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さしもしらじな

さしもしらじな


*
「そうだ、言い忘れてた──フラン、君は消えないよ」
「……は?」
 イタリアに戻って開口一番、マーモンはフランにさらりと告げた。
 白蘭がマーレリングを使って起こした事象はアルコバレーノが修正し、『なかったこと』になる。
 その説明を聞いたとき、フランは自分が消滅するのだと、解釈していた。
 フランの入隊は、マーモンが欠けなければ成立しない。だが──
「過去の沢田綱吉たちが未来の経験をした時点で、すでにパラレルワールドの分岐点は発生してるんだ。そこをうまく調節すれば難しいことじゃない。……ただでさえヴァリアーは人手不足なんだ。君がいなくなったら僕の仕事が増えるじゃないか」
「……はあ」
 そんな訳で、アルコバレーノの後押しもあり、何故かフランはヴァリアーに残る羽目になった。

 ──なってしまった、のだが。
「任務に行ってくるよ」
「ならオレもついてく」
「ベルは別の任務があるだろう?」
「あんなつまんねーのレヴィに投げた。なあいいだろマーモン?」
「……邪魔しないでくれよ」
「しししっ、わかってるって」
 マーモンがヴァリアーに戻ってきてから、フランはベルの呪縛から解放されていた。
 なんと快適なことか。マーモンさまさま。ありがたやありがたや。
 そう心の中で拝んでしまいたくなるほど自由だった。
 フランが多少イタズラをしても、興味はすぐマーモンに移るのでしつこく怒られない上に、ベルからの絡みも明らかに減った。
 何より、疲れた日に自分のベッドを自由に占領できるのは嬉しかった。
 ──どうしてか、ベッドが冷たいと感じるようになったが、それはきっと気のせいだ。
 間違ってもふたりで眠るのに慣れてしまったなんて、そんなことは絶対にないはずだ。


*
 そんな日々が続いてしばらく。
 イタリアに雪が降り積もる時分、フランはマーモンとルッスーリアと共に潜入捜査を命じられた。
 標的の男は麻薬の売人。男の売る麻薬は死ぬ気の炎を利用して繁殖をさせている疑いがあった。
 マフィア以外の人間に死ぬ気の炎に関することが漏れてはならないと、ヴァリアーは男の抹殺と、麻薬の隠滅を請け負った。
 あと数日の間に依頼人が指定した売買の証拠を掴めれば、すぐに任務は終わる。
「早く帰ってゲームしてー……」
 フランは部下が押さえた仮拠点でそうぼやいた。
 どこでも仮眠が取れるように訓練しているとはいえ、いい加減自分のベッドが恋しい。
 ──そういえば、ずっとベルセンパイの声、聞いてない
 老朽化した屋敷の中を歩きながら、フランはふと物思いに耽ける。
 別に聞かなくてもいい、むしろ嫌いなあのセンパイの声なんて、聞かない方が快適なはずなのに。
「あ、フラーン!」
 後ろから慣れた姦しい声が響く。
「ルッス先輩、ターゲットはどんな感じですかー?」
「んー、まだまだねえ。尻尾出さないことで有名なバイヤーだったけど、ここまで粘り強いなんて!」
「うへーまーた残業かよー……」
「その分お給料増えるんだからいいじゃない!あっそうそう」
 ルッスーリアは手持ちの紙袋をフランに押し付けた。
「これ、マーモンちゃんのとこに持って行ってあげて?フランの分も買ってきたから、術士同士おしゃべりでもしてきなさいな」
「え……」
 思わず受けとった紙袋には、有名コーヒーチェーン店のロゴが入っていた。
「夜だからコーヒーじゃなくてココアにしたわ、マーモンにはホットミルクね」
「え、めんど……」
「んもう、そんなこと言わないの。アタシはもう一回標的の様子見てくるから、頼んだわよ」
「あ、ちょっと……」
 追いかけようとしたが、 もう姿が見えない。
 ルッスーリアはこういうことを押し付けるのが誰よりもうまい。
「持ってくかー…………」
 マーモンを見るたびにベルと仲睦まじくしていた姿が思い出されて、どうにも不快だった。
 気乗りしないまま、フランはマーモンが待機しているであろう部屋に向かった。


