天の川に託して

 「信じられない!何あれ!身長とかどうでも良すぎ!」
 大阪某所、マンションの一室、良く整理され広々としたリビングに置かれた椅子に大和は姿勢を正して座っていた。向かいに座る部屋の主人は大和の恋人、綾瀬川次郎である。
 大和はチームの寮に住んでいるし、外に出ると直ぐにファンに囲まれてしまうので、二人で会う時はもっぱら綾瀬川の自宅に来ることが多い。綾瀬川も本来ならまだ寮住まいのはずだったがファンが寮まで詰めかけて警備が追いつかないと言う理由で早々に追い出されていた。退寮直後はしょんぼりしていた綾瀬川だったが、自宅を手に入れたことで大和と会いやすくなったことに気がついてからは上機嫌でせっせと家の中を整えていき、大和にとってもとても居心地の良い家が出来上がっていた。その綾瀬川が、今は相当なご機嫌ななめになっている。ご機嫌ななめでも客人を迎え入れるにあたってしっかり飲み物を用意するところは綾瀬川らしかったが、流石にこの状況で冷たくて美味しそうな麦茶をごくごく飲めるほど呑気な大和ではなかった。
 「身長はあった方がええやろ、飛距離も伸びるし……」
 「今だって十分ホームラン打ってるだろ!」
 大和の言い分は真っ向から否定されてしまう。身長に恵まれずとも実力が十分であると信じてくれていると言う点では悪い気はしない。大和としては正直身長を超すとまではいかなくとももう少し差が縮まればキスをする前にしゃがませたり座らせたりする必要がないかもしれないというよこしまな気持ちがあったのだが恥もプライドも多少は持ち合わせているため正直に白状は出来なかった。
 「綾さんやって、なんであんなん書いたん?あれタオルとかになるらしいやん」
 大和の反撃に綾瀬川はわかりやすく苦い顔をした。
 「あれは、グッズになるとかは聞いてなかったの!知ってたらもっと無難なのにしたよ!」
 流石にこの段になって、下手なことを書いたという認識が芽生えたらしかった。
 「ていうか、あれはもうどうでもいいの……」
 語気を荒げていた綾瀬川が急速にトーンダウンしたかと思うとテーブルを挟んだ向こう側で不安気に大和を見つめる。座っているとはいえその体格でよく器用に上目遣いが出来るものだなと、大和は感動した。
 「あれってなんです?」
 「あれ……おじいちゃんになってもとか何とか……」
 そこまで言われて大和はようやく合点がいった。綾瀬川は大和がおじいちゃんになっても野球がしたいと折に触れて言っていたことを覚えていて、短冊にもそれを書くと思っていたのだ。なんて不器用で可愛らしい人なんやろうと、大和は心臓のあたりをぎゅうと掴まれたような心地がした。
 「あれなぁ、目標とか願いいうより、宣言みたいなもんやったから思いつかんかってん」
 どうでもええわけやないで、と付け加えると綾瀬川は少し安心したように、そうなの?と呟いた。
 「それよか僕、反省してんねん」
 「反省?」
 すっかり落ち着いたらしい綾瀬川がもう殆ど氷が溶け切った麦茶を飲みながら聞き返す。
 「僕な、綾さんが言うまでもなくずっと一緒に野球してくれると勝手に思い込んどったわ。綾さんが僕に勝ったら野球辞める言うてるんは分かっとったけど、それでもおじいちゃんなるまで野球してたいって言葉ん中に綾さんも一緒におるもんやって勝手に思っとった」
 大和は徐に立ち上がってテーブルをぐるりと回り込み綾瀬川の隣に腰を下ろした。
 「せやから、大事なことは口に出さんとあかんなって思ってん」
 「な、なんのはなし」
 先程よりずっと近い位置で、大和は綾瀬川の瞳をじっと見つめる。大和の唐突な行動に綾瀬川は狼狽えて視線を彷徨わせた。
 「綾さん、おじいちゃんなっても僕と一緒に野球してくれはる?」
 大和は綾瀬川の両手をぎゅっと握りしめた。手のひらを通じて自分の気持ちが少しでも余すことなく伝われば良いと思った。綾瀬川はしばしあっけに取られたように大和の顔を見ていたが、じんわりと頬を染めながら自分の手を包む大和の両手に目線を落とした。
 「……だからぁ、短冊に書いたじゃん」
 「僕が書いたんは身長のことやったから、今直接言ってくれな分からへん」
 大和の言葉に綾瀬川は言葉を詰まらせて、チラリと大和の表情を盗み見る。ぐっと引き結んだ口元はいつもと変わらない仏頂面のはずなのに、綾瀬川は大和が少し照れているように見えた。
 「……野球だけ?」
 「え?」
 「野球だけじゃなくて、本当にずっと一緒にいてくれるなら、ずっと一緒に野球する……」
 綾瀬川は耳まで赤く染めて、潤んだ瞳は部屋の照明を反射してきらきら輝いていた。大和は途端にたまらない気持ちになって、そっと両手を離してそのまま綾瀬川の背中に腕を回して抱きしめる。肩の上あたりで綾瀬川がほっと息を吐く気配がした。
 「おん、ずっと一緒にいような」
 綾瀬川は大和の背中に腕を回して、お互いの体をぴったりとくっつけた。小さくうんと頷くと、大和の抱きしめる腕の力が少し強くなる。いつもより少し速い心臓の音が混ざり合って、ひとつの心臓の音のように錯覚する。
 (このままずっと同じ速さで動き続けたら良いのに)
 綾瀬川は短冊に書く代わりに、遥か頭上の天の川にそっと願いを託した。
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