【同人誌再録】三千世界の烏を殺して

*
 ふと、目が覚めた。
 ベルは手元のスマートフォンを見て、時刻を確認する。時計が示しているのは八時。休日にしてはまだ眠っていられる時間だ。
 まだ惰眠を貪ろうとして横を見ると、可愛げのない恋人が心地よさそうに息を立てて寝ている。
「……フーラン」
 その呼び掛けに応えはなかった。
 起きている時は生意気ばかりだが、こうして寝ている姿はひどく可愛らしい、と思える。
 フランが眠っている時、こうして寝顔を眺めるのは、ベルの密かな日課になっていた。
 いつからか体の関係を持つようになったが、ふたりの間柄はそれなり順調に進んでいる、
 フランに触れる度、胸の中に温かいものが広がっていく、
 最初は殺しと同じくらい自分を満たすものがあることに驚いたこともあった。
 それくらい、この男の存在が大きくなっているんだろう。
 そんなフランにひとつキスを落として、ベルはその身体を優しく引き寄せる。
 とくとく、とくとく。
 心臓の鼓動が、皮膚越しに伝わってくる。
 ああ、今日はなんて穏やかな日なんだろう。食事を摂ったら、どこか二人で出掛けてもいいかもしれない。
 そろそろ季節の変わり目だ。新しい服を買いに行くのに丁度いい。ブーツもそろそろ新しくしようと思っていたところだ。この際、ペアルックで一足作らせてもいい。
「ん……」
 腕の中で、フランが小さく身じろぐ。
「しししっ、かわいーアホ面」
 フランは少し伸びた、おさがりのベルのボーダーTシャツを寝巻にしていた。
 それはまるで、彼のすべてが自分で染まったような気がして、気分がいい。
 フランのなにげない仕草やなすことが、ベルの気持ちを湧き立たせる。
 ああ、こんなに愛しい恋人が他にどこにいるというのだろう?
「オマエといたら、暇しなくていーな」
 そんなベルの言葉に応えることなく、フランはすやすやと寝息を立てている。
「なあ、フラン。王子がこんなに入れ込んでやってんのなんて、オマエくらいだぜ? 」
 宝石のような美しい翡翠色の髪をそっと撫でつけて、そう呟く。
 ついこの間、ろくに手入れもしていないのに許せなかったベルが少しは手入れをしろとヘアケア商品を押し付けたのだ。
 今は手を通したらサラサラと綺麗に梳き通る。どうやら、命令通りにちゃんと手入れしているらしい。
「っし、ちゃんとやってんな」
 ご褒美代わりにまた、キスをひとつ。
「んん……それ、ミーのですー……」
 フランが寝言を漏らしながら、身体を横にする。
「ししっ、どんな夢見てんだろーな」
 いつもと変わらぬ小さな幸福な日々が、ここにはあって。
それがいつまでも続くものだと、ベルは信じて疑わなかった。

