花火の記憶はほとんどない

 そういった苦労の末、大和は今、綾瀬川と二人で花火大会に来ている。
 既に夕刻になり、じりじりと照りつける太陽が少しずつその姿を隠し始める。気温は未だ高く歩くだけで汗が吹き出してくるが、心地よい風が不快感を和らげていた。
 辺りは人で溢れかえっており、老若男女の姿が見えるが、特に子連れの家族や年若い恋人同士、または友人のグループといった層が多いように見えた。
 食べ物や遊びの屋台が所狭しと列を成しており、合間合間に食事ができる簡易的な休憩所のスペースがもうけられている。
 「大和、あそこにたこ焼きの屋台がある!」
 本場のたこ焼きだ、と言って綾瀬川が大和の手を引く。
 大和の目線では人々の背中をようやく見上げられるかと言った具合で遠くの屋台の看板はよく見えなかったが、綾瀬川は人混みの隙間から辺りを見渡すのに十分な身長を持っているらしかった。
 大和は自分の少し前を歩く綾瀬川の姿を見上げる。涼しげな濃紺の浴衣は自分とお揃いの生地で、母の美里にわがままを言って用意してもらったものだ。最初は着脱が簡単な甚平をという話であったが、綾瀬川の身長と手足の長さではつんつるてんになってしまうのではないかと美里が懸念し、まだ調整が効きやすい浴衣を用意することになったのだ。
 たこ焼きの屋台に並ぶと、だしの効いた生地が焼ける香ばしい香りが鉄板の熱気にのってふわりと漂ってくる。
 屋台を回る時間はそんなに無いだろうからと、家を出る前に夕飯を食べてきたにも関わらず、食欲をそそる匂いに思わず腹の虫が鳴る。
 「大阪の人って、やっぱりたこ焼きめっちゃ食べる?」
 「どうやろ、そんな多いわけや無いと思うで」
 「え!?じゃあさ、給食にたこ焼き出たりしない?」
 「僕んとこは出たことあらへん」
 綾瀬川は大和の言葉にショックを受けたようで、隣からは驚きの声が聞こえる。作るのに専用の機械が必要な料理が給食として提供されるとは思えないが、綾瀬川とって大阪=たこ焼きという図式はかなり強固なものらしかった。

 大和は綾瀬川と話しているとよく不思議な感覚になる。今の話は、東京から遠く離れた地の食文化をイメージでしか知らないがゆえの思い込みだろう。だがそれ以外でも、野球の話をしている時も、綾瀬川は同じように突拍子もないことを言ったりする。
 おそらくそれは野球経験の少なさと本人の頭の良さが噛み合った結果ではないかと大和は考えていた。
 野球を始めて日が浅いから、常識的なことを知らない。けれど少ない経験から多くの考えを導けるので、誰に教わらなくてもより良い方法を思いつけたりする。それが車輪の再発明で終わらないのは、ずば抜けた技術によるものだろう。
 他の人には出来なくても、綾瀬川には出来る。だからこそ普通の人と思考にずれが生じる。
 どんなきっかけで、どういう理由で考えたかはわかっても、大和には綾瀬川のような投球は出来ないので、感覚として理解できないことが多かった。
 もっと努力して、いつか綾瀬川と並び立てるような選手になれたら、きっと今よりもっと綾瀬川のことを真正面から理解出来るのではないか。
 大和はいつからかそんな風に思うようになっていた。
 
 「大和」
 綾瀬川の声に顔をあげると、いつの間にかたこ焼きを手にした綾瀬川が、再び大和の手を取って歩き出す。先ほどから手を繋いでくれるのは、もしや人混みの中で大和を見失うとまずいと考えているのでは無いだろうか。拒否する理由がないので、大和は大人しく握り返す。
 「大和は何が食べたい?」
 綾瀬川の問いかけに辺りを見回す。相変わらずの人混みだが、花火の時間がだんだんと近づいていることもあり来たばかりの時と比べて屋台の周辺は人が捌けつつあった。
 その中に、ちらりと意識を惹かれる色を見つけた。
 真っ白なわたがしが並ぶなかに、いくつか色がつけられたものがある。その内のひとつに薄いクリーム色のわたがしがあった。黄色の絵の具に白い絵の具をたっぷり溶かし込んだ様な優しい色合いが、綾瀬川のふわふわと跳ねる髪に重なって見えたのだ。
 「これがええ、半分こしよ」
 他のものには目もくれずクリーム色のわたがしを選んだ大和に綾瀬川は不思議そうな顔をしていたが、すぐににっこり笑って頷いた。
 屋台の隣の休憩所に空きを見つけてベンチに座る。まんまるのたこ焼きはまだ十分に熱く、二人は念入りに冷まして口に運ぶ。
 「ん!ふわふわで美味しい」
 屋台のものとはいえ、本場のたこ焼きは綾瀬川の口に合ったようでご満悦の様子だった。
 夕飯を食べてきたことなんてすっかり忘れた育ち盛りの男子二人ではたこ焼きの一舟くらいあっという間に胃に収めてしまう。
 大和は食後のデザートと言わんばかりに、わたがしの包みを取って綾瀬川に差し出す。綾瀬川は端をつまんで器用にひとくちちぎった。
 「んー、ふわふわで美味しい」
 たこ焼きもわたがしも随分と美味しそうに食べる綾瀬川の表情に大和は思わず笑って答えた。
 「さっきとおんなじ感想やん」
 「違う種類のふわふわだから!」
 大和もわたがしをちぎって食べた。
 甘い物は脳内にセロトニンやドーパミンを分泌させる。それは俗に幸せホルモンとも呼ばれ、幸福感をもたらすとされるが、大和は今感じている幸せな気持ちはきっとわたがしの甘さによる物だけでは無いと確信していた。
 綾瀬川と二人で同じ食べ物を分け合って、何気ない会話で笑い合う。少し前には想像もつかなかった状況に、ふわふわと浮ついた気持ちになる。
 (大阪と東京がもっと近かったら、ずっとこんな風に一緒に居れんのかな)
 メールのやり取りが出来るだけでもとても幸運な事だと思っていたのに、ひとつ願いが叶えばさらに次と強欲になってしまう。
 野球ばかりしてきた自分が、こんな風に人を好きになって、一人の人にこんなにも強く感情を揺さぶられる事があるとは想像もしていなかった。
 
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