運命の人よ

 「今日は星がようけ見えるなぁ」
 「本当だ」
 園家から鳴尾浜の独身寮に帰るためのタクシーを待つ間、すっかり暗くなった空を見上げて大和が呟く。
 美里はわざわざ外に出ずに室内で待てば良いと言ってくれるが、次郎はタクシーを待つ僅かな間を大和と二人きりで話しながら過ごす時間が好きだった。
 「あれがやぎ座やな」
 「あっちがおひつじ座だ。ぶっちゃけ全然そうは見えないよね」
 雲ひとつなく澄み切った空に、星が明るく輝く夜、だれでも知っているような有名どころをあげながら、指で指し示す。
 どれの事かと次郎の指先に視線を合わせるように体を寄せてきたのは、まさか本当に星座に興味があるからではないだろう。
 あれだけ絶望的な暑さだった夏はいつの間にか過ぎ去り、夜ともなればすっかり冷え込む季節であったので、次郎はじりじりと近づいてきた年下の恋人に、気が付かれない程度にそっと寄り添った。
 「無理やりこじつけてまで星座作るほど他に娯楽がなかったのかね」
 「せやろなぁ。でも、明かりが何もない分、今よりよっぽど綺麗に見えとったやろな」
 「そんなに昔じゃ確実に野球は存在しないぞ」
 大和は顔を顰めて、そらあかんわと呟く。
 いつも以上に口をムッと引き結んで不満を表す顔を覗き込んで、次郎はけらけらと笑った。
 もしも大和とケンカしたら、野球と俺のどっちが大事なのかと聞いてやろう。どうにも答えられずにさぞかし焦るに違いない。
 「もしも野球が存在しない時代に生まれてたらどうしてた?」
 「考えたこともあらへんし、考えたくもないなぁ」
 「大和なら、野球が無くてもそれに近いことしてそうだよな」
 「せやな、ひたすら綾さんとキャッチボールとかしてたかもしれへん」
 「ボールも無いだろ」
 「……石とか?」
 「危ねえな!」
 どこに飛んでくるかわからない凶器を受けるのも、凡フライすら額でキャッチする相手に投げるのも、どちらも恐ろしすぎてとてもじゃ無いが考えたくもない。
 大和が現代に生まれてきたことを、普段はかけらも信じていない神に感謝した。
 「ていうかさ、野球が無かったら俺たち出会ってすら無いだろ」
 次郎の言葉に、大和はきょとんとした顔で見つめ返す。何故そんなことを言うのかと言いたげだった。
 自分で言っておきながら、何か冷たいものを心臓に注ぎ込まれたような心地がして、黙って半歩、大和に近づいた。
 「そら寂しいなぁ」
 「寂しいって……。野球するわけでも無いのに俺に会いたいの?」
 「そらそうやろ。野球がない世界も考えられへんし、綾さんに会えずに一生終えるのも考えられへん」
 大和は考えられないと言うけれど、次郎には大和と出会わなかった時の自分が嫌と言うほど想像できた。
 野球にも大和にも出会わなければ、水泳や体操がそうだったように他の競技でも、周囲の人々も自分自身も不幸にして耐えきれずに辞めて、そのうちスポーツ自体が嫌になっていたかもしれない。
 そうしてフラストレーションを抱えながらごく普通に学生生活を送って、そのまま社会に出るのだろうか。
 きっと特別不幸ではないだろうけど、幸せだと自信を持って言えるとは思えなかった。
 大和に勝っていたら東京でキャンパスライフを送っていたなどと息巻いてはいたが、本当のところそこまで強く魅力を感じていたわけではない。
 魂の片割れとも言える相手に出会った後でこんな想像は酷く苦しいだけだった。
 「俺も……大和がいないのは嫌かも……ちょっと」
 誤魔化すように付け足した言葉に、大和は目を細めて微笑んだ。
 「大丈夫やで。もし生まれ変わって、野球が無くなってまうほど遠い未来やったり、この星空の中の、地球やない別の星やったとしても、僕が綾さんのこと見つけたるわ」
 次郎を見上げて、暗い色の瞳が真っ直ぐに向けられる。ちらちらと映り込む光はきっと街灯のものだけれど、次郎は遠い空に浮かぶ星が、映り込んでいるのではないかと思った。
 「綾さん目立つからなぁ。多分僕が探す方が早いで」
 「……それなら、俺が二年先に生まれて野球も道具も作っといてやるよ。お前に石なんかでキャッチボールされたら危なっかしくてしょうがねーし」
 「二年て地球の二年やんな、他の星やったら僕ら同い年になるかも知れへんで」
 「いや、結局時間は変わんねーじゃん……」
 もしも野球が無かったら、もしも二人が出会わなかったら、そんなこと考えられないと言っておきながら、ものともせず力技で解決しようとする、単純でポジティブで、意外とロマンチストな恋人と話していると、自分がひとりでうだうだと考えることのなんてくだらない事かと思えてくる。
 「つーか大和が同い年とか想像できねー」
 「同い年ならもっと沢山試合できるな」
 「だからってホームランは打たせねぇからな」
 何億光年先の宇宙から、力強く輝く星々に見守られて、二人の逢瀬は続く。運転手には悪いけれど、渋滞にでも巻き込まれて少しでもゆっくり向かってくれないかと願いながら、二人はぽつりぽつりと話しながら寄り添った。
 
 
1/1ページ
    スキ