短編
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「……また来たのか」
壁にもたれた一虎が面倒そうに目を細める。
「来ちゃだめだった?」
「別に……勝手にしろ」
素っ気ない返事なのに、帰れとは言わない。
ななしは紙パックのジュースを一つ差し出した。
「あげる」
「……俺の分?」
「いらないなら私が飲む」
「それはムカつく」
奪い取るように受け取った一虎に、小さく笑みがこぼれる。
「笑うな」
「なんで?」
「……なんでも」
ストローを刺す仕草が少しだけ雑だった。
◇
「今日、コンビニで猫に逃げられた」
「お前って猫に嫌われてんの?」
「違うもん」
「前もそんなこと言ってたろ」
「今日は撫でようとしただけ」
「近付き方が下手なんじゃねぇの」
「一虎には言われたくないな」
その言葉で一虎の動きが止まる。
「……は?」
「人との距離感」
「うるせぇ」
即答だった。
それでも怒鳴るほどではなく、視線だけが横へ逸れる。
ななしは肩をすくめた。
「図星?」
「違ぇよ」
「じゃあ」
「……知らねぇ」
返ってきた声は少しだけ小さい。
◇
沈黙が続いても気まずくならない。
それが二人の不思議だった。
一虎はジュースを飲みながらぼそりと言う。
「お前さ、なんで毎回来んの」
「一虎に会いたいから」
あまりにも自然な返事に一虎がむせる。
「は?」
「それじゃ理由にならない?」
「……そういうこと普通に言うな」
「変だった?」
「変だろ」
耳まで赤くなっているのを隠すように前髪に触れる。
「勘違いするだろ」
「何を?」
「……知らねぇよ」
投げやりな声だった。
ななしは首を傾げるだけで追及しない。
その反応が余計に一虎を困らせる。
◇
数日後。
「遅かったな」
「もしかして待ってた?」
「待ってねぇよ」
「嘘」
「嘘じゃねぇ」
「じゃあ帰ろっかな」
「……おい」
背を向けた瞬間に呼び止められる。
「何?」
「帰るな」
短い言葉だった。
それだけなのに胸の奥が少し熱くなる。
隣へ座ると一虎は不満そうな顔をした。
「素直すぎ」
「だって一虎が帰るなって」
「……忘れろ」
「無理」
「なんでだよ」
「だって、嬉しかったから」
また黙る。
本当にこの人は黙るのが下手だとななしは思う。
隠そうとしていることが、そのまま顔に出てしまう。
◇
「なぁ」
「ん?」
「俺といると面白くねぇだろ」
「そんなことないよ?」
「気ぃ遣ってんだろ」
「遣ってないって」
「嘘つけ」
「私が誰といたいかくらい、自分で決めるよ」
返事はない。
けれど一虎は目を逸らさなかった。
「だから一虎も勝手に決めないで」
「……そういうとこ嫌い」
「それ本当?」
「嫌いなわけねぇだろ」
言ってしまってから固まる。
数秒遅れて、自分の発言へ気付いたらしい。
「いや……今のは」
「聞こえた」
「忘れろ」
「無理」
「……最悪」
額を押さえた一虎へ笑いが漏れる。
◇
その日から、少しだけ二人の空気が変わった。
帰る時間もなんとなく一緒になるが、一虎はそれ以上踏み込んでこない。
互いにうまく言葉を選びきれないまま、数日が過ぎていった。
そんなある日――
「寒い!」
「薄着だからだろ」
「今日こんなに冷えると思わなくて」
「学習しろ」
そう言いながら一虎は着ていた上着を放る。
「え」
「着とけ」
「一虎は?」
「俺は平気」
「でも」
「いいから」
受け取った上着は少しだけ温かい。
「ありがとう」
「ちゃんと返せよ」
「もちろん」
「洗濯とかすんな」
「なんで?」
「……なんとなく」
理由を説明できないまま顔を背ける。
その横顔にななしは微笑んだ。
◇
数日後、畳まれた上着を差し出すと、一虎は受け取らない。
「しばらく持ってろ」
「え?」
「また寒くなる」
「でも」
「いいから」
「一虎」
「……俺が持ってても意味ねぇし」
「意味あるよ」
「ねぇよ」
「ある」
「ない」
「ある」
子どものような言い合いになり、一虎が先に笑ってしまう。
「何それ」
「お前が悪い」
「一虎が頑固」
「知ってる」
笑った顔を見た瞬間、ななしの鼓動が少し速くなる。
「聞いていい?」
「……内容による」
「なに、怖いの?」
「違う」
「じゃあ聞く」
一虎は観念したように息を吐く。
「……早くしろ」
「なんでそんなに距離を置くの」