*
「マーモンさーん。ルッス姐さんからホットミルクの差し入れですー」
「ああ……ありがとう」
「じゃ、ミーはこれでー」
 正直な話、フランはマーモンと何を話したらいいのか分からなかった。
 骸から聞いたリング争奪戦の話は地雷を踏んだら面倒なことになる。幻術について話すのは自分の手の内を晒すことになるから避けたい。マーモンが好きらしい金も、フランはあったらいいなという程度で興味が無い。
 だから飲み物を渡して、すぐに帰るつもりだった。
「フラン、君に聞きたかったことがあるんだけど」
 だが、マーモンはそれを許してくれなかった。
「なんですかー」
「長くなるから、座りなよ」
「……」
 言われた通り、マーモンの向かいの席に着く。
 聞かれるのはマーモンがいなくなった間のヴァリアーのことか、六道骸のことか──考えながら、フランはココアを一口啜る。
「君は、ベルと付き合ってるんだろう?」
「ぶっ!」
 吹きだしたココアがテーブルに散る。
「……そんなに驚くことかい?」
 フランはマーモンを睨んで、口元を拭った。
「ゲホッ……そりゃ、びっくりしますよーベルセンパイから何も聞いてないんですかー?犬猿の仲ですよー」
「ベルの話を聞いた上で、君に聞いてるんだけど」
「いやいや、ただのセフレですー。あ、赤ん坊はきつい話題ですかー?」
「僕はアルコバレーノの呪いでこの姿なだけだから、おかまいなく。」
「……さいですかー」
 ふう、と一息ついて、深く椅子に座り直す。
 フランが落ち着いたのを見計らって、マーモンが再び口を開いた。
「お互い好意を持っていて、同意の上で肉体関係もあるならそれは恋人とどう違うのかな」
 マーモンの声は淡々と、確信を持った響きでフランを質す。
「あー好意ってところが全然ハズレですねー。ミーはベルセンパイのこと大ッッ嫌いですー。師匠のパイナッポーヘアに誓ってもいいですよー?別に嫌いでも抱かれるくらいできますし。イヤイヤだけどー」
「ベルは僕が戻ってきてから、君のことばかり話しているよ。口を開けばフラン、フランって。毎日惚気を聞かされるこっちの身になってくれよ」
「それはミーがマーモンさんの後任だったからですよー。ちょっかいかけるポジションだったからネタが多いだけで」
「ヴァリアーはベルが入ってから、ずっと幹部メンバーが変わってない。そこに急に僕が死んで新しい人間が入っても、ベルは受け入れないと思ってたんだよ」
「…………」
「十八年。ベルは人生の半分以上を、同じ場所、同じ顔ぶれで生きてきたんだ」
「だから受け入れてなかったですってー。この被り物が何よりの証拠ですよー」
「僕の代わりなら、もう僕が復活した時点でベルがその被り物に執着する意味は無いだろう?でも、ずっと君にそれを被るように命令してる」
「…………」
 フランはマーモンの言う通り、アルコバレーノが復活した後にカエルの被り物を捨てようとした。だが、ベルはそれを許さなかった。
「君が僕の代理だって言うなら、今すぐそれを取って、捨ててごらんよ」
「──それ、は……」
 それは、できない。したくなかった。
「……ほらね。もうそれは僕の代わりじゃなくて、君のアイデンティティになったんだよ。ベルにとっては、ね。ここまで言ってもまだ認めないのかい?」
紙コップの中の茶色い液体を眺めながら、フランは口を開く。
「……だって、ありえないですよー。暗殺部隊が恋だの愛だの、キモチワルイことこの上ないじゃないですかー」
 フランだって本当は分かっている。
 この感情は殺戮快楽者には馴染みがなくて、虚飾の術士が口にするには綺麗で、空想的で、不自然で。
 だから──セックスフレンド。そんな虚しくて、シンプルに利益がわかる名称の方が楽でいい。
 そう、思いたかった。
「今更ですけど、マーモンさんとベルセンパイの関係は……」
「仕事仲間。あと、ベルからしたら幼馴染になるのかな。間違っても勘違いしないでくれよ」
「……へー」
 後任にトレードマークを押し付けるくらいだからもしやと思っていたが、顔色を見るにどうやら本気で違うらしい。
「僕にとっては弟みたいなものだよ」
「弟、ですかー?」
「知ってるだろうけど、ベルは八歳でヴァリアーに入ってからそのまま、外の世界をそこまで知らないんだよ。実年齢よりもずっと精神が幼いんだ」
「あー確かにアラサーとは思えないくらいガキ臭いですねー」
「ヴァリアーでも最年少だから、子供扱いされることも多かったしね。初めて愛情を捧げる側になって、浮かれてるんだよ」
「だから、違いますってー……」
 愛情を捧げるなんて、献身的なものじゃない。
 ただ、お互い性欲を発散して、そのまま一緒に眠って。
 それだけだ。蕩けるような愛の言葉なんて一度も言われていない。
 だから、認めない。
 そんなフランの意固地を察したのか、マーモンは深くため息をついた。
「君は信じてないみたいだけど、ひとつ教えてあげるよ。あのね────」


