短編
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薄暗い部屋の空気が一瞬で凍りついたようだった。
玄関の扉が閉まる音が響いた直後、強い力で腕を掴まれ、背中が壁に叩きつけられる。鈍い衝撃に息が詰まった。
「……三途?」
見上げる視線の先、狂気を孕んだ瞳がこちらをじっと見下ろしていた。いつもの綺麗な顔が今は見たこともないほど歪んでいる。怒りと、それ以上に言葉にならない焦燥が彼の全身から刺々しく放たれていた。
「おい」
低く地を這うような声だった。
三途の手首を掴む指先に容赦のない力が込められる。
みしりと骨が軋むような痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「何、急に……痛いよ」
「痛ぇ? 痛いのは俺の方だろ。さっきの男、誰だ」
「え? さっきのって……」
「とぼけんな!」
怒号が狭い空間に響き渡る。
三途はそのまま、掴んでいた両腕をさらに強く壁へと押しつけた。
逃げることも忘れるほど、三途の存在だけが近く感じられた。
完全に退路を断たれ、その体躯に覆い被さられるようにして視界が彼だけで埋まる。
「ただの、仕事の同僚だよ。駅前で偶然会って、少し話してただけ」
「あんな楽しそうに笑い合ってか?」
「仕事の連絡事項があったから……っ」
「言い訳なんか聞いてねぇんだよ!」
三途の呼吸が荒い。
向けられる視線には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
嫉妬でぐちゃぐちゃにかき乱され、完全に余裕を失っているのが一目でわかった。
いつもならどこか人を食ったような態度を崩さない彼が、今は剥き出しの感情をそのままぶつけてきている。
「俺以外の男に、そんな顔見せるんじゃねぇって言っただろ」
「三途、落ち着いて。本当に何もないから」
「黙れ。お前の口から、他の男の言い訳なんか一言も聞きたくねぇ」
直後、視界が急速に狭まった。
言葉を交わす猶予など、最初から与える気はなかったらしい。
引き寄せられるようにして、強引に唇を塞がれた。
「ん……っ!?」
驚きで目を見開く。
けれど、驚いている暇さえなかった。
降ってきたのは、口づけというにはあまりにも乱暴で、貪るような熱だった。
三途の唇が、こちらの唇を押し潰すようにして激しく重なる。
逃げようとわずかに頭を動かそうとしたが、両腕を完全に固定されているため、それすら叶わない。
「ん、……」
拒むような声を出す暇もなく、彼の舌が強引に割り込んできた。
歯列を裏側からなぞるように抉り、口内のすべての水分を奪い去ろうとするかのような狂おしいほどの執着。
三途の呼吸が鼻腔をくすぐり、熱い息が直接流れ込んできて、頭の芯がじわりと痺れていく。
一度唇が離されたほんの数ミリの隙間。
しかし、息を吸う間さえくれなかった。
「……は、あ」
「……まだ足りねぇ。全然足りねぇよ」
三途は低く、掠れた声で呟くと、今度はさらに深く、角度を変えて 唇を重ねてきた。
互いの呼吸が完全に混ざり合う。
激しい舌の動きに伴って濡れた生々しい音が狭い部屋に響く。
それはもう、愛情を確かめ合うような優しいものでは断じてなかった。
己の所有物であることを刻みつけるような、ただただ一方的で、暴力的なまでの独占欲の顕現だった。
「ん、んんっ……!」
苦しくて、酸素を求めて胸を上下させるが、彼が密着しているせいで満足に息も吸えない。
口内を蹂躙される感覚に、次第に身体から力が抜けていく。
壁に押しつけられた両腕だけが、三途の強い力によって辛うじて支えられている状態だった。
三途の指が手首に深く食い込んでいる。
ようやく唇が離されたとき、口元からは銀の糸が引いていた。
お互いの唾液で濡れた唇を晒しながら、ななしは大きく肩で息をした。
「……はぁ、は、三途……もう、やめて……」
「やめるわけねぇだろ」
三途の目は、まだ据わったままだった。
口元を濡らした涎を拭うことすらせず、彼はただ、こちらの呼吸が乱れる様を愉しむように、あるいはまだ満足いかないと言わんばかりに、じっと見つめてくる。
