【同人誌再録】終わりゆく日々に花束を
終わりゆく日々に花束を
いつになっても、「迎え」はこなかった。
ミルフィオーレとの戦いの後、すぐに回収されると思っていたし、その準備もしていた。
だが、己を迎えたのは何も変わらない日常、不気味なほど平穏な日々。
でも行き当たりばったりな生き方は今更だったし、わざわざこちらから連絡をする必要もない。恐らくは「フラン」として生きろという命令なのだと勝手に解釈した。
──だからこのまま、変わらない時間が続くのだろうと、そう、思って。
*
「おいフラン、祭りいくぞ」
穏やかな昼下がり。部屋のドアを蹴破って現れたのはベルフェゴールだった。
「ドア蹴るのやめてくださいって言ってるじゃないですかー…祭り?」
「この近くでやってんだよ、早く準備しろ」
「人の話聞いてないし…ミー行くなんていってないんですけどー。せっかくの休日くらい堕王子の顔見ないで過ごしたいですーあ痛っ」
背中を向けてふて寝を決め込もうとしたが、背中に低い音と共にナイフが突き刺さる。
「先輩命令。逆らったらわかるよな?」
「…はいはい、もーしょーがないなー」
今日はずっとベッドに引きこもる予定だったのに、ふざけんなこのクソセンパイ。
心の中で毒づきながら、フランは起き上がって手元に放り投げてあったパーカーに袖を通した。
ふたりが向かったのはアジトから少し離れた大きな街だった。
周囲に自然も多くそれなりに発展しているこの街は、ヴァリアー隊員にとっても馴染み深い。ルッスーリアなんかはよくプロテインの買い付けに来ていたはずだ。
その街の中央─自然公園の一角が、普段とは違う賑わいを見せていた。
「…こりゃまた、盛り上がってますねー」
道沿いに所狭しと並んだ屋台と、その間を練り歩く浮かれた人々。
今日は街を挙げての大祭らしい。
だが、生憎フランは祭りの喧騒に浮かれる年でもない。むしろ早く冷房の効いた自室にダッシュで戻りたい気持ちのほうが強い。
「さーて、何食うかな」
そんなフランの様子を全く気にも留めずに、ベルは小銭を手遊びながら屋台を吟味している。
「あれ、珍しー。現金持ってたんですかー?」
「ししっルッスに換金してもらった」
なるほど準備万端。つーかアラサーなのにたかが祭りを全力で楽しむつもりだこのセンパイ。
「ほらさっさと行くぞ」
「はーい」
だが、ここまで来たのなら多少は楽しまないと損な気もする。
諦めて辺りを見渡すと食べ物から雑貨、怪しげな古物まで小さな店が立ち並んでいる。一等フランの目を引いたのは食事系の屋台だ。
手作りのジャムや紅茶の量り売り、ドライフルーツに魚の燻製。使い捨ての銀皿に入ったアヒージョを頬張りながら酒を煽っている人間もいる。
「よりどりみどりですねー…」
ふと、鉄板で焼かれた肉の香りが鼻を刺激する。
こういうジャンクな匂いというのはどうして胃袋を動かすのか。朝も昼も食べ損ねた腹が漫画のような大きな音を響かせる。
「……我ながらなんて素直な胃袋…」
「おらよ」
「もがっ」
いつのまに買ったのか、ベルは持っていたクレープのうちひとつをフランの口に突っ込んだ。
「腹の音でけーんだよ」
「んぐ…飯食う時間もくれなかったのはセンパイじゃないですかー」
文句を言いつつ、クレープに大きくかじりつく。
「あ、これ甘いやつじゃないんですねー、うまー」
生地から顔を出したのはハムとチーズ。デザートクレープも嫌いではないけれど、空腹にはこちらのほうが嬉しい。
「甘いやつは向こうにもっとデカい屋台があっからな、他にも食いたいモンあったら言えよ」
「え、なんなんですかー今日はやけに羽振りがいいじゃないですかースパダリ気取りですかー?」
「奢ってやんねーぞてめえ」
「やー嘘嘘、さすがベルセンパイだなーミー次はあの串焼きが食べたいなー」
それ以降、目に付いた屋台を片っ端から回っていると、道の終わりに辿り着く。
普段は憩いの場として使われている広場には大きなステージが設置されていた。
アマチュアからプロの歌手まで、祭りに合わせた鮮やかな音楽が響く。
「センパイはなんか楽器とかできますかー?」
「王子だぜ?なんでもできるに決まってんだろ。お前は?」
「まあ、それなりにはやれますけどー」
バンドの演奏をBGMに、くだらない雑談に花が咲く。
それらをひとしきり聴き終わった頃、フランは空が朱色に染まっていることに気が付いた。
──本当は適当なところで抜け出そうと思っていたのに、案外楽しんじゃったなー。
ふと、フランが揺らしていた手がベルの腕に当たる。
