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いとしきうたのね

『────♪』
 それを初めて聴いたのは、任務も暗躍もない、久しぶりの休日。
 玉狛支部の皆と夕飯を食べて、確か小南がつけたテレビの、音楽番組がきっかけだった。
 ちらりとテレビの方を見ると、端正な顔立ちの男たちがマイクを握ってパフォーマンスをしている。
「あ、このグループ、いいわよね。動画でも見た」
「そうだな、メンバーのひとりが今ドラマに出てるらしいぞ、ほらこの右の人」
「ふーん?」
 迅が気になったのは、烏丸と小南が話している人物ではなく、中央で真面目そうに歌を歌っている黒髪の男。
 見た目が気になった、わけではない。元々迅の恋愛対象は女だ。思慕も劣情も男に向けるのはヒュースだけだ。迅が気になったのは、男の歌声だった。
(ヒュースに、ちょっと似てる)
 耳に届く音は、ヒュースのそれより少し低いが、それでも注意深く聴くと、まるでヒュースが歌を歌っているような感じがする。
『────♪、────♪♪……』
 しっかりとした男の声で、しかし重低音というわけではない。その声で紡がれる音は、ひどく迅の心に響いた。
「これ、なんてグループだっけ?」
「なあに迅、興味あるの?」
「うん、ちょっとっていうか、結構。いい歌だね、これ」
「ふーん、じゃあMVのURL送ってあげるわよ。ちょっと待ってなさい」
 小南がスマートフォンを操作して、すぐにメッセージアプリの通知が届く。
「ありがと」
 テレビの中では男たちが器用にパフォーマンスをしながら、カメラに向かってファンササービスをしていた。
 ヒュースがアイドルになったら、きっとすぐに人気出るんだろうなあ。でも、あいつ歌歌えるのかな? そもそもアフトクラトルに歌ってあるのか?
 そんな妄想が頭に浮かぶ。ヒュースは見た目も整っている。運動神経もいいから、ダンスだってできるだろう。きらびやかなアイドル衣装に身を包んでいるヒュースを想像したら存外可愛らしくて、思わず吹き出してしまった。
「え、なに、気持ち悪いんだけど」
「ごめん、なんでもない」
 とりあえず送られてきた動画を後で見よう。この時は、まだその程度にしか想っていなかった。

 それから、迅は気がつけば毎日、件のグループの曲を聴いていた。
 件のグループはかなり人気で、何曲もリリースをしているらしい。
 それら全てを一周し、特に気に入った曲でプレイリストを作ってから、もしかしてハマった? と自分の状態に気づいた。
 いや、これは仕方ない。誰にも届かない言い訳を心の中で唱える。
 だって、センターの男の声が、ヒュースに似ているのだ。
 好きな人の声で色んな角度の曲が聴けるとなったら、それはもう聴くしかない。
 以前ビンゴの景品か何かでもらったヘッドフォンをつけて、今日もまたメロディーの海に溺れる。
『────♪、──────♪』
(そうそう、ここの声が似てるんだよなあ)
 マイクを持って音を奏でるヒュースを想像する。きっと、あの愛しい声で奏でられる音は、ひどく美しいのだろう。
 もっと色んなヒュースの一面を知りたい、と思う。そしてできれば、それを知っているのは自分だけでいたい。独占欲なんて自分には一生縁のない言葉だと思っていたのに、ヒュースが現れてからそれは容易く崩れ去った。
『────♪、────♪♪♪』
 一曲が終わり、次の曲が始まる。
(あ、これ……)
 それは、迅がテレビで聴いた、最新のリリース曲。
 『卒業』をテーマにした曲で、迅はこのグループの中で一番好きな曲だった。
(いちばん、ヒュースの声に似てるんだよな)
 今いる季節を忘れない、胸に焼き付ける────青春の刹那と思い出を歌った、若いからこそ歌える歌だ。
『──♪、──────♪』
 とん、とんと指先でリズムを取る。
 忘れない、胸に消えない絆、未来へ行こう──ヒュースに似た声でそれを歌われると、少し胸が痛くなる。
 卒業という形ではないが、迅とヒュースにも、いずれ別れが来る。まるで、それを言われているようで。
(もうすぐ……)
 スマートフォンをいじって、音量を上げる。もうすぐ、ヒュースと声が似ている男のソロパートだ。
 ラスサビ前の一番盛り上がるパートで、静かに力強く歌い上げるその瞬間が、とても好きだった。
『────Don't say Good-bye』
 語りのような、決意のこもった声。『さよならなんて言わないで』なんて、その声で言われてしまったら、たまらなくなる。
(もう一回聴こうかな)
 スクロールバーを動画の最初に戻した瞬間、耳からスポンとヘッドフォンが抜けた。
「迅!」
「へ、あっ? え、ヒュース?」
 後ろからの大きな呼び声に、思わず間抜けな声が漏れる。
 どうやら音楽に夢中になって、ヒュースがやってきたことに気づかなかったらしい。
「貴様……俺が何度も呼んでいるのに無視をして」
「違う、音楽聴いてて聞こえなかったんだって! ごめんごめん」
 顔の前で手を合わせて、額に怒りマークを浮かび上がらせている恋人に誠心誠意謝る。
 迅の様子に無視をされていたわけではないとわかったのか、ヒュースがフン、とそっぽを向く。
「レイジが出掛けてくると言っていた。夕飯作りには間に合うが、留守を頼むと」
「そっか、わかった」
「……そんなに、音楽が好きなのか?」
「え?」
 ヘッドフォンから音楽が漏れる。件のグループは画面の中で踊りながら華麗に曲を披露していた。
 これは音楽を聴くものなのだろう? とヒュースがヘッドフォンを示す。
「ああ、えーっと、音楽が好きっていうか、このグループの曲いいなあって思って。ヘッドフォンは前にもらったやつ引っ張り出してきたんだ」
 ヒュースも聴く?と言って、ヘッドフォンを端子から引っこ抜く。
 スマートフォンの画面を見せると、ヒュースは青を基調としたMVをじっと見つめた。
「これが、好きなのか」
「うん、特に真ん中のこの子。歌声がすっごい綺麗なんだ」
 ほら聴いて、と言って、少し音量を上げる。アルトに近い歌声が、リビングに響いた。
「ね、いいでしょ? 歌詞もいいんだよね」
「……この歌は、なんという?」
「あ、気に入った? えっとね──」
 ヒュースにグループ名と曲のタイトルを教える。好きな人と好きなものを共有できるのは嬉しい。
「わかった」
 ヒュースは曲を聴き終わると、こくりと頷いて部屋を出ていった。迅はまた今度他の曲も教えてみようと思いながら、再び音楽の海に戻っていった。
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