*
 とある日のこと。
 パーティ会場でベルは小さくため息をついた。
「あー……」
 今日の任務はパーティへ参加をし、スクアーロたちの暗殺から目を逸らすことだった。
 正直、この手の任務は好きでは無い。腹芸は出来るが好き好んでやるものではないし、楽しみな暗殺もできない。
 華美に飾られた大広間の天井は、キラキラとシャンデリアが煌めいている。
「ったく、めんどくせー……」
 会場の中央では、十組ほどかの男女がダンスを踊っている。
 ベルと同じ陽動役として、別人になりすましてフランもここに潜入している手筈だ。
 どんな姿かは知らないが、どうせならフランと踊ることが出来たなら、それなりにこの時間を楽しめただろうに。
 しかし、いつまでも隅でサボっていたら後でスクアーロから説教を食らうに違いない。
 適当な女と数回踊れば、文句も言われないだろう。
 ダンスは一曲ずつでペアが変わる形式だった。一曲終わる事に男性が時計回りに移動し、新しい相手と踊ることになる。
 ベルはダンスホールに混ざり、自然と近寄ってきた女性の手を取る。
「よろしくお願いします」
「……よろしく」
 そうして三人の女性と踊り、これで最後にしようと思った時、ベルは小さく息を飲んだ。
「──……! 」
──美しい。
 花が咲き誇るとはこのことかと言わんばかりの、美しさだった。この会場にいて、どうしてこの可憐な彼女に気が付かなかったのだろう。
 物憂げに伏せられた瞳が、女の愛らしさをより一層高めている。
 そして、第六感が働く。
「どうぞよろしく──」
「フラン? 」
 女性──というより少女と呼ぶべき女が、ピクリと肩を動かす。
 曲が始まると共に、少女が耳元で囁く。
「……なんでわかったんですかー? 」
「だって、そりゃ」
 ──100パー俺好みの奴なんて、お前以外いないし。
 その言葉を言うには、あまりに人が多すぎた。
 一呼吸置いて、ベルはフランの腰に手をかける。
「王子だし? 」
「センパイに見破られるとか屈辱なんですけどー」
「しししっ、俺の事なめんなよ、コーハイ 」
 くるくる、くるくる。
 二人は音楽に合わせて回転する。
 先程までの退屈さはどこかへ飛んでいってしまった。
 その中で、この美しく可憐な少女を周りに見せつけてやりたいという感情がむくむくと湧いてくる。
「なあ、どうせなら思いっきり『魅せて』やんねー?」
小声の提案に、フランは面倒くさそうな顔で答える。
「それ、ミーに拒否権ないやつですよねー」
「もっちろん♪今日は陽動役だろ?せっかくなら思いっきりやってやろーじゃん」
 暗殺のためには、気配を殺すことが重要になる。逆に言えば、どのように動けば気配を目立たせることができるかも知っている。
「……わかりましたよー」
 そう言うと、フランは握っている手を少し強めた。
 花のように、蝶のように。ふわりと揺れて、風を操って。
 流石は術士。『魅せる』ことには他の人間より頭一つ抜けている。
 大振りなターンの後、フランの腰をしっかり支え、一歩を踏み出す。
 そのダンスに、会場の多くの視線が釘付けになる。
 あの少女は一体どこの令嬢だ、という声が、ベルの耳に届く。
 ここまで目立つのは任務の想定を超えているが、もうそんなことはどうでもよかった。
 艶やかなダンスは、周囲が息を吐くほど洗練され、ただ美しくそこに在る。
 ベルはステップの合間に、フランの腰を強く引きつけた。
 コレは俺のものだ。と、その場にいる全てに見せつけるように。
「しししっ」
 会場中の男の羨望を一身に受け、ベルの機嫌がどんどんとよくなる。
 そうだ。今、フランを独り占めしているのは、他でもない、自分だ。
「何笑ってんですかー? 」
「んー? なんでもねーよ」
 フランの不思議そうな顔を見て、ベルはまた小さく笑った。

* 
 ふと、目が覚める。
 時計を見てみると、時刻は深夜の二時を示していた。
 ベッドの中にベルはいない。
「……センパイ? 」
 散らばった衣服を着て、フランはベッドから立ち上がる。
「ベールセンパーイ」
 任務の内容によっては深夜に出向くこともあるが、今日はベルは一日フリーのはずだ。
 バスルームにも人の気配は無い。いったいどこにいるのだろう。
 意識はすっかり覚めてしまった。
 ベッドに戻る気もせず、フランはアジトの中を探すことにした。
 ベルとはじめて寝てから、数ヶ月が経った。
 ベルは沢山スキンシップを求めて、何かとつけてはフランを甘やかしたりなど、意外と至れり尽くせりな現状になっている。
 彼は一番の趣味の殺しと同じくらい、フランに手間と時間をかけてくれていた。
「案外俗っぽいっていうか、なんていうか……」
 探し人は案外早く見つかった。談話室に繋がる小さなキッチンに人影があった。
 この小規模なキッチンは食卓を任されているシェフが使うためのものではなく、幹部が酒や飲み物、簡単な軽食を作るために使われるものだ。
「ベルセンパーイ? 」
「ん、起きたか」
 ベルの手元には小振りのミルクパンと赤ワインの瓶があった。
「何してたんですかー? 」
「一回起きたら目ぇ覚めちまったから、ホットワインでも飲もうかと思ってさ」
「わー、ミーも飲みたいですー」
「ししっいいぜ。特別に王子が作ってやるよ」
「わーいやったー」
「マグカップ、お前の持ってこい」
「はーい」
 フランは返事をして、戸棚からカエル模様の自分のマグカップを取り出して、ベルのところに持っていった。
 ベルはミルクパンにワインを入れると、それを火にかける。
 少しずつふつふつと沸いていくワイン。
 それを眺めながら、フランはベルに擦り寄る。
「なんだよ、甘えん坊。火使ってんだから危ねーだろ? 」
「こんなの甘えん坊のうちに入んないですよー」
 ほの温かい体温が、じんわりと伝わっていく。
「ん、」
 ベルはそれに応えるように、額に小さくキスを落とす。
「フラン」
「ん……」
 呼びかけと共に、唇を奪われる。
 ワインは既にぐつぐつと煮えていたが、それに気づかないまま、二人は逢瀬を重ねる。
 ああ、幸せだ。
 このまま、時が止まればいいのに。
「っと、やべー。……ほい、お前の分」
 ミルクパンからマグカップに中身を移し、手渡される。
「ありがとーごさいますー」
 こくり、一口飲むと、微かなアルコールの味と甘い口触りが残る。
 手を繋いで、身体を重ねて。
 それだけで、こんなにも満たされる。。
 飲んでいるのは甘い味のワインで、それがより甘いと感じるのはきっと、好きな人が隣にいるから。