その視線の熱さに、肌が粟立つような感覚を覚えた。
「お前は俺のもんだ。なぁ、分かってんだろ?」
「……っ」
「他の奴見るな。他の奴と喋るな。俺だけ見てりゃいいんだよ」
吐き出される言葉はどれも酷く幼く、そして狂気じみていた。
いつもなら一歩引いて、彼の機嫌を伺うこともできたかもしれない。
けれど、今の三途にはそんな小細工は一切通用しない。
目の前にいるのは、嫉妬に振り回されている不器用な一人の男だった。
「……わかったから、一回離して」
「離したら、またどこか行く気だろ」
「行かないよ。ここにいる」
「信じねぇ。お前の言葉なんか、今は何一つ信じられねぇよ」
そう吐き捨てると、彼は三度、唇を奪ってきた。
今度は先ほどよりも執拗だった。
唇の端、輪郭をなぞるように激しく吸い上げられ大きな音が立つ。
痛いほどの口づけ。
三途の歯が下唇に小さく当たった。
微かな痛みに身体を強張らせると、それを合図にするかのように彼はさらに深く舌を突き入れてきた。
「ん、んぅ……!」
絡み合う舌が、互いの唾液をかき混ぜる。
口内だけでなく、顎のあたりまで濡れた感触が伝わってきて、恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだった。
けれど三途はそれを気にする素振りも見せない。
むしろ自分の色で塗り潰すことに全てを注いでいるようだった。
固定された両腕が、じんわりと痺れ始めている。
それでも三途は力を緩めない。
彼の指の隙間から、逃げ出すことなど絶対に許さないという強い意志が伝わってくる。
「……っ、ふ、あ」
限界を迎えて掠れた悲鳴のような吐息が漏れた。
その音を聞いて三途は満足したのか、それともこれ以上は本当に息が続かないと察したのか、ゆっくりと唇を離した。
◇
部屋の明かりをつけていないため、夕暮れの残光がわずかに室内に差し込んでいる。
逆光になった三途の顔からは、その表情のすべてを読み取ることはできなかった。
ただ激しく上下する胸板と荒い呼吸だけが、この空間の支配者が誰であるかを物語っている。
「……おい」
三途が低く、どこか掠れた声で呼びかけてきた。
掴まれていた両腕がようやく解放される。
血が巡る感覚と共に鈍い痛みが手首に残った。
おそらく痕になっているだろう。
「……何」
声を出すのもやっとだった。
唇は痺れ、腫れぼったい熱を帯びている。
顎のあたりを伝う濡れた感触を、自分の手でそっと拭った。
「まだ、そんな顔すんのか」
三途は解放したばかりのわたしの手首を、今度は包み込むようにして再び握り直した。
先ほどの暴力的な強さとは違い、どこか縋るような脆さを孕んだ力加減だった。
「怒ってるのは、わたしの方なんだけど」
「知るか。お前が悪い」
「どうしてそうなるの。ただの仕事の話って言ったじゃない」
「男と二人でいたのが気に入らねぇっつってんだよ。理由なんか関係ねぇ」
どこまでも理不尽で我が儘な男だった。
けれど、その瞳の奥にある揺らぎを、見落とすことはできなかった。
三途はただ、怖かったのだ。
自分の手の届かないところで、わたしが他の誰かと笑い合っていることが。
その事実が、彼のプライドと脆い独占欲を根底から揺さぶったのだろう。
「……三途」
「呼ぶな。調子狂う」
一歩、自分から距離を詰めてみる。
彼は驚いたように、わずかに眉を寄せた。
いつもならここで、三途を突き放すこともできたはずだ。
けれど、これほどまでに余裕をなくし、なりふり構わず自分を求めてきた男を、そのままにしておくことはできなかった。
「ずっとここにいるよ」
「……お前が行く場所なんて、最初からどこにもねぇんだよ」
強がりの言葉を吐きながらも、三途はそっと己の額を押しあててきた。
伝わってくる体温は驚くほど高かった。
互いの荒い呼吸が、静まり返った部屋の中で優しく重なり合っていく。
「……もう一回、して」
小さく呟いた言葉に、三途の身体が微かに震えた。
「……命令すんな」
口ではそう言いながらも彼の唇が再び重なる。
今度は先ほどのような激しさはなく、けれど先ほどよりもずっと深く、 逃れられないほどの重みを持った口づけだった。