なんの気無しに手を繋ごうとしたが、頭の中の天邪鬼がそれを引き留める。
祭りに行って手を繋ぐなんてわざとらしいというか、いかにもなテンプレートを実行するのはなんだか負けた気がする。
だが、ベルがフランの手が触れたことに気づいていないはずがない。フランがどう動くかを観察しているのだ。無視して意気地なしだと思われるのもまた癪に障る。
少し悩んだ末、フランはベルのポケットの端をつまんだ。
「……」
注がれる視線が痛くて、そっぽを向く。
やっぱりやらなきゃよかったと後悔した瞬間、横から強い力で引き寄せられた。
「わ、」
バランスを崩した身体はあっさりと受け止められ、慣れ親しんだコロンの香りがフランの鼻腔をくすぐる。
「あの、センパイ」
文句を言わせないとばかりに、ベルは空いているほうの手でフランの頭を乱暴に撫で回した。
「ぐえっ、ちょっ」
「しし、手繋ぐだけとか中学生かよ」
「…ベルセンパイのスキンシップ激しいんですよー」
「あん?別にフツーだろ」
「…ラテン系ってやけにベタベタしますよねー」
少しの隙間もなくくっついた身体から心臓の音が伝わってくる。
顔の赤みがばれないように、フランはこっそりと幻術で表情を隠した。 これで赤面しているのがバレたら三日三晩はネタにされるに違いない。
「お前だってフランス出身だろーが」
「ミー、育ちは旧き奥ゆかしいジャッポーネなんでシャイなんですー」
「シャイじゃなくてビビりだろ。なんでも察しろとか日本人みんな忍者か?ちゃんと口に出せっつーの。…術士なんて陰気なやつ、みんな何考えてっかわかんねーけどさ」
「まあ術士が考えてることバレたらイッカンの終わりですしー」
────『いいことじゃないか、きっと君の幻術の質も上がるよ』
ベルと付き合ったことを知ったマーモンの言葉を思い出す。
曰く、恋や愛といったものは人間が持つ感情の中で最も強い部類に入る。心を乱されながら幻術を扱う心得は持っていて損はない。
『まあ、感情を理解するか実感するかはまた別の話だけどね。』
付きあって暫く経つが、こういう「らしいこと」をした時に少し驚く程度で、そこまで強く感情を揺さぶられたこともない。
何が愛だ、何が恋だ。脳内お花畑のリア充なんて爆発してしまえ。
そんなものに命を懸けるなんて滑稽を通り越して哀れだ。
傍から見ればふたりが恋を謳歌する仲に見えることを忘れて、フランは心の中で毒づいた。
終わりつつある祭りの喧騒の中、手を繋ぎ直して帰路につく。
「そーだ、明日の任務の報告書お前が作れよ」
「やーでーすー」
「今日奢ってやったろ?サボったら殺すからな」
「奢りにそんな意図があったとは…やっぱりセンパイは性悪ですー」
「お前に言われたくねー…にしても、ジェラート食い損ねたのありえねーんだけど」
「まさか並んだ瞬間に売り切れるとは思いませんでしたねー、不完全燃焼ですー」
「隣町のうまい店、今度行くか」
「わーいご相伴にあずかりますー」
「ちょっとは遠慮しろ」
「え、まじで連れてってくれるんですかー?指切りげんまん(物理)に誓いますかー?」
「なんで王子の指賭けなきゃなんねーんだよ、却下。」
ししし、と笑ったベルの顔は血とは異なる赤に染まっていて、フランは馬鹿馬鹿しくなって幻覚を解いた。
*
「ん……」
窓から差し込んだ月光が眠りを遮る。
熱帯夜のうだる暑さはタンクトップ一枚の薄着でもわずかに汗をかいてしまう。
「センパイ、ベルセンパーイ…」
声をかけても、隣のベルは眠りの世界の中で起きる様子はない。
「…そりゃ」
「んぐっ……」
好奇心で鼻をつまむと苦しそうに顔が歪む。きっと溺れる夢でも見ているのだろう。
起きて悪戯がバレたら面倒なので、そこそこに解放すると寝顔はまた穏やかなものに戻った。
「………」
フランはそっと、ベルの前髪を撫でつけた。
その気になれば明かせるその素顔を見る気にはなれない。
「整った顔してんなー」
フランは時折、眠っている彼の顔を観察するのが嫌いではなかった。
自分の師匠とそう歳が変わらないのに、この人の寝顔はどこか幼く見える。
「……」
マフィアの世界で、愛や恋の力は強いものとされる。
いつ死に別れるかわからないからこそ、その執着は強くなる。時にはそれが、ひとつのファミリーを消し去るような、恐ろしい執念の原動力になりえる。
──馬鹿馬鹿しい。ミーとセンパイの間に、そんなものあるわけないのに。
きっとどちらかが死んでも報復なんてしない。むしろお互い喜ぶだろう。『よかった。ようやく目障りな奴が死んだ』と。
