直哉夢「15年」
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✦直哉視点
──18歳
お互い気まずい言うわけではない。多分。頻度は落ちとるけど、給仕も継続的にある。せやけど、前みたいに茶の時間に愚痴るんは減った。まぁゼロと違うけど。その代わり、学校のこととかお友達のこととか聞いとる。スマホは俺が中身を改めたんはあれっきりや。それ以降はあいつに口で説明させとる。二度と見ぃひんってわけやないで。怪しいもんの気配感じたらすぐにでも芽ぇは摘むつもりや。
今日のカレンダーの日付の色は青や。せやのに、あいつは朝の給仕終わってからいそいそと弁当持って学校へ出掛けて行った。日頃から聞いてはおった。なんや展示だか出しもんだかの作業を休日返上でやるんやと。はー、楽しんどるなぁ。別にええけど。諸々自覚しといてくれたらそれで。
俺は変わらんと鍛練。ノルマ終わって一息や。部屋の時計を見上げる。そろそろあいつも帰ってくる頃やろ。そう思てたら、棚の上に置いてた俺のスマホがチカチカしとるんが見えた。げ。まさかお仕事ちゃうやろな。まぁ程度によっては無視や。
「ん?珍しな。あいつからやん。……はぁ?」
着信2回、メッセージ1個。それには「少し遅れます」言う内容。……はぁ?そんなん、ええわけないやろ。
一先ず不在着信をタップして折り返した。
プルルルル…
『はいもしもし─』
「今どこなん」
『すみません、まだ学校で』
「もう出とかな間に合わんのちゃうん」
『押してしまって片付け中なんです』
3コールで出たはええけど、周りがガヤガヤしてやかましい。ホンマにまだ学校かいな…どないなっとんねん。
「はぁー…そっちは君おらんでもどうとでもなるやろ。こっちは……いや。ちゃんと時間守ってくれる?迎え寄越そか」
『大丈夫です、すみません直哉さま、すぐに』
『出たー!ナオヤサマー!』
『ちょっと!そういうのやめてって!』
『ナオヤサマこんにちはー!』
「…ああ?」
外野から聞こえる、明らかにチョケた男の声。しかも複数や。それに対してあいつも普段とちゃう声色と言い方で言い返しとる。
『申し訳ありません、すぐに帰ります』
「……トップスピードで来い」
『わかりましたっ!』
通話終了て出た画面を消す。適当に、元の棚目掛けて放り投げる。
…賑やかな雑音、アホみたいな声、俺を煽るような命知らずの存在。外の世界は嫌いや。肌に合わん。
・
「お、お待たせしました、直哉さま…」
「日ぃ暮れるか思たで」
廊下からドタバタ聞こえる。それが一旦おさまってから静かにふすまが開いた。息を整えきらんと胸で呼吸しとるこいつは、その場で膝を着く。
「すぐにお茶持ってまいります」
「それはあとでええわ」
「…はい」
俺は言いながら、顎をしゃくって入るように促す。それに従って、入り口の畳の上へスライドしてきた。
「はぁー。言い訳はええで。アレ、なに?」
「申し訳ありません」
「あのクソガキども、場合によったらぶち殺すで」
「大変失礼しました」
「なんであいつら俺の名前知っとん」
「はい、1年生の頃から周りに私のこと伝えるために一緒に伝えてました」
「なんでなん」
「学校やお友達よりも直哉さまを優先したいとき、直哉さまのお名前を出すと話が早くて…」
環境変わる度に、自分が置かれてる状況を周りに申告しとったらしい。子供の時分から屋敷に仕えとること、行事やら何やらより優先すべき人がおること。それらを事前に周知しといて、何かしらを不参加にしたり、すぐ帰ったり、俺からの電話もすぐに対応したりしとったんやて。周りも「屋敷の仕事やったらしゃあない」「ナオヤサマやったら早よ行け」みたいな認識らしい。
「お名前出すの、今後やめます。勝手にすみませんでした」
「いや。やめんでええ、別に」
…なんや。こいつ、外でも俺のこと優先しとったんかい。それもお友達にハナから周知しとった上で。ふーん。…いや、そんなん当然やん?お友達より、楽しい学校より、俺を優先?当たり前やん。
せやったらあの時えらい遅かったなぁ、とか思わんこともないけど、ずーっとそうしてきてるんやったら、まぁええ。さすがに口角上がってまうやん。
「えらいやん、俺のこと最優先とは感心やなぁ」
「いえ。最優先ではありません。優先、です」
「はぁー?最優先であれよ」
「いえ、さすがに。ふふっ」
「あほ」
怒り寸前やったけど、なくなったわ。
ええ心がけやん、て。それ、ずーっと継続しとけよ、って。なんでかクスクス笑とるこいつに、そう言い足した。
・
・
「……今、なんて?」
夏になりかけるか言う頃。夕食後の自室での茶ぁ。俺がそれすすっとる座卓の横に座るこいつ。雑談がなんとなく切れたかな思た次の言葉に、思わず手ぇが止まった。
「ですから、高校を卒業したら短大に行こうかと思ってます、って言いました」
「…はぁ?卒業したら、て…」
「はい。栄養士を目指そうかなって。オープンキャンパスも申し込みました」
「……は?」
学校とか、外のこと。次の3月とかで終わるんやと思っとった。高校が終わったら、屋敷に戻って住み込みの女中みたいにずっとおるもんやと。せやから、ああ、やっとあと一年やって思ってたんや。
けど、まだ終わりと違うらしい。タンダイて、何?それ、あと何年?
