それは最高のプレゼント
3月14日、世間ではホワイトデーの日という認識が一般的かも知れないが、 プロ野球選手達にとってはそうではない。NPBはシーズンの開幕に向けて連日オープン戦の最中であり、ここ甲子園球場ではパンサーズ対ギガンテスの試合が終わったばかりであった。日曜日ということもあり、球場は大勢の観客で賑わっていたが彼らのお目当ては今日の試合で先発投手として出場した高卒一年目のルーキー、綾瀬川次郎だ。事あるごとに引き合いに出される入団会見での尊大な態度は相当な波紋を呼んだが、ひとたび試合でその実力を見せつけられてからはパンサーズファン、通称豹党からは非常に熱心に、他球団ファン、特に同リーグのそれらからは非常に憎々しく受け入れられ、今日も熱の入った応援合戦で球場中に異様な空気が立ち込めていた。
試合が終わり観客らは続々と球場を後にするが、その熱気は未だじんわりと余韻を残し、デーゲームを終えて練習や調整に取り組む選手たちのモチベーションへと変換されているようだった。
そんな中、平沢は渦中の綾瀬川の姿を探していた。パンサーズの正捕手として投手陣の調子を気にかけるのは当然の仕事ではあるが、こと綾瀬川に関しては監督の大木からもしっかり見ておけと厳命されているのだ。投手不足に悩むパンサーズはそれだけこのルーキーに賭けているという事だろう。
試合で何度か球を受けた立場からもその期待値の高さには同意見であった。懸念することと言えば調子が良すぎることだろうか。オープン戦の半ばにして既に球速も上げてきておりコントロールも構えたところにビタリと合わせてくるかなりの高精度。変化量だって相当なもので、サイン通りに投げられるという信頼がなければ思わず飛び退いてしまいそうになるほどだ。
キャンプでのハードなトレーニングの影響を感じさせないほどの好調さには、むしろ開幕してからピークがずれてしまうのでは無いかと心配になることもあった。
新人ほど開幕後の一軍入りへのアピールに張り切りすぎてしまうというのはありがちな話だ。ビックマウスで常に怒ったような顔をして周囲の選手から距離を置かれている綾瀬川であっても高卒一年目の新人に他ならない。経験豊富な先輩の助けを必要とする場面なんてこれから数えきれないほどあるだろう。
平沢としては何事も経験だという気持ちもあるが、六球団競合の末に獲得した金の卵を大事に育てたいという監督の意向を汲むことにして、なにか悩みや違和感が無いかとせっせと御用聞に勤しんでいるのだ。
チームの中でもその認識が広まったようで、なぜか綾瀬川の事を平沢に聞いてくる輩がやたら多いのには辟易している。この間なんて遠征先の朝食会場で遠目に綾瀬川の皿を覗き込んでは、「綾瀬川ってヨーグルトとか食うんすね……」と神妙な顔で問われて呆れ返ったものだ。あの図体を霞で維持しているとでも思っていたのか、それともヨーグルトに強さの秘密でも見出したのか知らないが、そういう時の平沢のセリフはいつも同じ、「本人に聞けや」その一言である。
確かに背の高さや顔立ちだけではないオーラのようなものが初見のとっつきにくさを生んでいることは否めないが、話すと案外普通、今時の若者というのが平沢の所感であった。だからチームに馴染めるかどうかというのは然程気にしてはいない。なるようになるだろう程度の認識だ。
そんなことを考えていると、室内のブルペンでなにやら困った様子の綾瀬川の姿を見つけた。試合後にわざわざ探した甲斐があったというものだ。平沢は偶然を装って声をかけた。
「アヤ、練習か?先発で出てんねんからあんまし投げ込みすぎんようにせえよ」
平沢の声に顔をあげた綾瀬川は眉間に寄せた皺を緩めて表情を明るくした。
「平沢さん!ちょうど良いところに!」
普段もそうだが、報道陣の前では余程でないと見せないだろう表情に、普段からこのくらい愛想が良ければ他のチームメイトともすぐに打ち解けられるだろうと思わずにはいられない。
