直哉夢「15年」
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✦直哉視点
✦妾との表現あり(直接描写はありません)
✦登場人物以外の命がなくなる表現あり(直接描写はありません)
──23歳
今何時や…?わからんけど夜中や。屋敷も一部を除いて寝とる。あいつも寝とることやろう。せやけどどうにも耐えられへん。気ぃも向かうもあいつの部屋。ざわついてしゃあない体ん中。なんかが吐き出そうになるんを必死に抑えて襖閉めた。
「……」
奥に敷かれた布団で、皐月は寝息立てとった。横に腰おろして顔覗く。寝顔やけど、こいつの顔見たら落ち着けるやろうと思たのに。それどころか余計に息苦しなった。ああ、アカンかも。
「……皐月…、皐月…」
「ん……」
「皐月…起きてくれ……」
「ん……あれ…?直哉さま…?」
寝入っとるけど体揺さぶる。目ぇ開けてくれるまで揺すった。それに反応して薄目開けた皐月は俺の姿に驚いとる。
「直哉さま、その格好…どうしたんですか?髪も濡れてますよ」
「……シャワー、浴びて来たん……」
「………。大丈夫ですか?」
下履いて、着流し引っ掛けただけの格好。そんなんも構ってられへんかったんや。早よ胸すきたかった。
起き上がった皐月の、揃えた膝が見えた。俺の前髪から垂れた水が布団にポタポタ染みてく。そこを見つめた。起きてほしい、俺を見てほしい……そう思たけどいざ向けられたらそんなとこしか見られへん。
「直哉さま?」
「……触らんといて」
「え…」
「俺、今汚いから」
「……?」
「よその女、触ってしもたから」
俺の手ぇに伸びてきた。けど思わず引っ込めた。
この手ぇで触ってしもたん。用意された畑の足に触ったん。嫌々勃たせたモン、使こてしもたん。この地獄の時間、皐月の顔思い浮かんでしもた。気持ち悪さと罪悪感でいっぱいになった俺のこと、優しくしてほしい、理解してほしい、慰めてほしいのに。矛盾しとる。ああ、俺がやらなアカンのやて覚悟しとったはずやのに。
「……」
「……」
「お役目、ご苦労様でございました」
「……うん」
ああ、わかられとるんやな。理解して、受け入れて、その上で俺を労ってくれる。お前に知られたない職務やけど、こんな気色悪い仕事、お前に慰めてもらわなとてもやないけど耐えられへん。やっぱり矛盾しとるよな…。でも、家のため、お前のためやから。俺のこと、ようやったなて褒めてや…。
「お前も、無理しとるんと違う?」
「ご心配、ありがとうございます。……今日はこのまま、ここで一緒に寝ませんか?」
「…うん、寝る…」
握った俺の拳を開いて、それぞれぎゅって繋がれる。手の甲に水滴落ちた。
・
一番奥の元空き部屋。日ぃ当たりにくいし導線も悪いて物置にすらなってへん場所やった。存在も忘れとったそこに、俺は職務に向かう。
「今日は何番や。ふーん、3番。あっそ、どうでもええわ」
香焚かれた部屋には親父に用意された畑その3が座っとる。顔は知らん。今後も見る気もない。ここに来る女は何番も顔隠しとる。女の顔は俺に見せるな。俺が出した唯一の条件や。それに従って、紐頭に巻いて垂れた布っぺらが顎の下まで垂れとる。昔の斬首の刑に処される罪人の姿そっくりや。趣味悪ぅ。まぁ、こんなクソなシステムに組み込まれに自ら志願してくるアホな女には似合うとるとちゃう、知らんけど。
「俺は勝手に準備するし。お前はそこで仰向けんなって待っとけや。ああ、言うとくけどその布、絶対に取るなよ。目ぇ合わそうとしたら殺すからな」
ただの職務。義務。1ミリも興味なかった性処理の道具。オナホ使こて無理矢理勃たせる。適当でええ。用済みの道具は壁に投げつけた。
動くなて命令して感情殺す。ただ注入するだけの作業や。あー気色悪い。嫌悪感しかない。作業、業務。ただの職務。地獄みたいに長い数分を終えたら仕舞いや。
はい種蒔き終わり。この瞬間の、全身から吹き出すサブイボには慣れへん。虚無。この女の表情は知ることはないけど、コレも虚無やろ。アホとちゃう。現当主にも次期当主にも人間扱いされとらんと、ただの子産みマシーンになって、禪院の仕組みにじわじわ殺されていくんや。斬首の刑。あながち間違ってへんかもな。ま、術式持ちの子ぉでも産まれたらええな。精々頑張れや。
この種蒔き部屋、一番遠くてよかったわ。気色の悪い。
・
春もとうに終わった。今年は花見も出来ひんかったな。気ぃついたら緑色。それでもええわて一人であそこへ向かった。舗装された道、ちょっとした川沿い、色んな花、飛び石。前にレジャーシート敷いたとこに立った。ええ風吹いとる。葉っぱがようさん重なっとる音が響く。ああ、気持ちええなぁ。
「……大阪の家、戻りたいなぁ…」
あの2年、底やった。その時は。……今と比べてみぃ。全然よかったやん。あのまんまでよかったんとちゃうん。そうとすら思う。狭いし、不便。壁の向こうに赤の他人がおるあんなとこ。あんなとこやったけど、俺とあいつだけの空間やった。色んなこと確かめられた俺の城やった。その城維持して、俺はずっと確かめに通とった方が、今よりマシやったんちゃうやろか。
……また寝不足になった。またクマ根付いてしもた。俺が無力やから、全部、しゃあないんや…。せやけど、たまにこうやって想い馳せることは許してほしい。
桜の根元。土とか葉っぱとか気にせんとその近くに寝そべった。やっぱり冷たかった。
・
…はじめの頃は、職務後に毎回あいつのとこへ帰っとったん。泥かぶった俺のこと慰めてや、て。でも段々減らしていった。労ってはくれるけど、それて、「今さっき他の女に触った俺」として見られとるってことやって気付いたから。間違ごうてへん。けど、あいつに隠したいわけとちゃうけどホンマは知られたくない。複雑やねん。なんか、ふっとしたときに泣きたなってくる。今日は我慢せなと思たらまた水こぼれそうになってしまう。
我慢して、我慢して、たまに行って、我慢して。我慢出来ひんかったから、あいつの部屋へ行った。
「皐月……起きとる?」
「はい、直哉さま」
襖開けたら、寝る準備してたとこみたいな感じやった。整えられとる布団、真っ直ぐ置かれた枕、あとは入るだけみたいにめくられた掛け布団。ああ、そこに潜り込みたい。そこで温もって皐月に撫でられて寝てしまいたい。体が吸い寄せられていく。
ひとまず、こいつに誘導されるがまま布団の横に置かれた座布団の上に落ち着いた。その前、なんも敷いてへんとこに皐月が座る。見慣れへんスウェット姿。こういう格好みたら、ウチのもんと違うように見える。