*
『よかったわ、やっと貴方と会えた』
『君がいない間、どれだけ苦しかったか──』
「あら、フラン」
談話室の一角。テレビの前のソファで、フランはテレビを眺めていた。
「あ、ルッスセンパイ」
「珍しいわね、貴方がそんなもの観てるなんて」
「たまたまやってたんで観てるだけですー」
 フランが観ていたのは、一時話題になった恋愛ドラマの再放送だった。数々の困難を乗り越え、すれ違っていたふたりがようやく結ばれる──一番盛りあがるシーンを、フランはガラス玉のような瞳で見つめている。
『愛してるわ、ジョバンニ』
『俺も愛してる、アリーチェ』
 画面の中のふたりは甘い言葉の後、唇を食み合う。
「……ん? 」
 その、瞬間。違和感が頭を支配する。
「え、あれ? 」
「どうしたの、フラン? 」
「まって、待ってくださいー、あ、れ?えっと……」
 おかしい、と思ってフランは記憶を探る。
 自分は──一度でも、そんな言葉をかけられたことがあっただろうか?
 最初に彼に抱かれたときは──


「なあ、王子に抱かれてみる気、ねー? 」
 ベルの部屋のベッドの上。ふたりでゲームをした後のことだった。まるで明日の天気を聞くかのように、彼はそう言った。
「……抱くって、セックスってことですかー? 」
「ししっ、せーかい」
 そう言って、手の甲にキスを落とされる。
「あとは、こーゆーこととかもしてーんだけど? 」
 その提案に、思わずドキリとする。
 ずっと好きだった人に、そんな提案をされるなんて思ってもみなかった。
「……ミー、経験ないですけどー、それでもいいならー」
 生憎フランは、女を抱いた経験も、男に抱かれた経験もない。
 それが重いと言われたらどうしようかと一瞬の不安がよぎる。
「ん、むしろ初物もらえるとかラッキーだな」
 だが、それは杞憂だった。
「なら、どうぞお好きにー」
 ベルの返答に安心して、ベルに身体を預ける。
「じゃ、これで合意ってことで」
 ゆっくりとベッドに押し倒されて、胸が高鳴る。
「気持ちよすぎて泣いてもやめてやんねーからな? 」
「絶対にそんなことないですー」
 思わず、いつもの悪態が口から漏れる。
「しししっ、ぜってー泣かしてやる」
 そうして、唇を奪われる。
 これがふたりの、初夜だった。


 そうだ。
 フランは一度も、ベルに好意を──『好き』という言葉を言われたことがない。
「フラン、大丈夫? 」
「ルッスセンパイ……ミー、ベルセンパイに一回も好きって言われてなかったですー」
「えっ」
 ルッスーリアが、持っていたマグカップを机の上に落とす。
 ゴトッという音が部屋の中に響いた。
 彼──彼女と言ったほうがいいのか、とにかくルッスーリアにも予想外のことだったらしい。
 この前の任務のパーティでベルが女に化けた自分を見破ってくれた時。
 あの時、フランはベルが自分を想ってくれているからだと思っていた。
 だって、自分の幻術は復讐者(ヴィンディチェ)をも騙すほどの力量だ。
 それを看破したのは、ベルがよほど自分のことを見てくれて──愛してくれているからだと、思ったのに。
 何が幸せだ、何が愛の力だ。
 幻術を見破るほどに自分のことを理解されていると思ったのに、一度も愛の告白を受けたことがないなんて、お笑い草だ。
 そう考えると、今まで行ってきた全てのことが、ベルにとっては遊びだったということか。
『ありがとう、君がこの世界にいてくれてよかった』
『私こそありがとう、ジョバンニ。貴方が好きよ』
「……いいな、この人たちはー」
 嫌味なく、ただ純粋な賞賛を架空の創作物に向けるほど、フランはショックを受けていた。
「凄いですよねー。人類何億もいる中で、この人だって相手を見つけて、お互いに好きになって、ちゃんとそれを伝え合えるだなんて」
「貴方とベルだってそうじゃない」
「でも、ミー、あの口が軽そうなベルセンパイに好きって言われたことないんですよー? 」
 ベルは複雑なことは嫌うタイプだ。好きだと思っているのなら、とっくにそう言っているだろう。
テレビから視線を外して、ルッスーリアを見つめる。
「ってことは、やっぱり望み薄なんじゃー……」
「でも付き合ってるんでしょう? 」
「一応、体の関係はありますけどー……」
ああ、あの時、そう、体の関係を持ちかけられたあの時、ただの遊びだとわかっていたらきっと──否、わかっていても、受け入れてしまったかもしれない。
たとえ今、ベルが本気でフランを好きではなかったとしても、体の関係をやめようとは思えなかった。身体の体温が、口付けが、誠実なものでなかったとしても──
「で、貴方も本気なのよね? 」
 フランは、ベルのことが好きだったから。
「……そう、ですー」
「なら大丈夫よ!えーと……アタシは明日から任務でいなくなっちゃうけど、それが終わったらベルちゃんと話してみるわ!きっとあの子面倒臭がりだから、単に言い忘れてるだけよ! 」
「……そうだと、いいんですけどねー」
「絶対そうよ!フラン、十八年一緒にいる私達から見て、ベルはきっと貴方のこと、本気よ」
 いつもおちゃらけた調子の声色が、今回は真剣だった。
「……ありがとーございますー」
 普段はうっとおしいルッスーリアのお喋りが、今ばかりはありがたかった。