外の喧騒から切り離された薄暗い部屋の中で、わたしたちはいつまでも、互いの熱を確かめ合うように何度も唇を重ね続けた。
玄関の扉が閉まる音が響いた直後、強い力で腕を掴まれ、背中が壁に叩きつけられる。鈍い衝撃に息が詰まった。
「……三途?」
見上げる視線の先、狂気を孕んだ瞳がこちらをじっと見下ろしていた。いつもの綺麗な顔が今は見たこともないほど歪んでいる。怒りと、それ以上に言葉にならない焦燥が彼の全身から刺々しく放たれていた。
「おい」
低く地を這うような声だった。
三途の手首を掴む指先に容赦のない力が込められる。
みしりと骨が軋むような痛みが走り、思わず顔をしかめた。
「何、急に……痛いよ」
「痛ぇ? 痛いのは俺の方だろ。さっきの男、誰だ」
「え? さっきのって……」
「とぼけんな!」
怒号が狭い空間に響き渡る。
三途はそのまま、掴んでいた両腕をさらに強く壁へと押しつけた。
逃げることも忘れるほど、三途の存在だけが近く感じられた。
完全に退路を断たれ、その体躯に覆い被さられるようにして視界が彼だけで埋まる。
「ただの、仕事の同僚だよ。駅前で偶然会って、少し話してただけ」
「あんな楽しそうに笑い合ってか?」
「仕事の連絡事項があったから……っ」
「言い訳なんか聞いてねぇんだよ!」
三途の呼吸が荒い。
向けられる視線には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
嫉妬でぐちゃぐちゃにかき乱され、完全に余裕を失っているのが一目でわかった。
いつもならどこか人を食ったような態度を崩さない彼が、今は剥き出しの感情をそのままぶつけてきている。
「俺以外の男に、そんな顔見せるんじゃねぇって言っただろ」
「三途、落ち着いて。本当に何もないから」
「黙れ。お前の口から、他の男の言い訳なんか一言も聞きたくねぇ」
直後、視界が急速に狭まった。
言葉を交わす猶予など、最初から与える気はなかったらしい。
引き寄せられるようにして、強引に唇を塞がれた。
「ん……っ!?」
驚きで目を見開く。
けれど、驚いている暇さえなかった。
降ってきたのは、口づけというにはあまりにも乱暴で、貪るような熱だった。
三途の唇が、こちらの唇を押し潰すようにして激しく重なる。
逃げようとわずかに頭を動かそうとしたが、両腕を完全に固定されているため、それすら叶わない。
「ん、……」
拒むような声を出す暇もなく、彼の舌が強引に割り込んできた。
歯列を裏側からなぞるように抉り、口内のすべての水分を奪い去ろうとするかのような狂おしいほどの執着。
三途の呼吸が鼻腔をくすぐり、熱い息が直接流れ込んできて、頭の芯がじわりと痺れていく。
一度唇が離されたほんの数ミリの隙間。
しかし、息を吸う間さえくれなかった。
「……は、あ」
「……まだ足りねぇ。全然足りねぇよ」
三途は低く、掠れた声で呟くと、今度はさらに深く、角度を変えて 唇を重ねてきた。
互いの呼吸が完全に混ざり合う。
激しい舌の動きに伴って濡れた生々しい音が狭い部屋に響く。
それはもう、愛情を確かめ合うような優しいものでは断じてなかった。
己の所有物であることを刻みつけるような、ただただ一方的で、暴力的なまでの独占欲の顕現だった。
「ん、んんっ……!」
苦しくて、酸素を求めて胸を上下させるが、彼が密着しているせいで満足に息も吸えない。
口内を蹂躙される感覚に、次第に身体から力が抜けていく。
壁に押しつけられた両腕だけが、三途の強い力によって辛うじて支えられている状態だった。
三途の指が手首に深く食い込んでいる。
ようやく唇が離されたとき、口元からは銀の糸が引いていた。
お互いの唾液で濡れた唇を晒しながら、ななしは大きく肩で息をした。
「……はぁ、は、三途……もう、やめて……」
「やめるわけねぇだろ」
三途の目は、まだ据わったままだった。
口元を濡らした涎を拭うことすらせず、彼はただ、こちらの呼吸が乱れる様を愉しむように、あるいはまだ満足いかないと言わんばかりに、じっと見つめてくる。
その視線の熱さに、肌が粟立つような感覚を覚えた。