「報告が遅くなってすみません。進路迷ってたんですけど、ようやく色々固まりそうです」
「そ…そうか、……俺には、ようわからんわ」
「そうですよね、すみません」
湯呑みに入っとった半分のほうじ茶。まだちょっとだけ熱い。けど、イガイガしてきた喉に全部流し込んだ。
「……それ、何年通うん」
「2年ですね」
「また、平日昼間には俺んとこ来んつもりか」
「いえ、朝も夜も、休日も難しくなります」
「なんでや」
「私が希望してるところは大阪にあるので、住まいもそっちに移るかもしれません」
「……ああ"?」
まだちゃんと決まってもないのに。そこへ行く前提で、いついつから、どこどこへ、タンダイでなになに学ぶんやとか、行った先での過ごし方とか、予想して説明しとる。そんなん頭に入って来ぉへん。それ、俺から離れて行くことの説明やんな?ちょお待て。先々行くな。俺は理解も納得もしてへんのに。
「待て、待て。それ、決まっとんの?」
「直毘人さまにお許しはいただけました」
「……はぁー…なんでやねん…」
親父にはすでに相談済みかい。…そういやこいつの財産管理、親父を介して屋敷の専門家に託しとるて聞いたことあるな。その兼ね合いやとしてもや。こんなん、俺には事後報告みたいなもんやん。…気分悪い。
「直哉さま?」
「……その話、今日はもうええ」
「わかりました」
そう言うて頷いた顔は、まだなんや楽しそうやった。未来語っとるときの表情の続きや。学校やらお友達のこと話しとるときの顔と似とる。…この顔見たら、なんかしんどなんねん。嫌いやないけど、嫌いなん。俺がおらん方向向いとる顔。あんま見たないねん。
・
女中経由で親父に呼び出された。エアコン効いた涼しい部屋で昼前から酒飲んどるんやろ。なんの用事やねんて思うけど、わざわざ呼びつける言うことは、まぁなんか用事なんやろ。しゃあないから行ったろか。
「入るでー」
「おお直哉、来たか」
「はぁー、やっぱりな」
「お前も飲むか?」
「いらん」
昼飯にはまだ早い。座卓に何個も小鉢並べて、真ん中にお造り。魔王て書いた一升瓶片手に1人で飲んどった。
まぁそこへ座れや言われたとこ、親父のトイメンに腰下ろした。
「また来月に見合い組んだからな」
「もうええて」
「そういう訳にもいかん。お前もわかるだろ」
「わかりたくはない」
「えらいえらい」
「それキショイ言うねん、やめろや」
デカイ湯呑みに魔王注いで、茶ぁか水か言うほどにかっ食らっとる。
見合いなぁ。相変わらずクソイベント。時間の無駄やねんけど。ある意味感情「無」にする修行と化しとる。なんでそこでそないなスキル磨かなアカンねんホンマ。
「ぷはぁ~。はー、そりゃそうと、今年の梅雨はえらい長かったな。蒸し蒸し暑いと体力削がれるなぁ」
「せやな」
「梅雨空けたからかして、池の鯉もよう跳ねとる」
「ふーん」
「錦鯉はな、冷たい水でもぬくい水でも適応できるほど逞しい。だが、それでも慣れた水から移されたら案外しんどいもんだ」
「さよか」
鑑賞用の魚の話しながら、食用の魚食べとる。なんか知らんけど機嫌ええな。機嫌のええ親父はいつもよりよう喋る。これ以上面倒にならん内に終わらせとこか。
「鯉の話はもうええ。で、ホンマは何?」
「お。ああ、そうだったな」
はぁ。もう耄碌じじいの仲間入りしとんのかい。いちいち俺を呼び出しとんのは親父やろ。
「皐月ちゃんから聞いたと思うが」
「……」
あいつの名前出てきて、一瞬止まってしもた。とりあえず、親父の次の言葉を待っとく。
「卒業後の進路。聞いただろ?」
「…聞いたけど」
「あの子の伯父さん、うちで長らく台所守ってくれとるだろ。その影響もあってか、栄養士を目指したいらしい」
「…ふーん」
「あの子のためだ。お前も認めてやってくれ」
…なんやねん。親父もあいつ側に立って。保護者ヅラしてくんなや。…って、実際保護者になるんか?保護者代理?
「認めるも何も、俺に関係ないし」
「ほんとぉかぁ?」
「なんやねん気色悪い」
いっつも吊った眉毛が垂れ下がって、口角は上がっとる。湯呑み片手に煽った表情して来よった。
関係ないわ。関係ないって思うようにしてんねん。ほんでこの次に親父はこう言うんや。「あいつの未来のためや」て。わかってんねん。
「あの子にはあの子の将来がある。ウチは一時避難場所だ」
「…わかったて。て言うかそんなん、なんでいちいち俺に言うて来んねん」
「なんでって。お前、皐月ちゃんのこと好いてるだろ」
「す……っ!……はぁ!?」
「皐月ちゃんと離れ離れになるのは寂しいだろうが、我慢してやれ」
「さ…!はぁぁ!?」
体ん中で、変な音鳴った。部屋ん中も涼しいはずやのに急に暑なった。クソ親父が変なこと言うたからや。俺は知らん。
「俺はガキとちゃうぞ!」
「そうだなぁ。今年やっと法律上結婚出来る年齢だな。ガンガン見合い組んでやるぞー」
「……!せやのに見合いかい…!」
「それはそれ、これはこれだ」
「クソ親父!」
俺のこと見透かしとるて態度で煽った上に、クソイベ宣言。だっる!別の熱さが体に回ってきた。クソが。座卓を一発叩いて席立つ。もうええ。もうこんなとこ用事ない。
「もう行くのか。女中に造りのおかわり頼んで来てくれ」
「誰がするかいクソじじい!」
バシッ
締めたふすまが跳ね返った。知るかい。なんや。なんやねん。ただでさえずっとしんどいし気分悪いんやで。仕舞いにはクソ親父が変なこと言うてくるし。ちょお待てや。わかってる。けど、待ってくれ。俺もわからへんねん。
