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【同人誌再録】Fate/Re:start


 聖杯戦争。
 聖杯とは、あらゆる願いをかなえる願望機。
 過去の英雄をサーヴァントとして召喚し、最後の一騎になるまで争う魔術儀式。そしてその勝者である一組には、全ての願望を叶える権利が与えられる。
 あらゆる時代、あらゆる国の英雄が現代に蘇り、覇を競い合う殺し合い。
 其れこそが聖杯戦争である。
 英霊(サーヴァント)に与えられたクラスはそれぞれ七つ。

 剣士──セイバー。
 弓兵──アーチャー。
 槍兵──ランサー。
 騎兵──ライダー。
 魔術師──キャスター。
 暗殺者──アサシン。
 狂戦士──バーサーカー。
 ──奇跡を欲するのなら、汝、
 自らの力を以って、最強を証明せよ。


 誰もいない部屋でひとり、ベルは天井を眺める。
「……はーあ……」
 フランが消えてから、一か月が経とうとしていた。
 ミルフィオーレが行った残虐行為は全てなかったことにされ、ボンゴレにとって真の平和が訪れた。
 それでも、ベルは手放しにそれを喜ぶことができなかった。
 隣に、あの後輩がいないから。
 未来改変と共に、フランの存在は消滅した。
 部屋にあったはずの彼の私物は、いつの間にかひとつも残っていなかった。
 まるでフランなどという人物は、一切存在していなかったかのように。
「……フラン」
『これでもミーなりに────』
 彼の最後の言葉が、ずっと頭の中でリフレインしている。
「言い逃げしてんじゃねーよ、くそバカフラン……」
 そう呟きながら、ベッドの上で寝返りを打つ。
 確かにここには、彼の温もりがあったはずなのに。
 キングサイズのベッドは、、一人で寝転ぶには大きすぎた。
 ミルフィオーレとの戦いが終わった後、何をしようかずっと考えていた。
 有給を使って世界中の殺し屋を殺し回るのもいい。ボンゴレの日本支部に行ってボンゴレ十代目たちをいじるのもいいかもしれない。でも、その未来予想図には、隣に必ずフランがいた。
 なのに、現実は──
「ベル、ここにいたのかい」
「マーモン」
「そろそろ任務の時間だよ、早く支度してくれないか」
 帰ってきた相棒はベルがこの部屋にいることに触れずに、いつも通りに接する。
「っわかってるっつーの……」
 ベルは気だるげにベッドから起き上がる。
 ああ、今日も何も変わらずつまらない。
 そう思いながら、ベルは部屋を後にした。



「よっ、と! 」
 目の前の敵にナイフを投げる。
「ぎゃあああああっ! 」
 長い断末魔と共に、女が倒れる。
「ベル様!一階制圧完了いたしました! 」
「ん。じゃあお前らは二階の方に向かえ。俺は地下に行く」
「了解しました! 」
 部下に指示を出してから、屋敷の奥へと進んでいく。
 今回の任務の標的は、この館の主だった。
 二つ名を『魔術師(ウィザード)』。何でも死ぬ気の炎を使わない術士らしい。
 今時、死ぬ気の炎を使わないというのは古臭い手段に見られる。
 六道骸のように生来持っている術を有する人間でも死ぬ気の炎は扱うのだ。
 それを用いないというのは、よほどの頑固者だろう。
 与えられた任務の内容は、その男の抹殺だった。
 任務の間だけは、気が楽だった。
 フランのことを、考えずに済むから。
「──っと、ここか」
 男の私室のカーペットをめくると、重厚な蓋が現れた。
 事前の情報にあった通りの場所だ。
 蓋を開けると、中には地下へと続く階段があった。
 足音を殺して中に入っていくと、突き当たりの部屋から男の声がした。
「……────」
「見ーつけた」
「──聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ……! 」
 見ると、ひとりの男が何かに向かって手を伸ばし、呪文のようなものを唱えていた。
「お取込み中失礼っと」
「な、誰だ!ここには誰も来ないよう言っていたはず……! 」
 突然の人の気配に、男が狼狽する。
「ヴァリアーだぜ、大人しく殺され──いや抵抗してもいいぜ?どっちにしろ殺すのは変わんねーしな」
「ヴァリアーだと!?一体どこから依頼を受けて……」
「教えるわけねーじゃん、魔術師ってんなら、なんか魔法でも使って逃げてみろよ、まあ逃がさねーけどな」
 男はヴァリアーという名を聞いて、焦りを強くした。
「く、くそっ!早く応えろ!サーヴァントさえ喚べればこっちのものなのに……! 」
「あん?サーヴァント?何言ってんだお前? 」
 サーヴァント──『奴隷』を呼ぶとはどういう意味だろう。
「だ、黙れ!私は一世一代のチャンスをかけてここまでやってきたのだ!ここで殺されてたまるか! 」
「そのサーヴァントってのが噂の魔術師の力なワケ?ま、どーでもいいけど」
 そう言って、ベルはナイフを取り出す。
「待て、待って──ぐああああああっ! 」
 喉元を一閃。それだけで男の生命は終わりを迎えた。
「おーわりっと。……ん?なんだこれ」
 見ると、男が手を伸ばしていた先に、魔方陣が敷かれていた。
「魔術師って名前、噂だけじゃなかったんだな。これで悪魔でも召喚するつもりだったとか? 」
そう言って魔方陣に触れると、いきなり右手に痛みが走った。
「っ──!?なんだ、」
 痛みを感じた手を見ると、そこには、王冠とナイフをかたどったタトゥーが刻まれていた。
「んだ、これ……? 」
それと同時に、魔方陣から青い光が浮かぶ。
「っ!? 」
 咄嗟にナイフを構える。
 部屋が眩い光に包まれて、ベルは思わず目をつむった。
 光が止んだ時、魔方陣の中央にひとりの人間がいた。
「な……」
 ベルは、その姿を見て絶句した。
「えーと、召喚に応じて参上しましたー」
 見慣れた黒を基調とした隊服。
 何度も焦がれた、翡翠の髪と瞳。
 そしてそれを覆う、コミカルな顔のカエル帽子。
「クラスはキャスターですー」
「フ、ラ……」
「聞きますけどー、アンタがミーのマスターであってますかー? 」
それが、一か月ぶりの二人の再会だった。


