当主様はハッピーエンド以外認めない

「──それで、皆でカレーうどんを食べに行きました」
「ほう、カレーウドン。前にカレーとウドンの話は聞きましたが、そのふたつが合わさったものということですか?」
 アフトクラトル、エリン家の屋敷の一部屋。ヒュースは玄界で体験した出来事を当主に語って聞かせていた。
「はい。カレーは本来粘度が高い食べ物なのですが、カレーうどんはスープ状になったカレーの中にうどんが入っている食べ物です」
当主は玄界のことにかなり興味を示していて、ヒュースがこうやって思い出を語るのはもはや日課となりつつある。
「カレーうどんはとても美味でしたが──鴨南蛮ソバ、というものもとても美味でした」
「おや、一度にふたつも食べたのですか?」
「いえ、迅が頼んでいたものを分けてもらいました」
「ほう、ジンが」
 当主がスッと目を細める。当主には迅はヒュースを捕虜にし、(不本意ではあるが)世話を焼いていた人間だと説明している。恋人だったことは、話していない。というより、親同然の当主に恋愛話をするのは気恥ずかしく、言い出せていない。
「はい、迅は色んなものを食べているオレが見たいと、何かにつけては食べ物を分けてくるのです。……餌付けのようで不快でしたが、食べ物に罪はないので全て食べてやりました」
「……ジンは、どんな食べ物をくれたんですか?」
「そうですね、プリン、今川焼、唐揚げ、コロッケ、杏仁豆腐、オムライス……色んなものを食べさせてきました。食べているのはオレなのに、奴はいつもニコニコとしていました」
 ヒュースは目を閉じて、迅の顔を思い出す。
 ──ヒュースはほんと、よく食うよなあ。見てるこっちが気持ちいいよ
 そういって、満足そうに笑っていた。
「ふたりで出掛けた時も、食べ物以外に、色んなものを見せてきました。季節に咲く花や、遠くにはいけませんでしたが沢山の風景を……」
 ふ、と思わず笑みが零れる。いつしか迅は、海を見せられなくてごめんね、と言っていた。
 迅がヒュースに見せたい景色を見るのに、ふたりが一緒にいる時間はあまりにも短すぎた。
「本当に、奇妙な男でした」
 それでも、愛しいと言える時を共に過ごした。思い出すたびに胸が締め付けられるほどに、優しくて甘い思い出がある。
 こくり、と水を含んで胸の痛みを飲み込む。アフトクラトルに戻ったことに後悔はない。
 それでもまた会いたいと思ってしまうのは、きっと迅が優しすぎたせいだ。
「ヒュース」
 名前を呼ばれて、顔を上げる。
 当主は呆れたような顔をして、ヒュースを見つめていた。
「お前、ジンのことが好きなんでしょう」
「ぶっ!」
 口の中にあった水を吹き出す。突然の当主の言葉に、ヒュースは取り繕うことができなかった。
「げほっ、……な、何をおっしゃるんです、か」
「一年間ずっと話を聞いていたらわかりますよ。もう大好きだってオーラが溢れてますから。お前、気づいていなかったんですか」
「大好っ……!?」
 迅と付き合っていたことは、努めて言わないようにしていたのに、何故だ。
 ふたりで出掛けたことはデートとは一言も言っていないし、迅のことを想っていることは隠し通していたはずだ。
「それに、ジンのことを話すときだけ表情がこう、ふにゃふにゃしてるんですよ。お前が天然なのは知っていましたが、ここまでとは……」
「いえ、その……オレと、迅は」
 当主に嘘はつけない。迅のことなど好きではないし付き合ってもいません、とは言えなかった。
「隠さなくていいですよ。付き合っていたのでしょう?」
「……は、い」
 直球の言葉に、白旗を上げる。当主に隠し事などしたのがいけなかったのだろうか。
「真面目なお前が、捕虜になった先でまさか恋愛をするとは……」
「浮ついた気持ちで遠征に行ったわけではありません! 迅のことも、最初は嫌いでした」
 でも、と拳を握る。
 そうだ、恋愛なんてヒュースの頭の中にはなかった。それなのに迅と一緒に過ごしているうちに、恋としか呼べない感情を覚えて、気がつけば恋人になっていた。
「迅が、オレのことを好きだと言って……いつも、オレの傍にいるので、その……」
 絆されてしまった。ヒュースの心の中に、迅が入り込んできた。
「好きになってしまった、と」
「はい……」
「お前、チョロいですねえ」
「チョロっ……!? 拷問などには耐えられます!」
「いえ、そういうことではなくて」
 当主がはあ、とため息をつく。
「好きあっているなら、一緒に生きようとは想わなかったのですか?」
「それは……できません」
 下がっていた視線を、当主に真っすぐに向ける。
「オレはエリン家のヒュースで、当主様のために生きると決めています。迅も、玄界での使命がある。ずっと一緒にいられないことはわかっていました。覚悟の上です」
「…………」
「こちらに戻ってきたこと、後悔はしていません。オレは元々ここでしか生きられない人間です。だから……迅とは、これでよかったのです」
「ヒュース……」
 今でも、夜眠るときに迅の体温を思い出す。ひどく胸が締め付けられて、その名前を呼んでしまう。
 寂しくないと言えば、嘘になる。けれど、ずっと隣で生きるという選択肢は有り得なかった。
「すみません、くだらない話を。玄界の話でしたね」
「いえ、それはもう結構」
 当主は立ち上がり、少し雑に物が入っている棚を開け始めた。
「ええと、どこにしまったかな……」
「あの、当主様?」
「ああ、あったあった」
 当主が取り出したのは、なんの変哲もないトリオンキューブ。
「ヒュース、今でも、ジンに会いたいですか?」
「な、」
「嘘はなしです。はぐらかすのもなしです。正直に、答えなさい」
「……オ、オレ、は」
 迅に、もう一度会いたい。けれど、もう会うことはないと、別離を済ませた。
「……もう、終わった事です」
「はい、質問に答えませんでしたね。正直に言えば手荒な真似はしなかったんですが、お仕置きです」
 当主がトリオンキューブにトリオンを注ぎ込む。
「当主様、何を……」
「これはハイレイン殿の能力をどれだけ再現できるか実験したときにできた副産物でしてね、攻撃を受けたものはトリオンキューブではなく、人形になります。耐久性に難があって雛鳥の運搬には適さないのと、人形にする意味がないと没になったものですが」
 当主が、それをヒュースに向ける。トリオンキューブから放たれた光が、ヒュースに突き刺さった。
「待ってください、何をなさるおつもりで……!」
 説明を、と言おうとしたが、言葉が出ない。それどころか、急に視界が低くなる。
 体の感覚が無くなっていく。意識が途切れる寸前に見た当主の瞳に映るヒュースの姿は、手のひらサイズの人形になっていた。
 ぽとん、と物言わぬ人形が地面に落ちる。
 当主はヒュースであったそれを持ち上げ、ポケットの中にしまった。
 そして、確かな足取りで歩き出す。
「さあ行きますよヒュース。……玄界に」
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