佐野万次郎
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目が合った。
それだけで心臓が跳ねる。
少し離れた場所にいた佐野万次郎が首を傾げた。
「また逃げる?」
「に、逃げないです」
「ふーん」
逃げていない。
逃げていないけれど、足は一歩後ろへ下がっていた。
それを見た佐野万次郎が小さく笑う。
「嘘じゃん」
「だって佐野くん、怖いし……」
「オレ?」
「……うん」
「傷ついた」
まったく傷ついていなさそうな顔だった。
むしろ少し楽しそうですらある。
「オレ、何もしてないのに」
「それはそうだけど……」
「けど?」
「佐野くんって、なんか怖い」
「なんかってなに」
「なんかはなんかです」
「ひど」
責めるような口調なのに声はどこか穏やかだった。
沈黙が落ちる。
先に口を開いたのは万次郎だった。
「じゃあさ」
「?」
「怖くなくなるまで話す?」
「……え」
「逃げないなら」
「……」
「逃げる?」
「逃げ……ません」
「よし」
勝手に決まった。
そう思ったのに不思議と嫌ではなかった。
◇
「佐野くんって」
「うん」
「いつ寝てるんですか」
「急だな」
「なんとなく」
「寝てるよ普通に」
「想像できない……」
「しょっちゅう居眠りしてる」
「それも想像できない」
「オレどんな人だと思われてんの」
「……すごい人」
「雑」
「あと怖い人」
「まだ言う?」
「ごめんなさい」
万次郎が笑う。
「でもさ」
「?」
「怖いなら普通、こんなに話さなくない?」
「……」
図星だった。
最初は視線を合わせることも苦手だった。
近くにいるだけで緊張した。
なのに今は会話が続いている。
沈黙になっても前ほど苦しくない。
「慣れた?」
「少しだけ」
「少しかー」
「努力はしてます」
「知ってる」
即答だった。
「え?」
「毎回逃げようとして、ちゃんと踏みとどまってるじゃん」
「……見てたんですか」
「見てた」
「恥ずかしい……」
「頑張ってんなって思ってた」
その言葉に視線が揺れる。
万次郎は特別な顔をしていなかった。
当たり前みたいに言う。
それが余計に困る。
「……佐野くん」
「ん?」
「優しいですね」
「今さら?」
「今さらです」
「オレ、ずっと優しいけど」
「自分で言うんだ……」
「事実だし」
少しだけ笑った。
それを見た万次郎が目を細める。
「今、笑った」
「笑いますよ」
「オレの前で笑ったの、初めてかも」
「そんなことないです」
「あるよ」
断言された。
「前はこんな顔してた」
万次郎が真顔になる。
思わず吹き出した。
「それはひどいです」
「似てる」
「似てません」
「いや似てる」
「似てませんって」
笑いながら否定すると万次郎も笑った。
◇
「ねぇ」
「はい」
「オレのこと、まだ怖い?」
問いかけは不意だった。
答えに迷う。
怖い、怖かった。
けれどーー
「……最初ほどじゃないです」
「そっか」
「佐野くんは怖い人じゃないんだなって」
「うん」
「ちゃんと分かってきました」
万次郎は少し黙った。
「それは違うかも」
「え?」
「怖いよ、オレ」
「……」
「優しい人でもないし」
珍しく視線が逸れる。
「でも」
万次郎が続けた。
「■■■には怖がられたくない」
言葉が止まる。
「なんで……?」
「好きだから」
あまりにも自然だった。
呼吸をするみたいに。
「……え?」
「好き」
「えっ」
「だから怖がられるの嫌」
頭が追いつかない。
「ちょっと待ってください」
「待つ」
「今のって」
「告白だけど」
「軽く言わないでください」
「びっくりした?」
「びっくりしました!」
「じゃあ成功」
「成功じゃないです!」
万次郎がまた笑う。
「でも本当」
「……」
「オレ、ずっと好き」
「いつからですか」
「結構前」
「全然気づかなかった……」
「だろうね」
「なんでですか」
「怖がられてたから」
それは否定できない。
「近づいたら逃げそうだったし」
「……逃げてたかも」
「うん」
「否定してくださいよ」
「事実だし」
さっきの仕返しみたいだった。
◇
「返事はいらない」
「え?」
「今すぐじゃなくていい」
「でも」
「怖いまま付き合っても楽しくないだろ」
万次郎が座ったまま空を見上げる。
「オレは待てるよ」
「……」
「■■■がオレ見て逃げなくなるまで」
「……そんな日来るかな」
「来る」
「なんでそんなに自信あるんですか」
「だって今もう逃げてない」
言われて気づく。
確かに。
最初ならとっくに距離を取っていた。
「少しずつでいい」
「……」
「オレのこと知ってよ」
静かな声だった。
押しつけるでもなく、急かすでもなく。
ただ待っている声。
「佐野くん」
「ん?」
「わたし頑張ります」
「うん」
「佐野くんのこと、ちゃんと知りたい」
「うん」
「それで、」
「それで?」
「……もし」
「もし?」
「怖くなくなったら」
万次郎がこちらを見る。
「その時は、しっかり考えます」
数秒の沈黙。
次の瞬間、万次郎が笑った。
「十分」
「え?」
「めちゃくちゃ進歩」
「そうですか?」
「前なら会話の途中で帰ってた」
「それは……否定できないです」
「だろ?」
楽しそうだった。
本当に嬉しそうだった。
「じゃあ約束」
「約束?」
「オレは待つ」
「……はい」
「■■■は逃げない」
「努力します」
「努力じゃなくて約束」
「う、」
「ほら」
「……逃げません」
「よし」
満足そうに頷く。
「佐野くん」
「ん?」
「もし途中で、また怖くなったら……その時はどうしたらいいですか」
万次郎は少し考える。
それから笑った。
「名前呼んで」
「名前?」
「うん」
「佐野くんって?」
「それ」
「それでいいんですか」
「呼ばれたら迎えに行く」
「迎えに?」
「怖くないって思えるとこまで」
冗談みたいな言葉だった。
なのに不思議と安心した。
「……ずるいですね」
「何が?」
「そういうところです」
「オレ、好きな子には甘いから」
「また言う……」
「事実だし」
同じ言葉が返ってくる。
今度は笑ってしまった。
「■■■」
「はい」
「次会った時も逃げないでね」
「……善処します」
「約束」
「……約束します」
「うん」
満足そうに頷いた万次郎を見て思う。
たぶんきっと、怖いという気持ちはすぐには消えない。
けれど逃げたいとは思わなかった。
「佐野くん」
「ん?」
「また一緒にお話してください」
万次郎が目を丸くする。
「それ告白?」
「違います!」
「そっか、残念」
「もう……」
笑う声が重なる。
「じゃあまた今度」
「はい」
「次はもっと仲良くなろう」
「……頑張ります」
「うん」
万次郎が柔らかく笑う。
「楽しみにしてる」
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