「どないしたん?」
平沢はなるべく威圧感を与えないように注意を払って声をかける。非関西弁ネイティブの相手には意識的に柔らかな言葉遣いにする。平沢が捕手として数多の投手たちとの信頼関係を培ってきた経験から得た教訓のひとつだ。
「これ、そこで持ってて下さい」
渡されたのは二つ折りの携帯電話だ。
「おい!何ブルペンにケータイ持ち込んどんねん!!」
試合中では無いのだから問題ないとは言え新人らしからぬ太々しさに数秒前の努力を吹き飛ばす勢いで声を荒げるも、当の本人はグラブをはめてさっさと位置についている。丁重に対応してやる必要なんてなかったかもしれない。
「合図したら録画ボタン押して下さいね」
「どこや録画ボタン」
「普通に真ん中のボタン!」
平沢の携帯電話にだって一応の録画機能はあるが、画質も録画時間もビデオカメラに勝る部分なんてないのだから使ったこともなかった。綾瀬川が手渡してきた携帯電話はピカピカの最新機種らしく、数年前に買った平沢のものよりはよほど進化しているのだろう。
平沢がボタンに手をかけて携帯を構えたのを見た綾瀬川が、手をひらりと振って合図をする。半信半疑でボタンを押し込むと、ピロリと電子音を鳴らして、画面にRECの文字が映る。録画は無事に始まったらしかった。
綾瀬川は小さく息をついて長い腕を振りかざす。鞭のようにしなる腕と、指先から全ての力を余さず伝えられたボールが空を裂く音が狭いブルペンに反響する。
見たことのないフォームだ。平沢は停止ボタンを押すことをすっかり忘れていたが、何かの設定か録画は勝手に止まっていた。
「おい、お前今からフォーム変える気なんか……まさかどっか痛めて」
「いや?変えませんけど」
最悪の想像に背中にヒヤリと汗をかく平沢を横目に綾瀬川は何食わぬ顔で平沢の手から携帯電話を取り上げて素早い手つきで操作する。
「せやったら今の何やねん!」
「なんだろ……焚き付け?応援?」
「はぁ?何やそれ……」
全く意味がわからない。苦労して打ち解けて、他のチームメイトよりかは綾瀬川次郎という人間のことを理解もしているはずだ。けれど全くもって難解な人間だ。今シーズンからはこんなじゃじゃ馬を相手にしなければならないのか。既にベテランと言える歳になって降りかかった大きな課題に、平沢はこの先の苦労を案じるのだった。
試合が終わり観客らは続々と球場を後にするが、その熱気は未だじんわりと余韻を残し、デーゲームを終えて練習や調整に取り組む選手たちのモチベーションへと変換されているようだった。
そんな中、平沢は渦中の綾瀬川の姿を探していた。パンサーズの正捕手として投手陣の調子を気にかけるのは当然の仕事ではあるが、こと綾瀬川に関しては監督の大木からもしっかり見ておけと厳命されているのだ。投手不足に悩むパンサーズはそれだけこのルーキーに賭けているという事だろう。
試合で何度か球を受けた立場からもその期待値の高さには同意見であった。懸念することと言えば調子が良すぎることだろうか。オープン戦の半ばにして既に球速も上げてきておりコントロールも構えたところにビタリと合わせてくるかなりの高精度。変化量だって相当なもので、サイン通りに投げられるという信頼がなければ思わず飛び退いてしまいそうになるほどだ。
キャンプでのハードなトレーニングの影響を感じさせないほどの好調さには、むしろ開幕してからピークがずれてしまうのでは無いかと心配になることもあった。
新人ほど開幕後の一軍入りへのアピールに張り切りすぎてしまうというのはありがちな話だ。ビックマウスで常に怒ったような顔をして周囲の選手から距離を置かれている綾瀬川であっても高卒一年目の新人に他ならない。経験豊富な先輩の助けを必要とする場面なんてこれから数えきれないほどあるだろう。
平沢としては何事も経験だという気持ちもあるが、六球団競合の末に獲得した金の卵を大事に育てたいという監督の意向を汲むことにして、なにか悩みや違和感が無いかとせっせと御用聞に勤しんでいるのだ。