*
 それから、わずか半日で任務は完了した。
 フランは新人だからと後始末を押し付けられ、スクアーロに詳しい報告をしていた。
「……指示通り、標的の遺体の一部と、依頼主ご要望のブツは確保しましたー。運び屋に任せたので、一日もすればここに届くと思いますー」
「……よぉし、ご苦労だったな。もう休んでいいぞぉ。報告書はブツが届いてからでいい」
 スクアーロは別の隊員が提出したであろう報告書に目を通しながら、フランに退出を促した。
「了解ですー」
「フラン」
「?」
「ルッスーリアに治療されんのが嫌なら、テメェで手当てくらいしとけぇ」
「……イエッサー」
 スクアーロの説教を聞き流しながら、フランは部屋をあとにした。
 自室に戻ると、真っ先に被り物と服を脱ぎ捨ててバスルームへ向かう。
 蛇口を捻ると、温かい水が雨のように降り注いだ。
 任務のせいで身体に付着した埃やら血やらが気持ち悪い。
 排水溝に流れていく汚れを見ながら、被り物のせいで凝り固まった肩を捻る。
「バレないように材質とか変えられないかなー……」
 密かな軽量化を考えつつ、適当に身体を洗っていると、沁みるような痛みがした。
「痛っ……!」
 任務中、打ち捨てられていた廃材に擦ってしまった箇所に、固まった血液がこびりついている。
 左足のふくらはぎの外側は、血と剥がれかけた皮が一混じり、想像よりも痛々しい傷になっていた。
「思ったより擦れてんなー……」
 そう呟いてフランは慎重に泡を洗い流した。


