甘蜜の痕、即ち独占欲
三門市立第一高等学校の、いつも通りの廊下。
近界民の出現もない平穏な朝、出水は大きな欠伸をした。
昨日は眠れたが、その前の日はずっと起きていたせいで、眠気がまだ残っている。
せめて一限の体育で少しでも眠気が取れればいいのだが。
そんなことを考えながら出水は教室のドアを開け、自分の机に座った。
「よう、弾バカ」
「おう、はよ」
声をかけてきたのは米屋だ。昨日は防衛任務だと言っていたが、朝から元気そうだ。
「なあ、数学の宿題やってきた? 見せてくんね?」
「は? 数学五限だろ。昼休みにでもやれよ」
「頼むって、ジュース奢るからさ」
「……なら、いいけど」
普段なら自信がないので断るが、今回は二宮につきっきりで助けてもらった。間違いはないだろう。
「サンキュ!」
「ほらよ」
鞄から数学のノートを取り出し、米屋に渡す。
「いやー助かった助かった……って、お前……」
「? 何だよ」
米屋がびっくりした後、ニマニマと笑みを浮かべる。
「ふーん、へえー?」
「だから何だよ!」
「お前気づいてねーの? 首、すごいことになってるぜ」
「首?」
確認しようと思ったが、生憎鏡を持っていない。
米屋が笑みを崩さないままスマートフォンのインカメラを起動して手渡してきた。
「一体何……が……」
カメラに映った自分の首を見て、出水は絶句した。
無数の、赤い斑点。それは誰が見ても明らかな、情事の痕。
花弁のように咲いている所有印、その上肩と首の境界線に噛み跡まで見えているものだから、もう言い訳はできない。
「~~~~~~~!」
ぶわ、と顔が赤くなる。こんなものをつけられた記憶はない。
きっと出水が快楽に溺れて記憶を飛ばしている間につけたのだろう。
あの、全身が蕩けてしまう、甘くて切なくて幸せな間に。
秘め事の記憶を思い出してしまい、腰がずくりと疼く。
「土日にお楽しみだった? すげー盛り上がってんじゃん」
「くっそ、あの人……!」
恋人の涼しい顔を思い出す。理性的に見えて実は感情的な彼が、きっと欲望のままに痕をつけたのだ。
それにしても、一個二個ならまだ隠せたのに、こんなに沢山つけて、牽制のつもりだろうか。
出水をそういう意味で好きになる男なんて、きっと二宮くらいのものなのに。
「へーえ、お前もそんなエロい彼女いたんだな、今度紹介しろよ」
「ぜってーしねえ……ん? お前『も』?」
「そうそう、昨日聞いたんだけどさあ!」
米屋がずずいと身を乗り出す。
「この前本部でスプリンクラーが誤作動して、廊下で急に水が出たらしいんだよ」
「ふーん?」
「で、二宮さんがモロに水被ったらしくて。何人か目撃してんの、二宮さんが濡れたジャケット脱いだら──」
米屋がニヤリと笑う。
「透けたシャツから見えたらしいんだよ、背中に引っ掻き傷があったの!」
それを聞いて、出水はゴン、と机に頭をぶつける。
それは、確実に自分だ。行為の最中に必死にしがみついた記憶はあるが、まさか傷をつけてしまっていたとは思わなかった。
「いやーまさか二宮さんに彼女いるなんてな! しかも相当エロいと見た。どんな子なんだろーなーカワイイ系かな美人系かな?」
「……」
恥ずかしくて顔を上げられない。故意ではないとは言え、出水も情事の痕をしっかり残してしまっていたとは。
羞恥で死ねそうだ。
「何照れてんだよ弾バカ。お前もエロい事してんだから──」
いつまでも突っ伏して動かない出水を見て、米屋は首をひねる。
「なんで二宮さんのことでお前が照れてんだ?」
「……照れてねーよ」
「いや照れてんだろ。…………え? まさか……」
米屋は何かに気づいたらしい。
出水の首の痕を指して、おそるおそる言葉を紡ぐ。
「それ、まさか……二宮さん、か?」
「…………」
無言は肯定と同義。まさかこんな形でバレるとは思わなかった。
米屋が勢いよく立ち上がる。
「え、はーーーーーーー!? おま、マジか!? あの二宮さんと!?」
「うるせえ槍バカ! 声がデケえ!」
米屋が身を乗り出して、出水の首の痕をまじまじと眺める。
