伏黒家の日常
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日付けが変わる数分前、無事に我が子との対面が叶った。目の前の産まれたてほやほやの赤子は想像よりも小さく、しかし想像よりも大きな声で産声を上げた。
本当に同じ人間か、この小さい人間が我が子か、と大役を務めた妻の手を握りながら、驚きと感動が交じった何とも言えない感情を抱く恵。
直後は赤子や母体の処置を看護師たちが丁寧にしてくれる。しかしその間に、憔悴脱力する紗奈に知られることなく恵にも想定外のイベントが起こっていた。
「お父さん、へその緒切られますか?」
「…お父さん…あ、俺…。え、へその緒?切る?」
息子が出てきておよそ1分後。十分な安全が確認されたあと、息子のおへそに近い方のへその緒に、2~3センチほどの間隔を開けてクリップのような器具が2つ留められる。そして助産師が恵にそう尋ねた。諸々の不意打ちに思わず間の抜けた返事をしてしまう。
「じゃあ、せっかくなので」
「こちらでどうぞ」
助産師から専用器具のハサミを手渡された。
そして指示されたクリップとクリップの間、2~3センチの真ん中へ開いた刃を当てた。
「うわ…ちょっと怖いですね」
「血は出ないので一気にいってください」
「わかりました」
──ぐに、ぐに、ぷつんっ
紙を切るよりも勢いよく。切ると言うよりも刃を閉じた。が、思ったよりもすぐには切れず。数回に分けて繊維を断ち切る感じ。まるで弾力がある繊維を含んだこんにゃく。それを切り終えればいよいよ妻と息子の物理的繋がりが途絶えた。
「おお…」
思わぬ初体験と軽い衝撃を受けていると次の不意打ち。次の段階へと進む。「後産」が行われ、紗奈の体内から胎盤が出された。
「伏黒さん、胎盤見ますか?」
「えっ、いいです!遠慮します」
助産師は紗奈にそう声をかけたが、返ったのは拒否の言葉。そのやりとりを聞きつつ、反して恵は紗奈が拒否した胎盤をしっかり目撃。彼女にしてみればほとんど自分の内臓のようなもの。わざわざ見たくはないのも納得。自分はそういうものに対して耐性はあるものの、妻の身体の一部だったものを予告なく目にしたのは正に不意打ち。いや、全く問題はないのだが、何というか、まぁ。とにかく純粋な驚きだらけだ。
・
朝、紗奈は個室のベッドで一人。
自分のあれこれも無事に終わり一旦は休んでいた。しばらく眠っててくださいと言われても、アドレナリンが出ているし場所も場所、状況も状況ということで寝入ることは不可能。眠いし寝たい気持ちは山々だが後陣痛も痛い。
──コンコン
とりあえず目を瞑っていると外からノック音。
「はい」
「紗奈、大丈夫か」
「恵。うん、たぶん大丈夫。高専は?」
「産まれたって連絡したらさすがに今日は休めってみんなに言われてな」
「そっか、ありがとうね」
一旦家に帰っていた恵。入院のために必要な残りの紗奈の荷物や飲み物や非常食を持参した。
そして朝一番に、気にかけてくれていた仲間たちに報告した。早い時間にも関わらず祝福の嵐。皆からの言葉に甘えて、今日は家族といることができそうだ。
「はいお疲れ」
ノックはなく、少し遅れて甚爾が入ってくる。同じく一旦帰宅ののち、恵をバイクの後ろに乗せて戻って来たのだ。病院内のコンビニで買った数本のペットボトルをミニテーブルに置いた。
「おとうさぁぁん」
「何だよ」
「お父さんがいなかったらどうなってたか~!ほんっとにありがとうございました!」
「はいはい、問題ねぇよ。よく頑張ったな」
ずっと手を握っててくれた恵には分娩室で散々お礼を言っていたが、甚爾とは陣痛室で別れたきりだった。ずっと付き添ってくれた上に何時間も何回もマッサージをしてくれていた。恵か甚爾、どちらかが付き添えるように備えていたとは言え、本当に甚爾がいなければ一体どうなっていたことか。想像しただけで感じなくて済んだはずの不安が襲ってくる。