「……皐月…」
「はい」
「…あのな…。……やっぱりなんでもない」
考えなしになんか出てしまいそうになった。何とはない。決まっとるもんがあったわけではない。
居心地悪そうな俺に、皐月は仰々しく手ぇついて頭下げた。
「直哉さま。今日もお役目、ご苦労様でございました」
「……な、なんなんそれ…!」
いつもの労いの言葉や。ついカッとなった。淡々としとったから。別に、なんか言うたろうと思ってたわけやない。けどそのいつもの言葉がグサッと刺さってしもたんや。
「なぁ……俺、こんだけ我慢して苦しんどるんやで…なんで…なんでお前はそんなに平気な顔できるん…?」
「……」
「余所のわけわからん女3人も……毎晩みたいに種ばらまかされとるんよ!気色の悪い…!それのせいでまともにお前のこと触られへんねんで…」
「……」
ぐっと顔に力入ったみたいな表情の皐月。なんも言わんと黙って聞いとる。なんで黙るねん。
「なんでこんなゲボ吐きそうなこと続けてるかわかるか…?お前のためやねん!お前が子供とか後継ぎとかで消費されへんようにや!」
「……」
「けど…!たまには怒ってくれてもええやん…嫉妬してぇや……俺がこんなんしてるん、嫌やって言うてくれや…!……なぁ…行かんといてって言うてよぉ…」
「それは言いません」
また淡々とした返事。なにそれ、なんやそれ。怖いやんか。
「なんで…?俺のこと、もう好きやないん?俺…っ、こんな俺のことどうでもええん!?」
「どうでもよくないです」
「せやったら…!」
「嫌だって言っていいんですか?行かないでくださいって言ってもいいんですか?」
一瞬期待した。ホンマは皐月も嫌やって思ってくれとる、行かんといて欲しいって思ってるんや、て。もしかして、こいつはそれを言うんを我慢しとるんか、て。……けど、厳しい目ぇで俺のこと見とった。
「直哉さまが必死に禪院に向き合ってること、私を守ってくれていること、理解しているつもりです。だからこそ、私が引き留めるような真似をすれば、せっかくの直哉さまの我慢と覚悟が無駄になってしまいます」
「そんな……俺はお前のせいにしとるんとちゃう…」
甘い言葉貰おうとした。くれると思た。そう期待したから、胸に針がチクチク刺さってきた。
お前のためやから。お前が行かんといてて言うてくれへんから。……俺は、俺が決めて俺がやっとることも、どっかでこいつのせいにしとったて言うことなん…?この苦しいのやめさせてくれ、しんどいの止めてくれ、てこいつに甘えようとしたんか…?
「直哉さまは、私が平気に見えますか」
「………」
「まさか思っても言いません。直哉さまが身を粉にして、心を殺しているんです。だから、私も殺してます」
「………」
言葉が出ん。平気なようにさせてたんは俺、知らん間にこいつを殺してたんも俺やったんや。影で俺に寄り添ってくれてたんやな。いや、今まで何回も慰めてもろてたやん。まさにさっき他の女抱いてきた俺を。慰めてもろて、労ろうてもろて、平気なフリして受け止めてくれとんのに…。己の器の小ささ、こいつに背負わせてたもんに今さらながら気付かされる。
「…………ごめん」
力抜けとる手ぇ。俺のそれに皐月の左手が乗ってきた。指輪が見えた。俺のとおんなじ石ついたやつと、新しいやつ。それ見て、なんとなく目の奥じわってした。
「直哉さま。愛しています」
「……っ」
思わず目ぇ上げる。向けられとるんはやらかい顔やった。視界が滲んでじわじわが溢れた。
「うん……」
これ以上の言葉は出んかった。代わりに何回も頷いた。
……俺にはもう、これしかないんや。
・
……あー。アレ、何回やったんやったっけ。家のため、あいつを面倒から遠ざけるため、親父を黙らせるため、数確保するため、ノルマ達成するため。いろんな目的果たしてきた。俺さえ種蒔きやっとればええんやとは言え、やっぱり気色悪いもんは気色悪い。まぁ、何も馬鹿正直に自ら注入してやらんでもええやんて気付いてからは楽なもんやった。あいつを殺してまで続けるんもしんどい。あれからは、何日かに1回種抜いて医療班に渡す。そうすることに切り替えた。そこからは好きにせぇ。最初からこうしとけばよかったんや。ま、用意された畑と対峙しといた事実は残るからええか。意味あったんか知らんけど、俺はやった。職務まっとうした。もう文句言われる筋合いもないやろ。そもそもが何回やらすねん。計算して一発で孕めやクソが。俺の手ぇ煩わすて無能のカスのやることやぞ。どいつもこいつもくたばりさらせ。
・
・
最近、調子がええ。術師として、一切滞りも引っ掛かりもない。頭が澄んどる。目的に一直線。捉えた瞬間に祓い終えとる。ほとんど記憶にないくらいや。ずっとゾーンに入っとるみたい。
……言うたら、ただの機械や。元々それがあるわけやないけど、別に感情もない。ただ目の前のゴミを淡々とソッコーで片付けとるだけ。ミキサーマシーンみたいに。まさに道具。周りの奴らも今の俺のあまりの無機質さに気ぃ圧されとるんか、余計に近づいてこんようになった。好都合。
帰ったらいっつもあいつが出迎えてくれる。朝でも昼でも夕方でも夜中でも。約束は守られとる。そこで、澄んどる頭ん中がふっと戻るん。
今日も思たより早よ終わって、帰ったら一通りの世話してくれる。昼過ぎ。風呂から上がったら熱い茶ぁと気に入っとる焼き菓子が待っとる手筈や。あいつが整えてくれとる自室へ向かった。
「──ついにご懐妊されたそうですよ」
「あらまぁ、これで直毘人様も一つ安心ですやろか」
「相伝持ちか、ましてや術式持ちかわからん限りはそうはいかんでしょう」
「まぁでもお妾さんの中でも一番先に来た一番ええとこの娘さんが孕んでよかったんと違いますか」
「2号さんの立場も保たれますしねぇ」
1個先の部屋か?男と女の声する。懐妊、ふーん誰か孕んだんかい。直毘人様、嘘やろ親父が?んなアホな。相伝、それ聞いて足止まった。お妾さん、2号さん…待てや、これ俺のこととちゃうんか。暇な奴らがゲスい噂しとる。俺のことなんは、キショイけどまぁ別にどうでもええか。やっと畑が結果出したんかい、て遅すぎる仕事にただ呆れるだけや。
「でもそうなったらあの子が可哀想やねぇ。ただでさえ他のお嫁さんに先越されへんようにせなアカン立場やのに」
「もし本妻に子供産まれへんかったらどうなりますのやら」
「最近お人形さんみたいやし、元々出自もわからん親無しやしねぇ。さすがの直哉様もお妾さんのとこへ行くんとちゃいますか」
「あら知りませんの、直哉様とあの子は──」
ドカッ!バシッッ!!
