コートでは誰でもひとり
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わたし! 西広さとり! 十五歳、中三!
血液型はO型、誕生日は四月八日のおひつじ座! 身長は百六十八センチで女の子にしては少し大きめなの!
私立山吹中学校っていう、ちょっとスポーツに力を入れてる学校に通ってるんだよ! 所属している部活は男子テニス部でマネージャーをやってるんだ!
「うわーーーー! 遅刻遅刻ーーーーー!!」
山吹中の通学路を超高速の自転車が走り抜けていく。西広さとりだ。緑字に山吹色のラインが入ったテニス部指定のジャージ姿で全速力でペダルを漕いでいた。朝練開始まであと三十分。練習には間に合うが、昨晩、「明日は相談したいことがあるから、ちょっと早く来てくれ」と部長の南健太郎から電話がかかってきた。電話でそのまま話せばよかったと思うし、面と向かって話したいなら、近所なのだし、家に来たらいいと思う。何故、早起きが苦手なさとりにさらに早起きをさせようと思ったのか。理解に苦しむ。
そんなわけで南のせいでさとりは全速力でペダルを漕ぐ羽目になっている。このケイデンス、自転車漫画の主人公に引けを取らないのではないだろうか。もしかしたら、箱根の山を登り切ることができるかもしれない。
最後のコーナリングをエグい角度まで自転車を傾けて凌ぎ、最後の直線を走り抜けたさとりは勢いで校門を通る。そこでラケットバッグを引っ提げた件の南健太郎の後ろ姿を見つけた。隣に副部長にして南のダブルスパートナーの東方雅美までいる。二人ともさとりと同じ柄のジャージを着ている。タッパがデカすぎる二人は並ぶとさながら壁のようだ。
「南ー! 東方ー! おはよーーー!!」
片手で大きく手を振り、大声で元気に挨拶をした。挨拶は人間関係の基本だ。それに朝から大声を出すのも気持ちがいい。
「さとりか。やあ、おはよう」
「おはよう、さとり……いや、両手でしっかりブレーキ握れ!」
さとりの声に気がついた東方は微笑みながら片手を上げたが、さとりの自転車の速度に驚いた南は目を見開いて叫んだ。
「え? おっとっと!」
力いっぱい両手でブレーキを握ると自転車はちょうど南にぶつかる寸前で止まった。本当に危ないところだった。南のつま先と自転車のカゴはおそらく一センチも離れていない。
ぶつかると思ったのか、南は固く目を閉じて、身を守るように腕を顔の前でクロスさせていた。守る位置が違うのではないだろうか。
「止まれたー! あー、びっくりした」
「びっくりしたのは俺の方だよ……」
「なんかごめんね、南一人だけの身体じゃないのに……」
「勘違いされる言い方やめろ! 今度から気をつけろよ」
「ごめんなさーい」
あやうく友人を轢くところだったさとりは南に注意をされて、舌を出しながら、頭を掻く。反省はゼロである。この女、確実にまたやる。
「まあまあ、南はさとりにあの話するんだろ? とりあえず自転車停めてきたら?」
「うん、すぐ行くね」
東方に言われて、さとりはかなり無理をした自転車を押しながら、駐輪場に向かった。あの話ってなんだろう。なんかいい感じの話だといいな、などと考えながら。
部長の南健太郎、副部長の東方雅美、そして、マネージャーの要の西広さとりの三人は同じ小学校に通っていた幼馴染である。共に遊び、共に学び、家族ぐるみの付き合いをしてきた。当然親同士も仲がいい。親も子もみんな感性や価値観が近いのだろう。
同じ歳の頃からテニスを志し、同じテニススクールに通った。小学生の頃はさとりも選手としてコートに立っていたし、南も東方もシングルスをやっていた。三人とも関東のテニス大会やジュニアの選手権に参加し、特に南は結構な成績をおさめていたし、さとりもなかなかなもので全国級の大会でベスト8に食い込んだこともあるくらいだ。そして東方はサーブが鋭い。
南がスポーツ推薦で山吹中入学を決めたときは自然と他の二人も山吹中進学を志した。理由は「もっとケンちゃんとテニスがしたいから」だった。テニスは彼らの絆をより深めてくれた。
南も東方も割と名の知れたダブルス選手になったが、山吹中に女子テニス部はないので、さとりはマネージャーという縁の下の力持ちとして彼らを支えている。その頃は再び選手としてコートに立つことは考えられなかったのでそれでよかったのだ。
