敗北宣言

 自宅のベットに寝っ転がってSNSを眺めていた綾瀬川はある一つの動画に手を止める。その動画は野球の試合の最中、ベンチにいる大和を映したものだった。
 動画を載せているのは大和のファンと思われるアカウントで、『メジャーの洗練を受ける園選手、かわいすぎる』といった文言が添えられていた。
 綾瀬川は、眉を顰める。大方、野球のルールも殆ど知らないようなミーハーなファンに違いないと考えた。
 綾瀬川の後を追いメジャーの地を踏んだ大和は慣れない環境にも関わらず、杞憂を伝える前評判を跳ね除けるような活躍をみせている。
 大和の努力の価値も、その結晶たる技術と知識がいかに類い稀なるものかもわからない奴が、言動の表面だけを浚って、かわいいだのカッコイイだのと薄っぺらいことこの上ない。
 綾瀬川は腹立たしい気持ちで動画をタップする。スマホの全画面に映し出された大和はベンチから真剣な表情で試合の様子を伺っている。そこにチームメイトであるアメリカの選手が近寄り、大和にひまわりの種を差し出した。チームに加わってまだ日が浅いチームメイトに気を遣ってくれているのだろう。    
 アメリカの野球選手たちは試合中によくひまわりの種を食べる。理由としては基本的には暇つぶしだ。ひまわりの種以外にもガムなどがベンチに常備されていて、選手達は口寂しさを紛らわすためにそれらを口にする。ひまわりの種はローストされて、塩などで味付けされているが、バーベキューソース味やサルサ味など意外とバラエティに富んでいる。
 綾瀬川もメジャーに来てから何度か口にした事がある。味は美味しいと感じるが、食べ方に問題があった。
 アメリカの選手達は十個や二十個も一度に口に頬張って、殻を噛んで中身を食べては、殻だけを口から吐き出すのだ。それ自体は文化の違いでしかなく、こちらではマナー違反でも何でもないのではあるが、日本生まれ日本育ちの綾瀬川は、そのあたりに殻を吐いて捨てるということに抵抗があった。
 そのため、空の紙コップなどに出したりと工夫したがそれもいまいち気になってしまい、何も食べないか、ガムを噛むかのどちらかにしていた。
 大和もやはり食べ方を気にしているようで、種をくれたチームメイトをちらりと覗き見る。
 彼は大和の隣に座り、大量の種を口に放り込み、しばらくもごもごと口を動かした後、ペッペッと殻を吐き出しはじめた。
 綾瀬川は大和の動向を見守る。アメリカでは何も問題ない行動であっても、メジャーの地で活躍する日本人選手の様子は日本でも報道される。真面目でおだやかなパブリックイメージの大和がベンチに殻を吐き捨てるような事があれば、ギャップも相まって必要以上に悪く言われるかもしれない。
 大和は自分の手の中の種を見つめていたが、しばらくすると種を一つ摘みあげた。そして、指先で殻を剥きはじめた。
 綾瀬川は、「え?」と小さく声を漏らした。
 ちまちまと殻のとっかかりを摘もうと必死に指先で殻を引っ掻く。しかし不器用な指と短い爪で小さなひまわりの種の殻を剥くのは相当困難らしく、一向に剥ける様子がない。
 動画の再生バーが残り僅かになった頃、ようやく剥き身の種を手に入れて、やっと一つ口にした。表情は心なしか、達成感に満ちていた。
 「……っ……くっ!」
 綾瀬川は慌てて動画を閉じる。湧き上がる感情を必死に、必死に堪えた。
 綾瀬川の頭には先ほどの動画がぐるぐるとリフレインする。必死に懸命にちまちまと殻を剥く大和の姿が、だんだんと、小さな手でひまわりの種の殻を剥くハムスターと重なる。
 違いがあるとすれば、ハムスターは前歯を使って器用に素早く殻を剥いていくが、大和はハムスターほど器用ではない事だろうか。しかしその姿から受ける印象は近しいものがあった。
 綾瀬川はブンブンと頭を振ってひまわりの種を食べる大和ハムスターのイメージを追い払う。
 大和は小さな頃から常人では考えられないほどの努力を重ねてきたのだ。その結果、手のひらにどれだけの肉刺をつくろうが、指がまっすぐに伸びなくなろうが、少しも気にせずにひたすら努力をしてきた。つまり、種を器用に剥けないのは、今までの努力の結果とも言える。
 そうだ、これは大和の努力の現れである。
 綾瀬川は大きく息を吸って、ゆっくりゆっくり息を吐いた。心拍数が正常に戻るのを待って、そっとスマホに目線を戻す。
 投稿には続きがあった。動画がついている投稿の下に、さらにもう一つ投稿がぶら下がっている。
 『園選手、この後もう一個食べようとして、上手く剥けなくて諦めてました』
 泣き笑いの絵文字を添えられた、その投稿を見た綾瀬川は、さっき落ち着いた心拍数が再び急激に上昇するのを感じた。耳の奥でぎゅんぎゅんと血液が流れる音がする。
 「かっ……かわいい……」 
 喉の奥から絞り出したような声が出た。
 あくまで数多あるうちの一面ではあるが、確かに認めなければならない。綾瀬川の呟きは、動画の投稿主に対する静かな敗北宣言であった。
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