海に行きたい!

 「大和、シロップ何が良い?」
 目の前にはガラスの器に山盛りに盛られた細かな氷の粒。そして目に痛いほどの濃い赤、青、黄色、緑のシロップ。ボトルにはそれぞれいちご、ブルーハワイ、レモン、メロン味と記されていた。
 「ブルーハワイかなぁ」
 なんとなく見た目が一番涼しそうな青を選んだ。綾瀬川は氷の山を崩さないようにそっとシロップを回しかける。
 「綾さんは?」
 手持ち無沙汰な大和はせめてこの程度はと思い問いかける。ちなみに安物のかき氷機だったためか、氷を削るのにも案外コツが要り、大和はハンドルを壊しかねないと戦力外通告を喰らっていた。
 「俺はいちごとレモン」
 「え……ミックスなん?」
 「って思うじゃん!意外とイケる」
 大和は半信半疑で綾瀬川のかき氷を手元に引き寄せ、いちごのシロップのボトルを傾ける。しかし想定より勢いよく出たシロップは綺麗に聳え立っていた三角の山を大きく削り取って赤い海を作った。
 「あ」
 大和は慌ててボトルを戻してチラリと綾瀬川の顔を伺う。シロップ片手に固まる大和をじとりと見つめた綾瀬川はそのまま三秒見つめあった後、黙ってメロンのシロップを手に取り大和のかき氷に勢い良く放流した。
 「あっはは」
 綾瀬川はぺしょりとへこんだ氷の山を前にけらけら笑っている。ご機嫌でかわええなと思いながら、大和は今度こそ慎重にレモンのシロップをかけた。形も崩れ色も混ざったお世辞にも綺麗な出来上がりとは言えないかき氷ではあったが、ともあれ出来上がりには違いなく、大和はスプーンで掬って一口食べる。意外にも、甘いシロップは混ざり合っても特に問題なく美味しかった。
 「まあ、安いシロップだから全部味同じだしな」
 「え」
 衝撃の事実に大和はスプーンを取り落としそうになるが、綾瀬川は気にせず続ける。
 「てか、話戻すんだけどさ」
 「今ので話入ってこおへんのやけど」
 「お前に海に行きたいって思わせるにはプレゼンが必要だと思って」
 どうやらシロップの味はそんなに重要な話ではないらしかった。味が同じなら何を根拠にいちご味などと記されているのだろうかと気になるが、そちらは後で聞くことにしてひとまず綾瀬川の話を聞くことにした。
 「手始めに、俺にどんな水着着せたいか選ばせてやるよ」
 「ええんですか!?」 
 急激に変わった風向きに大和は思わず身を乗り出した。無難なのはサーフパンツのようなゆったりしたものだろうか。しかし昔水泳を習ってたことがあると聞いたことがあるので、少しシルエットが出るようなスパッツタイプでもさほど抵抗なく着てくれるかもしれない。そうなるとより競泳用のブーメランタイプであっても綾瀬川の手足の長さと鍛えられた筋肉があれば相当見栄えがするはずだ。いや自分以外にそんなに露出の多い姿を見せるのは絶対に嫌だ。悶々と考え込む大和を見て、綾瀬川は想定通りの食い付きの良さに機嫌良く笑みを作る。
 「で、どんなのがいいの」
 「ら、ラッシュガード……」
 「お前アホなの?」
 混乱の末に出された答えに綾瀬川は声をあげる。仮にも恋人が水着を選ばせてやるとまで言っているのに随分お粗末な答えだ。とはいえ競泳用のピチッとした水着を挙げられてもレジャー施設では浮くことこの上ないので却下する気しかなかったが。
 「まあ、別にラッシュガードでも良いけど、水着きたら次は日焼け止め塗らないといけないんだよなぁー。でもラッシュガードなら一人で塗れるかな」
 「やっぱサーフパンツがええです」
 下心だけで反射的に答えた大和に綾瀬川は大口を開けて笑う。
 「じゃあ背中側は大和が日焼け止め塗ってね。塗り残しあったら腕立て伏せ百回な」
 大和は既にだいぶ海に行きたい気持ちになっていたが、まだ良い感じのイベントが控えているかもしれないのでぐっと堪えた。誤魔化すように残りのかき氷を一息に食べると頭の奥の方にキンと差し込むような痛みが走る。
 「あはは、頭キーンってなった?」
 思わず顔を顰めた大和を見て、綾瀬川は、一気に食べるからと言って大和の顔に手を伸ばしてこめかみのあたりをぐりぐりと解す。野球一辺倒の朴念仁にみえて意外と簡単に色仕掛けが通じるところが可愛らしかった。