どうでもええわ。そう思て進みかけた。したら気持ち良さそうに続けるやんけ。誰のこと評価しとんねや。
声が漏れとる襖、蹴り倒したった。反対側は勢い付きすぎて跳ね返ってきた。いきなりのことに怯えた声で俺を見上げとるんは女中と使用人や。
「エラい楽しそうやのぉ」
「なっ…!直哉様っ…!」
「仕事サボって噂話に花咲かせて。声抑えられてへんで」
「もっ申し訳ありませんっ!」
「アンタら、運なかったなぁ」
「ひっ…」
体引っ込めようとしとるこいつらに詰め寄ったる。
「お前ら有象無象のゴミカスのくせに、どの立場でもの言うとん?」
「申し訳ありません!!」
「なぁ~んも知らんくせに、しょうもない憶測、お前らの理想語り腐りよって。許される思うなよ」
「ひぇ……仰る通りです!申し訳ありませんっ」
「お許しください…!」
カスが。その場にひれ伏しとる。男にいたっては震えとる。ホンマにゴミカスやん。コレ、俺が直々に躾といたらなアカンなぁ。
ドゴッッ!!
揃って畳にデコつけとるモブの間。拳突き下ろした。畳ひしゃげ割れて床板がバリバリ響く。砕かれたい草が舞った。
「ヒィッ…」
「…ああ、やっぱりワレら、運ええね。俺、パンピーに手ぇくだせへんのやったわ」
「……!」
突き刺さった腕抜きながら2個の丸まった背中見下ろした。固まってしもてピクリとも動きやがらへん。
「せやけど、次その汚い口で俺らのこと抜かしてみぃ。俺のポリシー崩れてしまうかもしれへんで」
「ひっ……」
手ぇと腕についた木片とい草。こいつらのうなじの上で払ろた。アホどもが。ザッコいくせに死に急ぐなよ。
「その他の有象無象にもよう言うとけよ」
「しょ…承知しました!!」
「ほな」
はぁ、気分悪い。腐っとるわ。こんな胸ん中でおりたない。深呼吸しながら足急がせる。
自室の前。もう一回深い呼吸して整えた。
「すまん、遅なってしもたな」
「直哉さま」
自分の部屋へ入る。そこに皐月がおった。俺が座る定位置の横。ポットとか急須、湯飲みとか菓子とか。それらと並んで俺のこと待ってくれとったんや。
「小腹空いてんねん。今日の焼き菓子、ちょっと楽しみにしとったんよ。選んでくれる?」
「はい」
個包装のやつ。何種類かのそれを木ぃの器から漆皿へ移した。それを俺の前へ置いてくれた。
「ありがとう。茶ぁも緑茶がええな。熱ぅいの、頼むわ」
「はい、直哉さま」
皐月は急須へそれ入れて、ポットからお湯注いどる。
たまに俺の顔見て、にこって笑てくれる。ほんでそれ見て俺も安心するん。この、特別やない当たり前みたいな時間。これのために俺は…こいつは、日々をこなしてるんや。今は、この時間過ごせることで生かされとる。ああ、ぬくいなぁ。
・
・
今日のお仕事の予定は変更した。あいつが朝起きて来られへんかったから。まぁ大したことはないらしい。でも大事とって部屋でお休みや。遅めの朝ごはん食べとるみたいやし、様子見に行って、ついでに膳下げといたろ。
「ああ、起きれとるん」
「はい」
襖開けたら、布団で起き上がっとる皐月がすぐ目に入った。カーディガンに腕通してた。横の膳見たら中身カラになっとる。食べれるようやな、まぁ安心したわ。
布団の横に座って顔覗いて観察した。
「顔色はええな。また倒れられでもしたら落ち着かへんし、今日はずっと休んどき」
「はい」
「吐き気とかないか。しんどなったらすぐ言うんやで」
「はい、直哉さま」
「ん」
食えとる、顔色ええ、笑顔も出とる。まぁこういうときもあるやろ。
また俺がこいつのこと観察しとったら、皐月の目線は俺の頭に釘付けになっとる。
「気付いてくれた?髪の毛、伸びてきてたやろ。切るついでにイメチェンや思て金髪にしてみたん。どうや?よう似合うとるやろ?これで遠くからでも俺のこと見付けやすいんちゃう?」
「ふふ、はい」
今さら金髪デビューも笑てまうけど、ぎょうさんの黒髪の中やったら目立つやん。俺が外から帰ってきたときとか、待っとるこいつもすぐわかるやろ。もっと早ようしといたらよかったわ。
俺の顔と髪の毛眺めとる皐月。そうや。前も一回やったことあったな、今日もしたろ。
「なぁ、あっち向いてくれへん。お前の髪の毛梳いたるわ」
別に乱れとるわけと違う。なんとなく、俺がしたなったから。
小物入ってる引き出しから櫛取り出す。これ、俺があげたやつや。こいつが大阪からウチへ戻ってきた日ぃに渡した、皐月にて俺が選んだつげのくし。
俺に向けた背中、普段使いしてくれてるんがわかる櫛。これを肩甲骨で揃っとる髪の毛に通した。
……こいつの細い肩見て、思い出してしもた。あの時の生きた心地せぇへんかった瞬間。
3月のいつの日ぃやったか。俺が外から帰って来たのに出迎えがなかった日ぃや。いつもの場所で待っとらへんあいつのこと探して回っとったら女中頭が飛んできたんや。
「直哉様っ、探しました」
「なんやねん。それよりあいつは」
「皐月でございますが、先ほど倒れてしまい…」
「は?」
「出血を伴っています」
「はぁ?血ぃ?なんでや。大丈夫なんか、今どこにおんねん」
「治療棟でございま──直哉様っ」
敷地内の医療棟。居場所がわかって即発動した。くそっ、わかった時点ですぐ俺に知らせぇよ。どんなルートでも使えや。
医療棟、一階。白い服来たやつを捕まえた。
「皐月はっ」
「直哉様、お待ちしておりましたこちらです」
奥の部屋指差した。俺を誘導しようとするんを無視して、1個だけ開いとる扉へ急いだ。
「皐月っ」
こっち向くように配置されとるベッド。そこにあいつがおった。倒れたて聞いてたから、目ぇ覚まさん状態で動けへんかったらどないしようと思た。けど、ベッドには入っとるけど起き上がってはおった。真横には女の看護師。俺の声に反応したあいつは顔上げた。パッと見ぃですぐ、目の周り赤なっとるんがわかる。俺が想像しとる最悪な姿と違ごたからひとまずはホッとした。
「皐月大丈夫か倒れたて、血ぃ出たて聞いて」
「………」
「……どないしたん?」
外傷はなさそうや。血ぃ、吐いたんか?もしかしてなんか病気なんか?横の看護師も深刻な顔しとる。嫌な予感しかせぇへんやん。
「ごめんなさい…直哉さま…私が弱いばっかりに…」
「な…、なんや…」
「ごめんなさい……」
赤い目ぇから涙ぼろぼろ流しとる。看護師はそんなこいつの背中さすった。
「……お腹に、赤ちゃんがいたんですって…でも、あの…流れちゃったって……」