チームの中でもその認識が広まったようで、なぜか綾瀬川の事を平沢に聞いてくる輩がやたら多いのには辟易している。この間なんて遠征先の朝食会場で遠目に綾瀬川の皿を覗き込んでは、「綾瀬川ってヨーグルトとか食うんすね……」と神妙な顔で問われて呆れ返ったものだ。あの図体を霞で維持しているとでも思っていたのか、それともヨーグルトに強さの秘密でも見出したのか知らないが、そういう時の平沢のセリフはいつも同じ、「本人に聞けや」その一言である。
確かに背の高さや顔立ちだけではないオーラのようなものが初見のとっつきにくさを生んでいることは否めないが、話すと案外普通、今時の若者というのが平沢の所感であった。だからチームに馴染めるかどうかというのは然程気にしてはいない。なるようになるだろう程度の認識だ。
そんなことを考えていると、室内のブルペンでなにやら困った様子の綾瀬川の姿を見つけた。試合後にわざわざ探した甲斐があったというものだ。平沢は偶然を装って声をかけた。
「アヤ、練習か?先発で出てんねんからあんまし投げ込みすぎんようにせえよ」
平沢の声に顔をあげた綾瀬川は眉間に寄せた皺を緩めて表情を明るくした。
「平沢さん!ちょうど良いところに!」
普段もそうだが、報道陣の前では余程でないと見せないだろう表情に、普段からこのくらい愛想が良ければ他のチームメイトともすぐに打ち解けられるだろうと思わずにはいられない。
「どないしたん?」
平沢はなるべく威圧感を与えないように注意を払って声をかける。非関西弁ネイティブの相手には意識的に柔らかな言葉遣いにする。平沢が捕手として数多の投手たちとの信頼関係を培ってきた経験から得た教訓のひとつだ。
「これ、そこで持ってて下さい」
渡されたのは二つ折りの携帯電話だ。
「おい!何ブルペンにケータイ持ち込んどんねん!!」
試合中では無いのだから問題ないとは言え新人らしからぬ太々しさに数秒前の努力を吹き飛ばす勢いで声を荒げるも、当の本人はグラブをはめてさっさと位置についている。丁重に対応してやる必要なんてなかったかもしれない。
「合図したら録画ボタン押して下さいね」
「どこや録画ボタン」
「普通に真ん中のボタン!」
平沢の携帯電話にだって一応の録画機能はあるが、画質も録画時間もビデオカメラに勝る部分なんてないのだから使ったこともなかった。綾瀬川が手渡してきた携帯電話はピカピカの最新機種らしく、数年前に買った平沢のものよりはよほど進化しているのだろう。
平沢がボタンに手をかけて携帯を構えたのを見た綾瀬川が、手をひらりと振って合図をする。半信半疑でボタンを押し込むと、ピロリと電子音を鳴らして、画面にRECの文字が映る。録画は無事に始まったらしかった。
綾瀬川は小さく息をついて長い腕を振りかざす。鞭のようにしなる腕と、指先から全ての力を余さず伝えられたボールが空を裂く音が狭いブルペンに反響する。
見たことのないフォームだ。平沢は停止ボタンを押すことをすっかり忘れていたが、何かの設定か録画は勝手に止まっていた。
「おい、お前今からフォーム変える気なんか……まさかどっか痛めて」
「いや?変えませんけど」
最悪の想像に背中にヒヤリと汗をかく平沢を横目に綾瀬川は何食わぬ顔で平沢の手から携帯電話を取り上げて素早い手つきで操作する。
「せやったら今の何やねん!」
「なんだろ……焚き付け?応援?」
「はぁ?何やそれ……」
全く意味がわからない。苦労して打ち解けて、他のチームメイトよりかは綾瀬川次郎という人間のことを理解もしているはずだ。けれど全くもって難解な人間だ。今シーズンからはこんなじゃじゃ馬を相手にしなければならないのか。既にベテランと言える歳になって降りかかった大きな課題に、平沢はこの先の苦労を案じるのだった。
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