「……つまり、まとめると」
 幹部が集まる中、ベルはフランの隣に座って情報を整理していた。
「万能の願望機──『聖杯』によって何でも願いが叶う『聖杯戦争』っていう殺し合いがあって、それには過去の英雄を呼ぶ決まりがあって、俺はその殺し合いに参加する権利を持ったマスターってことだな? 」
「はいー、そうですー」
「で、お前は俺の言うことを聞くサーヴァントっていう兵士だと」
「いえっさー。正確には、英雄の力だけを借りた疑似サーヴァントですねー」
「疑似ってのはどういうことだあ? 」
「えっとー、人に英霊……サーヴァントを憑依させて召喚したもの、ですねー」
「憑依? 」
「何らかの理由で、肉体の持ち主であるミーと能力の持ち主である本物のキャスター……英雄がちぐはぐになった状態で召喚されたみたいですねー。本来は力の持ち主である英霊の意識の方が前に出るみたいですけど、何故かミーの自意識が前に出てきてますー」
 フランはそう答えながら、ルッスーリアが淹れたアイスティーを口に含む。
「ぷはー、んまいですねー、これ」
「んふふ、ルッス姐さん特製のスペシャルピーチアイスティーよ」
「それと、お前がどんな英雄の力を持ってるかは何らかのバグでわからねーんだな」
「その通りですー。なので、今のミーはサーヴァント本来の力を全力で使えなくて、必殺技の『宝具』ってのも封印されてる状態ですねー。……あ、このクッキーうまいー。食べ物食べるの久々なんで感慨深いですねー」
「それ、アタシが焼いたやつよ」
「おい、食いもんの感想はさむな。話進まねーだろうがぁ」
 フランとルッスーリアの間の伸びた会話に、スクアーロが思わずツッコミを入れる。
「まあいいじゃない。にしても、魔術だの聖杯だの、馬鹿げてるように思えるけど、死ぬ気の炎も相当オカルトに近いものねえ」
 ルッスーリアはマカロンを手にしながら、そう呟く。
「それ、ヴェルデが聞いたら怒りそうだね。死ぬ気の炎はれっきとした科学の結晶だって」
 マーモンはそう応えながら、クッキーを一口、口に運んだ。
「ししっ、まあ王子はどっちでもいーけどな。コイツが戻ってきたんなら」
 そう言いながらベルは右手の甲に刻まれた赤い印──令呪を天井に向かって掲げる。
「で、この赤いタトゥー……『令呪』はお前に命令できるスペシャルアイテムってことでいいんだな? 」
「そーですー。三回しか使えない、サーヴァントに対する絶対命令権ですー。抽象的な命令ほど効力は発揮されにくいので気をつけてくださいー」
「ま、そんなもんなくてもお前は俺に絶対服従だけどな」
 ししっと笑いながら、ベルはカエル帽を撫でる。
「ベルセンパイ、頭撫でんのやめてくださいー」
「やーだねっ」
「どっちにしろだぁ、ベル、お前は聖杯戦争ってやつに参加するのかぁ? 」
 スクアーロは壁にもたれながら、ベルにそう問いかけた。
「もっちろん♪こんな楽しそうなこと滅多にねーし」
 ベルの答えは決まっていた。
殺し合いなら得意中の大得意だ。おまけに願い事も叶うというなら、参加しないという選択肢はなかった。
「まあ、ミーとしてはどっちでもいいんですけどねー」
「ところで、願い事ってのは、マスターとサーヴァントそれぞれ一つずつ叶えられんのかあ? 」
「んーと、そうみたいですー。聖杯からの知識によれば」
「聖杯からの知識? 」
 その言葉に、スクアーロが首をかしげる。
「サーヴァントは、召喚された時に現世や自分たちの生きてた時代以外の歴史、英雄の情報、あとは聖杯戦争の基本ルールを得られるんですー。魔術に全く縁のないミーが聖杯戦争のルールを知ってるのも、聖杯に教えてもらったからですねー」
「なるほどねえ。で、ベルちゃんとフランの願い事は決まってるの? 」
「それはナイショですー」
「ししっ、王子も教えてやんねー」
「んもう、この子たちは! 」
「つーわけでスクアーロ、俺聖杯戦争終わるまで有給使うわ。よろしく」
「……まあ、仕方がねえ。どうせなら全員ぶっ殺してくるんだぞぉ」
「ししし、りょーかいっ」
 一か月ぶりに心の底から笑ったことを、ベルは気づいていなかった。