出水はそれをせめてもの抵抗で手のひらで隠す。
「へー……二宮さんって、性欲あるんだな……」
「お前あの人なんだと思ってんだよ」
「いや、お前の弟子ってことは知ってたけど……そんなに激しいアレするわけ?」
直接的な言葉に思わずむせる。
「おまっ……人の性事情に首つっこんでくんな!」
「いやだって気になるだろ。なに、どんなプレイすんの?」
「ぜってー教えねえ!」
「痕がそんなくっきりってことは、土日にお泊りデートでもしたんだろ」
図星だ。出水はぐうと声をあげる。
「……毎週、金曜は二宮さんち行ってる」
「へー、でくんずほぐれずってわけか」
「おい言い方」
「事実だろ?」
「そんだけじゃねーよ。勉強教えてもらったりしてる」
「……はーん、最近お前の成績良くなったの、それが原因か」
米屋はいいこと聞いた、とニンマリ笑う。
「……誰にも言うなよ、隠してんだから」
「はいはい、わざわざバラしたりしねーよ。でもさ、いつから付き合ってんの?」
「……何でお前に教えなきゃいけねーんだよ」
「いいから教えろって」
ここで教えなければ、米屋はことあるごとに話を盛り返してくるだろう。
出水は観念して、大きくため息を吐いた。
「……二宮さんが弟子になって、一緒に過ごすようになってさ、知らなかったところ、色々見えてきて」
「ふーん?」
「……なんか、一緒にいると幸せで、もっと傍にいたいって思うようになったんだよな」
二宮と一緒にいると、胸が温かくなって、でも、なんだか切なくて。
その顔に触れたら、どんな顔をするだろうか。唇は柔らかいんだろうか。
もっと、知りたい。もっと、奥深くまで。
自分の欲望が恋だと気づくのに、時間はかからなかった。
好き、好きだ。触れたい、触れてほしい。愛したい、愛してほしい。
そんなことばかりが頭を占めるようになって、でも言えば、今の関係が壊れてしまう。
だから必死に押さえていたのに、ボーダーからの帰り道で、二宮が何気なく、出水の頭を撫でた時に、気持ちが溢れてしまった。
近界民の出現もない平穏な朝、出水は大きな欠伸をした。
昨日は眠れたが、その前の日はずっと起きていたせいで、眠気がまだ残っている。
せめて一限の体育で少しでも眠気が取れればいいのだが。
そんなことを考えながら出水は教室のドアを開け、自分の机に座った。
「よう、弾バカ」
「おう、はよ」
声をかけてきたのは米屋だ。昨日は防衛任務だと言っていたが、朝から元気そうだ。
「なあ、数学の宿題やってきた? 見せてくんね?」
「は? 数学五限だろ。昼休みにでもやれよ」
「頼むって、ジュース奢るからさ」
「……なら、いいけど」
普段なら自信がないので断るが、今回は二宮につきっきりで助けてもらった。間違いはないだろう。
「サンキュ!」
「ほらよ」
鞄から数学のノートを取り出し、米屋に渡す。
「いやー助かった助かった……って、お前……」
「? 何だよ」
米屋がびっくりした後、ニマニマと笑みを浮かべる。
「ふーん、へえー?」
「だから何だよ!」
「お前気づいてねーの? 首、すごいことになってるぜ」
「首?」
確認しようと思ったが、生憎鏡を持っていない。
米屋が笑みを崩さないままスマートフォンのインカメラを起動して手渡してきた。
「一体何……が……」
カメラに映った自分の首を見て、出水は絶句した。
無数の、赤い斑点。それは誰が見ても明らかな、情事の痕。
花弁のように咲いている所有印、その上肩と首の境界線に噛み跡まで見えているものだから、もう言い訳はできない。
「~~~~~~~!」
ぶわ、と顔が赤くなる。こんなものをつけられた記憶はない。
きっと出水が快楽に溺れて記憶を飛ばしている間につけたのだろう。
あの、全身が蕩けてしまう、甘くて切なくて幸せな間に。
秘め事の記憶を思い出してしまい、腰がずくりと疼く。
「土日にお楽しみだった? すげー盛り上がってんじゃん」
「くっそ、あの人……!」
恋人の涼しい顔を思い出す。理性的に見えて実は感情的な彼が、きっと欲望のままに痕をつけたのだ。