「え……」
「ごめんなさい…直哉さま……ごめんなさい」
「……はぁー……血ぃて、そういう…」
吐血か怪我か思た。いや、血ぃ出て倒れてるんは事実やから大概辛かったやろう。せやけど、言葉詰まらせて謝る皐月見ても、正直「万が一やなくてよかった」と思た。こんだけはっきりしとるんや。こいつは無事なんやな、て。ちょっとだけ胸軽なった。ベッド、皐月の近くに腰掛けた。
「そうか……痛かったよな…。すまん、俺がおってやれんで」
「そんな……っ…ごめんなさい…」
ほっぺた流れとる涙。袖で拭いたる。
「…はぁ、それにしても、びっくりしたわ…お前に万が一あったんちゃうんかて…肝冷えたで」
「……でも…」
「それより、お腹痛ない?動いて大丈夫か?」
「…処置はしてくださいました……」
「そうか」
立てた膝に突っ伏して泣いとる。痛かったよな。辛かったよな。ホンマ、こいつの一大事にそばに居てやれへんかったんが悔やまれるわ…。すまんかったな…。
俺も今、これ以上なんも言えんかった。嗚咽で揺れる皐月の頭撫でた。
敷地内は便利や。数日は安静にしとくこと、薬飲むこと、また診せに行くこと、なんかあったらすぐ呼ぶこと。そう言われてこいつの部屋へ一緒に戻った。
まだ泣いとる。座布団あるのに畳の上にうずくまって。こんな姿見るんは初めてや。心痛むやんか。
「大丈夫か?お腹しんどない?布団敷いたるから横になり」
「直哉さま…っ」
体抱き起こせるように、て近付いた。したら急に抱きついてきた。バランス崩しそうになったけどなんとか受け止めれた。
「落ち着け、大丈夫や」
「私は……両親もなくしてます…また、なくしたなんて……」
「うん、まぁ、残念やけど…俺はお前が無事やったらそれでええ」
「……、…ぅぅ」
「大丈夫や、俺がついとる。俺がいてる」
呼吸浅い。大丈夫や、て背中トントンしたる。まだぼろぼろ出とる涙。俺の胸元に染み込んでった。そんなに泣いたら枯れてしまうで。
「せや。桜咲いたらまた一緒に花見しに行こ。もうすぐや。それまでに元気出しぃ。な?」
「……はい」
今日は俺がお前のこと抱き締めて寝たる。いつもより小ぃちゃく感じるこいつの体。細っこい肩。俺にすがっとるみたいにぎゅうって抱きつく皐月の薄い背中撫でた。
「うぅ…っ、直哉さまぁ…」
「可哀想に……お前はそんなことで悲しまんでええんやで」
子供とか跡継ぎとか。こいつを一切巻き込みたないん。こんなこと、ほかに知られたら面倒やし、看護師にも医療班にも他言無用言うといた。
こいつを守るためにも、気ぃ進まんけどそろそろ腰上げなアカンな。畑への種蒔き。…ゲボ吐きそうやけど、いつまでも避け続けるわけにもいかん。俺がやればええんや。俺が。
……それからしばらくは言われた通り安静にしとったな。俺は毎日見舞いに行ったし、調子ええときは一緒に散歩にも出掛けた。出来るときは俺が着替え持って行ったり部屋に食事入れたりもした。いつもと逆みたいやなて思た。着替えの手伝いとか飯あーんとかはさすがにせんでええて断られたけど。
風呂から上がってきて、髪の毛ちゃんと乾いてへんかったから俺が乾かしてあげたん。そのときに仕上げにこの櫛で梳かしたんや。
──そのときのこと思い出した。またこうやって大人しくしとる皐月の髪の毛綺麗にしとる。なんや時間がゆっくり流れるみたいな気ぃするな。そう思うんも、多分養生の意味がちょっとちゃうからや。前はこいつの悲しみと傷癒す療養やった。俺とこいつの、心地ええ空間を戻すためのしんどいもん。今は、次の胎芽が皐月の腹占領しとるらしいけど、まぁ悲しみとか傷ではないからな。たまに気分悪そうにはしとるけどいつも笑とるし。こいつのこと苦しめとる存在にイラっとしつつ、皐月が機嫌よう過ごせてることに安心しとる。俺も、最近はこの部屋が城の代わりに思えるん。
・
・
・
──24歳
早めの茶の時間。今日は可愛らしい見た目のおはぎや。色鮮やかなモンが4種類、2個ずつ皿に分けて一緒に食うた。
「そういや、先月に畑の収穫終わっとるらしいで。知っとった?」
「はい」
「そうなん。まぁどうでもええけどな。家の思惑通りなったらええやん」
例のアレや。1個目成功したてやつ。報告食ろたん。こちとらアーハイハイてなもんやのに。どうでもええ。勝手にしとれ。
「言うて仕込みもまだ続けなアカンみたいやけど。難儀やでホンマ」
「はい」
「ごめんやで、こんなしょうもない話聞かせてしもて」
跡継ぎ云々の話、こいつから遠ざけたいけど一応な。耳に入れとこ思て。なーんも知らん言うんも気ぃ悪いやん。俺に関わること知られてへんのも嫌やし。
「風、気持ちええねぇ。ちょっと膝枕してくれへん?」
「はい」
天気も気候もええ。雨戸も障子も襖も窓も開け放しとる。清々しい風が部屋ん中通っていく。小腹も満たされたし、皐月の膝で一息や。座布団ええ位置に置いて畳に寝転ぶ。ほんで太ももに頭預けた。
「はぁ…。こいつ、早よぉ出てってくれへんかなぁ。邪魔や」
頭に腹が当たってくる。どんどんこっちに膨らみよる。せっかくの膝枕やのに。狭なるやん。
「直哉さま」
「なんや?」
「………」
皐月の顔見上げたら開け放っとる外見つめてた。こいつのお気に入りの桜の木連なっとって、満開の花が風に揺れてる。この場所好きやもんな。昨日もずっと眺めとった。
「直哉さま……どこにいってしまったのでしょう…」
「ん…?何言うてるん。ここにおるで」
「はい」
やらかい表情しながらそう返事してくれる。最近は「はい」と「直哉さま」しか言うてくれへん。それ以外久しぶりに聞いたのにおかしいこと言うやん。俺がお前から離れる訳あらへんのに。
「前にここ帰ってくるときに野ウサギ見てん。ホンマやで。探しがてら散歩行こか」
「はい」
「途中冷えてもアカンし、念のために羽織るもん持って行こな」
「はい」
俺のほっぺたに皐月の手ぇ添えられる。俺もそれに重ねた。気持ちええ風、気持ちええ手ぇ、気持ちええ膝枕。そんで、直哉さま、て声聞こえたから、自然とまぶたが落ちた。
3つ目の俺の城。こいつと2人。ここでの空間で、ようやく、真に落ち着けとる。しんどかったりどうしようもないこともあったけど、今が一番安定しとるん。俺はこれを、ハッピーエンドやと思てる。
── END ──
⇒あとがき
✦妾との表現あり(直接描写はありません)
✦登場人物以外の命がなくなる表現あり(直接描写はありません)
──23歳