…はぁ、ちょっと頭と体冷やそ…。昼飯前やけど、風呂でも入ったろか。
7、8、9、10、11……言うて8ヶ月くらいしたらもうあいつはここにはおらんようになるんか。あいつにかて夢とか憧れあるんはわかる。おじさんに習ろて禪院 へ戻ってくるかもしれんて親父も言うてたし。2年の間に全くここへ来ぉへんてわけでもないて、あいつ自身も言うてた。せやけど。今と比べもんにならんほど、あいつの世界が広がんねやろ。俺なんか置いてって、通過して、おらんも同然みたいに。離れるて、そういうことやねん。…親父も、いらんこと言うてたやん。そんなん、練り切りが好きとか、炊き込みご飯が好きと一緒や。……ちゃう。あほか。わかったて。…そうや。これはそうなんやな。でもそうなってしもた俺と、8ヶ月したら離れるんや。俺んとこおらんのに、あの隙だらけのあいつはどうなんねん。………はぁ?ありえへんやろ。くそが。
ぬるめの湯船に浸かって天井見つめて。1回冷めた頭がまた熱なるんを感じた。
・
次の日ぃ、夜。今日は別んとこ給仕行っとるらしく、あいつの予定確保出来んかった。まぁ、おそらくここの前通る。そん時でも別にええ。
ふすま、覗けるだけの隙間開けといて。気配したら都度確認や。それ何回かしとったら、来た。あいつや。どれかの兄さんとこ行っとったんか、急須と湯呑み、皿と小ちゃいカゴみたいなん乗った盆持っていそいそ歩いて来る。
「皐月」
「わっ、え、はいっ、直哉さま──」
真ん前通るとき、身ぃ出してこいつの腕掴む。引き寄せて、部屋に入れた。ほんで誰にも見られんように、ふすまをぴったり閉める。
「直哉さま、どうしたんですか」
「話あんねん。聞いてくれる」
「はい、もちろんです」
腕引いたときにちょっとズレてしもた急須と湯呑み。それを盆の真ん中辺に直しとる。
「進路のやつ、もう決まったん」
「はい、大体は。受験自体はまだ先ですけど」
「まぁそれだけ勉強しとったら心配もないやろ」
「だといいんですが」
「……それで、やねんけど」
「はい」
「タンダイもわかった。ここ出るんも、大阪行くんも、2年もわかった。その上でや」
「はい」
俺は一拍置いてこいつの方へ向きを正した。
「…俺のとこ、離れて行く前に…お前のこと、抱く」
「へっ?」
間抜けな声。そらそうや。わかる。何言うたかわかってへんて顔や。
「どういう…?」
「そういう意味や。わかるやろ」
「へっ」
「…お前、隙ありすぎるやろ?俺おらんようになったら、そんなん、すぐ誰かに取られてまうやん。それが耐えられへん」
「…へ」
「せやから、俺が先に欲しいん」
「……」
目ぇパチパチさせて言葉に詰まっとる。嘘やとか、冗談とか、そうは思われてへんと思うけど、そう思われへんようにちょっとだけ顔に力入れた。
「わかる?この意味」
「そんな、あの、私は…」
「ああ、別にすぐとちゃうよ。俺も色々あるし。せやから、覚悟だけしといてくれへん」
「えっと、えっと」
俺は距離詰める。こいつは下がって背中はふすまに付いた。こいつが持っとる盆が俺の腹を押す。またあの時みたいに背中丸めて顔近付けて。したら、またこいつは上目に覗いてくるんや。普段の強気感じる態度とは違う。戸惑うとるのがわかる。せやけど俺もここで引く訳にはいかへんねん。
「わからん?ほんなら今考えて」
「私…どうすればいいんでしょう…」
「せやね、俺のこと、ちょっとでも嫌いやなかったら」
「そんな、嫌いな訳ありません」
「そうやね。…違うんやったら…俺が最初に欲しいん」
「なお…、…ん」
まだあたふたしとるこいつの顎支えて、上げる。ほんで鼻先同士近付けた。そこでピタッて止まって、一瞬だけこいつの目ぇ確認した。受け入れるみたいに目ぇつむったから。せやからそのまま進んで唇合わせて、キスした。盆がグッと腹に入る。唇は、ふにって軽く触れるだけや。
「…ここでこれしたん、覚えとる?」
「……はい」
「嫌やった?」
「………」
無言で首振っとる。「嫌やなかった」。せやろ。そうや思た。
「すぐと違う。せやけど、しばらくの内に、俺がもらう」
「………はい」
その返事聞いて俺は一歩後ろに下がった。
「下がってええよ」てふすま開けたら、盆の上のもん倒さんようにバランス取りながら逃げるように出て行った。その後ろ姿が廊下から見えんなったら、またふすま閉めた。
決めたんや。俺のもんにする、俺のもんにしとくて。そうしとかなアカンて。そう一回決めたらもう戻られへん。戻る気はない。
・
・
一部のポンコツ兄さんにおちょくられとることがある。俺にはソレの経験がないこと。それを直接指されとるわけとちゃうよ。バカ正直にアルナシなんか言わん。いわゆる、女買わへんってこと。金の発生せえへん女とか、ヤルだけの都合のええ女を俺が持っとらへんこと。それを嘲笑してきよる。意気地やとか甲斐性やとか抜かしとる。ボケとんか。これも術師として俺を茶化して己を保とることとおんなじや。金と名前がなかったら相手にもしてもらわれへんカスのくせに、才能と実力がある俺をそんなことでしか見下されへんねん。いや、見下したつもりで悦に入っとる。俺からしたら滑稽のほか何者でもあらへんけどな。そんなんただの猿やし。売女は論外、乳だけしか能のない化粧臭い女はゴミや。そんな女どもに俺の体触られるんや思たらゲボ吐きそうやし、わけわからん女に俺の体使こてやる価値も皆無。溜まれば出せばええし、興味はないけどさっさと処理できる都合のええ道具とかもナンボでもあるやん。