 仮住まいとした廃墟の中で、ベルとフランは地図を広げた。
「っし、じゃあ作戦会議な。現時点で倒されたサーヴァントは──」
「ライダー、アーチャー、ランサー、バーサーカーですねー」
 聖杯戦争の監督役である男からもらった情報を元に、ふたりは状況を整理していく。
 監督役とは、その名の通り聖杯戦争を監督する役割を持つ人物だ。脱落者や被害者の保護、トラブルのカバーなどを一手に引き受けているらしい。フランが知り得なかった聖杯戦争の細かなルールは、その男に教えてもらった。
「だいぶ数が減ってきてんだな」
「ミーたちが聖杯戦争に参加したのが遅かったですからねー」
 ベルとフランが聖杯戦争に加わったのは、最初のサーヴァントが召喚されてから十日ほど経ってかららしかった。
「残ってんのはアサシンとセイバーか……」
「より戦い慣れてるのは、多分セイバーですかねー」
「アサシンは最後に取っておくか。こっちから索敵できねーからな」
「じゃあ、次狙うのはセイバーってことでー」
「……で、セイバーが拠点にしてんのが、このあたりか」
 そう言いながら、ベルは地図の一画を指す。フランが感じ取った魔力の方向から、大体の位置は把握できた。キャスターというクラスは相当便利だ。本来、戦闘面でのアドバンテージは劣るが、フラン自身の戦闘力でそこは補える。この状況はかなりふたりにとって有利だった。だが、アサシンだけは気配遮断の能力(スキル)がかかっているのか、見つけることはできなかった。
 サーヴァントには、それぞれクラスに対応してクラススキルというものが存在しているらしい。アサシンのクラススキルは『気配遮断』。キャスターのクラススキルは『陣地作成』。魔術師として、自らに有利な陣地を作ることができるらしい。
「ミーがセイバーの相手するんで、その間にベルセンパイはマスターの方よろしくお願いしますー」
 よって、ふたりはセイバーを優先して倒すことにした。
「ん、りょーかい……フラン」
「なんですかー? 」
「聖杯って、いつになったら現れるんだ? 」
「んーと、多分残り二騎になったら出てきますねー、魔力の流れでそれはわかると思いますー」
 聖杯に喚ばれていることで、その力の源は分かるらしい。フランはそう説明した。
「ふーん、じゃあそっちは大丈夫だな」
 ふに、とフランの頬をつねる。
「なにふるんでふかー」
「セイバーとの戦い、しくじるんじゃねーぞ」
「わふぁってますよー」
 手を離して、頬にキスをひとつ落とす。
 フランはそれに応えることなく、小さく溜息を吐いた。


 より傍にいた方が魔力のパスが繫がりやすい──そんな理由で、フランはベルとベッドを共にしていた。
 本来、サーヴァントには睡眠も食事も必要ないらしい。
 しかし、ベルは魔術師たちとは違い、魔力を補充する術を持っていない。人間の生命力──心臓などを喰らえば補充できるらしいが、フランが流石にカニバリズムは嫌だと言ったため、僅かにでも魔力を補充するために、普通の人間のように睡眠を摂っていた。
「なあ、フラン。起きてっか? 」
 そんなフランに、ベルは声をかけた。
「……なんですかー? 」
「もっとこっち来いよ」
 わかりやすく取られた距離。空いた隣を、ポンポンと叩く。
「……結構ですー」
 どうせ恋人同士なのだ。一緒に眠るのに理由付けはいらないだろうに、まるでフランは一線を引くようにベルに接していた。
「いーから、来いって」
「おわっ」
 背中を向けている身体を無理やり引き寄せて、腕の中に閉じ込める。
「強引すぎるんですけどー」
「お前、俺のこと避けてるだろ」
 ベルの一声に、フランの肩が僅かに動く。
「……そんな、こと」
「なくねーだろ。キスしてもハグしてものってこねーし、顔見るのも嫌がるし」
「……」
 フランと行動してからの数日間で、違和感は充分にあった。
 彼は、わざとベルと恋人らしいことをしないで、あくまで主人と兵士の関係を保とうとしていた。
「……だって、」
「ん? 」
「だって、ミーはもう、死人ですからー」
「……は? 」
 その言葉で、頭の上に疑問符が浮かぶ。
「もう、ミーはとっくに消えてる存在ですー。今を生きてるセンパイからしたら、過去の残像なんですよー」
 未来の為に、消された存在──。
 もう生きていない。故に、あくまでも死者(サーヴァント)としての立場を取る。
 それが、フランがベルを避けていた理由だった。
「どうせ聖杯戦争が終わったら、すぐに消える陽炎みたいなもんですー。だから……」
「だから、よそよそしくしてたの?お前バカかよ」
 フランの本音を、ベルは一蹴した。
「な……」
「また会えたんだから、素直に喜べよ。俺はお前に会えてメチャクチャテンション上がってたんだぜ? 」
「だって、また消えるのに、意味ないでしょー」
「消えなければいーんだろ?簡単じゃん」
「何が……」
「聖杯に頼めばいいだろ。万能の願望機ならそれくらいできるだろーし」
 ベルの答えは、シンプルだった。
「……未来のために消えたミーが、そんなこと、できるんですかねー? 」
「出来ないじゃなくてやんだよ。少なくとも俺はぜってー諦めねーから」
俯いたままのフランの顎を上に向かせて、その瞳を真正面から見据える。
「俺のこと、ちゃんと欲しがれよ。フラン」
「……いいんですかねー、ミーが、そんなこと思って」
 フランの瞳が、僅かに揺れる。
「誰の許可もいらねーだろ、そんなもん。謙虚なお前なんてらしくねーから、素直になってみやがれ」
 そっと唇を近づけると、フランが目を閉じる。
 生ぬるい口づけを、夜の月だけが見つめていた。