「俺からもありがとう」
「わかったわかった」
息子からの深々としたお辞儀。甚爾はそれをシッシと払う。そして適当に見繕った缶コーヒーやお茶の内一つを掴み壁側に設置されているソファに座った。
「で、紗奈ちゃん。具合いはどうだ」
「多分大丈夫です。けどやっぱり下半身ガッタガタ…」
「股裂けて骨盤広がってんだからな。出産は交通事故レベルとも聞くぞ」
「もう最後の最後なんてこうやって広げられるんだよ」
紗奈は口角に指を掛けてイーっと口を広げる。
それらの表現に恵は思わず顔を引きつらせた。あんなにも動けなくなったり声を上げたり。それが何時間も渡り続いた上に、いざ出産したあとにもまだまだ響いているのだから…女性にしか成し得ない所業に頭が上がらない。
──コンコン
ああだったこうだったと言い合っていると、またノック音。返答をすると、看護師が扉を開けた。手元には移動式の小さいワゴンのようなもの。それを押して中に入ってきた。紗奈の側に横付けされた新生児ベッドの縁の固定された名札には「伏黒紗奈ベビー」と記名されている。その中にはブランケットや帽子で埋もれた小さな顔が覗かせていた。
「お待たせしました」
「ぉぉ…」
「うわぁ」
先ほど分娩室で体感小一時間ほど同じ空間にいたが。改めて対面し、この小さいワゴン状のベッドに収まっている我が子を見て、思わず抑えきれない感嘆の声が漏れる。
「ちっちゃい~!寝てますか?」
「お目目瞑ってますけど多分起きてますね」
「おお、手ぇ動いてる」
「新生児室でもいい子にしてましたよ。朝は20分くらい前にミルク30ml飲みました。オムツもスッキリです。こちらにあるオムツやウェットティッシュなどお使いくださいね」
新生児室ではバイタルチェックや身体測定、様々な経過の観察や必要な処置を済ませているとのこと。諸々をクリアしたようで、ここでも改めての安心できる場とも言える。そして看護師から息子の様子や消耗品、ミルクについて教えてもらう。
「ではこれで失礼しますね。何かあればすぐお知らせください」
「はい、ありがとうございます」
紗奈が返事をし、看護師が退室。恵は扉が閉まるのを確認したあと小さいベッドを覗き込む。この、家のクローゼット内にある衣装ケースよりも小さいベッドが大きいと思うほどのその体。手をもぞもぞと動かし、口元を探っているように見える。その手に指先でチョンと触れてみた。
「…よろしくな、遥」
以前開いた協議会で名前は決定していた。ここで恵が対面して名を呼ぶと、準備していた文字と音がようやく「この子のもの」として魂に宿った気がする。その触れ合いもさながら握手のようだ。
「抱っこする?」
「うん。教えてくれ」
恵はとりあえず空いている場所、甚爾の隣へ座る。さすがに落とすなんてことはないだろうが立ったままだと怖い。紗奈もヨロヨロの体を起こし、我が子…遥をそっと抱き上げる。出産直後に抱いたしカンガルーケアでも触れ合っているが、紗奈も遥を抱き上げるのは初めて。新生児の抱き方などは産休中に勉強していたが、やはりあまりの軽さ細さ小ささに内心驚く。
「腕どっちか首支えられるようにして」
「こうか」
「うん。はい、お尻は足に寝かせるね」
「おお…軽い…」
恵の浮かせた右腕に首を支えられるように、紗奈の手から移動する。もちろん2人とも初心者。なんともぎこちない所作であるし、まるで物の配置のようだ。が、入院着と帽子を着させられている産まれたばかりの我が子を初めて抱っこして、当然嬉しい思いが大きいが何だか不思議な気持ちもある。
「軽いけど、生きてる。…可愛いな」
恵は遥のお尻や背中を支えながら腕を上げ、自分の胸の高さに持ち上げる。そして小さく狭いおでこに鼻先を当てた。
──カシャッ
