泡だらけの告白

 「綾さんこの浴室おかしいで、椅子が一個しかないやん」
 「……?一人で二個も使わないだろ?」
 「今度僕の分も用意しといてもらえます?」
 こいつ潔癖だったっけ?それにしては堂々とバスチェアに腰掛ける姿に怪訝に思いながらも、次郎は脳内のTodoリストに大和用のバスチェアを買う、とメモをする。
 先に浴室で待っていた大和は何一つ隠すところがないと言った様子で、むしろ次郎の方が目のやり場に困るほどだ。
 確かに男二人で隠す方が変かも知れないが、プロ入りして更に分厚くなった身体や、湿気でいつもよりぺたりと重そうな前髪など、一度意識すると細かいところばかりが気になってしょうがない。
 「背中流しますわ」
 「流しましょうかじゃなくて流しますなの……」
 何の迷いもなくさっきまで自分が腰掛けていたチェアを譲りタイルに膝をつく姿に、やはり潔癖の線は排除した。
 大和は何が楽しいのか意気揚々とタオルでボディソープを泡立てている。やはりお泊まりという非日常感に当てられているのかもしれない。
 「綾さん、痛ない?」
 次郎の背中にタオルを当てて、恐る恐るといった様子で問いかけてくる。
 かなり柔らかい素材でできているからよっぽど力をこめない限り擦れて痛いと言うことは無いのだが、自分でやるのと他人にやるのとでは勝手が違うのだろう。
 「普通に力入れて大丈夫だよ」
 「ほんま?なんや赤くなってまいそうで怖いわ」
 うなじのあたりからそうっと滑ってきたタオルが、そのまま肩甲骨を往復して段々と下に降りる。
 「ん……ふふ、くすぐったい」
 強く擦りすぎないようにと、撫でるように脇腹を掠めるタオルに思わず声が漏れた。
 一瞬動きを止めた大和は鏡越しに何か言いたげな表情でむっすりと黙り込んでしまうが、このくらいで音を上げるなとでも言いたいのか、背中を撫でる手は脇腹を経由しながらそろりそろり前面へと回ってくる。
 無邪気にじゃれつかれるのは悪い気はしないが、こちらとしてはたまったものでは無い。
 「あっはははは!ちょっと待て!前は良いって!」
 「うーん、あと一歩雰囲気に欠けんねんなぁ……」
 人の身体をくすぐるのに何のこだわりがあるのか知らないが、タオルを奪って体の前側を手早く自分で洗ってしまう。
 社会人といえども未だ十代のお子様と違って、次郎はこの状況に相応の恥じらいがあるのだ。
 タオルを奪われて首を捻っていた大和は、おとなしくボディソープをシャワーで流すと、すかさずシャンプーのボトルに手をかけた。
 「綾さん、頭も洗いますね」
 「えー……はいはいどうぞ」
 やはり疑問系ではなく言い切る形で宣言する大和に、抵抗せずに頭を差し出す。
 こうなればもう乗り切るしか無い。
 「綾さんの髪の毛ふわふわしとる」
 「あー……髪洗うのはちょっと上手かも」
 節くれだった大きな手でかき混ぜる様にされると、頭をすっぽり包み込まれる様で妙な安心感がある。タオル越しよりも自分の手の方が力の加減も幾分しやすいのかも知れない。
 指の腹でマッサージするように揉み込まれたり、手のひら全体で頭を支えられると、段々と下がってくる瞼に抗えなくなってきて、目を閉じていても、指の付け根や手のひらにできた胼胝が頭皮を掠めるたびにこれが大和の手だと実感させる。
 「……ねぇ」
 「ん、どうしたん?」
 「次に泊まる時もさぁ、一緒にお風呂入る?」
 まどろみながら、こんなにも心地良いなら次があっても良いかも知れないと問いかければ、わさわさと髪の毛をかき混ぜていた手がはたと止まる。
 「……綾さん」
 その声が思っていたよりもずっと近くで聞こえて、うっとりと閉じ切っていた瞼を開いて振り向くと、目の前の大和と目が合う。
 まだ湯船にも浸かっていないのに血色の良い大和の頬はほんのりと色づいている。
 頬の辺りにじわじわと熱が集まる感じがして、自分も同じ顔をしていることに気がついた。
 「綾さん、嫌やったら言うて」
 「え?……んっ」
 指一本分程の距離は、嫌も何も言う隙もないくらいにあっという間に詰められた。
 伏せられた瞼に生える黒いまつ毛まではっきりと見えて、それが何秒続いたのか。
 大和の唇が名残惜しげに次郎の下唇を食んで、距離を詰めた時とは逆に殊更ゆっくりと離れていく。
 「……僕な、ずっと、どっちなんやろうって思ってん」
 「……」
 「前からそうやけど、特に今日綾さんち来てから。僕のために色んなもん用意してニコニコして出迎えてくれはったり、そうやと思ったら一緒にお風呂まで入ってんのに全く意識してくれとる感じせぇへんし、やのに今度は寄りかかって甘えてきたり……」
 「あまっ……いや、な、何でもない……」
 最後の言葉に咄嗟に反論しようとして、寝ぼけて寄りかかった可能性を否定しきれずに押し黙る。
 「綾さん、教えて。さっきの嫌やった……?」
 大和は迷っていたと言った。次郎が大和に対してその気があるのかないのかを測りかねていたと。
 対して次郎は、大和が自分と同じ気持ちを持っているなんてことを考えもしなかった。野球が全ての物事の上にくるような人間の脳内に、色恋が占めるスペースがあるとは思わなかったし、だからこそ叶うはずがない想いにも冷静でいられた。
 けれどそうやって自分一人で折り合いをつけて、大和の気持ちを考えることをおろそかにしていたのではないのか。
 「嫌じゃない……う、うれしかった……」
 絞り出すような小さな声に、緊張で引き結ばれた大和の口がゆっくりと解けていく。
 「約束通りプロに来てくれたのも、今日家に泊まりに来てくれたのも、……さっきのも、全部嬉しかった。俺ずっと前から、大和のこと好きだから……」
 隠して、誤魔化してきた気持ちが、少しでも大和に伝わるように言葉を選ぶ。
 大和はそれを静かに聞いて、顔を綻ばせた。
 「……僕も、僕も嬉しい。僕も綾さんのことむっちゃ好きや」
 「……うん」
 どうして今まで気がつかなったのだろう。頬を撫でる指先の優しさも、真っ赤に染まった耳も、緩んだ眦も、こんなにも次郎のことを好きだと言っているのに。
 これからは伝えていけるだろうか。試合のときの射抜くような瞳も、曲がって伸びきらない指先も、さらりと揺れる黒い髪も、大和の全てが好きだと言うことを。


 「やばい俺ずっと頭泡だらけだった」
 「ははは、気付いてると思っとったわ」
 「そういうのちゃんと言えよ!」
2/2ページ
スキ