*
「ふー……」
 バスルームから出て、フランは冷蔵庫の中の炭酸水を一気に飲み干した。
「……寝よ」
 その前に軽く消毒を、と思いながらベッドに目を向けると、何故かそこにはベルが腰掛けていた。
「……えっ、とー」
 それが普段通りのいけ好かない態度なら、適当にあしらうこともできた。
 だが、一言も喋らず、手遊びもしていない彼はなんだか──かまってもらえなくて拗ねている、子供のようだった。
「…………」
「ここ、ベルセンパイの部屋じゃないですよー」
「知ってる」
「マーモンさんの部屋なら隣なんですがー」
「知ってるっての」
「……あのー」
 会話が成立せず、フランは戸惑う。
 ──一体なんなんだ、この大人しい堕王子は。
「ここ、来い」
 示されたのは、ベルの隣。
「……は?」
「先輩命令。いいから座れ」
 戸惑いながら隣に座ると、ベルはどこからか持ち込んだらしい手元の救急箱を漁る。
「足、出せ。左な」
 逆らうのも面倒になり、言われた通りベットに足を乗せると、次は傷を見せろと言われた。
「晴れの炎なら一発なのにー……」
「そーやって軽く見てるやつには使わねーの。反省しろ」
 フランの傷のことを教えたのは、恐らくマーモンだろう。
 ──まったくあのチビ、余計なこと言いやがって
 傷を見せると、乱暴に消毒液がかけられ、沁みたアルコールがびりびりと痛覚を刺激する。
「いっ!……たいんですけどー」
「ガキじゃねーんだから我慢しとけ」
「……普段はガキって馬鹿にするくせにー」
「つかお前、寝る前にちゃんと消毒くらいしろ」
「いまやろうと思ってたんですー」
「小学生か」
 当たり障りのない会話をしながら、ベルは器用な手つきで手当てを続ける。
「ほらよ」
 面積が広いせいか、傷口は膝下から足首まで包まれた。
 フランは大袈だな、と綺麗に巻かれた包帯を眺める。
「ありがとうございますー」
「次、頭」
「……?頭は怪我してませんけどー」
「違げーよ。髪。乾かすぞ」
「ほら、後ろむけ」
「えー……」
「早くしろ」
しぶしぶ後ろを向くと、まだ濡れている髪の毛に櫛が通る。
「これもマーモンさんの指示ですかー?」
「は?違げーよ。お前いっつもテキトーすぎんだよ。だから今日は特別に王子がケアしてやんの。光栄に思えよ?」
「髪なんてほっとけば乾くじゃないですかー別に女でもないのに……」
「お前が粗末なカッコしてたらヴァリアーが舐められんだよ」
 ふと、嗅ぎなれた香りが鼻腔をくすぐる。
「なんですかー?これ」
「俺専用のヘアオイル」
「うわーそんなに髪にこだわってるのに鳥の巣頭なんですねー。センスやばくないですかー?」
「お前の髪型、師匠とお揃いにしてやろうか?」
「うわーそれだけは勘弁ー」
 ヘアオイルの香りは、ひどく馴染み深い。
 ああ、そうだ、フランは、この匂いを知っている。
──久しぶりで安心する、ベルセンパイの、匂い
「……ん?」
──安心?
 フランはいやいやいや、とかぶりを振った。
 水滴が飛んだのか、後ろからお前犬かよ、と抗議の声が飛ぶ。
 それから、忙しない音と共に温い風が通り過ぎる。
「快適……」
 心地よい温かさが眠気を誘ってくる。
 フランは小さく船を漕ぎながら、髪をなぞる手の温度に甘えた。
「っし、こんなもんか」
「ん……あれ、終わりましたー?」
 試しに髪を触ってみると、いつもと感触が全く違う。
「おおー……」
「感謝しろよ?」
そう言いながら、ベルはベッドに寝転んだ。
「あの、ここミーのベッドですー」
「だから知ってるっつーの」
「退いてくださいー」
「ヤダ。今日はここで寝るって決めてんだよ」
「何言ってんですか、アンタ……」
 ──ミルフィオーレとの戦いが終わってから、一度もここで寝たことないくせに
 胸のあたりがざわついて、フランは顔を歪める。
「人肌恋しいなら、前任のところでも行ったらどうですかー?」
「…………」
 ベルとマーモンがどんな間柄だろうと関係ない。
 あんなにも触れ合ったのに、全てが消えて、もしかしたらフランが消えたことすら気づかれないかもしれない。そう思い続けていた。
 消滅せずに済んで、心の奥で安堵した時も、ベルはフランを見ていなかった。
 前任が戻ってきたことに浮かれて、さんざん放置したくせに。
「ミーのことなんて放っとけばいーでしょ」
「拗ねてんじゃねーよ」
「ミーが消えるかもしれないって時に……アンタは隣にいなかったのに、今更──今更、ご機嫌取りですか」
「────」
 ぽつりと、本音が漏れた。
「もーいいです。……それじゃあ、ミーはどっか別の場所で寝ますんでー」
「待て」
「わぶっ」
 何事もなかったように部屋を出ようとしたが、腕を強く引っ張られ、ベッドに引きずり込まれる。
「お前がいないんじゃ、この部屋で寝る意味ねーだろーが」
 ベルはフランを腕の中に閉じ込めて、小さくため息をついた。
「お前さあ、その天邪鬼どうにかなんねーの?」
「……別に天邪鬼じゃないですー」
「オレに会えなくて寂しかったんだろ?」
「その次元の話じゃないんですけどー。あやうく消滅だったんですけどー?」
「オレがマーモンと話してるのも気に食わないって顔して見てたもんな」
「一切してませんのでご安心をー」
「ハイハイ。そういうことにしといてやるから、今日は一緒に寝ろ」
「…………」
 ベルの言葉を聞いて、フランはマーモンが任務先で教えてくれたことを思い返した。
 それは、ベルがヴァリアーに入って二年間、人のいる場所で寝ようとしなかったという過去。
『だから、ルッスーリアから君とベルが一緒に寝てると聞いて驚いたんだ。──ベルは、相当君に甘えてるんだね』
「…………」
 幼いベルの選択は、暗殺者としては正しい警戒だ。
 寝ている状態は、生物にとって一番無防備な状態と言える。
 今だって目の前の喉仏に手をかければ、一瞬で命を散らすことだってできる。
 それなのに、ベルはフランの隣で眠る。
 殺し屋であるフランからしたら、その態度はどんな甘言よりも重く、確かなものとして映った。
 きっと本人はそこまで深く考えてはいないのだろう。
 だからこそ、本当にマーモンが言うように、無意識に甘えられているようで。
「…………」
 フランは無言で体の向きを変えて、ベルの胸に頭を押し付ける。
「急にデレんじゃん」
「デレてないですー」
「お前がこれやんの、甘えたい時のクセだぜ?」
「っ……」
 フランの顔が、ほんの少しだけ赤くなる。
 甘えたい気持ちを見透かされたことより、目の前の男に自分も知らない癖を見抜かれているのが恥ずかしかった。
「……やっぱり出てってくださいー」
「しし、照れんなって」
 押しのけようとしたフランの手は、ベルの手に絡めとられる。
「おら、ガキはさっさと寝ろよ」
「寝ろって言われてすぐ寝れる人間なんていませんよー。読み聞かせか子守唄お願いします―」
「はぁ?」
「ずーっとミーを放置した罰ですよー」
「……ちっ、じゃー歌な」
「え、マジでやるんですかー?」
「うるせーな、目閉じろ」
 戸惑いながら、言われた通り目をつぶる。
 冗談で言ったのにまさか本気にするなんて。
 ──やっぱり今日のセンパイは、変だ。
 わざわざ部屋に来てまで手当をしたり、髪の毛を乾かしたり、子守唄であやしたり。
 妙にむずかゆいというか、こそばゆいというか──
 明日は槍でも振るのかと考えていると、普段より穏やかな声が、音を紡いだ。