「……センパイ」
これは暇つぶしの遊びだ。
いつでも終わらせられるし、ましてや未練など持つわけが無い。
その、筈だ。
「…ベルセンパイ、」
ならこの胸から湧き上がる感情はなんなのだろうか。
金の髪を撫でる度に、安堵が、喜びが、熱が身体を満たす。
胃に穴が空いたように胸がざわついて、何か叫びだしたいような衝動に駆られる。
「………」
翡翠の瞳が小さく揺らぐ。
分かっている。
フランの意思とは関係なく、必ず、いつか世界は──この日々は、終わる。
この居場所からいなくなるのは「フラン」として死ぬときだ。
そうでない終わり方があるとしても、唯一の機会は白蘭との戦いの後だった。
まだボンゴレが事態の収束に追われている時ならば混乱に乗じて消えることもできたはずなのに、指示はこなかった。
きっと切り捨てられたのだ。だが、「あちら側」の事情を知り尽くしたまま生きられるとは思えない。
フランは今、猶予を与えられているに過ぎない。
その猶予がいつ終わるのかすら、知ることはできないけど。
「…いっそ、はやく、終わってくれれば……」
そう考えているのに、ここを去ることが出来ない。
それはこの人のせいだと一瞬でも考えてしまったのは、暑さで頭がのぼせたからに違いない。
フランはもう一度癖のある髪を梳いて、静かに鼻を擦り寄せた。
*
「はい、しゅーりょー」
足元に崩れ落ちた術士の死体を踏みながら、匣を閉じる。
難易度はそれほど高くない、いつも通りの簡単な暗殺任務の予定だった。
しかし、暗殺の標的が腕のいい幻術使いを雇ったという情報が入り、その対策として幹部であるフランが急遽駆り出されてしまった。
「正直拍子抜けですねー。これ、ミーじゃなくてもよかったと思うんですけどー」
術士の実力は想像以下だった。恐らく標的が暗殺者を避けるために誇張した噂を広めたのだろう。
「フラン様、匣兵器はいかがいたしますか」
「回収して、荷物に入れておいてくださーい」
「かしこまりました」
後始末は部下に適当に任せて、フランは空を見上げる。
うざったいくらいの快晴だ──そう思っていたのに、頬に雫が触れた。
「…雨?」
ほんの数秒で辺りは豪雨に囲まれ、視界が不明瞭になる。
耳を塞ぎたくなるような轟音が耳をつんざく。
「うわっ……」
雷は落ちていない。雨の音だけで周囲の音が聞こえなくなるほどになるのは異常だ。
「これは…人為的なヤツですかねー」
肌を刺す雨粒が痛い。視覚と聴覚の阻害─十中八九、雨の匣兵器によるカモフラージュだろう。隠したいのは人か、兵器か、ついさっき事切れた術士と標的か。
だがおかしい。周囲にヴァリアー隊員以外の生きている人間はいない。それ以外の部外者がいたのなら殺気で感じ取れたはずだ。
これが噂にあった術者の真打ちかと考えたが、標的は既に肉片と化している。
「まさか、さっき始末したのは偽物とかないですよねー…?」
騙し合いにはそれなりの自信がある。だが、そうでも考えないと今このタイミングで襲撃される理由が思い当たらない。
「雨の──匣……!各自備え──…!」
部下たちもただの天候変化ではないことに気づいたのだろう、指示を出す声が雨音のせいでやけに遠い。
ヘルリングを指に通し、ひとまず敵の位置を把握しようとして────
「…………あ、」
ひゅっ、と息を呑む音が聞こえる。
水飛沫の合間、懐かしい影が揺れたのをフランは見てしまった。
「……こんな、終わり方、なんですねー」
影のゆらめきは、それがおとぎ話の悪霊や妖精の類であるかのようだった。
まっすぐに、フランだけを見据えて、その距離が縮まっていく。
それはこの人生が終わる合図。
影の男に気づいているのはフランだけだ。
男に強引に手を引かれたが、抗わなかった。否、抗えなかった。
だって、だってこれは、ずっと前から決まっていたことだから。
「フラン様、フラン様!指示を────」
部下のひとりが雨を拭いながら叫ぶ。
だが、もうそこには誰もいなかった。
*
ヴァリアー本部の廊下に、せわしない足音が響く。
「報告いたします!フ、フラン様が──行方不明になりました…!」
「…は?」
幹部の談話室に入ってきた男は、フランと共に任務に出たはずの部下だった。
「標的を始末し、帰還の準備をしている時に、雨の匣兵器で分断され…気が付いたときに姿が消えていました。しかし周囲に残党の気配はなく、第三者によるものかと…」
耳の奥からざあざあと音がする。
フランが、消えた。いなくなった?
