夜明け前が一番暗い

夜明け前が一番暗い

「ん……」
 目が覚める。アラームが鳴っていないので、まだ朝ではないのだろう。時計を見るとまだ日が差す前の時間、すなわち夜更けだった。
 わずかに身じろぐと、腰がずきりと痛む。そうだ、今日も──正確には昨日だが──いつもの通り散々パーシヴァルに愛されて、気絶するように眠ったのだった。
 隣には整った顔。寝顔はいつもよりあどけなくてかわいらしい。
「私を抱いている時は、あんなに雄の顔をするのにね……」
 そのギャップも愛らしい。バーソロミューはパーシヴァルの頬をするりと撫でた。
「……ああ、パーシー。私は時折、いや、最近はずっと思うんだ。こんなに幸せでいいのかなって」
 答えは当然返ってこない。バーソロミューはそのまま言葉を続けた。
「私は生前、人生を濃縮して生きたんだ。一生かけて得るべき幸せと運を四年で使い切った。だからかな、長い幸せが続くと、それがバーソロミュー・ロバーツとして正しいのかわからなくなってしまうんだよ」
 実際はパーシヴァルと恋仲になってほんの数ヶ月しか経っていないのだが──そのことを指摘する人物はここにいない。
「君があんまりにも幸せをくれるから、怖いんだ」
 前髪を撫でる。少しだけ色の違うメッシュが好きだ。そう言うとパーシヴァルは好きなだけ触れてほしいと頭を差し出す癖がある。
「不安なことは他にもある。私は君に告白された時、『君の想いはすぐに消える、ただの勘違いだ』って言った。いつかそれが現実になるんじゃないかと思ってしまうんだ」
 彫刻のように鍛え抜かれた胸筋をなぞる。バーソロミューだって体格はいいほうだが、絶対に彼には敵わない。
「もしも、君の恋心があの夏の蜃気楼のように、急に消えてなくなってしまったらって──」
 口に出すだけで背筋が凍る。すっかりこの数ヶ月でパーシヴァルに愛されることが当たり前になってしまった。それが、魔女にかけられた魔法みたいに消えてしまったら?
 愛称で呼んでもらうことも、抱き締めてもらうことも、キスも、セックスもしないで、ただの友人──いや、名前を知っているだけの知り合いになって。
 そんなさみしさを、バーソロミューは抱えきれるだろうか?
「それとね……この前図書館で君のことが書かれた本を読んだんだ。騎士パルジファルの物語。その中で君には……妻がいた」
 物語と実際の歴史は大きく異なる場合だってある。特にパーシヴァルは古くから語られている人物だ、様々な物語のバージョンがあるのが普通だろう。実際バーソロミューが見た資料には生涯処女騎士であったと書かれているものもあった。
 しかし──彼が所帯を持っていたと書いてあったものがあったのも、また事実で。
「……怖いよ。もしかしたらこの先、『パルジファルの妻』を名乗るサーヴァントが現れる可能性だってあるってことだろう? そしたら私はどうすればいい? 君の腕の中から離れなくてはいけないのかな? それが……凄く嫌なんだ。わがままなのはわかっている。わかっていても、聞き分けない子どもみたいに、私を捨てないでほしいと君に縋ってしまいそうなんだ ……君の幸せを考えれば、身を引くのが当然なのに」
 覚えがなくとも、生前の妻になど敵うはずもない。パーシヴァルの隣は彼女に譲るべきだ。それでも、それこそが正しいとわかっていても、パーシヴァルの体温を知ってしまった今はどうか彼女が召喚されないようにと思ってしまう。
「……あーあ、言葉にすると、改めて私は最低の人間だな。クズだ。知っていたけどね」
 心の中のドロドロした感情を吐き出して、一筋涙を零す。こんな弱音は彼には話せない。
 彼の腕の中に戻って目を閉じる。不安は解消できるものではない。眠って忘れてしまおうと思った、その時。
「……嗚呼、貴方はそんな不安を抱えていたのですね」
 ぎゅう、と強く抱き締められた。
「ッ!?」
「愛する人をそんな不安にさせてしまうなど、このパーシヴァル、不徳の致すところだ」
「な、なん、君、いつから起きてっ……!」