***
私立山吹中男子テニス部は総勢十数人の小所帯ながら、古くからダブルスで名の知れた強豪校だった。「テニスは楽しく」をモットーとし、部内の雰囲気は強豪の割に和やかで和気藹々としている。試合後は勝っても負けても、戦った仲間を讃えて拍手をするなど礼儀もちゃんと身につけていた。
やはり人数が少ないとみんな必然的に仲が良くなる。顧問の伴田幹也……通称伴爺に座りやすい椅子をプレゼントするため南がカンパを募ったときは全員少ないお小遣いからそのカンパに参加し、部室に伴田用の立派な椅子が設置された。伴田もとても喜んでくれた。
伴田がその椅子の写真を撮り、テニス部顧問でつながるグループSNSにアップして、他校のテニス部顧問の女性にマウントをとったことは南たちが知らない話である。
団体戦はダブルスで二勝獲って、シングルス3で決めるという速攻型だった。そのダブルスの一端を南と東方が担っている。山吹のダブルスペアは固定で滅多なことがない限り、切り離されることはない。三年前からコンビを組んでいるため、南と東方はかなり仲が良かった。たとえ、同じくらい時間を分かち合っていても、そこにさとりは入ることはできないと常々感じていた。
さとりは山吹中テニス部が好きだ。幼馴染と二人は当然として、他の部員たちとも同じ釜の飯、同じクーラーボックスのアイスを食べてきた仲だ。同級生はさとりに一目置いているし、下級生たちも普段面倒を見てもらっているためよく慕ってくれる。だから、これからも彼らのために縁の下の力持ちとして支えていきたいと思えるのだ。
***
「今日から亜久津がテニス部に入ることになった」
「ハアアーーーー?! なにそれ!!」
南が重い表情で切り出してきたのは思いっきり嫌な感じの話だった。南も東方もさとりの反応を予測していたようで、彼女がアホみたいな大声をあげても、やっぱり……と言わんばかりにため息を吐くだけだった。
「亜久津ってあれでしょ? 白菜頭の不良。目つき悪くて、夏になるとめっちゃ袖まくってるダッサい奴だよね。他校生シメたとか、カツアゲしたとか、やな噂しか聞かないんだけど、三年になっていきなりテニス部入部とかどういう風の吹きまわしなの? やっぱり青春したかったとか?」
「伴爺がスカウトしてきたんだよ」
「ええ……伴爺、ボケたのかな……」
「失礼なこと言うなよ」
さとりは亜久津をめちゃくちゃに言ってから、さらに流れるように顧問をディスる。なんという女だ。しかし、南も正直気持ちは解らないわけではないようで、「俺だってこれからのこと考えるとしんどいよ」と呟いた。かなり胃に来ている。切実な問題だ。
件の亜久津仁は山吹中どころか、この地域一帯でも有名な不良生徒だ。校内での喫煙から始まり、教師や他の生徒への暴力、他校生とのケンカに明け暮れ、他人の財布から金を抜き取ったり、単車なんかも乗り回しているらしい。誰が何を言っても聞かずにすぐに「俺に指図するな」と喚き散らす。かなりの駄々っ子だ。
そんな、とんでもない不良だが、たいして授業も受けていないのに頭が良くて、テストの成績がいい。かなり運動神経もよくて、山吹中で度々行われるスポーツ大会では結構な活躍を見せている。冬のスポーツ大会ではスノーボードをやっていて、良い成績を残していたらしい。さとりは南と東方と一緒にスキーをやっていたので実際に見ていないのだが。それにしても、なんだかんだ、学校行事に参加している不良である。
あと、めちゃくちゃお母さんが若くてきれいで、近所のファミレスでウェイトレスをやっている。さとりもファミレスで働く彼女に何度か遭遇しているのだが、このお母さんもなかなかのキワモノで一年生の頃に行われた奥多摩合宿に乗り込んできたのだ。
さとりたち、三年生は何かと行事をこの親子にしっちゃかめっちゃかにされがちだった。というか、亜久津はあれだけやらかしているのに何故、私学の山吹中を退学にならないのかは山吹七不思議に認定されかけているが、やっぱり成績がいいからだろうか。
「でも、小学生の頃にやってたらしいぞ、テニス。しかも、めちゃくちゃうまいらしい。なんでも、そのテニスクラブで一番うまかった大人を打ち負かしてボコボコにしたんだってさ」