何も言えないベルをよそに、他の幹部たちの様子はいつもと変わらない。
「やだ、家出かしら?」
「雨の匣兵器を使ったというのが気になるな。第三者の手引きを使わずとも部下の目を欺くことくらい簡単だろう」
「じゃあ誰かに連れ去られたってこと?抵抗もせずに?ならフランの意志でいなくなったも同じじゃない」
「どうせいつものサボリだろう?殺した後にいなくなったっていうのは少し気になるけどね」
「元々考えていることがわからない奴だ。そのうち戻ってくるのではないか」
確かに、フランが急にいなくなることは初めてではない。
それでも違う、何かがおかしい。
ベルはいてもたってもいられず、ソファから立ち上がって扉に手をかける。
「ベル、どこに行くんだい?」
それを、試すようなマーモンの声が引き留める。
「……一応、黒曜と連絡取る」
「少し姿が見えないくらいで?やけに焦ってるじゃないか」
「うるせえ、通信室使うぞ」
「おい、ベル…」
「王子になんも言わずに勝手に消えるとかありえねー。ぜってー探して八つ裂きにしてやる」
「んもう、相変わらず物騒ね~」
のんきな声が腹立たしいがそんなことにかまっていられない。
嫌な予感がする。
ベルはざわつく胸を抑えて、駆け足で走り出した。
*
「……」
フランは潮風に吹かれていた。
回転灯は嫌味なほど澄み切った夜空を彼方まで照らしている。
海の先には、船の影ひとつない。
それも当然だ。ここは、「ただの人間」が入れる場所ではない。
「相っ変わらずカビ臭いとこですねー」
「お前の減らず口も変わらんな」
「いやー、改めてお久しぶりですー。ケーニッヒ」
フランの背後に、長身の男が立っていた。作り物のように伸びた背筋も、どこか哀れみを帯びた瞳も変わっていない。
錆びた手すりに体重を掛けて、フランは項垂れた。
「あーそうだ、タバコ1本くれませんかー?」
「断る」
「いーじゃないですかーこれから死にゆくものの願いですよー?」
「……そうは見えんがな」
内ポケットから投げられたタバコとライターを捕まえて、久しぶりの煙を堪能する。
「ああーたまんねー。やっぱ人間、ヤニがないと生きていけないですねー」
タバコを吸うのは、『六道骸の弟子』になる前以来だ。
──フランは、ただの人間ではない。
トゥリニセッテの管理者─チェッカーフェイスの部下だ。
アルコバレーノの世代交代時のみに現れると決めているチェッカーフェイスは、己が表立つことを良しとしない。
ゆえに、ランダムにトゥリニセッテの周囲に設置され、その様子を伺い行く末を見守る─文字通り、チェッカーフェイスの目となることが、部下の中でも『傍観者』と名付けられた者たちに与えられた役割だった。
勿論目の前の男、ケーニッヒも同じだ。
科学者としての才能を持った彼は、ヴェルデの観察役だった。理由は知る由もないが─アルコバレーノ狩りが激化した際に事故を装い、表舞台から姿を消した。
闇が深いマフィアの世界に本来存在しないはずの人間の経歴を捏造し、それぞれの組織に潜り込ませることは容易い。それが世界の秩序の管理者たるチェッカーフェイスなら尚のこと。
フランは幻術が得意だったことからボンゴレファミリーの観察役に配置され、六道骸に拾われるように仕向けられた。
そう、これは役名と舞台場だけが決まった、トゥリニセッテを見守るだけの茶番劇。
『この世は舞台、人は皆役者』なんて、昔の劇作家はよくもまあぴったりな名言を生み出してくれたものだ。
「なぜ抵抗しなかった?」
「……ん、何がですー?」
フランは煙をくゆらせながら、丸窓に擦り寄る蛾を眺める。
「お前なら逃げることも出来ただろう」
「いやーそれはそうなんですけどー、逃げるのも面倒だし、もしかしたら帽子野郎の招集かな?って思いましてー。ほら、あの人シカトすると面倒じゃないですかー」
フランは男と一切目を合わせることなく、会話を続ける。
「で、ミーを殺すのは命令ですかー?それともアンタの独断ですかー?」
「俺の独断だ。……逃げないのか」
「力の差がわかってるんでー」
「殺す理由も聞かないのか」
「ミーが用済みだから。それ以外に何かありますー?」
淡々と進められる会話の中で、ケーニッヒは匣を開匣する。
三メートルを超える大鎌の切っ先をフランに向けながら、ケーニッヒは目を細めた。
「……お前は責務を十二分に果たしている。本来ならこのまま、復活したバイパーの観察を命じるはずだった」
「え、そうなんだー知らなかったなー」
死を目前にしているはずなのに、フランの様子は普段と変わらない。
