉に、由佳がすぐに反応する。
「どうかな。アンタと仲良くするのは、結構精神力いるから」
「えー!ひどい!」
由佳と玲奈が、また小競り合いを始めかける。
小春は、それを止めようと一瞬口を開きかけるが、すぐに諦めたように笑みをこぼす。
そして、運転席の歩美と目を合わせた
歩美は、ミラー越しにクスクスと笑う。
少し前まで「ちゃん」付けか「さん」付けかも定まらない仲だったのに、それぞれが抱える悩みや本音をぶつけ合えたからもう一度走り出せた。
車は夜闇の中を走り続ける。
スタートの号砲はもう鳴っている。