今何時や…?わからんけど夜中や。屋敷も一部を除いて寝とる。あいつも寝とることやろう。せやけどどうにも耐えられへん。気ぃも向かうもあいつの部屋。ざわついてしゃあない体ん中。なんかが吐き出そうになるんを必死に抑えて襖閉めた。
「……」
奥に敷かれた布団で、皐月は寝息立てとった。横に腰おろして顔覗く。寝顔やけど、こいつの顔見たら落ち着けるやろうと思たのに。それどころか余計に息苦しなった。ああ、アカンかも。
「……皐月…、皐月…」
「ん……」
「皐月…起きてくれ……」
「ん……あれ…?直哉さま…?」
寝入っとるけど体揺さぶる。目ぇ開けてくれるまで揺すった。それに反応して薄目開けた皐月は俺の姿に驚いとる。
「直哉さま、その格好…どうしたんですか?髪も濡れてますよ」
「……シャワー、浴びて来たん……」
「………。大丈夫ですか?」
下履いて、着流し引っ掛けただけの格好。そんなんも構ってられへんかったんや。早よ胸すきたかった。
起き上がった皐月の、揃えた膝が見えた。俺の前髪から垂れた水が布団にポタポタ染みてく。そこを見つめた。起きてほしい、俺を見てほしい……そう思たけどいざ向けられたらそんなとこしか見られへん。
「直哉さま?」
「……触らんといて」
「え…」
「俺、今汚いから」
「……?」
「よその女、触ってしもたから」
俺の手ぇに伸びてきた。けど思わず引っ込めた。
この手ぇで触ってしもたん。用意された畑の足に触ったん。嫌々勃たせたモン、使こてしもたん。この地獄の時間、皐月の顔思い浮かんでしもた。気持ち悪さと罪悪感でいっぱいになった俺のこと、優しくしてほしい、理解してほしい、慰めてほしいのに。矛盾しとる。ああ、俺がやらなアカンのやて覚悟しとったはずやのに。
「……」
「……」
「お役目、ご苦労様でございました」
「……うん」
ああ、わかられとるんやな。理解して、受け入れて、その上で俺を労ってくれる。お前に知られたない職務やけど、こんな気色悪い仕事、お前に慰めてもらわなとてもやないけど耐えられへん。やっぱり矛盾しとるよな…。でも、家のため、お前のためやから。俺のこと、ようやったなて褒めてや…。
「お前も、無理しとるんと違う?」
「ご心配、ありがとうございます。……今日はこのまま、ここで一緒に寝ませんか?」
「…うん、寝る…」
握った俺の拳を開いて、それぞれぎゅって繋がれる。手の甲に水滴落ちた。
・
一番奥の元空き部屋。日ぃ当たりにくいし導線も悪いて物置にすらなってへん場所やった。存在も忘れとったそこに、俺は職務に向かう。
「今日は何番や。ふーん、3番。あっそ、どうでもええわ」
香焚かれた部屋には親父に用意された畑その3が座っとる。顔は知らん。今後も見る気もない。ここに来る女は何番も顔隠しとる。女の顔は俺に見せるな。俺が出した唯一の条件や。それに従って、紐頭に巻いて垂れた布っぺらが顎の下まで垂れとる。昔の斬首の刑に処される罪人の姿そっくりや。趣味悪ぅ。まぁ、こんなクソなシステムに組み込まれに自ら志願してくるアホな女には似合うとるとちゃう、知らんけど。
「俺は勝手に準備するし。お前はそこで仰向けんなって待っとけや。ああ、言うとくけどその布、絶対に取るなよ。目ぇ合わそうとしたら殺すからな」
ただの職務。義務。1ミリも興味なかった性処理の道具。オナホ使こて無理矢理勃たせる。適当でええ。用済みの道具は壁に投げつけた。
動くなて命令して感情殺す。ただ注入するだけの作業や。あー気色悪い。嫌悪感しかない。作業、業務。ただの職務。地獄みたいに長い数分を終えたら仕舞いや。
はい種蒔き終わり。この瞬間の、全身から吹き出すサブイボには慣れへん。虚無。この女の表情は知ることはないけど、コレも虚無やろ。アホとちゃう。現当主にも次期当主にも人間扱いされとらんと、ただの子産みマシーンになって、禪院の仕組みにじわじわ殺されていくんや。斬首の刑。あながち間違ってへんかもな。ま、術式持ちの子ぉでも産まれたらええな。精々頑張れや。
この種蒔き部屋、一番遠くてよかったわ。気色の悪い。
・
春もとうに終わった。今年は花見も出来ひんかったな。気ぃついたら緑色。それでもええわて一人であそこへ向かった。舗装された道、ちょっとした川沿い、色んな花、飛び石。前にレジャーシート敷いたとこに立った。ええ風吹いとる。葉っぱがようさん重なっとる音が響く。ああ、気持ちええなぁ。
「……大阪の家、戻りたいなぁ…」
あの2年、底やった。その時は。……今と比べてみぃ。全然よかったやん。あのまんまでよかったんとちゃうん。そうとすら思う。狭いし、不便。壁の向こうに赤の他人がおるあんなとこ。あんなとこやったけど、俺とあいつだけの空間やった。色んなこと確かめられた俺の城やった。その城維持して、俺はずっと確かめに通とった方が、今よりマシやったんちゃうやろか。
……また寝不足になった。またクマ根付いてしもた。俺が無力やから、全部、しゃあないんや…。せやけど、たまにこうやって想い馳せることは許してほしい。
桜の根元。土とか葉っぱとか気にせんとその近くに寝そべった。やっぱり冷たかった。
・
…はじめの頃は、職務後に毎回あいつのとこへ帰っとったん。泥かぶった俺のこと慰めてや、て。でも段々減らしていった。労ってはくれるけど、それて、「今さっき他の女に触った俺」として見られとるってことやって気付いたから。間違ごうてへん。けど、あいつに隠したいわけとちゃうけどホンマは知られたくない。複雑やねん。なんか、ふっとしたときに泣きたなってくる。今日は我慢せなと思たらまた水こぼれそうになってしまう。
我慢して、我慢して、たまに行って、我慢して。我慢出来ひんかったから、あいつの部屋へ行った。
「皐月……起きとる?」
「はい、直哉さま」
襖開けたら、寝る準備してたとこみたいな感じやった。整えられとる布団、真っ直ぐ置かれた枕、あとは入るだけみたいにめくられた掛け布団。ああ、そこに潜り込みたい。そこで温もって皐月に撫でられて寝てしまいたい。体が吸い寄せられていく。
ひとまず、こいつに誘導されるがまま布団の横に置かれた座布団の上に落ち着いた。その前、なんも敷いてへんとこに皐月が座る。見慣れへんスウェット姿。こういう格好みたら、ウチのもんと違うように見える。
「……皐月…」
「はい」
「…あのな…。……やっぱりなんでもない」
