花火の記憶はほとんどない

 「そろそろ花火の時間やな」
 わたがしもすっかり食べ終えた頃には、花火の打ち上げが始まる時間が迫ってきていた。綾瀬川は立ち上がって背伸びで辺りを見渡す。
 「ここら辺は人でいっぱいかなぁ。もっと遠く行かないとダメかも」
 花火の打ち上げは近くの川の向こう岸で行われる。そのため向いは立ち入りが制限されており、大勢の人がこちら側に集まっているのだ。
 「あのな、綾瀬川くん、ぼく穴場スポット知ってんねん」
 「まじ!?すごい!流石地元民!」
 大和の言葉に、綾瀬川が歓声をあげる。
 早速移動しようと、食べ終わった入れ物や袋を捨てて、砂糖でベタつく手を美里が持たせたウェットティッシュで拭き、そして、今度は大和の方から綾瀬川の手を取って歩き出す。最初に手を繋いできたのは向こうからと言っても、拒否する素振りが無かったことにひっそりと安堵した。
 屋台から少し離れると、川の近くの堤はレジャーシートなどに座って場所取りをしている人で溢れている。そこを人の流れに逆らうように混雑から離れていき、川から少し離れた高台の方にやってきた。目的の場所に着いて、大和は綾瀬川の手をそっと離した。
 そこから先ほどいた辺りを見下ろすと、会場から離れる方向に動いてはいるが距離は以前近く、とても見晴らしが良い。
 「近くて見やすそうなのに、全然人いないね」
 「ここ、私有地やから」
 「え、勝手に入っていいの?」
 焦ったような綾瀬川の様子に、大和は慌てて続ける。
 「おとんの弟さん……ぼくの叔父さんやねんけど、その人の土地やねん。友達と花火大会行く言うたら、こっから見てええよって言うてくれてん」
 「そうなの!?」
 綾瀬川は納得したようで、凄い凄いとはしゃいだ様子で高台からの景色を笑顔で見渡している。
 次の瞬間、ひゅーっという笛の音に続けて、上空で花火玉が破裂する大きな音が響く。
 「うわっ!」
 綾瀬川が思わず声を上げた。会場から近く、障害物がないも無いこの場所からは、記憶の中のどんな花火よりもずっと大きく見えた。
 大和も前触れもなく始まった打ち上げに驚いて、心臓がドキリと脈打った。
 一発目の花火に続いて、次から次に色とりどりの花火が上がる。
 大和は隣にいる綾瀬川の顔をそっと見つめた。空はとっぷりと日が暮れて暗くなっているが、迫力のある光景に見入っている綾瀬川の横顔を花火の光が赤に青にと照らしている。
 打ち上げが始まった直後から、大和の心臓は高鳴り続けている。好きな人と一緒に花火を見ている、というシチュエーションもあるが、さらに上乗せして事情があった。
 この場所に着いてからと言うものの、ぐるぐると頭の中を叔父のある言葉がこだまして、先ほどから花火を楽しむどころでは無いのだ。
 綾瀬川を花火大会に誘う事に成功してから今日に至るまでに、たまたま家に来ていた叔父にその話をした際、彼は快く自身の所有する特等席から花火を見るように勧めてくれた。その上で、こうも言ったのだ。
 「友達もええけど、はよ恋人と一緒に見に行けるようにならんとなぁ!」
 一緒にいた真一は、まだ早いんとちゃうんかなぁと複雑な顔をしていたが、大和は叔父のその言葉に衝撃を受けた。
 (友達としか言うてへんのに、なんでぼくが綾瀬川くんの事好きやってわかったん!?)