*
 とある晴れの日。ベルはフランを連れて街に出ていた。
 フランと関係を始めてから、何回目のデートだろう。
 ベルは上機嫌に、一歩一歩を踏みしめる。
「ベルセンパイ、今日はどこ行くんですかー」
「ん、もーちょっとで着くから待ってろ……ん、ここだ、ここ」
 そう言ってベルが指し示したのは、高級アクセサリーブランドの看板。
 ベルが行き慣れているそこは、フランには全く縁のない場所だろう。
「お前、ろくなアクセサリー持ってねーだろ。一個くらいちゃんとしたの持っとけ」
 フランは仮にも王子の恋人なのだ。身につけるものもそれなりでなくてはベルの沽券に関わる。
「え、ミー今日手持ちそんなないんですけどー」
「俺が払うに決まってんだろ。ほら行くぞ」
「えっ」
 店に入るのを二の足踏んでいるフランの手を握って、ベルは店の中に入っていった。

 店内は洗練された調度品と商品が並んでいた。
 一般向けのフロアを通過して、ベルとフランは個室へと案内された。
「ベルフェゴール様、本日はご来店ありがとうございます」
 三分もしないうちに、シワひとつない制服を着た店長が部屋へとやってきた。
 ベルは決して安くない買い物をこの店で何度もしている。VIP待遇を受けるのは当たり前だ。
「コイツに合うモン見繕って。俺の隣にいても恥ずかしくないよーなやつ」
「かしこまりました」
 適当にそう言うと、彼は一礼して店の奥に引っ込んで行った。
 出された紅茶を飲みながら、男が戻ってくるのをじっくりと待つ。
 フランは暇そうに足をブラブラと揺らしていた。
「マジでここで買うんですかー?」
「マジ。」
「もっと安いとこでもいいのにー」
「王子のプライドが許さねーんだよ。いいから待ってろ」
「失礼いたします。ベルフェゴール様、こちらはいかがでしょう?」
 そう言いながら店長が持ってきたのは、翡翠色の宝石と琥珀色の宝石、ネックレスの鎖と石の入っていないトップ部分だった。
「お連れ様の髪色がとてもお綺麗でしたので、そちらに似たエメラルドを選ばせていただきました。裏は送り手のベル様をイメージしたアンバーを入れてはいかかでしょう?こちらは石を嵌めるだけですので、今日中の仕上がりになります」
「ん、いいな。じゃあこれで」
 そう言いながら、ベルはブラックカードを店長に渡す。
 店員はそれをうやうやしく受け取り、また店の奥へと去っていった。
「キレー……」
 珍しく素直な感想に、ふと頬が緩む。
フランの翡翠に、ベルの金。
「コレでお前が俺のモンってはっきりわかるな」
 そう言って、ベルはししっと笑った。
「ベルセンパイの──」

*
 店を出て、青空の下を歩き出す。
 首から下げたペンダントは、しゃらりと小さく音を立ててフランの首に収まっていた。
『コレでお前が俺のモンってはっきりわかるな』
 さっきのベルの言葉が、フランの頭から離れなかった。
『ベルはきっと貴方のこと、本気よ』
 それと同時に、この前のルッスーリアの言葉が、頭の中で蘇る。
 フランはペンダントを見てから、ベルに向き合う。
 今なら、想いを確かめるチャンスかもしれない。
「ベルセンパイ、あの」
 そうだ、あの映画のように。
 礼を言って、それから、好きだと──
「ありがとうございますー、えっと……」
 でも。
 もし、否定されたらどうしよう?
 さっきの言葉は、ただの所有物だという意味だったら。
『別に俺はお前のこと、好きじゃねーけど』
 もしも、そんな風に言われてしまったら──
「?なんだよ」
「……いえ、なんでもないですー」
 言えなかった。
 ベルが求めているのが身体だけの関係なら、告白はただの重荷になる。
「早く帰りましょー、ミー、お腹すきましたー」
 言えない言葉は、胸の中で燻っている。
 意気地なしの青年は、そう言って足を帰路に向けた。