静かだった。
一虎は長い時間答えない。
「近付くと……壊すから」
「誰を?」
返事はない。
それが答えだった。
「一虎」
「だから離れてた方がいい」
「それ一虎が決めること?」
「決める」
「私の気持ちは?」
言葉が詰まる。
一虎は苦しそうに笑った。
「そんなの知ったら終わる」
「どうして?」
「期待するから」
初めてだった。
こんなふうに弱い顔を見せたのは。
「俺が一番無理なんだよ」
ななしは少しだけ近付く。
逃げようとした一虎が止まる。
「ねぇ」
「来んな」
「嫌だ」
「なんで」
「一虎が逃げるから」
「逃げるだろ」
「うん」
「……俺なんか好きになるな」
「もう遅いよ」
「……やめろ」
「無理」
「俺は、怖いんだ」
言い切った声は少し震えていた。
ななしは黙って見つめる。
「好きになればなるほど、失う気しかしねぇ」
「じゃあ、一緒に怖がろう」
「は?」
「一人で抱えなくていい」
一虎は眉を寄せる。
「そんな簡単じゃ――」
「簡単なんて言ってない」
「……」
「でも隣にはいたい」
風が二人の間を通り抜ける。
長い沈黙のあと、やがて一虎がゆっくり口を開く。
「お前って、本当ずるい」
「どうして?」
「帰れって言えなくなる」
「言わなくていいよ」
「……馬鹿」
その声には棘がなかった。
◇
「一つだけ約束して」
「なに……」
「一虎が苦しくなったらちゃんと言って」
「できるかわかんねぇ」
「じゃあ頑張って」
「……それなら」
一虎は少し考えてから頷く。
そして照れ隠しのように頭をかく。
「期待させるかもしれねぇぞ」
「もうしてる」
「そういうこと平気で言うな」
「だって本当だから」
一虎は困ったように笑う。
「本当、勝てねぇ」
「勝負してたの?」
「ずっと」
「結果は?」
「俺の負け」
その言葉にななしが笑う。
一虎もつられて笑ってしまう。
どちらからともなく歩幅がそろい、そのまま隣を歩いた。
「お前、また来る?」
「来るよ」
「……待ってる」
小さな声だった。
聞き返さなくても十分だった。
「うん。またね一虎」
「ああ」
照れくさそうに手を振る一虎を見て、ななしは足を止めずに歩き出す。
その背中を見送る一虎の視線はもう逃げていなかった。
壁にもたれた一虎が面倒そうに目を細める。
「来ちゃだめだった?」
「別に……勝手にしろ」
素っ気ない返事なのに、帰れとは言わない。
ななしは紙パックのジュースを一つ差し出した。
「あげる」
「……俺の分?」
「いらないなら私が飲む」
「それはムカつく」
奪い取るように受け取った一虎に、小さく笑みがこぼれる。
「笑うな」
「なんで?」
「……なんでも」
ストローを刺す仕草が少しだけ雑だった。
◇
「今日、コンビニで猫に逃げられた」
「お前って猫に嫌われてんの?」
「違うもん」
「前もそんなこと言ってたろ」
「今日は撫でようとしただけ」
「近付き方が下手なんじゃねぇの」
「一虎には言われたくないな」
その言葉で一虎の動きが止まる。
「……は?」
「人との距離感」
「うるせぇ」
即答だった。
それでも怒鳴るほどではなく、視線だけが横へ逸れる。
ななしは肩をすくめた。
「図星?」
「違ぇよ」
「じゃあ」
「……知らねぇ」
返ってきた声は少しだけ小さい。
◇
沈黙が続いても気まずくならない。
それが二人の不思議だった。
一虎はジュースを飲みながらぼそりと言う。
「お前さ、なんで毎回来んの」
「一虎に会いたいから」
あまりにも自然な返事に一虎がむせる。
「は?」
「それじゃ理由にならない?」
「……そういうこと普通に言うな」
「変だった?」
「変だろ」
耳まで赤くなっているのを隠すように前髪に触れる。
「勘違いするだろ」
「何を?」
「……知らねぇよ」
投げやりな声だった。
ななしは首を傾げるだけで追及しない。
その反応が余計に一虎を困らせる。
◇
数日後。
「遅かったな」
「もしかして待ってた?」
「待ってねぇよ」
「嘘」
「嘘じゃねぇ」
「じゃあ帰ろっかな」
「……おい」
背を向けた瞬間に呼び止められる。
「何?」
「帰るな」
短い言葉だった。
それだけなのに胸の奥が少し熱くなる。
隣へ座ると一虎は不満そうな顔をした。
「素直すぎ」
「だって一虎が帰るなって」
「……忘れろ」
「無理」
「なんでだよ」
「だって、嬉しかったから」