……そう思とる。そうは思とる全く別都合で、今度俺は皐月を抱く。…だがしかしや。確かに俺は、自分の面倒見ることはあっても女に対してのソレの経験値はないわけで。誰も受け入れたことない、絶対や思とるけど多分誰にも触らせたことないあいつに痛いとか怖いとか思わせてしもたら俺の沽券に関わるし。あいつに抱くでて言うたんも、覚悟してそのつもりにしといてもらわんと。無理矢理奪ったらそんなんレイプ魔やん。そんなん俺の趣味と違う。…まぁとにかく、何個かの媒体で加減とか具合いとか事前準備や。
・
・
・
夜はだいぶ過ごしやすなったとは言え昼間はまだ暑い。暦の上ではもう夏も終わりやのに。
外から帰ってきて自室へ戻っとるとき、廊下の端からあいつが歩いて来よるんが見えた。誰かの着替えかなんかが入っとるカゴ抱えて早足にしとる。
「直哉さま、お帰りなさい」
「今日もご苦労さんやね」
「ありがとうございます」
よう働いとったんか、額とか首に汗が滲んどる。その首元を、着流しの袖口で軽く拭ってやった。
「あ、ありがとうございます。でも、汚れてしまいます」
「かまへん」
ついでや。額もこめかみ辺りも拭いといたる。
「ありがとうございます」
「ん」
わしゃわしゃになった前髪。それをサッと整えて頭を下げとる。顔が上がった思たらフニャついた笑い顔やった。
「…皐月、あの件やけど」
「はい。…?」
「今日は、体調アカン日ぃとちゃう?」
「あ…」
「あのこと、今晩どうやと思とるんやけど」
最初はなんのことかわかっとらんて顔やったけど、体調…体のこと聞いたらピンと来たようや。目ぇちょっと泳がせて、持っとるカゴがキュッと動く。
「……わかりました」
「ほな、夜10時頃、俺の寝室へ来てくれる」
「………、失礼します」
一回頷いて。また逃げるように進行方向へ小走りで去る。足音消えるまで見送った。
10時。今晩10時過ぎたら、俺の欲しいもんが手に入るんや。そう思たら胸と腹の奥が、なんかに絞られたみたいに痺れた。
・
約束の時間ちょっと前。あいつからのメッセージがスマホに届いた。「今からそちらへ向かいます」。いきなり来やんと事前連絡。まぁどっちでもええけど。部屋の電気消して、隅っこの照明灯だけつけとくとする。部屋の明かりは薄暗い方がええやろ。
「直哉さま」
そうこうしとると、ふすまの向こうから小声。「おるで」て声かけたらふすまが最低限開いた。体横向きにしてするっと入って来てサッとその辺へ座った。
「寝間着姿、初めて見たわ」
「いつもの格好だとあれなので…。普段のラフなものですみません」
「いや、問題ない。…まぁ暑ぅて寝苦しいからな」
無地のティーシャツに太もも半分くらいの丈の短パンに靴下。……普段それ着て寝とるんかもしれへんけど、お前なぁ…。隙っちゅーもん擬人化したらこいつになるぞ。
「…こっちおいで、皐月」
「………」
薄暗くした部屋の、真ん中に布団どーんや。あからさま過ぎてアレやねんけど、しゃーないやん。それ自体はいつも通りやし。
そこに座っとった俺は、膝で歩いてこいつの前へ。ほんで手ぇ出した。それを素直に取ってくれたこいつの手ぇ引いて戻る。
「こっち見てくれ」
「…はい」
俺の前に座らされたこいつ。居心地悪いんはわかる。せやけど目ぇ合わへんのも嫌やし、上向かせるために顎に手ぇ添えた。
「前、俺が言うたこと覚えてるか。俺がもらうて話」
「……はい」
「今日がその日や」
「………」
「誰にも渡さへんし、後戻りする気ぃもない」
「………」
俺の言葉に、見上げとる目ぇが都度まばたきしとる。頷きと一緒に。添えとる俺の指が揺れる。
「痛いかどうかは…保証でけへん。けど、怖がらせはせん」
「……はい」
「皐月…目ぇつむれ」
背中に軽く手ぇ回して、ちょっと引き寄せる。ほんで顔近付けて唇合わせた。1回目と2回目とはちゃう。やり方も、長さも、意味も違う。こいつの手ぇが俺の着流しの胸元掴んだ。またグッと引き寄せて、そのまま押し倒した。
・
・
・
この冬は雪がよう降った。せやけど庭の桜はもう蕾が少ない。早咲きのもんやと普通に咲いとる。
あいつの高校の卒業式もちょっと前に終わった。無事に卒業出来たこと、その10日後にはここを出ることを報告してきた。
「直哉。皐月ちゃんが出発するぞ。見送らんのか」
遅めの朝飯をダラダラ食べとったら親父がいちいち声かけに来た。
「俺はええ」
「そうか?あの子は待ってるんじゃないか」
「ええて。味噌汁飲んどるとこやし」
「ええならええが」
なんや、親父。そんな人情みたいなん持っとったん。当主様がそないな気ぃ利かせるみたいな。そんなお節介、別に要らんねんけど。
無視して食べとったら、親父の目ぇが細なって不思議そうにこっち見てきた。
「何?心配せんでも俺今日も男前やけど」
「お前、耳開けとったんか」
「ああ、これ?今気付いたん?イメチェンや、イメチェン」
「ほーん」
なんやねん。ピアスに興味ないんやったら聞くなや。適当な返事して去って行きよったで。
閉められたドア眺めて、味噌汁に目ぇ落とす。味噌と湯が分離しとる。
「……早よ行ってこい」
あいつは今日、出て行く。知っとる。ええねん、知っとるから。