*
それは、いつも通りの簡単な任務だった。
 ボンゴレと敵対するマフィアのアジトに忍び込み、敵の頭を抹殺する。
「ぐ、はっ……! 」
「さて、これで終わりですかー」
 最後の一人を手にかけて、フランは大きく伸びをした。
「撤退準備始めてくださいー」
「はっ!」
 部下に指示を出して、一息つく。
 ふと、そこでフランは、死体の傍らに目がいった。
 そこにあったのは、血とは異なるひとつの赤。
「花……?」
 こんなところに、どうしてバラが一輪だけあるのだろう。
 そんなことを想いながら、フランはバラに触れた。
「フラン様、撤退準備、完了しました!」
「あ、はーい」
 部下の声に、フランはバラを捨ててその場を後にする。
 誰も知る由もない、片思いの残骸が、ひらりと宙から落ちた。

*
 それは、ある日突然訪れた。
「……? 」
 作戦会議中、フランは胸に違和感を抱いた。
「?どうしたぁ、フラン」
「いや、なんかちょっと胸が苦しくて―」
「なんか変なもんでも食ったんじゃねーの、ししっ」
 ベルとスクアーロは特に心配するでもなく、咳を続けるフランを見ていた。
「そんな覚えはないんですけどー、けほっ、ぐっ」
 咳が止まらない。風邪でも引いたのだろうかと思っていると、フランは言いようのない気持ち悪さに襲われた。
「ごほっ、げほっ、うっ……! 」
 口から出たのは、血でも胃液でもない。
 黒い、花弁だった。
「は、……? 」
「フラン、なに花なんか出してんだよ、手品か? 」
「違いますー、ぐふっ、げほっ、げほっ……! 」
 喉の奥の不快感と共に、黒い花が口から溢れて止まらなくなる。
 あまりの苦しさに、フランは立っていられなくなり、その場で跪く。
 なお絶え間なく苦しそうに花を吐き出す様子を見て、ベルとスクアーロは事態の深刻さを把握した。
「おい、これはただ事じゃねーぞぉ、医者呼べぇ、ベル」
「っ、わかった」
「はーっ、はぁっ、はぁ……っ」
 フランは床にはらはらと落ちていく花を見ながら、他人事のように、これは何の花だったかと考える。
 確か、おばあちゃんが鉢植えで植えていたような気がしていた。

「花吐き病ですね」
 連れてきた医者が発したのは、聞いたこともない病だった。
「花吐き病……? 」
「ええ、世界でも稀にみる奇病です」
「それ、どんな病気なワケ? 」
「片思いをしている人だけが、なる病です」
「は……?」
 その言葉に驚いたのは、ベルだった。
「片思い、って……なんだよそれ」
「この病は、片思いをしている相手と両想いになると白銀の百合を吐いて完治します。ですから、その……」
 医者は一呼吸置いて、フランに一番難しい解決方法を投げかけた。
「フラン様が恋をしている相手と添い遂げることができれば、白銀の百合を吐いて治ります」
「っざけんじゃねーぞ! 」
 ベルの怒号が、部屋中に響き渡った。
「っ、ベルセンパイ?」
 力任せに殴った壁が、大きなヒビを作る。
 ベルが何に怒っているのか、フランにはわからなかった。
「おいベル、何キレてやがんだぁ? 」
「フラン、てめー王子のこと馬鹿にしてたんだろ! 」
「馬鹿にって、なにが……げほっ」
 怒っている理由を聞きたいのに、咳のせいでそれができない。
 どうして自分が好きなのはベルなのに、怒っているんだろう──?
「もういい、せいぜい花でも血ても吐きやがれ! 」
 ベルはそう言って、部屋を出て行った。