考えなしになんか出てしまいそうになった。何とはない。決まっとるもんがあったわけではない。
居心地悪そうな俺に、皐月は仰々しく手ぇついて頭下げた。
「直哉さま。今日もお役目、ご苦労様でございました」
「……な、なんなんそれ…!」
いつもの労いの言葉や。ついカッとなった。淡々としとったから。別に、なんか言うたろうと思ってたわけやない。けどそのいつもの言葉がグサッと刺さってしもたんや。
「なぁ……俺、こんだけ我慢して苦しんどるんやで…なんで…なんでお前はそんなに平気な顔できるん…?」
「……」
「余所のわけわからん女3人も……毎晩みたいに種ばらまかされとるんよ!気色の悪い…!それのせいでまともにお前のこと触られへんねんで…」
「……」
ぐっと顔に力入ったみたいな表情の皐月。なんも言わんと黙って聞いとる。なんで黙るねん。
「なんでこんなゲボ吐きそうなこと続けてるかわかるか…?お前のためやねん!お前が子供とか後継ぎとかで消費されへんようにや!」
「……」
「けど…!たまには怒ってくれてもええやん…嫉妬してぇや……俺がこんなんしてるん、嫌やって言うてくれや…!……なぁ…行かんといてって言うてよぉ…」
「それは言いません」
また淡々とした返事。なにそれ、なんやそれ。怖いやんか。
「なんで…?俺のこと、もう好きやないん?俺…っ、こんな俺のことどうでもええん!?」
「どうでもよくないです」
「せやったら…!」
「嫌だって言っていいんですか?行かないでくださいって言ってもいいんですか?」
一瞬期待した。ホンマは皐月も嫌やって思ってくれとる、行かんといて欲しいって思ってるんや、て。もしかして、こいつはそれを言うんを我慢しとるんか、て。……けど、厳しい目ぇで俺のこと見とった。
「直哉さまが必死に禪院に向き合ってること、私を守ってくれていること、理解しているつもりです。だからこそ、私が引き留めるような真似をすれば、せっかくの直哉さまの我慢と覚悟が無駄になってしまいます」
「そんな……俺はお前のせいにしとるんとちゃう…」
甘い言葉貰おうとした。くれると思た。そう期待したから、胸に針がチクチク刺さってきた。
お前のためやから。お前が行かんといてて言うてくれへんから。……俺は、俺が決めて俺がやっとることも、どっかでこいつのせいにしとったて言うことなん…?この苦しいのやめさせてくれ、しんどいの止めてくれ、てこいつに甘えようとしたんか…?
「直哉さまは、私が平気に見えますか」
「………」
「まさか思っても言いません。直哉さまが身を粉にして、心を殺しているんです。だから、私も殺してます」
「………」
言葉が出ん。平気なようにさせてたんは俺、知らん間にこいつを殺してたんも俺やったんや。影で俺に寄り添ってくれてたんやな。いや、今まで何回も慰めてもろてたやん。まさにさっき他の女抱いてきた俺を。慰めてもろて、労ろうてもろて、平気なフリして受け止めてくれとんのに…。己の器の小ささ、こいつに背負わせてたもんに今さらながら気付かされる。
「…………ごめん」
力抜けとる手ぇ。俺のそれに皐月の左手が乗ってきた。指輪が見えた。俺のとおんなじ石ついたやつと、新しいやつ。それ見て、なんとなく目の奥じわってした。
「直哉さま。愛しています」
「……っ」
思わず目ぇ上げる。向けられとるんはやらかい顔やった。視界が滲んでじわじわが溢れた。
「うん……」
これ以上の言葉は出んかった。代わりに何回も頷いた。
……俺にはもう、これしかないんや。
・
……あー。アレ、何回やったんやったっけ。家のため、あいつを面倒から遠ざけるため、親父を黙らせるため、数確保するため、ノルマ達成するため。いろんな目的果たしてきた。俺さえ種蒔きやっとればええんやとは言え、やっぱり気色悪いもんは気色悪い。まぁ、何も馬鹿正直に自ら注入してやらんでもええやんて気付いてからは楽なもんやった。あいつを殺してまで続けるんもしんどい。あれからは、何日かに1回種抜いて医療班に渡す。そうすることに切り替えた。そこからは好きにせぇ。最初からこうしとけばよかったんや。ま、用意された畑と対峙しといた事実は残るからええか。意味あったんか知らんけど、俺はやった。職務まっとうした。もう文句言われる筋合いもないやろ。そもそもが何回やらすねん。計算して一発で孕めやクソが。俺の手ぇ煩わすて無能のカスのやることやぞ。どいつもこいつもくたばりさらせ。
・
・
最近、調子がええ。術師として、一切滞りも引っ掛かりもない。頭が澄んどる。目的に一直線。捉えた瞬間に祓い終えとる。ほとんど記憶にないくらいや。ずっとゾーンに入っとるみたい。
……言うたら、ただの機械や。元々それがあるわけやないけど、別に感情もない。ただ目の前のゴミを淡々とソッコーで片付けとるだけ。ミキサーマシーンみたいに。まさに道具。周りの奴らも今の俺のあまりの無機質さに気ぃ圧されとるんか、余計に近づいてこんようになった。好都合。
帰ったらいっつもあいつが出迎えてくれる。朝でも昼でも夕方でも夜中でも。約束は守られとる。そこで、澄んどる頭ん中がふっと戻るん。
今日も思たより早よ終わって、帰ったら一通りの世話してくれる。昼過ぎ。風呂から上がったら熱い茶ぁと気に入っとる焼き菓子が待っとる手筈や。あいつが整えてくれとる自室へ向かった。
「──ついにご懐妊されたそうですよ」
「あらまぁ、これで直毘人様も一つ安心ですやろか」
「相伝持ちか、ましてや術式持ちかわからん限りはそうはいかんでしょう」
「まぁでもお妾さんの中でも一番先に来た一番ええとこの娘さんが孕んでよかったんと違いますか」
「2号さんの立場も保たれますしねぇ」
1個先の部屋か?男と女の声する。懐妊、ふーん誰か孕んだんかい。直毘人様、嘘やろ親父が?んなアホな。相伝、それ聞いて足止まった。お妾さん、2号さん…待てや、これ俺のこととちゃうんか。暇な奴らがゲスい噂しとる。俺のことなんは、キショイけどまぁ別にどうでもええか。やっと畑が結果出したんかい、て遅すぎる仕事にただ呆れるだけや。
「でもそうなったらあの子が可哀想やねぇ。ただでさえ他のお嫁さんに先越されへんようにせなアカン立場やのに」
「もし本妻に子供産まれへんかったらどうなりますのやら」
「最近お人形さんみたいやし、元々出自もわからん親無しやしねぇ。さすがの直哉様もお妾さんのとこへ行くんとちゃいますか」
「あら知りませんの、直哉様とあの子は──」
ドカッ!バシッッ!!