 闇夜の中、二つの影が交錯する。
 深い森の中で、大振りの剣を持った男が戦っている。
 ザシュッ!という音と共にセイバーの剣が、フランの出した幻術を倒していく。
「そろそろ姿を現したらどうだ、キャスター! 」
「いやー、単純な戦闘力じゃこっち不利なんでー」
「チッ、騎士道精神の欠片もないな! 」
「まー、騎士じゃないんでそんなもんそこらの犬にでも食わせろって感じですー」
 そう言いながら、セイバーの背後を取って幻術を作り出す。
「ふっ! 」
 それを、またセイバーが切り裂いていく。
 流石は最強と名高いクラスだ。正面からやり合うのを避けたのは正解だった。
「さて、そろそろですかねー」
「セイバー!魔力を回す、一気に決めろ! 」
「お、ようやくマスターが出てきましたかー」
 魔術で姿を消していたセイバーのマスターが、術を解いて姿を現す。
 それが、フランが待っていた最大のチャンスだった。
「令呪を以って──」
「させねーよっと」
 背後から、男の心臓を一突きする。
 男がセイバーに魔力を渡す前に、マスターを狩る。
 それが、ベルとフランが立てたプランだった。
「が、っ……!? 」
 突如として現れたベルに、セイバーのマスターは対応できなかった。
 魔術師と言えど、暗殺者に奇襲で敵う道理はない。
「マスター! 」
「しししっ、魔術師だろーがなんだろーが、暗闇で暗殺部隊と戦ったのが間違いだったんだよ」
「ちく、しょう……すまない、セイ、ば……」
 男の絶命と共に、セイバーの身体が光に包まれていく。
「おのれ、貴様ら──! 」
 断末魔を叫んで、セイバーは消滅した。
「戦闘終了ーっと」
「しししっ、案外あっけなかったな」
 死体を見下ろして、ベルは笑みを浮かべた。
「ま、こっちは殺しのプロなんで、勝てない理由はないですよねー」
 これが、暗殺部隊としての本気。
 キャスター陣営でありながら暗殺に長けた術を持つ二人は、一コマ、聖杯戦争に勝ち進んだ。


 セイバーを倒した翌日。
 ゆっくりと意識が浮上する。
「……フラン? 」
 隣にあったはずの温もりが、ない。
 ベルは急いで飛び起きて、右手の令呪を確認する。
 マスターは令呪を通して、サーヴァントの魔力──存在を確認することができる。
 魔力のパスは切れていない。つまり、フランは消えていない。どこかにいるはずだ。
「おい、フラン! 」
 周りを見渡すと、屋根裏に向かう梯子が下ろされていた。
「……! 」
 梯子を昇って、屋根裏から屋根へと足を向ける。
 フランはひとり、屋根の上で佇んでいた。
「あ、ベルセンパイ。おはよーございますー。もうおそようですけどー」
「おま……! 」
 いつもと変わらない様子に、ベルはがっくりと肩の力が抜けるのを感じた。
「あれ?どーしたんですかー? 」
 こっちがどれだけ心配したと思っているのだろう。
 ベルは大きくため息をついて、フランの隣に腰を下ろした。
「急にいなくなんなよ、ビックリすんだろ」
「いやー久しぶりに日光浴でもしようと思ってー。一戦終えての太陽光は気持ちいいですねー」
 ベルの心配をよそに、フランは大きくのびをする。
「なあ、令呪一個使うぜ」
「え? 」
「命令。俺の前から消えんな」
 令呪がちりりと熱を持ち、一画が消滅した。
「ちょ、アンタなに令呪の無駄遣いしてんですかー」
 突然の行動に、驚いたのはフランだった。
 令呪の命令内容は、具体的かつ限定的であればある程効果が高くなる。逆に漠然とした内容の場合、殆ど効果はない。『消えるな』などという抽象的な命令は、意味を成さないも同然だろう。
「無駄じゃねーよ。これでお前、簡単にはいなくなんねーだろ」
 この一画は、ベルにとって大切な楔だった。
「お前が勝手に消えて、俺がどんな気持ちだったと思う? 」
 それは、今のことか。それとも未来の改変でフランが邪魔になった、あの時のことか。
「……消えたのは、ミーの意志じゃないんでー」
「だったらもっと嫌がれ。当たり前に受け入れてんじゃねえ」
 ベルは、どうしても許せなかった。
 苛烈な戦いだった。
 それでも、確かにボンゴレは勝者となった。
「お前がいねーと、俺がつまんねーんだよ。二度と勝手に消えんな」
 それなのに、その戦いの果てにある未来を、フランだけが得られなかったのだ。
「そういう風に怒ってくれるベルセンパイだから、好きになったんでしょーねー」
「は? 」
 唐突な告白に、ベルは思わず声を漏らした。
「ミーは流されてばっかの人生だったんで、そーゆーことで怒れるの、凄いと思いますよー」
 フランがベルの肩に頭を乗せて、目を閉じる。
「ありがとーございますー、ミーのために、運命に怒ってくれて―」
 いつもと変わらない声色。
 けれどその中には、久しぶりに聞いた本音が混じっているような気がした。
「……お前のためじゃねーよ、王子が納得いかねーって話」
「それでも、ミーには充分すぎるんですよー」
 ベルはフランの肩を抱いて、その温もりを確かめる。
 残るサーヴァントは、一騎。
 ふたりの物語は、もうすぐ終わろうとしていた。