さとりと南がどこか剣呑な空気を醸しているのを察したのか、東方がどこからか聞いてきた噂を口にする。何故、打ち負かした上でボコボコにしたのか、理解に苦しむが小学生のころから亜久津仁は亜久津仁だったようだ。でも、小学生が大人に勝つのはすごい。本当にうまいんだろう。
「へえ~、じゃあ、新戦力って感じなのかな。やっぱ、団体戦でも全国行きたいもんね。ニマニマ笑って、テニスは楽しく~とか言いながら、伴爺もそんな欲あったんだ」
「去年は俺たちだけ全国行っちゃったからなあ。まあ、確かに伴爺にそういう欲があったのは意外だよな」
「南と東方や新渡米と喜多がそうそうやらかすこともないだろうけど、ダブルス落とすこともあるかもしんないじゃん? 保険はあった方が絶対いいもんね。室町や錦織が弱いとは思わないけど、めちゃくちゃ強い!ってわけでもないし」
「おい!」
昨年、ダブルスの個人戦の大会で南と東方、そしてもうひとつ、新渡米稲吉と喜多一馬の二組のペアが全国に行った。南と東方も似たものコンビだが、新渡米と喜多も似たものコンビだった。伴田はダブルスペアを組ませるとき、似たものを揃える節がある。価値観や考え方が似ていると衝突も少なくて、テンポも合わせやすいからだろうか。新渡米は頭から植物の芽のようなものが生えているが、喜多は頬にぐるぐる模様が入っている。かなり気になる外見だが、二人ともいい奴だし、二人の入部当初から共にいるので三年生は特に慣れていた。今更突っ込むこともない。
そんな全国区の似たもの同士のダブルス二組に加えて、山吹中シングルスの要、ジュニア選抜合宿に参加した千石清純もいる。彼らが揃えば、山吹中は地元じゃ負け知らずだった。そこにもう一人、強力なシングルスプレイヤーがいれば、山吹は地区予選どころか関東でも負け知らずかもしれない。
「でも、そんな話、みんなで集まったときにすればいいじゃん。何で朝練前にわたしに話す必要が? もう少し寝たかったんだけど」
「さとりも曲がりなりにも女子だろ? 今のところ、女をどうにかしたみたいな話は聞かないが、そういう不良がいたら、不安じゃないかと思ってな……」
「曲がりなりって何さ。特に不安はないよ。あいつがなんかやらかしたら、シバこうかなとは思うけど。あいつのせいで出場停止とかになったら胸糞悪いじゃん」
「いや、血の気……」
南の心配をなんだと思っているのか、さとりは腕を組んで、首を傾げる。普通に血の気が強い。
「絶対やめろよ! そういうの! とにかく、お前があいつに話しかけるときは絶対誰かにいてもらえよ!」
「えー、めんどくさ~」
南は通常運転で血の気が強いさとりに少し語気を強くした。南はとにかく、さとりが心配だった。まだ女子供に手を出した話は聞かないがもしものことがあるかもしれない。そして、このさとりの負けん気の強さである。本当に亜久津をシバこうとしかねない。彼女の代わりに殴られる覚悟くらいはしていた。
「南なりにわたしのこと心配してくれてるんだよね。ありがとう」
南の考えていることくらい、さとりにはお見通しのようで南の顔を見上げて、彼女は微笑む。そして、窓際の壁に立てかけてあった予備のラケットを手に取った。
「でも、わたし絶対負けない! 亜久津に勝つ!」
まるでホームラン予告でもするようにさとりはラケットを掲げ、不敵な笑みを浮かべた。違う、そうじゃない。
「うちのマネージャーは強くて頼もしいな」
「亜久津となんの勝負をする気なんだよお前は……」
東方が微笑ましく手を叩く隣で南は目元に手を当て、うなだれた。とんでもない不良にケンカを吹っかけてどうする。
ある程度話がまとまったところで部室のドアが開いた。新渡米と喜多だった。相変わらず、新渡米の頭にはみずみずしい芽が揺れているし、喜多の頬はぐるぐるだった。
「おはようございます!」
「おはよ~ん……って、何で西広ホームラン予告してんの?」
「わたし、絶対勝つから!」
「西広先輩、頑張ってください!」
どうしようこいつら、ツッコミがいない。新渡米と喜多とさとりのやりとりを見て、さらに南は胃を痛めた。
そもそもテニスに逆転ホームランはない。
240806