コートでは誰でもひとり
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亜久津加入を大半の部員たちは割とすんなり受け入れつつあった。何せ、亜久津はほとんど部活に来ないのだ。たまに現れたとしても、伴田がコートの端でマンツーマンで指導のようなことをしているのであまり関わりがない。
さとりとしては練習に参加しろと今すぐにでもシバきに行きたいところだったが、そんなことをすればすぐ南が止めに入るだろう。
亜久津は大人を打ち負かし、何故かそのままボコボコにするような危険な人類だが、滅多に現れないとなれば脅威ではない。一年生の新入部員たちも、二年生三年生ものびのび練習に励んでいた。しかし、たまにミーティングに現れると一気に空気が変わる。特に何も言ってこないし、ダルそうに座っているだけなのだが、それでも緊張感がすごい。彼が途中で部室を去るか、ミーティングが終わって解散した後は脂汗で背中がべちょべちょになるレベルだ。やはり危険な人類なだけにそういうアビリティがあるようだ。やっぱり今の登場回数でいいや。シバくのはやめよう。
そろそろ全国中学生テニストーナメントの地区予選が始まる。都大会への険しい道のりへの一歩だ。
地区予選くらいなら人数が少なくても強豪の山吹は大体、正レギュラーじゃない選手を混えていてもすぐにパスできる。むしろ、公式戦慣れさせるために積極的にレギュラーペアを控えにさせて、他のダブルスペアを繰り出していた。都大会にもなるとそんな余裕もなくなる。
それ以前の話、「ラッキー千石」の異名を持つ千石清純がいるためか、たまに相手校の選手がみんな食中毒になったり、乗ってきたバスが事故に遭ったり、エースの飼い犬が病気になったり、顧問の実家が爆発したりして、相手校がまるごと棄権してしまって、不戦勝になることが多々あった。千石が相手校の幸運を吸い取ることで自分の幸運を保っているのではないかとさとりは睨んでいる。
放課後、教室でジャージに着替えないまま、速攻で部室にやってきたさとりは鼻歌混じりで二つの宅配の箱を開けた。家に届いたものを朝、部室に置いておいたのだ。ウキウキご機嫌なのは中身が新入部員の新しいユニフォームとみんなの部活のTシャツだからだ。
迎えた新学期、無事山吹中テニス部にも一年生の新入部員が入ってきた。マネージャー二人と他は選手。山吹中は大会は全員ユニフォーム着用なので、彼らのためにすぐユニフォームを注文した。そういうものの発注はマネージャーであるさとりが担っているので、背が伸びたりして服のサイズが変わると彼らはすぐに彼女に報告してきた。彼女は部員たちの衣服のサイズをだいたい把握している。
その情報を活かして、さとりは今年も部活のTシャツを作った。去年、部員みんなで着たくて作ってみたのだが、かなり好評だったのだ。練習着の替えに使ったり、何かの折に着て写真をたくさん撮ったりした。
前はど真ん中に部のキャッチフレーズを筆で書き、ローマ字で書いた伴田と部員の名前で円を作って囲んでいる。後ろはシンプルに「山吹中テニス部」と横書きで表記してある。ちなみに去年のキャッチフレーズは「一陣の風」で今もさとりは愛用している。そもそも今日用意してきたのもそれだ。
「お、今年のシャツも着たのか」
ウキウキしているさとりの背後からまだ制服姿の南が箱を覗き込んできた。いつの間にか来ていたらしい。さとりは頷くと自分の分を早速開けて、広げてみせる。今年のキャッチフレーズは「山吹GO勝負!」だった。三年生みんなでウンウン唸って考えたキャッチフレーズだ。さとりもよく書けたと思っている。今年もさとりの固有アビリティである書道四段のスキルが光るなかなか良い出来だ。
うんうん頷きながら、自分のシャツを南に渡す。
「今年もいい感じだな。さとりの字もこれ、かなり調子いいんじゃないか?」