 それは、今より少し前。
 ミルフィオーレを倒してから数日経った日の夜。
 ベルは、ふと、人の気配に目が覚めた。
「あ、起きちゃいましたー? 」
「……フラン? 」
 ベッドに腰掛けているのは、愛しい恋人だった。
「どうやらそろそろお別れらしいんで、顔だけ見に来たんですけどー」
「おわ、かれ……?何の話だよ」
 突然の言葉に、寝起きの頭がついていかない。
「未来が変わって、ミーは邪魔な存在になったので、どうやら消えちゃうみたいですー」
「な……」
 その言葉で、ベルの意識は冷水をかけられたように目が覚めた。
 未来が変わったから、フランが消える?
 それは、コロネロとかいうアルコバレーノが言っていた、トゥリニセッテによる世界修復のことか。
「なんでだよ、未来が変わったからってお前が消える必要ねーだろ!? 」
 思わず声を荒げる。
 そんなベルの怒りと戸惑いをよそに、消滅するというフラン本人はいつものポーカーフェイスを保っていた。
「最後に話ができただけラッキーですかねー」
 フランの手が、ベルの頬を撫でる。
 確かにフランはベルに触れているはずなのに、その感覚がなかった。
 見ると、フランの指先が半透明になっている。
「フラン、お前、どうなって──」
「えっと、んーと……お別れするのって、案外難しいもんですねー」
「まて、おい」
 ベルはフランに向かって手を伸ばす。
 しかし、半透明になりつつあるフランに触れることはできず、手が空を切る。
「消えんなって、なあ! 」
「これでもミーなりに、ちゃんと愛してましたよー」
「待てよ、フラン──」
 フランの身体までもが半透明になり、消えていく。
「ふざけんなよ、なんで……! 」
手を伸ばした先には、誰もいなかった。
 これが、フランという人間の終わり。
 未来改変のために消えた、ひとつの命の結末だった。


 舞台の上で、ふたりの男が相対する。
 これは夢だ。フランはそう察した。
 目の前には、きらびやかに装飾された服を着ていた男がいた。その姿は、サーカスの団長といった風貌だった。
「やあフラン。初めましてだね」
「……アンタが、本来のサーヴァント──本物のキャスターですかー? 」
「正解だ。私の力を渡す前に、少し話がしたくてね」
「話ってなんですかー? 」
「そう急くものじゃないよ。ここにウイスキーのひとつでもあれば良かったが」
 男はパチンと指を鳴らすと、椅子が二脚、姿を現す。
 フランに座るように勧めながら、男は優雅に椅子に座った。
「ずっと君の中で見ていたよ。君とマスターのことをね。まさかサーヴァントとしての力がほとんど無いにも関わらずセイバーを倒してしまうとは、当世の暗殺者というのは恐ろしいね」
「お褒めの言葉をいただき光栄ですー」
 男の勧めに乗り、フランも椅子に腰掛ける。
 そう答えながら、頭の中で考える。
 なぜ、今更この男が出てきたのか。
 ずっと見ていた、ということは、いつでも力を渡すタイミングはあったはずだ。
 どうしてそれが今なのか、フランにはわからなかった。
「なぜ今更出てきたのか──そう言いたそうな顔だね」
「そりゃ、そうですよー」
「理由は簡単。君達の愛に絆されたからさ」
「……は? 」
「私は聖杯にかける願いがなくてね。殺し合いも好きじゃない。聖杯戦争で力を使う理由がなかったのさ」
 男は立ち上がって、両手を大きく掲げた。
「それがどうだ!消えてしまった君とそれを取り戻そうとするマスターの意志!これが愛と言わずして何とする! 」
「……えーと……」
 男のハイテンションに、フランはついていけなかった。
 つまりこの男は、ベルとフランが好きあっているのを見て、サーヴァントとしての力を渡してくれる気になったということだろうか。
「愛はいいぞ。私にも妻と娘がいてね。私の成したことの半分は自分と仲間の為だが、もう半分は彼女らの為、必死に成り上がったと言っても過言ではないとも」
「……はあー」
「まあ、惚気は置いておいて、だ」
 男が再び指を鳴らすと、フランにスポットライトが当たる。
「うわ、まぶしっ」
「私は感動したのさ。君のマスター──ベルフェゴール氏と言ったかな。彼は本気で君の存在を欲しがっている。私は誰よりも夢見る者であり、同時に夢を叶える存在でもある。彼の願いには答えなくてはと思ったのさ」
「さっきからずっと手品まがいのことしてますけど、マジシャンかなんかだったんですかー? 」
「いや?これは私の心象風景だからね。ある程度のことは自由に操作できるとも」
「へー、そういうもんですかー」
 男がもう一度、指を鳴らす。
「愛する者と引き裂かれた悲しみ!再び会えた喜び!こんな素晴らしい愛の物語が他にあるだろうか! 」
「人の逢瀬を覗き見するなんて、アンタだいぶ趣味悪いですねー」
 恋人と──ベルと過ごした時間を見られていたというのは、多少気が悪い。
 一緒に寝ていたところや逢瀬も見られていたということだ。
「ははは、覗き見と言われても仕方ないな。だが許してくれたまえ。私が君に体の主導権を握ったのは、私が喚ばれたからではないからさ」
「……?どういう意味ですかー? 」
 男の言葉に、フランは首を傾げた。
「今回触媒になったのは、君とベルフェゴール氏の縁だ。故に、私のような目立ちたがりが前に出ることなく見守っていたんだよ。その気になれば君の意識をなくすこともできたんだがね。恋人たちの邪魔をするのは無遠慮だろう? 」
「それは、まあ、ありがとーございますー? 」
「はっはっは、まあ、それは置いておくとして、だ。そろそろ時間もない。本題に入るとしよう」
「本題、ってー? 」
「未来のために消された少年、フランよ──君の為に、我が名をお教えするとしよう。それで、君はサーヴァントとして真に覚醒できるはずだ」
 男が手をかざすと、舞台の下に楽団が現れ、演奏を始める。
「わ……無駄に豪華ー」
 これはバッハだったか、ベートーヴェンだったか。
 聞きなれた音楽が、壮大に奏でられる。
「それでは、君達の愛に幸せがあらんことを。我が名は────」


