短編
name chenge
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冬の海はいつもより寂しげに見えた。
灰色の空と海が、どこまでも続いている。
冷たい風が私の頬を撫でて、心まで凍りつきそうだった。
康は私の隣で少しだけ不機嫌そうに、口を尖らせていた。
「寒っ、わざわざ冬に海に来なくても良くない?」
「冬の方が青が深くて綺麗だから好きなの」
「まあ言いたいことはわかるけどさぁ」
風邪引いちゃうよ、と言って康が私の手を包む。
康の温もりが、私の冷たくなった心にじんわりと染み渡っていく。
康は優しい。だって、こんな真冬に海に行きたいって言った私のわがままを受け入れてくれる。
それに普段だって、おっちょこちょいな私のミスを笑って許してくれるし、何でも受け入れてくれる。
私はその優しさに甘えている。だって私がここへ来たいとわがままを言ったのは、独りよがりな理由だから。
【最後に今日だけ】
由奈は私の初恋の人だった。
私たちはいつも一緒だった。
あまりにもずっと一緒にいるから、まわりの友達からは付き合ってるの?って聞かれたりした。
だけど、私たちは恋人じゃなかった。
由奈には、好きな人がいた。
由奈は私に隠してるつもりだったみたいだけど、一緒にいすぎて分かってしまった。
その子に向ける目線だけは、他の人とも、私に向けるものとも違うことに。
私は由奈の幸せを、心から願っていた。
だけど、心のどこかで寂しさがこみ上げてくる。
私の隣にいる由奈は、私のものではなかった。
それがどうしようもなく悲しかった。
「ねえ、由奈。海に行こうよ、冬の海」
「いいけど、あづ、夏の海が良いって言ってたじゃん」
「一回行ってみたほうが良いかなって。こういうのなんて言うんだっけ、えーっと…」
「百聞は一見に如かず、ね」
「そう!それ」
きっかけは由奈が冬の海が好きって言っていたから。
私には理解できなかったけど、由奈が好きなものを私も知っていたかった。
そして休みの日に2人で海に行った。
真冬に海に行く人なんていないから、バスの車内はガラガラで、バスを降りると、凍えそうなくらい冷たい風が吹き抜けていく。
晴れていたけど、空気はピンと張り詰めていて、息をするたび肺の中まで冷たい空気で満たされる。
それでも私の心は暖かかった。
由奈はいつもみたいに楽しそうに笑っていて、その笑顔を見る度に私の心は満たされていた。
「さむーい!」
「やばー!」
一応着込んで来たけど、服の隙間から入る風の冷たさに体を縮こませる。
由奈が自販機でコーヒー買うって言うからついて行ったら、自販機から出てきた缶コーヒーを握ったまま、由奈が私の手を取って、由奈のコートのポケットに突っ込んだ。
「これであったかいね」
「っ…そうだね」
私は嬉しさと切なさで胸が張り裂けそうになった。
由奈からすれば、友達同士の何気ないスキンシップで、特別な意味なんてない。
由奈の真っ直ぐな気持ちが、私の抱いてる気持ちと違うことを突きつけた。
由奈は冬の海は青が深くて好き、って言っていた。
太陽の光を反射してキラキラ輝く夏の海と違って、冬の海は太陽の光を吸い込んでしまいそうだった。
私の由奈に対する思いも、冬の海が吸い込んでくれれば良いのに。
誰もいない冬の海辺に二人の声だけが響いている。
ずっと、このまま私のそばにいてほしい。
叶わないことを知っているのに、愚かな願いだと思う。
だから最後に今日だけ、由奈は私のものだと思い込みたかった。
太陽がオレンジ色になって、水平線に近づき始めた。
そろそろ帰ろうかって言って、バス停まで歩き始めたとき、由奈が突然立ち止まった。
「あづ、私ね、―――」
その先に続く言葉は、私が覚悟していた通りで、やっぱり2人は今日だけだった。
由奈が悪いわけじゃない。
私と由奈の関係は親友から先に進めないこと突きつけられて、受け入れられない苦しさと、由奈の幸せを心から素直に喜べない自分の身勝手さが涙になる。
「なんであづが泣いてるの」
「だって、由奈に幸せになって欲しいって思ってたし、それが叶ったから…」
「なにそれ」
「これからも友達でいてね」
「当たり前じゃん。あづはずっと私の一番の親友だよ」
由奈は照れたように笑っていた。
由奈が幸せで嬉しいのは本音だ。でも、由奈を幸せにするのは自分でありたかった。
翌日、私は偶然、康に告白された。
康とはもともと仲が良かったし、告白も素直に嬉しいと思った。
康の底抜けな優しさに助けられたことは何度もある。