もう左耳にあることは慣れた。ふっと外見たらええ天気やった。今日は大雨でも降ればよかったのにな。そう思いながらピアスいじってた。無意識やった。
──第三章:18歳、不可逆の選択 END──
──18歳
お互い気まずい言うわけではない。多分。頻度は落ちとるけど、給仕も継続的にある。せやけど、前みたいに茶の時間に愚痴るんは減った。まぁゼロと違うけど。その代わり、学校のこととかお友達のこととか聞いとる。スマホは俺が中身を改めたんはあれっきりや。それ以降はあいつに口で説明させとる。二度と見ぃひんってわけやないで。怪しいもんの気配感じたらすぐにでも芽ぇは摘むつもりや。
今日のカレンダーの日付の色は青や。せやのに、あいつは朝の給仕終わってからいそいそと弁当持って学校へ出掛けて行った。日頃から聞いてはおった。なんや展示だか出しもんだかの作業を休日返上でやるんやと。はー、楽しんどるなぁ。別にええけど。諸々自覚しといてくれたらそれで。
俺は変わらんと鍛練。ノルマ終わって一息や。部屋の時計を見上げる。そろそろあいつも帰ってくる頃やろ。そう思てたら、棚の上に置いてた俺のスマホがチカチカしとるんが見えた。げ。まさかお仕事ちゃうやろな。まぁ程度によっては無視や。
「ん?珍しな。あいつからやん。……はぁ?」
着信2回、メッセージ1個。それには「少し遅れます」言う内容。……はぁ?そんなん、ええわけないやろ。
一先ず不在着信をタップして折り返した。
プルルルル…
『はいもしもし─』
「今どこなん」
『すみません、まだ学校で』
「もう出とかな間に合わんのちゃうん」
『押してしまって片付け中なんです』
3コールで出たはええけど、周りがガヤガヤしてやかましい。ホンマにまだ学校かいな…どないなっとんねん。
「はぁー…そっちは君おらんでもどうとでもなるやろ。こっちは……いや。ちゃんと時間守ってくれる?迎え寄越そか」
『大丈夫です、すみません直哉さま、すぐに』
『出たー!ナオヤサマー!』
『ちょっと!そういうのやめてって!』
『ナオヤサマこんにちはー!』
「…ああ?」
外野から聞こえる、明らかにチョケた男の声。しかも複数や。それに対してあいつも普段とちゃう声色と言い方で言い返しとる。
『申し訳ありません、すぐに帰ります』
「……トップスピードで来い」
『わかりましたっ!』
通話終了て出た画面を消す。適当に、元の棚目掛けて放り投げる。
…賑やかな雑音、アホみたいな声、俺を煽るような命知らずの存在。外の世界は嫌いや。肌に合わん。
・
「お、お待たせしました、直哉さま…」
「日ぃ暮れるか思たで」
廊下からドタバタ聞こえる。それが一旦おさまってから静かにふすまが開いた。息を整えきらんと胸で呼吸しとるこいつは、その場で膝を着く。
「すぐにお茶持ってまいります」
「それはあとでええわ」
「…はい」
俺は言いながら、顎をしゃくって入るように促す。それに従って、入り口の畳の上へスライドしてきた。
「はぁー。言い訳はええで。アレ、なに?」
「申し訳ありません」
「あのクソガキども、場合によったらぶち殺すで」
「大変失礼しました」
「なんであいつら俺の名前知っとん」
「はい、1年生の頃から周りに私のこと伝えるために一緒に伝えてました」
「なんでなん」
「学校やお友達よりも直哉さまを優先したいとき、直哉さまのお名前を出すと話が早くて…」
環境変わる度に、自分が置かれてる状況を周りに申告しとったらしい。子供の時分から屋敷に仕えとること、行事やら何やらより優先すべき人がおること。それらを事前に周知しといて、何かしらを不参加にしたり、すぐ帰ったり、俺からの電話もすぐに対応したりしとったんやて。周りも「屋敷の仕事やったらしゃあない」「ナオヤサマやったら早よ行け」みたいな認識らしい。
「お名前出すの、今後やめます。勝手にすみませんでした」
「いや。やめんでええ、別に」
…なんや。こいつ、外でも俺のこと優先しとったんかい。それもお友達にハナから周知しとった上で。ふーん。…いや、そんなん当然やん?お友達より、楽しい学校より、俺を優先?当たり前やん。
せやったらあの時えらい遅かったなぁ、とか思わんこともないけど、ずーっとそうしてきてるんやったら、まぁええ。さすがに口角上がってまうやん。
「えらいやん、俺のこと最優先とは感心やなぁ」
「いえ。最優先ではありません。優先、です」
「はぁー?最優先であれよ」
「いえ、さすがに。ふふっ」
「あほ」
怒り寸前やったけど、なくなったわ。
ええ心がけやん、て。それ、ずーっと継続しとけよ、って。なんでかクスクス笑とるこいつに、そう言い足した。
・
・
「……今、なんて?」
夏になりかけるか言う頃。夕食後の自室での茶ぁ。俺がそれすすっとる座卓の横に座るこいつ。雑談がなんとなく切れたかな思た次の言葉に、思わず手ぇが止まった。
「ですから、高校を卒業したら短大に行こうかと思ってます、って言いました」
「…はぁ?卒業したら、て…」
「はい。栄養士を目指そうかなって。オープンキャンパスも申し込みました」
「……は?」
学校とか、外のこと。次の3月とかで終わるんやと思っとった。高校が終わったら、屋敷に戻って住み込みの女中みたいにずっとおるもんやと。せやから、ああ、やっとあと一年やって思ってたんや。
けど、まだ終わりと違うらしい。タンダイて、何?それ、あと何年?