 目が覚める。
 フランは身体を起こして、大きく伸びをした。
 圧勝だったとはいえ、セイバーの相手をするのは骨が折れた。そのため、身体が睡眠を欲していたのだろう。
 それにしても、さっきの夢は──
「お、起きたか」
「ベルセンパイ」
「もう夕方だぜ。今んところアサシンに動きはないっぽいな」
「センパイ、ミーの真名が……本物の英雄の名前がわかりましたー」
そう告げると、ベルは驚いた顔でフランに一歩近づく。
「は?今更かよ、つーかなんで? 」
「夢の中で、本当のサーヴァントに会いましたー。ようやく力を貸してくれる気になったみたいですー」
「……んで、その英雄の名前は?」
「フィニアス・テイラー・バーナムですー」
「……聞いたことねーな」
「聖杯からもらった知識からだと、サーカスを創設した人らしいですー」
「ふーん、で、必殺技──宝具、だっけ?のほうは? 」
「『一夜限りの演芸劇場(グレイテスト・ショー)』。固有結界──術者の心象風景を形にして、現実に侵食させて形成する結界を展開して、サーカスを召喚する宝具ですー。その場ではサーカスに──見世物にできそうなものなら何でも召喚できるみたいですねー。あと、固有結界なんで地の利もこっちに傾きますー」
「ふーん、結構便利な宝具じゃん」
「ただ、これ一個欠点がありまして―」
「ん? 」
「サーカスは一夜限りの夢。これを使うと、ミーも消滅しちゃうんですよー」
「……は!? 」
「いやーまさか自爆宝具だとは思いませんでしたねー」
「じゃあ実質使えねーじゃねーか! 」
「ですねー、まあ、それは仕方ないってことで」
 宝具というのは切り札で、必殺技ではなかったのか。フランが消えてしまうなら、例え宝具が解禁されたとしても使用はできない。
「……まあ、いーか。宝具使わなくてもセイバーに勝てたしな」
「でも、油断は禁物ですよー、アサシンがめっちゃ強い可能性もあるし」
「しししっ、強くても俺らに勝てるわけねーって」
 こちらは世界最強の暗殺者集団の幹部なのだ。そこら辺の人間が敵う相手ではない。
 ベルはそう言って、フランの頭に手を置いた。


「──では、残りは君たちとアサシンのみということだね」
 聖杯戦争の監督役である男は、セイバーを倒したと報告したふたりにそう告げた。
「そーですー。本当に残りはアサシンだけなんですかー? 」
「報告通りならそうなるな。といっても、アサシンのマスターは一度もここに姿を現したことはないけれどね」
 監督役は白髪交じりの髪を撫でつけながら答える。
「それよりキャスター、そろそろ聖杯が現れるころではないかね? 」
「はいー、魔力の流れでわかりますねー、こっから十キロ先ってところですかねー」
「マジか。結構近いじゃん」
 十キロ先ならば、すぐに向かって聖杯を手に入れなければならない。
「多分、アサシンもそこに向かうと思いますよー」
「ところで──君達はセイバーとの戦いが初陣だったのだろう?聖杯戦争の感想などないのかね? 」
 その問いかけに、ベルはニッと口を歪ませた。
「君達は魔術師ではないだろう?一般人には大変な戦いではなかったかね? 」
「しししっ、そんなんカンケーないね。俺たちマフィアだぜ?そこらの魔術師どもよりよっぽど戦い慣れてるっつーの」
「なるほど、マフィアときたか──どおりで血と硝煙の匂いが強いはずだ」
「その上暗殺部隊ですからねー、戦いには慣れっこですー」
「ほう、暗殺部隊。なるほど、奇襲をかければセイバーにも通用するだろうな」
 監督役は顎に手をつきながら、うむ、とひとり納得をした。
「では、次が最後の戦いになるだろう。君達に神のご加護があらんことを」
 そう言って、監督役とベル達は別れた。
「なあ、フラン」
 教会からの帰路、ベルはフランの手を握る。
「なんですかー? 」
「この戦いが終わったら、思いっきり遊ぼーぜ。お前が好きなこと、なんでも付き合ってやるからさ」
「それ、死亡フラグって言うんですよー」
「王子に死亡フラグなんてねーっつの」
 そう言いながら、ふたりは一歩を踏み出す。
 これが、最後の戦いの始まりだった。