「そうでしょ〜? 今年もめっちゃいい字書けたなって自分でも思ってる」
「自分で言うなよ……。それはそうと、今度みんなでこれ着て写真撮ろう」
「いや、めっちゃ気に入ってんじゃん」
とはいえ、基本デザインは去年と変わっていない。変わったのは部員の名前とキャッチフレーズくらいなものだ。しかし、それでもかっこいい。
「ちゃんとみんなの分あるからね。一年生も喜んでくれると良いな」
「そーだな……」
一年生の分のジャージとユニフォームとシャツを一人ひとりセットにしてまとめる。だいたいマネージャーの分はジャージとシャツだけなのだが、一人の方にはユニフォームも頼んでおいた。
「あれ、壇の分はユニフォームもあるんだな」
「うん、あの子テニスやりたそうじゃない? そのときになかったら困るかなーって」
「ああ、確かにそんな感じするな、壇は」
「早く渡してあげたいな〜」
今年の新入部員である壇太一は妙な丁寧語で話す礼儀正しくておとなしい少年だ。しかし、急に「ダダダダーン!」などと謎の奇声を上げるので何度かさとりの寿命が縮まっている。本人は自分が背が低いと思っているようだが、中学一年生なら普通だと思う。
自己紹介のときに「亜久津とテニスに憧れて入部した」と言っていた。乱暴者の亜久津に憧れるなんて奇特な人間もいるんだなあ、それ以前あいつもこないだ入ったばかりの新入部員なのだが……とさとりは思ったが、壇はおとなしそうな子だったので自分とは違う亜久津のような傍若無人人類に憧れるのかもしれない。壇の憧れがまったく練習しない亜久津に向いているあたり、真面目に練習している他の部員が少し不憫に思った。
とはいえ、たまに模擬試合をしている部員たちを見る彼の目はすごくテニスをやりたそうにしている。そんなにテニスがやりたいならテニスをやればいいのに、とさとりは思うのだが彼なりの事情があるのだろう。安易にテニスやっちゃいなよなどとは言えなかった。このユニフォームはもし彼がテニスをやりたいと決心したときのためのものだ。
もう一人の北野の方は壇より背は高いが、マネージャーとして部を支えていきたいという意志を固めているようだったので特に心配はなかった。マネージャーの先輩としてどんどんシゴいていく所存である。
一年生の分を入っていた段ボールにしまうと次は亜久津セットも作った。一年生のサイズと違って、ずいぶん大きなジャージとユニフォームとシャツである。彼は果たして受け取ってくれるだろうか。ジャージとユニフォームは必要なものだから受け取りそうだが、シャツは捨てられそうだ。
「これ、亜久津の名前も入れて、亜久津の分も作ったんだけどさ。着てくれるかな」
「そりゃ受け取るかどうかもわかんないな」
「まあ、捨てられてもわたしはあいつのロッカーにぶち込むけどね」
そう言って、亜久津の分も箱にしまった。ついでに頼んだ他の部員の分を取り出すと名前を記入したラベルを貼っていく。室町、喜多、他の二年生部員たち……。みんな、去年よりずっと大きくなったように思う。男の子の成長は早い。南も成長が本当に早かったし、東方なんて入学前からすでに今のさとりより大きかった。
「南」
「なんだ?」
しみじみしているさとりが背後の南に問いかけると返事をしてくれた。ごそごそ布ずれの音がするということは着替えているようだ。まあ別にいいだろう。さとりはそういうことを気にするタマではない。それよりもこの、しみじみとした気持ちを南に共有してほしい。
「室町も喜多も他の二年生も大きくなっちゃって……男の子の成長って早いね」
「お前はあいつらの親か?」
さすがに老け込むの早すぎるだろ。そう言わんばかりの返答が気に食わなかったので南の分のシャツを後ろ手に投げつけてやった。南のロッカーがどこにあるのかはだいたいわかる。「わぶっ!」などと地味なうめき声が聞こえた。ヒットしたようだ。
240820