どうでもええわ。そう思て進みかけた。したら気持ち良さそうに続けるやんけ。誰のこと評価しとんねや。
声が漏れとる襖、蹴り倒したった。反対側は勢い付きすぎて跳ね返ってきた。いきなりのことに怯えた声で俺を見上げとるんは女中と使用人や。
「エラい楽しそうやのぉ」
「なっ…!直哉様っ…!」
「仕事サボって噂話に花咲かせて。声抑えられてへんで」
「もっ申し訳ありませんっ!」
「アンタら、運なかったなぁ」
「ひっ…」
体引っ込めようとしとるこいつらに詰め寄ったる。
「お前ら有象無象のゴミカスのくせに、どの立場でもの言うとん?」
「申し訳ありません!!」
「なぁ~んも知らんくせに、しょうもない憶測、お前らの理想語り腐りよって。許される思うなよ」
「ひぇ……仰る通りです!申し訳ありませんっ」
「お許しください…!」
カスが。その場にひれ伏しとる。男にいたっては震えとる。ホンマにゴミカスやん。コレ、俺が直々に躾といたらなアカンなぁ。
ドゴッッ!!
揃って畳にデコつけとるモブの間。拳突き下ろした。畳ひしゃげ割れて床板がバリバリ響く。砕かれたい草が舞った。
「ヒィッ…」
「…ああ、やっぱりワレら、運ええね。俺、パンピーに手ぇくだせへんのやったわ」
「……!」
突き刺さった腕抜きながら2個の丸まった背中見下ろした。固まってしもてピクリとも動きやがらへん。
「せやけど、次その汚い口で俺らのこと抜かしてみぃ。俺のポリシー崩れてしまうかもしれへんで」
「ひっ……」
手ぇと腕についた木片とい草。こいつらのうなじの上で払ろた。アホどもが。ザッコいくせに死に急ぐなよ。
「その他の有象無象にもよう言うとけよ」
「しょ…承知しました!!」
「ほな」
はぁ、気分悪い。腐っとるわ。こんな胸ん中でおりたない。深呼吸しながら足急がせる。
自室の前。もう一回深い呼吸して整えた。
「すまん、遅なってしもたな」
「直哉さま」
自分の部屋へ入る。そこに皐月がおった。俺が座る定位置の横。ポットとか急須、湯飲みとか菓子とか。それらと並んで俺のこと待ってくれとったんや。
「小腹空いてんねん。今日の焼き菓子、ちょっと楽しみにしとったんよ。選んでくれる?」
「はい」
個包装のやつ。何種類かのそれを木ぃの器から漆皿へ移した。それを俺の前へ置いてくれた。
「ありがとう。茶ぁも緑茶がええな。熱ぅいの、頼むわ」
「はい、直哉さま」
皐月は急須へそれ入れて、ポットからお湯注いどる。
たまに俺の顔見て、にこって笑てくれる。ほんでそれ見て俺も安心するん。この、特別やない当たり前みたいな時間。これのために俺は…こいつは、日々をこなしてるんや。今は、この時間過ごせることで生かされとる。ああ、ぬくいなぁ。
・
・
今日のお仕事の予定は変更した。あいつが朝起きて来られへんかったから。まぁ大したことはないらしい。でも大事とって部屋でお休みや。遅めの朝ごはん食べとるみたいやし、様子見に行って、ついでに膳下げといたろ。
「ああ、起きれとるん」
「はい」
襖開けたら、布団で起き上がっとる皐月がすぐ目に入った。カーディガンに腕通してた。横の膳見たら中身カラになっとる。食べれるようやな、まぁ安心したわ。
布団の横に座って顔覗いて観察した。
「顔色はええな。また倒れられでもしたら落ち着かへんし、今日はずっと休んどき」
「はい」
「吐き気とかないか。しんどなったらすぐ言うんやで」
「はい、直哉さま」
「ん」
食えとる、顔色ええ、笑顔も出とる。まぁこういうときもあるやろ。
また俺がこいつのこと観察しとったら、皐月の目線は俺の頭に釘付けになっとる。
「気付いてくれた?髪の毛、伸びてきてたやろ。切るついでにイメチェンや思て金髪にしてみたん。どうや?よう似合うとるやろ?これで遠くからでも俺のこと見付けやすいんちゃう?」
「ふふ、はい」
今さら金髪デビューも笑てまうけど、ぎょうさんの黒髪の中やったら目立つやん。俺が外から帰ってきたときとか、待っとるこいつもすぐわかるやろ。もっと早ようしといたらよかったわ。
俺の顔と髪の毛眺めとる皐月。そうや。前も一回やったことあったな、今日もしたろ。
「なぁ、あっち向いてくれへん。お前の髪の毛梳いたるわ」
別に乱れとるわけと違う。なんとなく、俺がしたなったから。
小物入ってる引き出しから櫛取り出す。これ、俺があげたやつや。こいつが大阪からウチへ戻ってきた日ぃに渡した、皐月にて俺が選んだつげのくし。
俺に向けた背中、普段使いしてくれてるんがわかる櫛。これを肩甲骨で揃っとる髪の毛に通した。
……こいつの細い肩見て、思い出してしもた。あの時の生きた心地せぇへんかった瞬間。
3月のいつの日ぃやったか。俺が外から帰って来たのに出迎えがなかった日ぃや。いつもの場所で待っとらへんあいつのこと探して回っとったら女中頭が飛んできたんや。
「直哉様っ、探しました」
「なんやねん。それよりあいつは」
「皐月でございますが、先ほど倒れてしまい…」
「は?」
「出血を伴っています」
「はぁ?血ぃ?なんでや。大丈夫なんか、今どこにおんねん」
「治療棟でございま──直哉様っ」
敷地内の医療棟。居場所がわかって即発動した。くそっ、わかった時点ですぐ俺に知らせぇよ。どんなルートでも使えや。
医療棟、一階。白い服来たやつを捕まえた。
「皐月はっ」
「直哉様、お待ちしておりましたこちらです」
奥の部屋指差した。俺を誘導しようとするんを無視して、1個だけ開いとる扉へ急いだ。
「皐月っ」
こっち向くように配置されとるベッド。そこにあいつがおった。倒れたて聞いてたから、目ぇ覚まさん状態で動けへんかったらどないしようと思た。けど、ベッドには入っとるけど起き上がってはおった。真横には女の看護師。俺の声に反応したあいつは顔上げた。パッと見ぃですぐ、目の周り赤なっとるんがわかる。俺が想像しとる最悪な姿と違ごたからひとまずはホッとした。
「皐月大丈夫か倒れたて、血ぃ出たて聞いて」
「………」
「……どないしたん?」
外傷はなさそうや。血ぃ、吐いたんか?もしかしてなんか病気なんか?横の看護師も深刻な顔しとる。嫌な予感しかせぇへんやん。
「ごめんなさい…直哉さま…私が弱いばっかりに…」
「な…、なんや…」
「ごめんなさい……」
赤い目ぇから涙ぼろぼろ流しとる。看護師はそんなこいつの背中さすった。