*
「げほっ、ごほっ……! 」
 フランが花吐き病を発症してから数日が経った。
 あれからベルは長期任務に出掛け、顔を見ていない。
「フラン、生きてるかぁ」
「作戦、たいちょー……」
「ドクターシャマルと連絡が取れた。さっさと治して前線に復活しろぉ」
「そうなったらいいんですけどねー……っ、げほ」
 スクアーロは新品のペットボトルをサイドテーブルに置く。
「飲める時に飲んでおけ」
「ありがとうございますー……」
 フランの左腕には点滴の針が刺さっていた。
 食事をしても花と一緒に吐いてしまうため、現状、点滴で栄養を摂るしかなくなっていた。
「とにかく今は休めぇ。他の幹部連中には俺が連絡しておいたからな」
「どーも……」
 そういって、スクアーロは部屋を出て行った。
 飲み物を持ってきてくれる辺り、彼なりに気を使ってくれたのだろう。
 それにしても。
「本気で、すきだったんだなぁー……」
 誰にも聞こえない部屋で、フランは呟いた。
この関係は嫌いじゃないと思っていた。それでも、こんな風に形になると、しみじみと実感する。
『王子のこと馬鹿にしてたんだろ!』
 子どものヒステリックのようなそれが、頭から離れない。
 馬鹿にしてた、とはどういう意味だったんだろう。
 理由を聞きたくても、ベルとの連絡は取れない。
 任務に行ってから、一方的な定時連絡以外、ベルは連絡を拒否していた。
 喀血のように溢れる花びらよりも、あの時の、傷ついたベルの表情のほうが、フランにとっては気がかりだった。
 あんな顔を、させてしまった──
「っぐ、げほっ……! 」
 吐き気と共に、また花が溢れ出す。
 ひとしきり花を吐いた後、スクアーロが持ってきてくれた水分に手を伸ばす。
「っ、ん、はー……」
 この病を治すには、片思いを成就させることが条件になる。
 つまり、ベルに告白しなくてはいけない。
「そんな、簡単に出来たらここまでこじれてないですよねー……」
 ベルと連絡が取れたとして、どうやって告白すればいいだろう。
 この前見た映画、あれではどんな風に愛を伝えていたっけ?
 殺しの手札なら千も万もあるのに、愛の告白はひとつも満足にできない。
 ああ、自分はこんなにもちっぽけな人間だったのだ。
 今になって、そんなことに気づいた。
「ベル、センパイ……」
 会いたい。会って、何ができるわけでもないけど。
 そんな風に考えていた時のことだった。
「フラン、大丈夫!? 」
 フランの自室に飛び込んできたのは、ルッスーリアだった。
「ルッス、センパイ……」
「フラン、もう大丈夫よ。うちのお馬鹿にはアタシ達がしっかりお仕置きしてあげるから」
「すみませんー……」
「んもう、こういう時はありがとう、でしょ? 」
 流石ヴァリアーの母を自称するだけはある。その慈愛は変わらずだった。
「……は、ありがとう、ございますー」
「花吐き病、だったかしら?野暮な病気もあったもんだわ。とにかくベルの方は専門家にまかせたから安心なさい」
「専門家、ですかー? 」
「ええ、十八年来の超エキスパートよ。アンタはベルが帰ってくるまで持ちこたえるだけでいいわ」
「でもルッスセンパイ、この病気、両想いにならないと治らないらしいんですよー、げほっ」
「?何が問題なの? 」
 ルッスーリアの疑問が、フランにはわからなかった。
 例えフランが想いを伝えられたとしても、結果が伴わなければ──
「ミーはベルセンパイのこと好きですけど、ベルセンパイはミーのこと好きじゃ……」
「ああっ、アンタまあだそんなこと言ってんの!?アタシ言ったじゃない、ベルはアンタのこと本気よって! 」
「……──」
「んもう、とにかく今は寝なさい!起きたらベルちゃんも帰ってる頃でしょうし! 」
 そう言って、ルッスーリアは無理やりフランをベットに寝かせた。
「本当、手間のかかる子たちなんだから──」
 ため息交じりの独り言は、フランの耳に微かに届いた。