「……チェッカーフェイス様のかつての『同胞』は、ヒトを愛し、種族と決別した。」
チェッカーフェイスの過去の話なんて興味はないが、トゥリニセッテの一角を担っていた人物はフランも知っていた。
マーレリングの管理者─未来を読む力を持つ巫女、セピラ。
ジッリョネロの祖である彼女はチェッカーフェイスと同じ種族でありながら、意見の不一致から袂を分かった。
「大昔の巫女様のお話なんて興味ないんですがー」
「お前も同じように、ヒトを望み、愛着を持っただろう。それが理由だ」
ざわ、と一際大きな潮風がふたりの髪を揺らす。
表情は変わらない。だが、フランの指先がわずかに反応したのをケーニッヒは見逃さなかった。
「お前は今自分が置かれた状況に満足しているだろう。私たちはあくまでも傍観する者。自らの意志で組織や個人に愛着を持つことは許されない。……六道やヴァリアーは、お前がこの世界の人間として、『フラン』として生きるのに最適すぎたのだ。お前に最早『傍観者』の資格はない」
その世界に馴染みやすいようにと配置された居場所に適合しすぎたなど、皮肉にもほどがある。
「チェッカーフェイス様が直接手を下せばお前は存在ごと消える。この世界に存在しなかったことに……それは、あまりにも惨いだろう。ならばせめて俺が、引導を渡してやろうと思っただけだ」
「……そーやって情に厚いから、アンタはいつまでたっても出世できないんですよー」
理由など話さずにあの雨の中で屠ることもできただろう。それをしなかったのはこの男の身内贔屓の癖が出たか。
「…そろそろ、時間だ」
大鎌の刀身を纏う雨の炎が静かに揺れる。
「何か言い残すことはあるか」
それを眼前に突き付けられても尚、フランは抵抗しなかった。
「いいえーなにも。つまらなくて、どうでもいい人生でしたー」
温い風を吸い込んで、目を閉じる。
───マーモンの代わりなんだから、コレ被れよ?
そう言われた時、本気で笑ってしまったのだ。
薄っぺらいハリボテの人間が、更に代役まで演じさせられるとは。
本当に、最期まで──自分は、何者にもなれなかった。
それを悲しいとも、寂しいとも思わないけれど。
「さらばだ─『フラン』」
一瞬で距離を詰めた凶器は、フランの腹から胸までを大きく切り裂いた。
「が、ふっ……」
鮮血が視界を染め上げる。
傾いた身体は灯台から滑り落ち、大きな水音を立てて暗い海へと投げ出される。
「安らかに、眠れ。」
死を受け入れた主人と離れたカエル帽だけが、海面に虚しく浮きあがった。
*
苦しくて吐いた血の赤が、海水と混ざり合って消えていく。
あっけない終わり方だ。それなりの事はしてきたからもっとひどい死に方をすると思ったのに。
フランは傷口から溢れる血を眺めながら、自分が死ぬことになった原因を考えた。
この『立ち位置』への愛着が理由らしいが、フランにその自覚はなかった。勿論思う存分好き勝手ができる環境で、悪くないと思っていたのは事実だ。
それでもヒトという種族への感情に変わりはない。フランからしたら全てくだらない茶番劇の登場人物にしか映らない。
それが、どうして。
「……っ」
続かない呼吸に身体が耐え切れなくなり、息苦しさが一段と増す。
「っ…が、……!」
物心ついた時から、チェッカーフェイスの部下だった。
世界の真実を知っておきながら「内側」の世界に馴染むことはできなかった。
自分だけが虚構だと分かっている舞台の上で精いっぱい生きている人間たちは酷く滑稽で馬鹿馬鹿しく見えた。
生まれてから成人するまで、何度名前と立場を変えたか覚えていない。
自我すらまともに育むことができなかった少年は、やがてとある男の弟子として拾われるシナリオに流れついた。
そこからは、多少なりとも退屈が紛れた。
自分よりも強く、技術のある大人たちに囲まれる環境は数年続いた。
霞む意識の中で、少しはましな黒曜での日々、ヴァリアーでの日々が蘇る。
それらがやけに懐かしく写るのは死に際の補正か。
「……はっ…あ………あはは…」
なるほど、確かに愛着を持っていたと勘違いされても仕方がないのかもしれない。
そう自虐しながら笑い、目を閉じる。
死がやってくる中、フランは幾度となく眺めた、彼の寝顔を思い出した。
「あ……」
あどけない顔をいつまでも見続けていた。宝箱を開けて密かに喜ぶ子供のように。それが世界に一つしかない、大切な、尊いなにかだとでも言うように。
ずっと、ずっと。
終わってほしいと願いながら、夜明けが来ないようにと、願っていた。
フランはようやく、自分が殺されることになった理由を理解した。