 廃墟の扉を開けると、そこには祭壇があった。
 周りにはがらくたが溢れていたが、その中央に座すのは、黄金に輝く杯。
「あれが聖杯か? 」
「そーですねー、すごい魔力の塊ですー」
「聖杯は、私がいただくわ──」
「ッ!? 」
突然の声に振り向いても。誰もいない。
「アサシンか? 」
「みたいですねー、全然気配追えないですー」
「ふふ、キャスター如きに私の姿が捉えられるとでも? 」
「うわ、むかつくー」
「まあ、こちらとしてマスターさえ殺せればいいのだからどうでもいいのだけれど」
 そう言うと、黒い霧が聖杯の前に現れる。
 霧は意志を持つかのようにうごめくと、人の形を成した。
 そこにいたのは、紫色のルージュを纏う、妖艶な女の姿。
 アサシンが埃を払うようにかぶりを振ると、首に巻いているリボンがふわりと揺れた。
「チッ、聖杯は取られたか」
「聖杯はミーたちがもらうんでー、さっさと死んでもらえませんかー? 」
「断るわ」
 女は聖杯を手にして、うっとりとそれを眺める。
「ふふ、これが聖杯──あとは、あなたたちに消えてもらうだけね」
 そして、また女の姿が消える。
「っ……!? 」
 わずかながらの殺気が、全身を覆う。
 ベルは気配を察して、背後に向かって右足を蹴り飛ばした。
「『すべて脆く崩れよ毒の花(コレプシヨン・ラフレシア)』──」
 蹴り上げた足が、女の右手に触れる。
 その瞬間、右足に激しい熱と痛みが走る。
「っ、ぐあっ……!? 」
 ベルは、思わずその場にうずくまった。
「ふふ、私はこの手に触れたもの全てを壊死させることができるのですよ。どうです?我が宝具のお味は」
 見ると、右足が痛みと共に黒く変色している。
「ベルセンパイ──」
「こ、のっ! 」
 女に向かってナイフを投げると、女はそれを避けて宵闇に溶けていく。
 これまでのような暗殺はできない。
 周囲にアサシンのマスターらしき人間は見当たらない。恐らくこのアサシンは単独行動のスキルを持っているのだろう。その上、遮蔽物が多いこの立地の中でアサシンと殺し合いをするのは分が悪い。
 ベル達は、不利な戦況に立たされていた。
「くそっ……! 」
「次は心臓を壊死させてあげましょうか? 」
「なめんじゃねーよ、クソ野郎が……! 」
 ベルは右足を引きずりながら、ナイフを構えた。
 それを、フランが手で制する。
「ベルセンパイ、ここはミーに任せてくださいー」
「フラン? 」
「奥の手っていうのは、こーゆーピンチの時に使うもんですよー」
そう言って、フランは両手を大きく掲げた。
「紳士淑女の皆さま、ショーはいかがですか──? 」
 フランの両手に、魔力が溜まっていく。
「まさか、宝具……!? 」
 アサシンが思わず身構える。
「な、フランやめろ!てめー消えるつもりか! 」
 ベルの制止を聞かずに、フランは両手を大きく掲げた。
 そう──夢の中で見た、あの団長のように。
「欠落は個性に。悲劇は喜劇に。私(ミー)の世界に万雷の喝采を。さあ、幕を上げましょう。『一夜限りの演芸劇場(グレイテスト・ショー)』! 」
 その詠唱で、世界が変化した。
 荒廃した廃墟は、魔法のように豪奢なテントへと姿を変えていく。
「な……! 」
 気がつくとアサシンはテントの中央、舞台の上に。ベルとフランは客席に立っていた。
「固有結界だと……!? 」
 固有結界──術者の心象風景を形にし、現実に侵食させて形成する結界。
 これで地の利は、フランに傾いた。
「さあ、ここにはアンタが隠れられるような場所はないですよー? 」
 フランが指を鳴らすと、人や人外が舞台の袖から、天井から現れ、舞台の上に集結する。
 大玉に乗った男が、炎で燃えたフラフープが、狼男が、アサシンに向かっていく。
「キャスター、貴様っ……! 」
「ここでは全部がミーの思い通りですよーさあ、悪夢のような体験をお楽しみくださいー」
「ぎゃああああああああああっ! 」
 サーカスの団員に呑み込まれて、アサシンの姿が消える。
 後に残ったのは、血の塊と、アサシンが身に着けていたリボンの破片だけだった。
 固有結界が収束し、元の廃墟へと姿を戻す。
「これで、ミー達の勝ちですねー」
 フランの呟きが、廃墟に響く。
「フ、ラン」
キィン、と鈴のような音が響く。
「ああ、こっちも終わりですかー」
 そう言うフランの姿は、光に包まれていた。
「フラン、お前、消えて……」
 少しずつ、フランの身体が透明になっていく。
「宝具の特性がきましたねー、もうミーは消えちゃうみたいですー」
「な……! 」
 二人の距離は、たった五メートルほど。
 それでも、それは永遠に届かない距離。
「ふざけんな……」
 また、消えてしまう。
 ようやく再会できたのに。
 もう、手放さないと誓ったのに。
「あの時は、聞こえてたかわかんないですけどー」
「フラン、おい……! 」
 そう言って、フランは振り向いて。
「ミーなりに、アンタのこと、愛してましたよー、ベルセンパイ」
 ベルに向って、微笑んで見せた。
「くそ、やめろ! 」
「さよなら──」
 フランが終わりを受け入れて、瞳を閉じる。
 そうして、少年は、その姿を消した。
「っ──! 」
 待て。その言葉すら届かなかった。ベルが手を伸ばした先には、もう何も残っていなかった。
「フラ……」
 許せない、許さない。
 また勝手に消えてしまったフランも、何も出来なかった自分も。
「令呪……」
 視界に映ったのは、一回しか使うことのなかった赤い印。
「フラン、戻れ」
 返事はない。
「フラン、命令だって。帰って来いよ、おい! 」
 ああ、そうだ。宝具の事を話されたあの時、令呪で命じておけばフランは宝具を使うことはなかっただろう。
 そうすれば、失わずに済んだのに。
 慢心、ではない。
 自分が存在を求めているように、フランも消えたくないだろうと勝手に思っていたから。決して、自ら消える選択はしないだろうと。
 それなのに、彼は、涙も恐れも見せずに。
 たったひとり、逝ってしまった。
 また、大切なものを目の前で取り零した。
 どうなろうと奪わせないと誓った人は、光と共に消えてしまった。
「あ、あああ────! 」
 男の絶叫が、廃墟に響く。
 そんな無力な勝者の元に、カランという音と共に、何かが近づく。
「せい、はい──……」
 聖杯は地面を転がる。
 それに手を伸ばそうとして、ベルは足の痛みに身体を支えきれず、転倒する。
「ぐっ……! 」
 目の前に願望機があるのに、壊死した足はもう使い物にならなかった。
 地面を這いつくばって、どうにか身体を動かす。
「く、そ」
 身体を引きずって、必死に手を伸ばす。
 埃と血の匂いが、鼻を覆う。
 万能の願望機。
 その力が、本物だというのなら。
「かえ、せよ」
 口から、心からの願いが漏れる。
「俺から、あいつをを奪うな……」
 運命に翻弄された、自分の幸せひとつ望むことが出来なかった、あの不器用な後輩のための願い。
 少年は、また未来を得られなかった。
 青年は、その結末だけは許さなかった。
 フランは確かに自分の隣にいるべき存在だ。
 それを許さない世界など、認めない。
「フランを、返せ──」
 フランと共に在る未来が欲しい、
 一緒に殺しをして、遊んで、逢瀬を重ねて。
 そんな、ただの日々を、切に願う。
 言葉に答えるように、聖杯が強い光を放つ。
「あ──」
 眩い光で、視界が白に染まる
 ベルの意識は、そこで途切れた。


