羽宮一虎
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ローテーブルの端に置いたグラスの中で、丸い氷が小さく音を立てて溶ける。
部屋では、小さくつけているテレビの音が低く響いている。
缶チューハイの縁を指先でなぞりながら、思い出したように呟いてみる。
「実はこの前、友だちとハプバー行ったんだけどさ」
「えっ! まじ!? どうだった!?」
フローリングの上に座っていた一虎が、身を乗り出してきた。
目を輝かせて、こちらを食い入るように見つめてくる。
予想通りの食いつきっぷりに、思わず口元が緩んだ。
「興味持ちすぎでしょ」
「そりゃそうだろ」
「まあ、それもそうか」
「で、で、どうだった!?」
身を乗り出しすぎて、一虎の膝がローテーブルの脚に少し当たる。
相変わらず、こういう話に対する反応の早さは変わらない。
「……まあ、こんなもんかって感じなんだけど」
「なんだよ。ちゃんと教えろって」
一虎は身を乗り出したまま、待ちきれないといった様子で自分の缶ビールを揺らした。
「入り口で身分証見せてさ、誓約書みたいなやつにサインさせられてさ」
「へえ、ちゃんとしてんだな」
「で、中は普通におしゃれなバーなんだよ。薄暗くて、照明もいい感じの」
「マジで普通じゃん」
一虎が拍子抜けしたように、背後のソファに背を預けた。
「奥に扉があってさ。そこがプレイルームになってて」
「マジ? そこでやんの?」
一虎の顔に、また好奇心とちょっとした邪推の混ざった笑みが戻る。
「鍵がかかる個室とか、ベッドスペースみたいなのがずらっと並んでんの」
「うわ、エロ。それで? オマエ入ったの?」
「ううん、ただバーカウンターでお酒飲んで、観察してただけ」
「なんだよ、もったいねえ」
一虎が可笑しそうにニヤニヤしながら、こちらを覗き込んでくる。
「なんかその場の空気とか品定めされる感じで疲れちゃって」
「どんな奴らが来てるわけ? やっぱりイケイケな感じ?」
「それがさ、案外普通の人ばっかりなんだよね」
「普通って?」
「スーツ着たサラリーマンとか、大人しそうな女の人とか」
「へえ……。そういう奴らが、奥の部屋でなにやってんのかね」
一虎の声が、少し低くなった。
缶に口をつける彼の横顔を横目で見やる。
首筋の刺青が部屋の照明にうっすらと浮かび上がっていた。
「まあ、なにって……そりゃあ、想像通りのことじゃない?」
「他の奴らのヤってるところとか見てねえの?」
「見てないよ」
「覗き穴とかねえの?」
「行ったとこにはなかったけど、ある店にはあるらしい」
語りながら、あの場所独特の、どこか粘りつくような空気を思い出して首筋を撫でた。
一虎は缶をテーブルに置くと、不意にこちらへ体を寄せてきた。
「ふーん……」
「女の人は入場無料だし、なんなら500円もらえたし」
「オマエ、呑気だな……」
「だって実際そうだったんだもん」
「じゃあさ、もしオレと行ってたらどうしてた?」
「……は?」
「もしオレと一緒に入ってたらさ。ただ酒飲んで帰ってきた?」
唐突な問いかけに、視線を彼へ向けた。
すぐ近くに一虎の顔がある。
からかうように笑ってはいるが、どこかつかみどころがない。
「なんで一虎と行くの?」
「カップル割とかあるんだろ?」
「あったけど、一虎お金ないじゃん」
「おい、失礼だな。ちゃんと半分払うわ」
「そこは全部払ってくれるんじゃないんだ」
「オレが彼氏のフリしてやれば、オマエも女同士で行くより安心じゃん」
「まあ、実際にカップルじゃないっぽい人も多かったしね」
「だろ?」
一虎はそう言うと、そっと手を重ねてきた。
そのまま指と指の間に滑り込ませるようにして、ゆっくりと握り込まれる。
「……なに、この手」
「これくらいできなきゃ、カップル割使えねえぞ」
軽口を叩く声はそのままなのに、握る手の力と見つめてくる眼差しだけが、じわりと男のそれに変わっていく。
一虎が低く囁きながら、顔を覗き込んできた。
「カップルとして入ったらさ」
「……うん」
「本当に見るだけで済んだと思う?」
言葉に詰まっていると、一虎は満足そうに口角を上げた。
「どういう意味?」
「ん? そういう意味だけど」
「……離してよ」
「嫌だね。こんな話を持ち出したオマエが悪い」
一虎の顔が、さらに近づく。
昔から知っているはずの顔なのに、狭い部屋に二人きりでいるせいか、急に男としての存在感が強く迫ってきて息が詰まりそうになった。
「ただの雑談じゃん」
「オレにとっては、ただの雑談じゃなくなったんだけど」
掴まれた手から、一虎の体温がじわじわと肌に染み込んでくる。
テレビの音が、遠くで鳴っているようにしか聞こえなくなった。
「オマエさ、そういう店行って触られそうになんなかったの?」
「その辺はルール的に無理強いされないというか」
「ふーん。じゃあ、誰にも触られてねぇんだ」
「……まあね」
強がり気味に答えると、一虎は満足そうに口角を上げた。
「もし触られてたら、そいつのこと潰しに行くとこだった」
「冗談やめてよ。物騒なこと言わないで」
「オマエには冗談に見えんの?」
一虎の目が笑っていなかった。
その瞳に捉えられているだけで、動けなくなるような錯覚に陥った。
「なあ、■■■」
「……っ」
名前を呼ばれ、背筋にぞわりとした感覚が走る。
「店でさ、他の奴らがやってたこと、気になんなかった?」
「別に……」
「オマエも興味があるから友だちについてったんじゃねぇの?」
「……それは、そうだけど」
「顔、ちょっと赤くなってる」
親指の腹で、頬のあたりをなぞられた。
触れられた場所から、火がつくように熱くなっていく。
「これは、お酒のせい……」
「酒のせいにすんなよ」
一虎に手首を掴まれ、引き寄せられる。
床に座る体の距離が一気に詰まる。
「オレとさシてみない?」
「……何を」
「オマエが興味あること」
耳元で低く囁かれた言葉に、喉の奥が乾いた。
互いにこれまで引いてきた境界線が、足元から崩れ去っていく音が聞こえるようだった。
「だめだよ……」
「なんで?」
一虎は逃げる隙を与えないまま、そっと唇が触れてしまいそうな距離まで顔を近づけてきた。
熱い息が唇にかかり、体が勝手に強張る。
「オレとじゃイヤ?」
「そうじゃ、ない、けど……」
掠れた声で紡いだ言葉が、拒絶ではないことをすでに物語っていた。
見つめる一虎の顔には、もういつも交わすような軽口の気配はカケラも残っていなかった。