──最期に見るのは貴方がいい、とか。
この先もずっと傍にいたかった、とか。
そんな愛の言葉は浮かんでこない。
当たり前だ。愛してなど、いなかったのだから。
…それでも、胸が締め付けられる幸福を、確かに感じていた。
いつまでも、この時が続けばいいと願った。
今わの際になって気が付いたそれを一度も素直に伝えられたことは無かったし、もう伝えることもできないけど。
「…っ、あ……」
それにきっと、何回チャンスを与えられても言葉にすることはできないとわかっている。
世界を色のないものだと認識して諦めていた虚飾の自分には、とても。
それでも、せめてあと一回。話をしておけばよかった。
あと一回、とてつもなく高いメシを奢ってもらえばよかった。
あと一回、くだらない言葉で怒らせてやりたかった。
あと一回、アンタのことなんて大嫌いだって、言ってやればよかった。
水面に向かって伸ばした手、指に嵌められたリングが覚悟を灯し、炎が辺りを包み込む。
あと、一回、だけ────。
フランは、天蓋のようにゆらめく霧に触れた。
*
灯台の上では、仲間であった男を屠った科学者が海を見つめていた。
諦観。その言葉を体現したような人間だった。
あの男はもしかしたら、一番主に近い精神の持ち主だったのかもしれない──
そんなことを考え、ケーニッヒはふと海に浮かんだままのカエル帽子に目をやった。
「……」
いつまでもここにいるわけにはいかなかった。チェッカーフェイスに気づかれないようにいくつかの工作をしなければならない。
哀愁を振り切り、踵を返した瞬間──背後に、大きな水飛沫が沸き上がった。
「な……!?」
視界を覆う水のカーテンを反射的に切り裂いたケーニッヒの目に映ったのは、灯台を見下ろすほどの巨大な、黒い大蛇だった。
だがその首は何百と分かれており、その全ての顔がこちらを睨みつけている。
…といっても、大蛇の顔は全てフランの帽子と同じ腑抜けた瞳をつけていて、何処か緊張感に欠ける。
そしてその巨体の上に立つ影を見て、ケーニッヒは再び武器を構えた。
「……また、ふざけた幻覚を」
「強さは保証しますよー」
先程一太刀を浴びたはずの青年は、いつもと変わらない表情で大蛇を撫でている。
「さ、カエルヘビーやっちゃってくださーい」
大蛇が大きく口を開き、ケーニッヒごと灯台に食らいつく。
砕けた瓦礫を足場に飛び移りながら空を舞う男は、どこかフランを憐れむような瞳を向ける。
「…抵抗するのか」
「いやあーそのつもりはなかったんですけどねー」
はははー、と笑いながらフランは咳き込んで血を吐き出した。
鉄の味が喉の奥から込み上げる。
幻覚で傷を一時的に塞いだが、雨の炎を練り込まれた攻撃のせいで効きが弱い。
「けふっ…えーっと……あ、そうだ。ジェラート食べてないんですよー」
祭りの帰りになにげなく約束した、あの夕方。 それもフランが思い出した走馬灯の一つだ。
胸中にある本当の理由を吐けるほど、この口は素直じゃない。
「だから、ここで死ぬのは惜しいなーって」
「…お前の言っていることは本当に理解できない。それだけがお前の心残りだと?」
「言ったじゃないですか、つまらなくてどーでもいい世界だって。白蘭が世界を滅ぼした理由も、沢田綱吉がそれを止めた理由も、ぜーんぶ自分勝手でくだらないモノだったじゃないですかー」
『ゲームの勝者になりたい』『仲間を守って、過去に帰りたい』──どちらもフランからしたら滑稽な理由だ。
そしてそれは、チェッカーフェイスにとっても同じだろう。
ふらつく足元に力を込める。
「ずーっと邪魔だったのに、いざ無くなると落ち着かないもんですねー」
触手の幻覚で手繰り寄せ、水を吸った本物のカエル帽を絞り、深く被りなおす。
「ふー……」
視界が霞む。
ヒュウヒュウと掠れた息が、潮風に乗って消える。
酸素を取り入れようと必死に息を吸っているのに、ちっとも楽にならない。
かつてと変わらない、何も期待していない、何を考えているかも分からない表情。
だがその中に、ケーニッヒは終ぞ「同胞」の誰もが─チェッカーフェイスすら手にできなかった意志を見た。
「そんなわけで、まだ死ぬのは勘弁ですー」
「私が逃がすと思うか」
「逃げ切ってみせますよー、これでも暗殺部隊の幹部なんでー」
静かに微笑んだ青年は、殺し屋の顔をしていた。
*
雨の炎が、霧の炎が、舞う。
戦いを始めてどれくらいの時間が経っただろうか。
何十時間、いや、もしかしたら数日。