 目を覚ます。
 ベルはベッドの中にいた。
「……────」
 生きている。
 あれから、どうなったのか覚えていない。
「ベル、起きたかい」
「マーモン……俺、どうなって……」
「聖杯戦争とやらは終わったらしい」
 あの戦いの後、アサシンのマスターは聖杯を手に入れられなかったということか。
 いや、そんなことより。
「フランは!? 」
 勢いよく、ベッドから飛び起きる。
「ベル、落ちついて」
「あいつ、宝具使って消えやがった……!また王子の許可なく勝手にいなくなりやがって──! 」
 怒りと焦燥と絶望が、胸に飛来する。
 もうどんな手を使っても、フランが戻ることはない。
 会えない。もう、二度と。
 青年は無力さを噛み締める。
 すると、コンコンという音の後、部屋の扉が開いた。
「あ、ベルセンパイ起きましたー? 」
「な、フランお前……! 」
 ドアから入ってきたのは、紛れもないフランだった。
「お前、あの時消えたはずじゃ……! 」
「ベルセンパイが聖杯にかけた願いがミーの復活だったんで、なんと人間として復活できちゃったんですー。ちなみにミーの願い事はセンパイの足を治すのに使いましたー」
「な……! 」
 いえーいとブイサインを作るフランの身体は、半透明にもなっていない。
 見ると、あの時アサシンに壊死されたはずの足は、綺麗さっぱり元通りになっていた。
「フランが連絡を入れて、倒れてるキミを回収してきてくれたんだよ」
「早く言えよ! 」
「君が話をさせてくれなかったんだろう? 」
 マーモンの言葉に、思わずぐうと音を上げる。
 確かに、フランが消えてしまったことで頭がいっぱいで、マーモンの言葉を聞く余裕などなかった。
「あれ、もしかしてベルセンパイ、ミーとまた会えなくなったからって泣いちゃってたとかですかー? 」
 揶揄うようなフランの声色が耳に届く。
「──フラン」
 ベッドから身を乗り出して、その身体に抱き着く。
 生きている。
 手も身体も、透けていない。
 確かに、フランはここに在った。
「わ、ちょっとー」
「ふざけんな、二回も俺の前から消えやがって。王子にトラウマ植え付けるつもりかよ」
「ベルセンパ……」
 その温もりに縋るように、腕の力を強める。
「もう、消えんな。ずっと俺の傍にいろ」
「残念ですけどミーもうサーヴァントじゃないんで命令は聞けないですよー」
「先輩命令だバーカ。サーヴァントじゃなくてもお前は言うこと聞かなきゃなんねーの」
「うわ、なんて傍若無人ー」
「いーから、約束しろ」
「はいはい、わかりましたよー」
 ベルの背中に腕を回して、フランがその温もりに応える。
「フラン」
「ベルセンパイ──」
 一拍置いてから、ふたりはどちらからともなく、口づけを交わした。

 ふたりの様子を見て、マーモンは医務室を後にした。
 ふと、空を見上げると、大きな月が煌々と輝いている。
「──ああ、綺麗な空じゃないか」
 そう呟いて、廊下に一歩を踏み出す。

 これは、恋の為に運命に抗い、切り拓いたふたりの物語。
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