「お前は俺のもんだ。なぁ、分かってんだろ?」
「……っ」
「他の奴見るな。他の奴と喋るな。俺だけ見てりゃいいんだよ」
吐き出される言葉はどれも酷く幼く、そして狂気じみていた。
いつもなら一歩引いて、彼の機嫌を伺うこともできたかもしれない。
けれど、今の三途にはそんな小細工は一切通用しない。
目の前にいるのは、嫉妬に振り回されている不器用な一人の男だった。
「……わかったから、一回離して」
「離したら、またどこか行く気だろ」
「行かないよ。ここにいる」
「信じねぇ。お前の言葉なんか、今は何一つ信じられねぇよ」
そう吐き捨てると、彼は三度、唇を奪ってきた。
今度は先ほどよりも執拗だった。
唇の端、輪郭をなぞるように激しく吸い上げられ大きな音が立つ。
痛いほどの口づけ。
三途の歯が下唇に小さく当たった。
微かな痛みに身体を強張らせると、それを合図にするかのように彼はさらに深く舌を突き入れてきた。
「ん、んぅ……!」
絡み合う舌が、互いの唾液をかき混ぜる。
口内だけでなく、顎のあたりまで濡れた感触が伝わってきて、恥ずかしさで頭がどうにかなりそうだった。
けれど三途はそれを気にする素振りも見せない。
むしろ自分の色で塗り潰すことに全てを注いでいるようだった。
固定された両腕が、じんわりと痺れ始めている。
それでも三途は力を緩めない。
彼の指の隙間から、逃げ出すことなど絶対に許さないという強い意志が伝わってくる。
「……っ、ふ、あ」
限界を迎えて掠れた悲鳴のような吐息が漏れた。
その音を聞いて三途は満足したのか、それともこれ以上は本当に息が続かないと察したのか、ゆっくりと唇を離した。
◇
部屋の明かりをつけていないため、夕暮れの残光がわずかに室内に差し込んでいる。
逆光になった三途の顔からは、その表情のすべてを読み取ることはできなかった。
ただ激しく上下する胸板と荒い呼吸だけが、この空間の支配者が誰であるかを物語っている。
「……おい」
三途が低く、どこか掠れた声で呼びかけてきた。
掴まれていた両腕がようやく解放される。
血が巡る感覚と共に鈍い痛みが手首に残った。
おそらく痕になっているだろう。
「……何」
声を出すのもやっとだった。
唇は痺れ、腫れぼったい熱を帯びている。
顎のあたりを伝う濡れた感触を、自分の手でそっと拭った。
「まだ、そんな顔すんのか」
三途は解放したばかりのわたしの手首を、今度は包み込むようにして再び握り直した。
先ほどの暴力的な強さとは違い、どこか縋るような脆さを孕んだ力加減だった。
「怒ってるのは、わたしの方なんだけど」
「知るか。お前が悪い」
「どうしてそうなるの。ただの仕事の話って言ったじゃない」
「男と二人でいたのが気に入らねぇっつってんだよ。理由なんか関係ねぇ」
どこまでも理不尽で我が儘な男だった。
けれど、その瞳の奥にある揺らぎを、見落とすことはできなかった。
三途はただ、怖かったのだ。
自分の手の届かないところで、わたしが他の誰かと笑い合っていることが。
その事実が、彼のプライドと脆い独占欲を根底から揺さぶったのだろう。
「……三途」
「呼ぶな。調子狂う」
一歩、自分から距離を詰めてみる。
彼は驚いたように、わずかに眉を寄せた。
いつもならここで、三途を突き放すこともできたはずだ。
けれど、これほどまでに余裕をなくし、なりふり構わず自分を求めてきた男を、そのままにしておくことはできなかった。
「ずっとここにいるよ」
「……お前が行く場所なんて、最初からどこにもねぇんだよ」
強がりの言葉を吐きながらも、三途はそっと己の額を押しあててきた。
伝わってくる体温は驚くほど高かった。
互いの荒い呼吸が、静まり返った部屋の中で優しく重なり合っていく。
「……もう一回、して」
小さく呟いた言葉に、三途の身体が微かに震えた。
「……命令すんな」
口ではそう言いながらも彼の唇が再び重なる。
今度は先ほどのような激しさはなく、けれど先ほどよりもずっと深く、 逃れられないほどの重みを持った口づけだった。
外の喧騒から切り離された薄暗い部屋の中で、わたしたちはいつまでも、互いの熱を確かめ合うように何度も唇を重ね続けた。