斬られ続ける幻覚を修復しながら、フランは自分の集中力が切れ始めているのを感じる。
こんなに立て続けに精度の高い幻術を投影する経験は多くない。
そも、この世界─ケーニッヒに連れてこられた亜空間に出口などない。 このままの状態が続けばフランが追い込まれるのは確実だ。
「ジリ貧、ですかねー…」
一筋、汗が頬を伝う。
どうしたものかと呟きながら新たな幻覚を作ろうとした、その時だった。
「そこまでだな」
「……!」
一瞬だった。
フランの幻覚が全て消え、格子柄の帽子の男──虹の呪いの管理者であるチェッカーフェイスが目の前に立っていた。
「チェッカーフェイス様……!」
ケーニッヒは狼狽えながらチェッカーフェイスに跪く。
「おー。わざわざ出てくるなんて珍しいですねー」
フランの言葉を無視し、チェッカーフェイスは足元で畏まる部下を見た。
「ケーニッヒ、フランを傍観者から除外する。もし我々に不利益な行動をするなら、彼とその周囲ごと消せばいい話だろう?」
「しかし、それではチェッカーフェイス様のお手を煩わせることに……」
心酔する相手に対するその姿勢はXANXUSを前にしたレヴィと似ている。
「その程度なら手間ですらない。お前は優秀だが、独断専行は直らないな」
「……申し訳ございません」
「…なに考えてるんですかー?」
仮面の下の表情は何も読み取れない。
今ここでフランを消す方が楽なのは事実だ。
「ミーを生かしておくメリット、ないと思うんですけどー」
チェッカーフェイスは仮面の奥底から、実験体を見るかのような目でフランを眺める。
「あれほどまでに何にも期待をしなかった君の魂がここまで色づくのはとても興味深い。このまま君をあの場所に居させることで、私がトゥリニセッテを見守るのに有用な何かが分かるんじゃないかと思ったまでだよ」
「……理解したいのは喧嘩別れした仲間の気持ち、ですかー?」
「さあ、どうだろう。これ以上のおしゃべりは無駄だな。今ここで死にたいというなら、構わんが」
「いやー、折角見逃されたんで助けてほしいですねー」
「よかろう」
チェッカーフェイスの右手がフランの額に触れる。
「おめでとう、フラン。666の先の幸福は、君の新たな誕生日だ」
「っ………」
視界が霞む。
手のひらから伝う炎を感じながら、フランは意識を失った。
*
「……怪我人を労るって発想がないんだよなー、この組織」
病室に独り言が響く。
チェッカーフェイスによってこの世界に「帰された」後、フランはスクアーロを初めとした面々に説教の嵐を食らった。
勝手に任務先で姿を消したこと、そして瀕死の重傷で帰ってきたこと──。
それらを耳にタコができるほど怒られ、更に腕に怪我がない事がわかった瞬間に書類の山をプレゼントされ、あれ?これもしかして消えたままの方がよかったな?なんて考えが頭をよぎった。
正直、フランはあまりデスクワークが得意ではない。
無駄に頭のいい他のヴァリアー幹部とは頭の出来が違うのだ。誰か来たら半分くらい押し付けてやろうと決意する。
「あーもー、なんでミーがこんな目に……」
いつまで経っても減ってくれない書類にペンを走らせながら、チェッカーフェイスからの恩情を思い出す。
フランはもう『傍観者』ではなくなった。
過去から現在にかけて全てのフランの経歴は事実として世界に固定された。
例えば今フランが十年バズーカに当たったら、現れるのは自分が経験したことのない幼少期の自分が現れるはずだ。
時空の歪みやらの問題は現れるかもしれないが、それを行うのは世界の管理者だ。
「そこらへんのつじつま合わせはお手のものでしょーしねー…」
文字の羅列を見続けたせいで眠気が襲ってくる。
あくびをしながらベッドに身体を預けて目を閉じれば、すぐに夢の世界に落ちる。
「おい」
…はずだったが、窓からやってきた侵入者の一声で眠気が消えてしまった。
「あ、ベルセンパイ…」
起き上がろうとした瞬間、包帯が巻かれた首筋に銀色のナイフが当てられる。
そこから伝ってくる殺気が、彼が本気で怒っていることを物語っていた。
フランの行方がわからなくなってからベルの挙動がおかしくなったのはマーモンやルッスーリアから聞いていたが、あいにく怒られるようなことをした覚えはない。
「センパ」
「黙れ」
軽口で意識を逸らそうとしたが、低い声がそれを許さない。
「……」
「……」
少しの静寂の後、ぽつりと、言葉が漏れた。
「ムカツクんだよ、お前」
「え、」
殺気からは想像もできないくらい、ふてくされた声だった。
「…勝手に、入り込んできて、勝手にどっかいってんじゃねえ」