その瞬間を、隣に座る甚爾が自分のスマホで撮影。ん?とこちらを向いた恵を同じ画角でもう一度撮影した。
「ほら。いいじゃねぇか」
「うん、そうだな」
「…まさか息子と孫にカメラを向ける日が来るとはな」
撮れたものを恵に見せる。そして自分のカメラロール一覧に表示された全2枚を眺めてしみじみと独り言。
「ほらほら恵、お父さん。こっち向いて」
「ん?」
「3世代で初めての写真。撮らせて」
今度は紗奈がそちらへレンズを向けた。普段は写真を撮る、撮られることに興味の薄いこの親子も今は何も言い返すことなく大人しく姿勢を整え静止する。恵は腕の中の遥の顔が写るように腕の角度を少し変え、甚爾も心なしか体を恵の方に傾けている。
「撮るよー。さんにーいち」
──カシャッ
スマホの画面には無表情が3人。もちろん新生児はそれに該当しないが、何ともこの親子ららしい出来映えに紗奈は笑った。
「ふふっ、めっちゃいいよ!ほら」
「なんだこいつら……笑えよ」
「えっ自分でそれ言う?」
「俺とお前が笑顔で写ってたら怖ぇだろ」
見せられた1枚に写る人物のあまりのニュートラルさ。我ながら呆れた感想しか出ない恵。しかし甚爾の言う通り、いくらこの状況とは言えこの親子が笑顔で同じ写真に写っていたら紗奈ですら驚くだろう。だがこれこそがまさに伏黒親子3世代の1枚だ、と言える写真第一号が宝物のひとつなのは確かだ。
「父さんも抱っこするか」
「ん。ああ、そうだな。……かる。羽か」
恵は体の向きを変え、同じく腕を開けてスタンバイする甚爾の胸元に遥を寝かせた。
本来は指一本で事足りる重さ。だが二の腕を枕にして、お尻を抱え込むようにしっかりと両腕で抱っこした。この羽のように軽く小さい生命体。まぁ嫁の腹の中には昨日までいたのは承知とは言え、いなかったはずのものがこうして目の前に存在しているということに、やはり不思議な気持ちが沸いてくる。
「おいお前か、ママを散々苦しめたのは」
「ま、ママ…」
「あ?紗奈ちゃんはこいつのママだろ?」
「いやまぁそうだけど」
腕の中の頬をふにふにと軽く摘まむ。祖父と孫の初コミュニケーションの隣で、恵は甚爾の口から出た単語に驚いている。確かに間違ってはいない。ついでに「お前はパパだろ?」と、当然のことを言われたがそれにもやはり軽い衝撃を受けた。良く言えばギャップが恵をそうさせる。
いや、これくらいで驚いている場合ではない。今後はそれらの連続だ。きっと日常になっているだろう。
「恵の赤ちゃんのとき思い出します?」
「……忘れた」
「忘れんなよ…いや、抱っこされてない可能性すらあるな」
短く返答する甚爾に、恵は呆れる。当然のように自分の赤ちゃんのときの記憶なんてないから、本当に父子の触れ合いはなかったかもしれない。なんだか自分が少し哀れになってきた。
「と言うかお父さん、また鍛えた?」
「いや、いつも通りだが」
「ほんと?だって…ふふっ、お父さんの胸筋遥よりでっかい」
「ああ?」
「…二の腕も胴体より太い…」
「そうか?」
2人からの指摘に、言われた箇所にぐっと力を入れれば筋肉が盛り上がる。と、その隆起に押されて遥がふよっと動いた。続けて左右交互に何度か胸に力を入れる度にふよ、ふよと遥の体が連動して動く。
「あははっ、胸筋アタック」
「早速じいじからの洗礼受けてんな」
「おーおー、覚悟しろよ」
窓の外は快晴。遥か未来まで生きてくれと願われ産まれた子を中心に、寝不足の3人はそれぞれ笑う。穏やかな空気に包まれながら、これから続くであろう未知なる明日の連続をまたそれぞれがぼんやりと想像した。
・
・
・
入院中、紗奈は話に聞いていた通りにボロボロの体で2、3時間置きの授乳やその他、24時間体制で世話に勤しんだ。甚爾と言えば、毎日顔を出すが滞在時間5分から10分ほど。風呂や授乳の時間を避け、何をするでもなく2人の顔を見ながら缶コーヒーを一本平らげ帰っていく。一方恵は相変わらず任務だ何だと多忙を極めていたが面会時間内にいられればいられるだけ病室を訪れ、紗奈を休ませ遥の世話をした。