「報告が遅くなってすみません。進路迷ってたんですけど、ようやく色々固まりそうです」
「そ…そうか、……俺には、ようわからんわ」
「そうですよね、すみません」
湯呑みに入っとった半分のほうじ茶。まだちょっとだけ熱い。けど、イガイガしてきた喉に全部流し込んだ。
「……それ、何年通うん」
「2年ですね」
「また、平日昼間には俺んとこ来んつもりか」
「いえ、朝も夜も、休日も難しくなります」
「なんでや」
「私が希望してるところは大阪にあるので、住まいもそっちに移るかもしれません」
「……ああ"?」
まだちゃんと決まってもないのに。そこへ行く前提で、いついつから、どこどこへ、タンダイでなになに学ぶんやとか、行った先での過ごし方とか、予想して説明しとる。そんなん頭に入って来ぉへん。それ、俺から離れて行くことの説明やんな?ちょお待て。先々行くな。俺は理解も納得もしてへんのに。
「待て、待て。それ、決まっとんの?」
「直毘人さまにお許しはいただけました」
「……はぁー…なんでやねん…」
親父にはすでに相談済みかい。…そういやこいつの財産管理、親父を介して屋敷の専門家に託しとるて聞いたことあるな。その兼ね合いやとしてもや。こんなん、俺には事後報告みたいなもんやん。…気分悪い。
「直哉さま?」
「……その話、今日はもうええ」
「わかりました」
そう言うて頷いた顔は、まだなんや楽しそうやった。未来語っとるときの表情の続きや。学校やらお友達のこと話しとるときの顔と似とる。…この顔見たら、なんかしんどなんねん。嫌いやないけど、嫌いなん。俺がおらん方向向いとる顔。あんま見たないねん。
・
女中経由で親父に呼び出された。エアコン効いた涼しい部屋で昼前から酒飲んどるんやろ。なんの用事やねんて思うけど、わざわざ呼びつける言うことは、まぁなんか用事なんやろ。しゃあないから行ったろか。
「入るでー」
「おお直哉、来たか」
「はぁー、やっぱりな」
「お前も飲むか?」
「いらん」
昼飯にはまだ早い。座卓に何個も小鉢並べて、真ん中にお造り。魔王て書いた一升瓶片手に1人で飲んどった。
まぁそこへ座れや言われたとこ、親父のトイメンに腰下ろした。
「また来月に見合い組んだからな」
「もうええて」
「そういう訳にもいかん。お前もわかるだろ」
「わかりたくはない」
「えらいえらい」
「それキショイ言うねん、やめろや」
デカイ湯呑みに魔王注いで、茶ぁか水か言うほどにかっ食らっとる。
見合いなぁ。相変わらずクソイベント。時間の無駄やねんけど。ある意味感情「無」にする修行と化しとる。なんでそこでそないなスキル磨かなアカンねんホンマ。
「ぷはぁ~。はー、そりゃそうと、今年の梅雨はえらい長かったな。蒸し蒸し暑いと体力削がれるなぁ」
「せやな」
「梅雨空けたからかして、池の鯉もよう跳ねとる」
「ふーん」
「錦鯉はな、冷たい水でもぬくい水でも適応できるほど逞しい。だが、それでも慣れた水から移されたら案外しんどいもんだ」
「さよか」
鑑賞用の魚の話しながら、食用の魚食べとる。なんか知らんけど機嫌ええな。機嫌のええ親父はいつもよりよう喋る。これ以上面倒にならん内に終わらせとこか。
「鯉の話はもうええ。で、ホンマは何?」
「お。ああ、そうだったな」
はぁ。もう耄碌じじいの仲間入りしとんのかい。いちいち俺を呼び出しとんのは親父やろ。
「皐月ちゃんから聞いたと思うが」
「……」
あいつの名前出てきて、一瞬止まってしもた。とりあえず、親父の次の言葉を待っとく。
「卒業後の進路。聞いただろ?」
「…聞いたけど」
「あの子の伯父さん、うちで長らく台所守ってくれとるだろ。その影響もあってか、栄養士を目指したいらしい」
「…ふーん」
「あの子のためだ。お前も認めてやってくれ」
…なんやねん。親父もあいつ側に立って。保護者ヅラしてくんなや。…って、実際保護者になるんか?保護者代理?