入り込んだつもりなんてない。むしろ他人の心を土足で踏み荒らしているのはそっちだろうに。
「いやー最初にミーを誘拐したのそっちじゃ…」
反論は許さないとばかりに、強く頬を掴まれる。
「なにす…」
「死ぬなら、俺の目の前で死ね。身体グチャグチャんなって、内臓全部撒き散らかして、もう絶対生き返らねえってところまでなんねーと死んだって認めねーからな」
独占欲と残虐性に塗れた言葉が矢継ぎ早にフランに浴びせられる。
あまりにも理不尽で横暴なそれを、フランはこの人らしいと妙なほど納得してしまった、
「本当に死んだってわかるまで、殺し続けてやるよ。泣いても謝っても許さねえ」
「……そんなにグチャグチャになったら、ミーかどうかの判別つかないと思うんですけどー」
「知るか」
言いたいことを言って多少溜飲が下がったのか、ベルは大きなため息をつきながらベッドに腰掛けた。
「お前、何処行ってたんだよ」
「……えっと………」
スクアーロ達には監禁されていて脱出に時間がかかったと嘘をついた。
それと同じように、いつも通り毒に混ぜて適当なことを言えばいい。どうせ真実は話せないのだから。
そのはずなのに、どうしてか言葉が出なかった。
「なんか言えよ」
「…実は、ちょっと、殺されかけましてー……」
少し考えを巡らせて、フランは話せる事実だけを呟いた。
「は?」
「師匠に拾われるより前の…昔馴染みに、誘拐されたんですよー」
胸元の包帯を外すと、まだ治りきっていない傷口が空気に触れる。
「……!」
今までこんな大怪我を負ったことはない。
腹から胸にかかっている大きな切り傷は、恐らく完治しても跡は残るだろう。
「それ、幻覚じゃねーのか」
「残念ながらホンモノですよー。…本当は、素直に殺されるつもりだったんですけど……」
「けど?」
「センパイ、が、」
月明かりの下で、もう一度あの寝顔が見たくて、抗った。
「………」
「やっぱり、なんでもないですー」
「俺がなに、言えよ。」
「…その、えーと。ちょっと待ってくださいー今適当な文言を探してますー」
「いつもの饒舌はどこいったんだよ」
走馬灯でアンタのこと思い出して死ぬのを止めました、なんて言えるわけが無い。
うまく言葉を繕えないフランにしびれを切らしたのか、ベルは立ち上がって離れていく。
「言わねーならもういい」
「っ、待っ」
反射的に、その袖を掴んだ。
「……センパイが、ジェラート、奢るって言ったの、思い出して、あと、それ以外のその他もろもろも、やらなくてもいいけどもう一回やってもいいかなってこと思い出して」
普段からは考えられないくらい言葉がぐちゃぐちゃだ。それでもあの時思ったことのひとかけらでも伝えなければと、フランは袖を強く握りしめた。
「…だから、その」
震えを隠した自分の声だけが、部屋に響く。
「ミー、アンタに会いたくて帰ってくるくらいは、センパイのこと好きらしいですよ」
「…あっそ」
背中を向けたままのベルの表情は、フランからは知ることが出来ない。それでも、その雰囲気が柔らかくなったことは感じ取れた。
こんな一言で機嫌がよくなるなんて、本当に単純なセンパイだ。
「……まあ、嘘かホントかは知りませんけどー」
素直になってしまったのが恥ずかしくて、毒舌が顔を出す。
「てめっ、」
「……やっぱり、嘘ですー」
「あ!?」
「────好き、です」
「………」
「……あ?」
違う。本当は大嫌いだというつもりだったのに。
思わず口を覆ったが、もう出てしまった言葉は取り消せない。
「……」
静寂が痛い。いっそ馬鹿にしてほしかった。
キャラに合わないことは言うものじゃないと、フランは身に染みてわかった。
「…やっぱそれも嘘、なんてー…え、あっ」
照れ隠しの虚言を遮るように、強く、強く抱き締められる。
「ちょっと、ベルセンパイ」
「ばぁーか」
腹の傷をぐりぐりと押され、呻き声が漏れる。
「ぐえっ…痛い、ですー」
「こういう時くらい素直に甘えてみせろよ、クソガエル」
白くて大きな手が、フランの頭を撫でる。
炎も出ていないはずの手がやけに温かく感じて、フランは顔を上げた。
そこには、あの寒くて暗い海の中で会いたいと願った人がいた。
「いま、カエルは洗濯中なんで、クソガエルじゃないですー…」
「ホント、かわいくねー減らず口だな」
そうして、全てが許されて。
傍観を止めた青年は、生まれてはじめて、自分だけの意志で恋する人に触れた。
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