 ────いとしいこ。いとしいこ。うでのなかでおねむりなさい。
 かわいいこ。かわいいこ。おだやかにおねむりなさい。
 きんのおぐしのおうさまが、くにをみまもるそのあいだ。
 あなたはあいされ、おねむりなさい。
 つよいへいしがしろをまもるそのあいだ。
 あなたはすべてにあいされて、おねむりなさい──

 フランは辛うじて、その歌詞の意味を理解出来た。
 イタリア語に似ているが、訛りというには独特な言葉が流れていく。
 ラテン語系であることは理解できるが、フランが知っているどこの言葉とも当てはまらない。
「……何処の歌ですかー?」
「俺の国」
「勘当された、センパイの?」
「だから全員殺したって言ってんだろ……城抜け出した時に、平民が歌ってたの覚えた」
「お母さんに教えてもらったとかじゃないんですかー?」
「母親に教わったことなんてねーよ。王族は子育てなんてしねーし、あいつら俺のことは嫌ってたしな」
「へー……」
 確かに、跡取り同士の殺し合いを容認する場所に、平凡な家族の愛情があるとは思えない。
『俺のことは』という言葉から察するに、恐らく母親は双子の兄の──ジルの側だったのだろう。
 フランは瞼を開いて、視界に映ったベルの髪に触れる。
「『きんのおぐしのおうさま』?」
「ん、代々金髪らしーぜ」
「じゃあベルセンパイは金の御髪の王子(仮)ってことですかねー」
「刺すぞ」
「すいませんでしたー」
 またベルが子守唄を始めると、フランはベルの服の裾を掴んで、身体を寄せる。
「……センパイ」
「ん?」
「ミーがいなくて、寂しかったですかー?」
 抑揚のない声で、なんでもない風に尋ねた。
 今日のベルの態度の原因は、それしか思い当たらなかった。
 フランがいないアジトで、いくつも年上のこの男が、フランと同じように寂しさをほんの一瞬でも感じて。
 それを埋めるために、隣にいるのなら。
 それは───ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、嬉しい。
 夜の静寂が、部屋を包む。
「…………うるせー」
 フランを抱き締めていた腕の力が強くなる。
 悪態までの少しの間が、素直じゃない彼の答えであることを、フランは知っている。。
「……ふは、ツンデレ」
「うるせーつってんだろ」
 香油の香りと、質のいいシャツの肌触りがフランを甘く堕落させる。
 任務のせいで疲労が溜まっていることを身体が思い出したらしい。久しぶりの温もりに、意識がふわふわと浮かんでいく。
「フラン」
「なん、ですかー…………」
 微睡みの中で、フランは舌足らずのまま応える。
「一回しか言わねーからな。ちゃんと聞けよ」
「……?」
「────────────……」
 フランにしか聞こえない程小さく囁かれた言葉は、やはりフランが知らないものだった。
「また、センパイの故郷の言葉ですかー……意味は……?」
「……そのうち教えてやる」
 額に、柔らかいものが触れる。
 それがベルの唇だと気づくと共に、フランは意識を手放した。

 ──教えてもらわなくても、本当は分かっている。
 言葉の意味なんて簡単に推測できる。
 それは、きっと。
 わざと遠回しに言わないと恥ずかしいくらい、綺麗で、純粋で、やさしくて。
 彼らになんて似つかわしくない、ありきたりな、愛の言葉。

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