「認めるも何も、俺に関係ないし」
「ほんとぉかぁ?」
「なんやねん気色悪い」
いっつも吊った眉毛が垂れ下がって、口角は上がっとる。湯呑み片手に煽った表情して来よった。
関係ないわ。関係ないって思うようにしてんねん。ほんでこの次に親父はこう言うんや。「あいつの未来のためや」て。わかってんねん。
「あの子にはあの子の将来がある。ウチは一時避難場所だ」
「…わかったて。て言うかそんなん、なんでいちいち俺に言うて来んねん」
「なんでって。お前、皐月ちゃんのこと好いてるだろ」
「す……っ!……はぁ!?」
「皐月ちゃんと離れ離れになるのは寂しいだろうが、我慢してやれ」
「さ…!はぁぁ!?」
体ん中で、変な音鳴った。部屋ん中も涼しいはずやのに急に暑なった。クソ親父が変なこと言うたからや。俺は知らん。
「俺はガキとちゃうぞ!」
「そうだなぁ。今年やっと法律上結婚出来る年齢だな。ガンガン見合い組んでやるぞー」
「……!せやのに見合いかい…!」
「それはそれ、これはこれだ」
「クソ親父!」
俺のこと見透かしとるて態度で煽った上に、クソイベ宣言。だっる!別の熱さが体に回ってきた。クソが。座卓を一発叩いて席立つ。もうええ。もうこんなとこ用事ない。
「もう行くのか。女中に造りのおかわり頼んで来てくれ」
「誰がするかいクソじじい!」
バシッ
締めたふすまが跳ね返った。知るかい。なんや。なんやねん。ただでさえずっとしんどいし気分悪いんやで。仕舞いにはクソ親父が変なこと言うてくるし。ちょお待てや。わかってる。けど、待ってくれ。俺もわからへんねん。
…はぁ、ちょっと頭と体冷やそ…。昼飯前やけど、風呂でも入ったろか。
7、8、9、10、11……言うて8ヶ月くらいしたらもうあいつはここにはおらんようになるんか。あいつにかて夢とか憧れあるんはわかる。おじさんに習ろて
ぬるめの湯船に浸かって天井見つめて。1回冷めた頭がまた熱なるんを感じた。
・
次の日ぃ、夜。今日は別んとこ給仕行っとるらしく、あいつの予定確保出来んかった。まぁ、おそらくここの前通る。そん時でも別にええ。
ふすま、覗けるだけの隙間開けといて。気配したら都度確認や。それ何回かしとったら、来た。あいつや。どれかの兄さんとこ行っとったんか、急須と湯呑み、皿と小ちゃいカゴみたいなん乗った盆持っていそいそ歩いて来る。
「皐月」
「わっ、え、はいっ、直哉さま──」
真ん前通るとき、身ぃ出してこいつの腕掴む。引き寄せて、部屋に入れた。ほんで誰にも見られんように、ふすまをぴったり閉める。
「直哉さま、どうしたんですか」
「話あんねん。聞いてくれる」
「はい、もちろんです」
腕引いたときにちょっとズレてしもた急須と湯呑み。それを盆の真ん中辺に直しとる。
「進路のやつ、もう決まったん」
「はい、大体は。受験自体はまだ先ですけど」
「まぁそれだけ勉強しとったら心配もないやろ」
「だといいんですが」
「……それで、やねんけど」
「はい」
「タンダイもわかった。ここ出るんも、大阪行くんも、2年もわかった。その上でや」
「はい」
俺は一拍置いてこいつの方へ向きを正した。
「…俺のとこ、離れて行く前に…お前のこと、抱く」
「へっ?」
間抜けな声。そらそうや。わかる。何言うたかわかってへんて顔や。
「どういう…?」
「そういう意味や。わかるやろ」
「へっ」
「…お前、隙ありすぎるやろ?俺おらんようになったら、そんなん、すぐ誰かに取られてまうやん。それが耐えられへん」
「…へ」
「せやから、俺が先に欲しいん」
「……」
目ぇパチパチさせて言葉に詰まっとる。嘘やとか、冗談とか、そうは思われてへんと思うけど、そう思われへんようにちょっとだけ顔に力入れた。
「わかる?この意味」
「そんな、あの、私は…」
「ああ、別にすぐとちゃうよ。俺も色々あるし。せやから、覚悟だけしといてくれへん」
「えっと、えっと」
俺は距離詰める。こいつは下がって背中はふすまに付いた。こいつが持っとる盆が俺の腹を押す。またあの時みたいに背中丸めて顔近付けて。したら、またこいつは上目に覗いてくるんや。普段の強気感じる態度とは違う。戸惑うとるのがわかる。せやけど俺もここで引く訳にはいかへんねん。
「わからん?ほんなら今考えて」
「私…どうすればいいんでしょう…」
「せやね、俺のこと、ちょっとでも嫌いやなかったら」
「そんな、嫌いな訳ありません」
「そうやね。…違うんやったら…俺が最初に欲しいん」
「なお…、…ん」
まだあたふたしとるこいつの顎支えて、上げる。ほんで鼻先同士近付けた。そこでピタッて止まって、一瞬だけこいつの目ぇ確認した。受け入れるみたいに目ぇつむったから。せやからそのまま進んで唇合わせて、キスした。盆がグッと腹に入る。唇は、ふにって軽く触れるだけや。
「…ここでこれしたん、覚えとる?」
「……はい」
「嫌やった?」
「………」
無言で首振っとる。「嫌やなかった」。せやろ。そうや思た。
「すぐと違う。せやけど、しばらくの内に、俺がもらう」
「………はい」
その返事聞いて俺は一歩後ろに下がった。
「下がってええよ」てふすま開けたら、盆の上のもん倒さんようにバランス取りながら逃げるように出て行った。その後ろ姿が廊下から見えんなったら、またふすま閉めた。
決めたんや。俺のもんにする、俺のもんにしとくて。そうしとかなアカンて。そう一回決めたらもう戻られへん。戻る気はない。
・
・
一部のポンコツ兄さんにおちょくられとることがある。俺にはソレの経験がないこと。それを直接指されとるわけとちゃうよ。バカ正直にアルナシなんか言わん。いわゆる、女買わへんってこと。金の発生せえへん女とか、ヤルだけの都合のええ女を俺が持っとらへんこと。それを嘲笑してきよる。意気地やとか甲斐性やとか抜かしとる。ボケとんか。これも術師として俺を茶化して己を保とることとおんなじや。金と名前がなかったら相手にもしてもらわれへんカスのくせに、才能と実力がある俺をそんなことでしか見下されへんねん。いや、見下したつもりで悦に入っとる。俺からしたら滑稽のほか何者でもあらへんけどな。そんなんただの猿やし。売女は論外、乳だけしか能のない化粧臭い女はゴミや。そんな女どもに俺の体触られるんや思たらゲボ吐きそうやし、わけわからん女に俺の体使こてやる価値も皆無。溜まれば出せばええし、興味はないけどさっさと処理できる都合のええ道具とかもナンボでもあるやん。