それにしても、一個二個ならまだ隠せたのに、こんなに沢山つけて、牽制のつもりだろうか。
出水をそういう意味で好きになる男なんて、きっと二宮くらいのものなのに。
「へーえ、お前もそんなエロい彼女いたんだな、今度紹介しろよ」
「ぜってーしねえ……ん? お前『も』?」
「そうそう、昨日聞いたんだけどさあ!」
米屋がずずいと身を乗り出す。
「この前本部でスプリンクラーが誤作動して、廊下で急に水が出たらしいんだよ」
「ふーん?」
「で、二宮さんがモロに水被ったらしくて。何人か目撃してんの、二宮さんが濡れたジャケット脱いだら──」
米屋がニヤリと笑う。
「透けたシャツから見えたらしいんだよ、背中に引っ掻き傷があったの!」
それを聞いて、出水はゴン、と机に頭をぶつける。
それは、確実に自分だ。行為の最中に必死にしがみついた記憶はあるが、まさか傷をつけてしまっていたとは思わなかった。
「いやーまさか二宮さんに彼女いるなんてな! しかも相当エロいと見た。どんな子なんだろーなーカワイイ系かな美人系かな?」
「……」
恥ずかしくて顔を上げられない。故意ではないとは言え、出水も情事の痕をしっかり残してしまっていたとは。
羞恥で死ねそうだ。
「何照れてんだよ弾バカ。お前もエロい事してんだから──」
いつまでも突っ伏して動かない出水を見て、米屋は首をひねる。
「なんで二宮さんのことでお前が照れてんだ?」
「……照れてねーよ」
「いや照れてんだろ。…………え? まさか……」
米屋は何かに気づいたらしい。
出水の首の痕を指して、おそるおそる言葉を紡ぐ。
「それ、まさか……二宮さん、か?」
「…………」
無言は肯定と同義。まさかこんな形でバレるとは思わなかった。
米屋が勢いよく立ち上がる。
「え、はーーーーーーー!? おま、マジか!? あの二宮さんと!?」
「うるせえ槍バカ! 声がデケえ!」
米屋が身を乗り出して、出水の首の痕をまじまじと眺める。
出水はそれをせめてもの抵抗で手のひらで隠す。
「へー……二宮さんって、性欲あるんだな……」
「お前あの人なんだと思ってんだよ」
「いや、お前の弟子ってことは知ってたけど……そんなに激しいアレするわけ?」
直接的な言葉に思わずむせる。
「おまっ……人の性事情に首つっこんでくんな!」
「いやだって気になるだろ。なに、どんなプレイすんの?」
「ぜってー教えねえ!」
「痕がそんなくっきりってことは、土日にお泊りデートでもしたんだろ」
図星だ。出水はぐうと声をあげる。
「……毎週、金曜は二宮さんち行ってる」
「へー、でくんずほぐれずってわけか」
「おい言い方」
「事実だろ?」
「そんだけじゃねーよ。勉強教えてもらったりしてる」
「……はーん、最近お前の成績良くなったの、それが原因か」
米屋はいいこと聞いた、とニンマリ笑う。
「……誰にも言うなよ、隠してんだから」
「はいはい、わざわざバラしたりしねーよ。でもさ、いつから付き合ってんの?」
「……何でお前に教えなきゃいけねーんだよ」
「いいから教えろって」
ここで教えなければ、米屋はことあるごとに話を盛り返してくるだろう。
出水は観念して、大きくため息を吐いた。
「……二宮さんが弟子になって、一緒に過ごすようになってさ、知らなかったところ、色々見えてきて」
「ふーん?」
「……なんか、一緒にいると幸せで、もっと傍にいたいって思うようになったんだよな」
二宮と一緒にいると、胸が温かくなって、でも、なんだか切なくて。
その顔に触れたら、どんな顔をするだろうか。唇は柔らかいんだろうか。
もっと、知りたい。もっと、奥深くまで。
自分の欲望が恋だと気づくのに、時間はかからなかった。
好き、好きだ。触れたい、触れてほしい。愛したい、愛してほしい。
そんなことばかりが頭を占めるようになって、でも言えば、今の関係が壊れてしまう。
だから必死に押さえていたのに、ボーダーからの帰り道で、二宮が何気なく、出水の頭を撫でた時に、気持ちが溢れてしまった。
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