 絶好のロケーションを用意してやるから、さっさと告白して次は恋人として見に来いと、そう発破をかけられているに違いないと大和は受け取った。
 目の前の兄弟は大和をよそに、子供の成長はあっという間やで、まだ小学生やろ、とわいわい言い合っている。両親は少々心配性なところがあるが、叔父はなにやら大和に大きな期待を寄せてくれているようだった。
 ならば、その期待に応えないわけにはいかない。
 そう強い決意を胸にこの日を迎えたはずであったが、いよいよと言う時になると心臓が駆けるのをどうにも止められなかった。
 大和は目線を花火に戻す。これが終わったら遂に話を切り出さなくてはならない。そう思うと趣向を凝らしたさまざまな花火も、ただの強い光と音としか認識できなかった。
 「大和?」
 口を真一文字に結んでひたすら前方の空を見つめていると、ふと隣から綾瀬川の声が聞こえた。
 慌てて横を向くと、綾瀬川が大和の顔を覗き込むようにして見ている。
 「大和、顔赤くない?具合悪い?」
 綾瀬川の手がそっと大和の額に翳される。常よりずっと近くに寄せられた綾瀬川の顔に、余計に顔に熱が集まるのを自覚した。
 真っ赤な花火に照らされて赤く見えるだけだと言えば誤魔化せたかもしれないが、うまく回らない頭では良い言い訳が出てこない。 
 「へ、平気やから……。花火終わってまうよ」
 「花火より大和の方が大事に決まってるじゃん、本当に平気なの?」
 「せやけど綾瀬川くん、せっかく花火見るためにウチに来てくれたのに」
 「……何言ってるの?大和に会うために来たんだよ」
 綾瀬川の言葉を聞いた瞬間、あんなに大きな音を響かせていた花火の音が一切耳に入らなくなった。かわりにすっかり意識から外れていた自分の心臓の音が再び主張しだす。
 花火じゃなく、大和に会うために来たのだと伝える綾瀬川の言葉が大和を途轍もなく嬉しくさせた。
 目を丸くして驚いている大和を、綾瀬川は尚も心配そうな表情で伺う。大和はどくどくと身体の芯で響く自分の心臓の音に鼓舞されるように綾瀬川の手を取った。
 「あの、具合悪いとかやなくて、ぼく綾瀬川くんに言いたい事あんねん」
 今度は綾瀬川が目を丸くして、大和をじっと見つめる。
 「ぼく、綾瀬川くんのことが好きや」
 「……へ」
 綾瀬川は大きな目を更に丸くして、パチリと二回瞬いた。
 「友達としてとか、一緒に野球したいとか、そう言うんもあるんやけど、それだけやなくて……今日みたいに美味しいもん食べたり綺麗なもん見たりとか、そういうのぼくと一番して欲しい。綾瀬川くんの特別になりたい……って意味の……好き、やねんけど……」
 勢いに任せて思いの丈を伝えたは良いが、だんだんと尻すぼみになり、しまいには固まったままの綾瀬川の顔を見ていられずすっかり俯いてしまう。
 花火大会の会場の方から歓声と拍手の音が聞こえてくる。どうやら花火の打ち上げがいつの間にか終わったらしく、最後の方は一瞥もしていなかった事に今更気がついた。
 大和は綾瀬川の顔を見れないままじっと答えを待つ。
 沈黙に居た堪れなくなって、そっと手を離そうかという時に綾瀬川がびくりと身じろいだ。
 「まっ、待って」
 反射的に顔を上げる。大和の目に飛び込んだ綾瀬川は、暗闇の中でも分かるくらいに頬から耳まで真っ赤に染め上げて、さっきはまんまるに見開いていた目は伏目がちにして、少し潤んでいるようだった。
 「お、れも……好き。大和と同じ好き……」
 大和は自分の耳が信じられなかった。さっき花火の音が耳に入らなくなったのと同じように、まだおかしなままなのでは無いかと思った。
 「ほんまに……?」
 恐る恐る、大和は綾瀬川に問いかけると、緊張で強張っていた綾瀬川の表情がふわりと和らぐ。
 「うん、ほんと」
 綾瀬川は照れたように笑って、大和の手を握り返す。祭りの会場で手を引かれた時よりもぽかぽかと温かく感じた。
 「あのさ、来年も一緒に花火見ようよ」 
 今度は最初からデートだね、とイタズラっぽく笑う綾瀬川に、ガチガチに固まっていた大和もようやくほっと息をついて、つられて笑みを溢した。
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