春を待つ
────思い出したのは、そんな、ささいな日常の一ページ。
ごぽり。口の中に鉄の味が広がる。
自分の身体に突き刺さった凶器が抜かれると同時に、全身から力が失われていく。
「っ、あ」
どさり。冷たい地面に倒れ伏す。
冷ややかな地面の感触。でも、思い出すのは、迅のやわらかくてあたたかい温もり。
「じ、ん」
──ヒュース。
もう、聞くことのできない、自分を呼ぶ声。
ヒュースが自分で手放してしまった、大切なもの。
「じん、迅……」
虚のように彼の名前を呟く。届いてほしい。知ってほしい。今わの際に求めたのが彼であると、自分の慣れ親しんだ故郷で、朽ち果てる前に。
「……愚かだな」
ハイレインの声が遠くに響く。倒れ伏した自分の横を通り過ぎていく足音がする。
「……────」
視界が霞む。息が苦しい。
刺された箇所は熱いのに、身体からはどんどんと熱が失われていく。
「ッ、ヒュース!」
頭上から、聞きなれた声がする。
閉じかけていた瞼を開けると、見慣れた玄界の空のような水色が目に入った。
それは、自分も着ていた玉狛第二の隊服。
けれど、ヒュースの目には、もうぼんやりとした色だけしか映らない。
だから、迅が着ていた、空色の服だと、思った。
「じ、ん」
ここにいるはずがない。だが、血液を多量に流した状態の頭では、まともな思考ができない。
「ヒュース! しっかりしろ、ヒュース」
「じん」
手を伸ばす。愛おしい空色の、袖を掴む。
「すき、だ」
それは、最後まで伝えられなかった本心。
いつか自分はアフトクラトルに帰るから。共に生きることはできないから。
キスをしても、身体を重ねても、それだけは言わないように必死に抑えつけた。
それなのに、最期に、零れてしまった。
「ずっと、好きだった」
いつからかはわからない、けれどずっと、ずっと好きだった。
別れが来ると知っていても、それでも、彼に恋をした。
抱き締められた時の温もりを、死にゆく今でも愛している。
「ずっと、一緒にいられなくて、すまない……」
重責を担う彼の隣にいられるのは、自分ではない。
でも、最期に会えてよかった。もう、顔も見えない。体温を感じる機能も失われていく。
つめたい。迅の体温であたためてほしい。さむい。あの温もりの中で、眠りにつきたい。
さみしい。もう一度、もう一度だけ、名前を呼んで、キスをして、抱きしめて、ほしい。
「迅────」
「っ、そういうことは、本人に直接言え、馬鹿!」
遠くで誰かの声がする。誰かが泣いている。
自分が死んだら、迅は泣いてくれるだろうか。いや、きっとあの男は泣けないのだ。
きっといつものようにへらへらと笑って、やり過ごす。そういう男だ。
何もすることはできないけれど、そんな男の隣で、その頬をつねってやりたい。
それで、大好きな彼を、一瞬でも救ってやることはできるだろうか。
叶うことならば、美しかった、あの、サクラの雨の中で。
痛いよヒュース、と子どものように痛がる彼を想像して、ヒュースは微笑んだ。