だから告白を断らなかった。
それに、康のことを好きなれば、由奈への気持ちも忘れられると思ったから。
最低だってことはよく分かってる。でもそうでもしないと、これからも由奈の隣で友達でいることができないと思ったから。
康と付き合うことになったと由奈に言ったら、由奈は泣いて喜んでくれた。
それが嬉しいような、寂しいような気持ちで素直に喜べない自分が嫌になる。
「私はあづの一番の親友だから、なんかあったらいつでも言ってね」
「わかった、あづも由奈の一番の親友だよ」
康と付き合い始めてから、由奈と過ごす時間より、康と過ごす時間のほうが増えていった。
それは由奈も一緒だった。でも、由奈と一緒のときは2人で過ごすし、休みの日に一緒に出かける事もあった。
それを康は優しく送り出してくれた。そして私は康のその優しさに甘えていた。
「康って優しいよね」
「そうかな」
「優しいよ。あづのこと、全部受け止めてくれるじゃん」
「うーん…しいていうなら、好きだから、かな」
「え?」
「優しくしたいじゃん、好きな人には」
そう言って朗らかに笑う康の笑顔に、胸が痛くなった。
康は事あるごとに私に好きと伝えてくれる。言葉でも、行動でも。
その度に、康への罪悪感が募る。
康は、私が由奈を好きだったことを知らない。
未練を断ち切ろうとして、康と付き合い始めたことを知らない。
まだ、由奈への気持ちを引きずっていることを知らない。
それでも私は、康と一緒にいることを選んだ。
康の優しさに包まれているうちは、自分の嫌なところを忘れられたから。
康の優しさが、今の私には心地よかった。
付き合い始めてもうすぐ一年になる。
康に何処か行きたいところはあるかと聞かれたときに、真っ先に浮かんだのは、由奈と行った海だった。
あの海での由奈との思い出を、もう一度心の中でなぞりたかった。
そして、由奈への気持ちに終止符を打って、ちゃんと康に向き合いたかった。
なのに、頭の中は由奈のことで一杯だった。
缶コーヒーを買った自販機、波打ち際ではしゃいだこと、帰り際、由奈が私に言ったこと。
あの時の由奈の表情も、目線も、全部、鮮明に思い出せる。
あの日、冬の海が吸い込んでくれなかった由奈への思いが、康への罪悪感になって胸に募る。
忘れないといけない。そう思う度に、思い出はより色濃くなっていく。
冷たい風が吹き抜けていく。
康に包まれた手は温かいのに、由奈との思い出でいっぱいになった心は冷えたままだった。
「寒いの?」
「えっ?!ううん、大丈夫」
「そう?なんか硬い顔してるから寒のかと思った」
あったかい飲み物買おうよ、と歩き出した康の手を反射的に引っ張った。
「どうしたの?」
康はいつもの優しい笑顔で問いかけてくる。
その優しさに、胸が苦しくなる。
「ねえ、康。あづは、康のことが好きだよ」
そう言った 私の声は震えていた。
康は少し驚いたように私の方を見た。
「…どうしたの?急に」
「いや、なんか、ふと、言いたくなって」
私はそう言ってごまかした。
「…私も、あづのことが、大好きだよ」
そう言って康が優しく私の頭を撫でる。
ああ、まただ…また、私は康の優しさに甘えている。
そんな自分が、どうしようもなく情けなかった。
「…康に、どうしても、謝りたいことがあるんだ」
私は、震える声でそう言った。
康は少しだけ真剣な顔をして、私の方を見た。
「…なあに?」
「…私、由奈のこと、まだ、忘れられないんだ」
私の言葉に、康は何も言わなかった。
吹き付ける風の冷たさと、打ち寄せる波の音だけが鮮明になる。
私は康の顔を見ることができなかった。
「…ごめんね。康に、こんなこと、言いたくなかった」
自分の身勝手さと情けなさに涙がこぼれる。
康は私の頭を、優しく、優しく、撫でた。
「…あづ、大丈夫だよ」
康はそう言って、私を抱きしめた。
温かい腕が、私の体を包み込む。
私は、康の温かさに甘えて泣き続けた。
康は何も言わずに、ただ私のことを抱きしめてくれた。
「…康。私、康と、このまま、付き合ってて、いいかな?」
私は、震える声で、そう尋ねた。
ずるいセリフだと思った。康の優しさに甘えたずるいセリフ。
それでも康は、私を否定しなかった。
大丈夫だよ。と言って、優しく私の頭を撫でる。
自分が康と付き合うことを決めたのに、由奈のことを忘れられない気持ちがジレンマになる。
康の温かい腕の中で、私は泣き続けた。
でもこの温かさが、由奈との記憶を溶かしてくれるわけではないことを、私は知っている。
私は心は永遠にあの冬の海に閉じ込められたままだ。