*
 マーモンは無線機ではなく、私用のスマートフォンを操作していた。
 着信履歴の中から目的のそれを見つけ出して、ボタンを押す。
 五コールののち、もしもし、と不貞腐れた声が耳に届いた。
「ああ、ベルかい?よかった、通話が繫がって」
『……何の用だよ、マーモン』
「いじけると会話をしようとしない癖、相変わらずだね。フランのこと、聞いたよ。花吐き病だって?なかなか面白い病気じゃないか」
『面白くもなんともねーよ。用事ねーなら切るぞ』
「このままだと、フランは死ぬよ」
『っ! 』
「今日、ドクターシャマルにフランを診てもらったんだ。彼の花吐き病、随分と深刻らしくてね」
 これは半分本当で、半分嘘だ。
 点滴で栄養補給さえできていれば、ひとまずの命は助かるとフランは診断された。
 だが、病気が長続きすれば身体は衰弱し、他の疾患にかかる可能性が高くなる。
 どちらにしろ、早く治した方がいいという見解だった。
 話を盛れば、必ずベルは食いついてくる。マーモンはそう思ってフランの病状をわざと過剰に伝えたのだ。
『……あいつ、今どんな様子だよ』
「今は点滴を打って寝てるよ。ドクターシャマルの持ってきた薬が対処療法だけど効いてるみたいだ」
『……』
「スクアーロから聞いた話だと、君、花吐き病のことを聞いて怒って出て行ったんだろう?大方、フランに本命の相手がいるんだと思って勝手に怒ってったんじゃないのかい」
『……だって、それ以外ありえねーだろ。俺と付き合ってんのに、別の片思いしてるやつがいるってことだろ』
「君、一度思い込むと決めつけるの、そろそろ直したほうがいいよ。もういい歳なんだから」
『は?どういう意味だよ』
「とにかく、フランのことを大事に思っているなら早く戻っておいで。どうせ任務は終わってるけど帰りづらくてぶらついてるんだろ? 」
『はあ!? くそ、なんでそこまでわかんだよ!』
「どれだけ一緒にいると思ってるんだい。それくらいのこと、すぐわかるよ。僕が報酬無しでここまで世話してやってるんだ、早く鞘に納まってくれよ。それじゃあね」
「おい、マーモン! 」
そういって、マーモンは電話を切った。
「さて、これであとは間に合うかどうかだけか……ま、大丈夫だとは思うけど……」
マーモンの言葉は、誰に聞こえるまでもなく、空に消えていった。