 「日焼け止め塗ったら、さっそく泳ぎに行く?砂浜で遊ぶのも良いけど」
 「砂浜でキャッチボールせえへん?」
 前言撤回だ、全然可愛くない。綾瀬川は大和のこめかみに置いていた手を下にスライドして頬をぎゅうっと押しつぶした。
 「めちゃくちゃな人混みだっつーの。キャッチボールなんてするスペース無いし、あってもやらねーよ」
 「ほな泳ぎに行きましょう」
 言うだけ言いやがってと思わないでもなかったが、普段から時間さえあればバットを振っているような男だ。不安定な砂場で足腰を鍛えるのだとか言って素振りをし始めないだけマシだと思うことにした。
 「泳ぐ言うても、僕そないに速く泳げへんで」
 「一応泳げはするわけ?」
 「沈みながらでええなら……」
 「それは溺れてるっつーんだよ」
 浮き輪でもビート板でも持ってこいよ、と綾瀬川は声を荒げる。
 「けどなぁ、よく恋人同士で水掛け合っていちゃつくみたいなのあるやん。ああいう時片方だけ浮き輪つけとったらださない?」
 「足つく場所でやれよそんなの!」
 片時も浮き輪を手放さないつもりかと呆れたが、向かってくるシャトルを避けるつもりで自ら当たりに行く運動神経の無さを思えばそのくらいの危機意識がある方が安心かもしれなかった。
 「けど、そんな様子じゃ遠くまでは泳いでいけないなぁ」
 綾瀬川の頭の中では海中でわたわたと暴れる鈍臭い大和の姿がまざまざと浮かんでいた。この調子では浮き輪を付けても人混みに攫われてはぐれてしまうかもしれない。実際にはそこまでひどくはないかもしれないが、良くも悪くも常に綾瀬川の想像を超えてくるのが園大和という男だった。
 「浅瀬やとあかんの?お砂でお城作って遊ばへん?」
 大和はもはや泳ぐのを諦めて海から上がろうとしている。綾瀬川はテーブルの下で大和の足をつつきながら不満げに呟く。
 「でもさぁ、砂浜とか浅瀬の方は人でいっぱいだろ?逆に少し泳いでいけば空いてくるし人目にもつかないよ」
 「というと?」
 「ちゅーくらいはしてあげても良いんだけど」 
 大和はテーブルの下でいたずらしている綾瀬川の足を自分の両足でがっしり確保した。
 「そういうのもありなん?」
 「ありか無しかでいったらありかなぁ」
 正直言って人前でいちゃつくバカップルのような真似は抵抗があるが、どうせ行けもしない妄想上の海なのでそのくらいのリップサービスはしてやらなくもなかった。
 「でも大和は浅瀬が良いんだろ」
 綾瀬川の言葉に大和はむっと口を噤む。よく無表情と表される大和の顔だが、言うほど分かりづらくないと思うようになったのはいつからだろう。ちなみに今は、困っていますと顔に書いてあるのがよくわかった。
 「そしたら、綾さんが僕の浮き輪の紐引っ張って沖まで連れてってくれはるってのもありなん?」
 「ありか無しかでいったら無しかなぁ」
 親子なら微笑ましいの一言で済むが、恋人に沖まで誘導されておいて一体どんな顔してキスをするつもりなんだろうか。大和は殺生やわぁと言って肩を落とす。
 「僕、今むっちゃ海行きたい気持ちになってんねんけど」
 「そう?まだ海の家も行ってないし、パラソルの下で寝っ転がって休んだり大和の体を砂浜に埋めたりするイベントも残ってんだけど」
 「おっかないイベント挟んだ気ぃするけどまぁええわ」
 大和は綾瀬川の足を解放し、やおら立ち上がる。表情は真剣そのもので、綾瀬川は一瞬、自分がマウンドに立って大和と対峙しているのかと錯覚した。
 「ここまで焚き付けたからには綾さんにも本気出してもらわなあかんわ」
 「本気出すってなに?球団のオーナー脅して休みぶんどってくるって話?」
 とんでもないスクープを作り出しかねない綾瀬川を大和は、ちゃうわと慌てて静止する。
 「綾さん、僕ら野球選手やで。もっと正攻法のがあるやろ」
 そうして告げられた方法に綾瀬川は大層眉を顰めることになる。結局すべては野球に繋がっていくのかと。
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