「……お腹に、赤ちゃんがいたんですって…でも、あの…流れちゃったって……」
「え……」
「ごめんなさい…直哉さま……ごめんなさい」
「……はぁー……血ぃて、そういう…」
吐血か怪我か思た。いや、血ぃ出て倒れてるんは事実やから大概辛かったやろう。せやけど、言葉詰まらせて謝る皐月見ても、正直「万が一やなくてよかった」と思た。こんだけはっきりしとるんや。こいつは無事なんやな、て。ちょっとだけ胸軽なった。ベッド、皐月の近くに腰掛けた。
「そうか……痛かったよな…。すまん、俺がおってやれんで」
「そんな……っ…ごめんなさい…」
ほっぺた流れとる涙。袖で拭いたる。
「…はぁ、それにしても、びっくりしたわ…お前に万が一あったんちゃうんかて…肝冷えたで」
「……でも…」
「それより、お腹痛ない?動いて大丈夫か?」
「…処置はしてくださいました……」
「そうか」
立てた膝に突っ伏して泣いとる。痛かったよな。辛かったよな。ホンマ、こいつの一大事にそばに居てやれへんかったんが悔やまれるわ…。すまんかったな…。
俺も今、これ以上なんも言えんかった。嗚咽で揺れる皐月の頭撫でた。
敷地内は便利や。数日は安静にしとくこと、薬飲むこと、また診せに行くこと、なんかあったらすぐ呼ぶこと。そう言われてこいつの部屋へ一緒に戻った。
まだ泣いとる。座布団あるのに畳の上にうずくまって。こんな姿見るんは初めてや。心痛むやんか。
「大丈夫か?お腹しんどない?布団敷いたるから横になり」
「直哉さま…っ」
体抱き起こせるように、て近付いた。したら急に抱きついてきた。バランス崩しそうになったけどなんとか受け止めれた。
「落ち着け、大丈夫や」
「私は……両親もなくしてます…また、なくしたなんて……」
「うん、まぁ、残念やけど…俺はお前が無事やったらそれでええ」
「……、…ぅぅ」
「大丈夫や、俺がついとる。俺がいてる」
呼吸浅い。大丈夫や、て背中トントンしたる。まだぼろぼろ出とる涙。俺の胸元に染み込んでった。そんなに泣いたら枯れてしまうで。
「せや。桜咲いたらまた一緒に花見しに行こ。もうすぐや。それまでに元気出しぃ。な?」
「……はい」
今日は俺がお前のこと抱き締めて寝たる。いつもより小ぃちゃく感じるこいつの体。細っこい肩。俺にすがっとるみたいにぎゅうって抱きつく皐月の薄い背中撫でた。
「うぅ…っ、直哉さまぁ…」
「可哀想に……お前はそんなことで悲しまんでええんやで」
子供とか跡継ぎとか。こいつを一切巻き込みたないん。こんなこと、ほかに知られたら面倒やし、看護師にも医療班にも他言無用言うといた。
こいつを守るためにも、気ぃ進まんけどそろそろ腰上げなアカンな。畑への種蒔き。…ゲボ吐きそうやけど、いつまでも避け続けるわけにもいかん。俺がやればええんや。俺が。
……それからしばらくは言われた通り安静にしとったな。俺は毎日見舞いに行ったし、調子ええときは一緒に散歩にも出掛けた。出来るときは俺が着替え持って行ったり部屋に食事入れたりもした。いつもと逆みたいやなて思た。着替えの手伝いとか飯あーんとかはさすがにせんでええて断られたけど。
風呂から上がってきて、髪の毛ちゃんと乾いてへんかったから俺が乾かしてあげたん。そのときに仕上げにこの櫛で梳かしたんや。
──そのときのこと思い出した。またこうやって大人しくしとる皐月の髪の毛綺麗にしとる。なんや時間がゆっくり流れるみたいな気ぃするな。そう思うんも、多分養生の意味がちょっとちゃうからや。前はこいつの悲しみと傷癒す療養やった。俺とこいつの、心地ええ空間を戻すためのしんどいもん。今は、次の胎芽が皐月の腹占領しとるらしいけど、まぁ悲しみとか傷ではないからな。たまに気分悪そうにはしとるけどいつも笑とるし。こいつのこと苦しめとる存在にイラっとしつつ、皐月が機嫌よう過ごせてることに安心しとる。俺も、最近はこの部屋が城の代わりに思えるん。
・
・
・
──24歳
早めの茶の時間。今日は可愛らしい見た目のおはぎや。色鮮やかなモンが4種類、2個ずつ皿に分けて一緒に食うた。
「そういや、先月に畑の収穫終わっとるらしいで。知っとった?」
「はい」
「そうなん。まぁどうでもええけどな。家の思惑通りなったらええやん」
例のアレや。1個目成功したてやつ。報告食ろたん。こちとらアーハイハイてなもんやのに。どうでもええ。勝手にしとれ。
「言うて仕込みもまだ続けなアカンみたいやけど。難儀やでホンマ」
「はい」
「ごめんやで、こんなしょうもない話聞かせてしもて」
跡継ぎ云々の話、こいつから遠ざけたいけど一応な。耳に入れとこ思て。なーんも知らん言うんも気ぃ悪いやん。俺に関わること知られてへんのも嫌やし。
「風、気持ちええねぇ。ちょっと膝枕してくれへん?」
「はい」
天気も気候もええ。雨戸も障子も襖も窓も開け放しとる。清々しい風が部屋ん中通っていく。小腹も満たされたし、皐月の膝で一息や。座布団ええ位置に置いて畳に寝転ぶ。ほんで太ももに頭預けた。
「はぁ…。こいつ、早よぉ出てってくれへんかなぁ。邪魔や」
頭に腹が当たってくる。どんどんこっちに膨らみよる。せっかくの膝枕やのに。狭なるやん。
「直哉さま」
「なんや?」
「………」
皐月の顔見上げたら開け放っとる外見つめてた。こいつのお気に入りの桜の木連なっとって、満開の花が風に揺れてる。この場所好きやもんな。昨日もずっと眺めとった。
「直哉さま……どこにいってしまったのでしょう…」
「ん…?何言うてるん。ここにおるで」
「はい」
やらかい表情しながらそう返事してくれる。最近は「はい」と「直哉さま」しか言うてくれへん。それ以外久しぶりに聞いたのにおかしいこと言うやん。俺がお前から離れる訳あらへんのに。
「前にここ帰ってくるときに野ウサギ見てん。ホンマやで。探しがてら散歩行こか」
「はい」
「途中冷えてもアカンし、念のために羽織るもん持って行こな」
「はい」
俺のほっぺたに皐月の手ぇ添えられる。俺もそれに重ねた。気持ちええ風、気持ちええ手ぇ、気持ちええ膝枕。そんで、直哉さま、て声聞こえたから、自然とまぶたが落ちた。
3つ目の俺の城。こいつと2人。ここでの空間で、ようやく、真に落ち着けとる。しんどかったりどうしようもないこともあったけど、今が一番安定しとるん。俺はこれを、ハッピーエンドやと思てる。
── END ──
⇒あとがき