そしてしばらくの入院を経て…詳しく言えば出産の日を含めて7日目の今日。いよいよ退院となった。多少無理した甲斐もあり、恵も午前中の休みをもぎ取ることに成功し、無事に親子での帰宅が叶った。
・
「ただいまー」
自宅前での下車音を察知し、留守番していた甚爾は玄関内で出迎えた。白いベビーハットとおくるみに包まれた遥を抱く紗奈と、その後ろを両肩から荷物を下げた恵が帰宅した。
「はいおかえり」
「お父さん、お部屋にお邪魔していいですか」
「ん、ああ。かまわねぇよ」
「ありがとう」
紗奈は靴を脱ぎ、間を開けずに甚爾にそうお伺いを立てる。そしてリビングや部屋には寄らずその足で2階へ。廊下に全ての荷物をざっと置いた恵もその後を付いて行く。
上がって奥の部屋、そして右側の小さい簡易テーブル。紗奈はその前で遥と共に座った。そのテーブルには花が不在の一輪挿し、中身のない線香立て、独特な白い布に包まれた骨壺。同じように並べられている写真立て。それらに向かって紗奈は手を合わせた。
「お母さん。ただいま。遥が退院してきました。これからよろしくお願いします」
写真に写る姿は、今の自分と遥とほとんど同じ。0才の恵を抱いている若き日の恵のお母さん。横顔しか写っていないが。墓はない。位牌もない。お鈴や仏飯器など最低限の仏具すら揃っていない。この骨壺と写真だけが父のそばに残された唯一の母の気配だ。
そしてこの手元供養や写真と対面するのもまだ数えるほど。甚爾に頼めば手を合わせられるが、恵の母とは言え彼女は彼の領域に属する存在。恵も自分も、踏み込み過ぎない静かな距離を保っているのだ。
「………」
そして、小さい姿の母に手を合わせる妻の背中を見ていると恵の胸の奥が動く。母さんにまたひとつ、いい報告できた、と。そして、写真の中で幼い自分を抱いている母と、遥を抱く妻の姿が重なる。まるで止まっていた時間が動き出し、ひとつの輪になったような感覚だった。
「…ありがとうな、紗奈」
「ううん。お母さん、見ててくれてるかな」
「うん。喜んでくれてると思う」
しばらく合わせていた手が下りる。こちらを向いた紗奈に恵は笑った。
幼い頃は何度か「母さんがいればな」と思ったことがある。今、かなり久しぶりにそう思った。少しだけ。
目線を下げれば腕の中で眠る生後一週間の息子。さて、この子のために準備万端に備えた1階に降りるとするか。
・
リビングに戻るとやはり定位置には甚爾。
「…ありがとな」
いつもテレビを見ているかスマホを弄っているかがセットの光景。だが今はどちらもしておらず、ただ座っている。恵と紗奈が戻るのを待っていたのか、戻るとすぐにそう言ってきた。もちろん、いの一番に亡き妻へ挨拶をしてくれたことへのお礼だ。
「うん、お母さんに遥の顔見てもらえたかな。起きたらまた行ってもいいですか?」
「ん。あと…こいつがもうちょい大きくなったら…お前の親にも顔見せてやれ」
「うん…そうだね。ありがとうございます」
「…さ、茶淹れるか」
父からうっすら感じるしんみりとした雰囲気。なんとなくそれを壊すために、恵はキッチンへと向かった。
遥を子供部屋に敷いた小さい布団に寝かせ、全員一旦落ち着くことにする。ミルクOK、衣類OK、2つの抱っこひもOK、おしり拭きウォーマーOK、バウンサーOK。保護者たちの心の準備もOK…完璧でなくてもいい、家族で協力すればなんとかなるだろう。
─そしていよいよ本格的な"日常"が始まる。
───つづく
★次回:「じいじ奮闘記 その1」(仮題)
物入り編のような1~数ページ漫画の羅列のような感じになる予定です
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