また黙る。
本当にこの人は黙るのが下手だとななしは思う。
隠そうとしていることが、そのまま顔に出てしまう。
◇
「なぁ」
「ん?」
「俺といると面白くねぇだろ」
「そんなことないよ?」
「気ぃ遣ってんだろ」
「遣ってないって」
「嘘つけ」
「私が誰といたいかくらい、自分で決めるよ」
返事はない。
けれど一虎は目を逸らさなかった。
「だから一虎も勝手に決めないで」
「……そういうとこ嫌い」
「それ本当?」
「嫌いなわけねぇだろ」
言ってしまってから固まる。
数秒遅れて、自分の発言へ気付いたらしい。
「いや……今のは」
「聞こえた」
「忘れろ」
「無理」
「……最悪」
額を押さえた一虎へ笑いが漏れる。
◇
その日から、少しだけ二人の空気が変わった。
帰る時間もなんとなく一緒になるが、一虎はそれ以上踏み込んでこない。
互いにうまく言葉を選びきれないまま、数日が過ぎていった。
そんなある日――
「寒い!」
「薄着だからだろ」
「今日こんなに冷えると思わなくて」
「学習しろ」
そう言いながら一虎は着ていた上着を放る。
「え」
「着とけ」
「一虎は?」
「俺は平気」
「でも」
「いいから」
受け取った上着は少しだけ温かい。
「ありがとう」
「ちゃんと返せよ」
「もちろん」
「洗濯とかすんな」
「なんで?」
「……なんとなく」
理由を説明できないまま顔を背ける。
その横顔にななしは微笑んだ。
◇
数日後、畳まれた上着を差し出すと、一虎は受け取らない。
「しばらく持ってろ」
「え?」
「また寒くなる」
「でも」
「いいから」
「一虎」
「……俺が持ってても意味ねぇし」
「意味あるよ」
「ねぇよ」
「ある」
「ない」
「ある」
子どものような言い合いになり、一虎が先に笑ってしまう。
「何それ」
「お前が悪い」
「一虎が頑固」
「知ってる」
笑った顔を見た瞬間、ななしの鼓動が少し速くなる。
「聞いていい?」
「……内容による」
「なに、怖いの?」
「違う」
「じゃあ聞く」
一虎は観念したように息を吐く。
「……早くしろ」
「なんでそんなに距離を置くの」
静かだった。
一虎は長い時間答えない。
「近付くと……壊すから」
「誰を?」
返事はない。
それが答えだった。
「一虎」
「だから離れてた方がいい」
「それ一虎が決めること?」
「決める」
「私の気持ちは?」
言葉が詰まる。
一虎は苦しそうに笑った。
「そんなの知ったら終わる」
「どうして?」
「期待するから」
初めてだった。
こんなふうに弱い顔を見せたのは。
「俺が一番無理なんだよ」
ななしは少しだけ近付く。
逃げようとした一虎が止まる。
「ねぇ」
「来んな」
「嫌だ」
「なんで」
「一虎が逃げるから」
「逃げるだろ」
「うん」
「……俺なんか好きになるな」
「もう遅いよ」
「……やめろ」
「無理」
「俺は、怖いんだ」
言い切った声は少し震えていた。
ななしは黙って見つめる。
「好きになればなるほど、失う気しかしねぇ」
「じゃあ、一緒に怖がろう」
「は?」
「一人で抱えなくていい」
一虎は眉を寄せる。
「そんな簡単じゃ――」
「簡単なんて言ってない」
「……」
「でも隣にはいたい」
風が二人の間を通り抜ける。
長い沈黙のあと、やがて一虎がゆっくり口を開く。
「お前って、本当ずるい」
「どうして?」
「帰れって言えなくなる」
「言わなくていいよ」
「……馬鹿」
その声には棘がなかった。
◇
「一つだけ約束して」
「なに……」
「一虎が苦しくなったらちゃんと言って」
「できるかわかんねぇ」
「じゃあ頑張って」
「……それなら」
一虎は少し考えてから頷く。
そして照れ隠しのように頭をかく。
「期待させるかもしれねぇぞ」
「もうしてる」
「そういうこと平気で言うな」
「だって本当だから」
一虎は困ったように笑う。
「本当、勝てねぇ」
「勝負してたの?」
「ずっと」
「結果は?」
「俺の負け」
その言葉にななしが笑う。
一虎もつられて笑ってしまう。
どちらからともなく歩幅がそろい、そのまま隣を歩いた。
「お前、また来る?」
「来るよ」
「……待ってる」
小さな声だった。
聞き返さなくても十分だった。
「うん。またね一虎」
「ああ」
照れくさそうに手を振る一虎を見て、ななしは足を止めずに歩き出す。
その背中を見送る一虎の視線はもう逃げていなかった。