*
 満月の夜。
 花吐き病を発症してから一週間が経った。
「うっ、げほっ、げほっ……! 」
 相変わらず、身体は黒い花弁に蝕まれている。
 この花はなんという花だろう。せめて薔薇のような美しいものだったら、視界を楽しませてくれただろうに。
 そんなことを考えながら、フランはまた花を吐き出した。
 ふと、窓を開けて月を眺める。
「ベルセンパイ……」
 もう七日も顔を見ていない。新人教育はベルの仕事だったから、常に隣に彼がいるのが日常だった。
 ここまで顔を見ないのは久しぶりかもしれない。
「ぐ、ふっ……! 」
 口の中から、真っ黒な花びらが落ちる。
 ドクターシャマルから渡された薬のお陰で、花びらを吐く回数は減った。
 それでも、やはり症状は完全には治まっていない。
 吐いた苦しさのせいで、思わず涙が滲む。
「は…はーっ……、」
 サイドテーブルの水を含んで、大きく喉を鳴らす。
「ふう……これ、いつまで続くんだろうなー」
フランは、ドクターシャマルが言っていたことを思い出した。
『片思いこじらせてねーで、さっさと治しちまいな』
 フランの私室で、点滴の針を刺しながらヘラヘラとした男は言った。
『それができたらこじらせてないんですけどー』
『いいか、この病気は両想いになる意外にもう一つ治す方法がある』
『え、じゃあそっちがいいですー』
『それはな、相手への好意を失うことだ』
『……え』
『お前が今好きな奴を好きじゃなくなれば、病気の根源がなくなるからな』
『……それ、は』
『身体が持たなくなる前に、早めに玉砕して次に行くんだな。恋のプロフェショナルが言うんだから間違いねえ』
 揃ってない無精ひげを触りながら、天才医者はそう言った。
「……早めに玉砕しろ、かー」
 どちらにしろ、フランはベルが帰ってきたら、想いを伝えなくてはいけない。
 この病になったのは、因果応報だ。
 ベルが出て行ってから以降、フランは自分のことを振り返っていた。
 好意を伝えていなかったのは、ベルだけではない。フランも同じだった。
「ミーも、案外臆病なんですねー……」
 言えるチャンスは、何度だってあったはずなのに。
 ベルに好意を伝えて、もし否定されたら。
 それが怖くて、花を吐くたび不安が胸を襲った。
「ベルセンパイ……」
 俯いて、貰ったペンダントを握り締める。
 この恋は、どうなってしまうんだろう──。
「なんだよ」
「え?」
 顔を上げると、目の前には会いたいけど会いたくない人物がいた。
 開いた窓の外、バルコニーに立って、ベルはフランを見つめていた。
「な、んで……」
「お前が死にそうって聞いて帰って来た。なんだよ、まだ元気じゃねーか」
「今は、薬、ちょっと効いてるんでー……」
「あっそ。とにかく、部屋に入れろよ」
 バルコニーの縁から降り立って、ベルはフランのベッドに座った。
「……やめろよ」
「はい? 」
 いきなりやめろ、とはなんのことだろう。
 脈絡のないこと言葉に、フランの頭の上に疑問符が浮かぶ。
「お前の好きな奴、誰か知らねーけど、王子にしとけよ」
「え、」
「今からでも俺のこと好きになれば、その病気も治んだろ」
 その言葉に、フランの胸が脈打つ。
 それは、一体どういうことなのだろう。
 もしかして、ベルは────
「ベルセンパイ、あの」
「それとも、そいつのこと諦めらんねーの? 」
 ベルから零れる言葉は、どれも嫉妬を孕んでいた。
「お前の好きな奴って、誰? 」
 今なら、言える。
 あの時言えなかった言葉が、小さな確信と共に零れる。
「ベルセンパイ、ですー」
「は!? 」
 ベルはフランの方を見て、心の底から驚いている様子を見せた。
「だってお前、病気、片思いの相手がいないとなんないんだろ」
「いや、ミーとそういう関係なのアンタだけですしー」
「じゃあ何でお前、片思いだと思ってんだよ! 」
 その言葉にフランは生唾を飲み込んだ。
 そんなこと分かりきっている。だって、だって──
「だって、一回も、好きって言われたことなかったし……」
「……は?」
「だから、ベルセンパイ、好きとか、愛してるとか、言わなかったから、ただのセフレなのかと思って」
「おま、それくらい態度でわかるだろ! 」
「キスもセックスも別に好きじゃなくてもできるからー……」
「好きでもないやつにンな面倒臭いことしねーっつの!くそバカフラン! 」
 そう言いながら、ベルはフランの手を取った。
 初めてフランを抱いたあの時と、同じだった。
 まるで、物語の中の王子様のように。
「そんなに言って欲しいなら言ってやるよ」
 一呼吸置いて、ベルはその言葉を口にした。。
「好きだ」
「……! 」
「ちゃんと好きだから、お前のこと」
「せん、ぱい」
 ぎゅう、と強く体を抱きしめられる。
 フランは少し戸惑ってから、ゆっくりと背中に腕を回した。
「ったく、そんなに不安ならちゃんと言えよバカガエル」
「本気じゃないって言われるのが嫌だったんですよー、それくらいの恋心は汲み取ってくださいー」
 客観的に見ればそうかもしれないが、フランはただのセックスフレンドだと思っていたのだ。
「つーか、本気じゃなかったらプレゼントやったりしねーよ」
 そう言いながら、ベルはフランのことを縋るように抱きしめた。
「センパイ……」
「お前の方こそオレの気持ち汲み取れよ、バカ」
 子どもが拗ねるような声色に、フランはベルを抱きしめ返す。
 はじめて、目の前の人を可愛いと思えた。
「もしかしてミー、結構溺愛されてたりしますー?」
「だからそう言ってんだろ」
「……そーですかー」
 仄かな温もりの中で、フランは小さく息を吐いた。
「で、お前はどーなんだよ」
「え?」
「王子にだけ言わせっぱなしはナシだろ。ほら、言えよ」
「……え、っと、」
すぅ、と息を吸う。
「すき、です。ベルセンパイのこと──」
「ん、上出来」
 そう言うと、ベルは優しくフランの唇に口付けた。
 甘く、柔い口付けが、フランの強ばっていた体を解していく。
 唇が離れ、フランは再度息を吐いた。
「っ……! 」
「おい、フラン!? 」
 強い吐き気が、フランを襲う。
 それは今までにないほど強く、フランは息ができない程の苦しみだった。
「うえっ、げほっ、っ……! 」 
 一際ひどい吐き気と共に口から零れたのは、白銀の百合だった。
「っ、は……。あ……」
 確か医者が言っていた。この病気は、白銀の花を吐けば──
「これ、治った、のか……?」
 ふたりで、目を合わせる。
 白百合はその存在を主張するように、ベッドの上で煌めいていた。

*
 ベルは手元のスマートフォンを見て、時刻を確認する。時計が示しているのは八時。休日にしてはまだ眠れる時間だ。
 横を見ると、可愛げのある恋人がこちらを眺めていた。
「なんだよ」
「いや、寝顔だけは綺麗だなって思ってー」
「だけってなんだよコラ」
 ベルはフランの頭を軽く小突く。
「可愛い恋人になんてことするんですかー」
「うっせ」
 フランの体を抱き寄せて、もう一度ベッドに潜る。
 今日はこのまま、この面倒くさくて可愛げある後輩と惰眠を貪るのもいいだろう。
 嗚呼、でもちゃんと口にしないと、また恋人はこじらせて花を吐いてしまうかもしれない。
 だから。
「好きだぜ、バカコーハイ」
 そう言って、ベルはフランの唇に触れた。

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