「貴方が私を呼んだ時から」
「最初からじゃないか!」
  聞かれてしまった。ずっと溜め込んでいた不安や恐怖、弱い心の内を。聞かせるつもりはなかったのに。
「パーシー、その、今のはそう、寝言なんだ! だから忘れてくれ、どうか気にしないで」
 苦し紛れの言い訳に、パーシヴァルは騙されてくれなかった。
「いいやバート。貴方が本音を零してくれたんだ、一滴も落とさず掬い上げてみせよう」
 そう言ってパーシヴァルはバーソロミューの額に口づけを落とす。
「貴方が幸せを享受するのはなにもおかしいことではないと思う。人間は幸福を追い求める生き物だ。それに生前できなかった生き方ができるのがカルデアだと思っている。貴方は長く生きることが出来るし、生前以上の幸福を手にしたって誰も咎める人間はいない」
「うん……それは、そうかもしれないね」
 これはバーソロミューの中の問題だ。少しずつ消化していくしかないだろう。
「それと、私の愛が消えてしまうかもしれないという不安だが……これは私がそんな不安にさせてしまうほどに愛を捧げ足りなかったということだろう」
「え、は?」
「これからはもっと愛を伝えよう。私の愛が蜃気楼などではないと、貴方が理解するまで。具体的には五割増し、いや十割増しで」
「い、今以上があるのかい……!?」
「普段は我慢をしているので」
 彼はにっこりと笑いながら恐ろしいことを言ってのける。あまりにも大きな愛情に先程とは違う恐怖を覚えた。
「最後に、私の妻の話だが……私には妻がいたという記憶がない」
「うん、それは知っている」
「だがパルジファルの物語に妻が出てくる以上、その名のサーヴァントが存在しないとは言い切れないだろうね」
「……うん」
「だがもし彼女が召喚されたとしても──私は、きっとバートを選ぶ」
 その言葉にはっと顔を上げる。それは駄目だ、パーシヴァルの妻のアイデンティティを否定することになってしまう。
「君、そんな残酷なことを……!」
「私はふたりを同時に愛することなどできない。ならば、今ある愛を最優先させたい」
「駄目だ、浮気相手は私だ! 私が切り捨てられて当然だろう!」
「いいやバート、私は会ったこともない人と貴方への愛を選べと言われたら貴方を選ぶ」
 騎士はどこまでもまっすぐにバーソロミューを見つめていた。さらりと髪を撫でて、優しそうに微笑む。
「他の聖杯戦争であったなら、きっと私は妻を受け入れる。だがこのカルデアのパーシヴァルは、バーソロミューの恋人であること手放したりなどしないよ」
「パーシー……」
 じわ、と涙が滲む。円卓の騎士パーシヴァルがそんな選択をするなんて思わなかったから。彼は妻より、バーソロミューを選んだ。それは物語に語られる彼にとってあってはいけないことなのに。
「君、馬鹿だな……」
「ああ、愚か者だからね」
 パーシヴァルは優しくバーソロミューを引き寄せて、たくましい腕で包み込む。とんとんと背中を弱く叩かれれば、幼子になった心地がした。
「さあ、もう眠って。宵闇は気持ちを穏やかにさせるが、不安を呼び起こすこともある。しっかりと眠って、朝に起きて、おいしい食事をたくさん摂ろう。それでもまだ不安が拭えないのなら、何度でも話をすればいい」
「朝食、頼むから大盛りはやめてくれよ……?」
「では特盛で」
 笑顔で怖いことを言う。やはりパーシヴァルは怖い。バーソロミューは敵わないなあと苦笑して、厚い胸板に身を寄せた。パーシヴァルはバーソロミュの痛んだ髪を優しく撫でて眠りを誘った。
「共に生きよう、バート。いくらでも不安を分けてほしい。貴方には朗らかでいてほしいんだ」
「うん……愛しているよ、パーシヴァル。ずっと抱き締めていてくれ……」
「ああ、貴方が望む限り、永久に」
 夜更け、ふたりは身を寄せ合って眠りに落ちていく。
 いつまでもいつまでも、その体温を心に刻んだまま。
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