……そう思とる。そうは思とる全く別都合で、今度俺は皐月を抱く。…だがしかしや。確かに俺は、自分の面倒見ることはあっても女に対してのソレの経験値はないわけで。誰も受け入れたことない、絶対や思とるけど多分誰にも触らせたことないあいつに痛いとか怖いとか思わせてしもたら俺の沽券に関わるし。あいつに抱くでて言うたんも、覚悟してそのつもりにしといてもらわんと。無理矢理奪ったらそんなんレイプ魔やん。そんなん俺の趣味と違う。…まぁとにかく、何個かの媒体で加減とか具合いとか事前準備や。
・
・
・
夜はだいぶ過ごしやすなったとは言え昼間はまだ暑い。暦の上ではもう夏も終わりやのに。
外から帰ってきて自室へ戻っとるとき、廊下の端からあいつが歩いて来よるんが見えた。誰かの着替えかなんかが入っとるカゴ抱えて早足にしとる。
「直哉さま、お帰りなさい」
「今日もご苦労さんやね」
「ありがとうございます」
よう働いとったんか、額とか首に汗が滲んどる。その首元を、着流しの袖口で軽く拭ってやった。
「あ、ありがとうございます。でも、汚れてしまいます」
「かまへん」
ついでや。額もこめかみ辺りも拭いといたる。
「ありがとうございます」
「ん」
わしゃわしゃになった前髪。それをサッと整えて頭を下げとる。顔が上がった思たらフニャついた笑い顔やった。
「…皐月、あの件やけど」
「はい。…?」
「今日は、体調アカン日ぃとちゃう?」
「あ…」
「あのこと、今晩どうやと思とるんやけど」
最初はなんのことかわかっとらんて顔やったけど、体調…体のこと聞いたらピンと来たようや。目ぇちょっと泳がせて、持っとるカゴがキュッと動く。
「……わかりました」
「ほな、夜10時頃、俺の寝室へ来てくれる」
「………、失礼します」
一回頷いて。また逃げるように進行方向へ小走りで去る。足音消えるまで見送った。
10時。今晩10時過ぎたら、俺の欲しいもんが手に入るんや。そう思たら胸と腹の奥が、なんかに絞られたみたいに痺れた。
・
約束の時間ちょっと前。あいつからのメッセージがスマホに届いた。「今からそちらへ向かいます」。いきなり来やんと事前連絡。まぁどっちでもええけど。部屋の電気消して、隅っこの照明灯だけつけとくとする。部屋の明かりは薄暗い方がええやろ。
「直哉さま」
そうこうしとると、ふすまの向こうから小声。「おるで」て声かけたらふすまが最低限開いた。体横向きにしてするっと入って来てサッとその辺へ座った。
「寝間着姿、初めて見たわ」
「いつもの格好だとあれなので…。普段のラフなものですみません」
「いや、問題ない。…まぁ暑ぅて寝苦しいからな」
無地のティーシャツに太もも半分くらいの丈の短パンに靴下。……普段それ着て寝とるんかもしれへんけど、お前なぁ…。隙っちゅーもん擬人化したらこいつになるぞ。
「…こっちおいで、皐月」
「………」
薄暗くした部屋の、真ん中に布団どーんや。あからさま過ぎてアレやねんけど、しゃーないやん。それ自体はいつも通りやし。
そこに座っとった俺は、膝で歩いてこいつの前へ。ほんで手ぇ出した。それを素直に取ってくれたこいつの手ぇ引いて戻る。
「こっち見てくれ」
「…はい」
俺の前に座らされたこいつ。居心地悪いんはわかる。せやけど目ぇ合わへんのも嫌やし、上向かせるために顎に手ぇ添えた。
「前、俺が言うたこと覚えてるか。俺がもらうて話」
「……はい」
「今日がその日や」
「………」
「誰にも渡さへんし、後戻りする気ぃもない」
「………」
俺の言葉に、見上げとる目ぇが都度まばたきしとる。頷きと一緒に。添えとる俺の指が揺れる。
「痛いかどうかは…保証でけへん。けど、怖がらせはせん」
「……はい」
「皐月…目ぇつむれ」
背中に軽く手ぇ回して、ちょっと引き寄せる。ほんで顔近付けて唇合わせた。1回目と2回目とはちゃう。やり方も、長さも、意味も違う。こいつの手ぇが俺の着流しの胸元掴んだ。またグッと引き寄せて、そのまま押し倒した。
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この冬は雪がよう降った。せやけど庭の桜はもう蕾が少ない。早咲きのもんやと普通に咲いとる。
あいつの高校の卒業式もちょっと前に終わった。無事に卒業出来たこと、その10日後にはここを出ることを報告してきた。
「直哉。皐月ちゃんが出発するぞ。見送らんのか」
遅めの朝飯をダラダラ食べとったら親父がいちいち声かけに来た。
「俺はええ」
「そうか?あの子は待ってるんじゃないか」
「ええて。味噌汁飲んどるとこやし」
「ええならええが」
なんや、親父。そんな人情みたいなん持っとったん。当主様がそないな気ぃ利かせるみたいな。そんなお節介、別に要らんねんけど。
無視して食べとったら、親父の目ぇが細なって不思議そうにこっち見てきた。
「何?心配せんでも俺今日も男前やけど」
「お前、耳開けとったんか」
「ああ、これ?今気付いたん?イメチェンや、イメチェン」
「ほーん」
なんやねん。ピアスに興味ないんやったら聞くなや。適当な返事して去って行きよったで。
閉められたドア眺めて、味噌汁に目ぇ落とす。味噌と湯が分離しとる。
「……早よ行ってこい」
あいつは今日、出て行く。知っとる。ええねん、知っとるから。
もう左耳にあることは慣れた。ふっと外見たらええ天気やった。今日は大雨でも降ればよかったのにな。そう思いながらピアスいじってた。無意識やった。
──第三章:18歳、不可逆の選択 END──