短編
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「……それを俺に言う?」
呆れたような声だった。
けれど蘭は笑っていた。
「だって蘭しかいなかったし」
「それ理由になってねぇよ」
終電を逃したわけでもない。
財布を落としたわけでもない。
ただ予定より遅くなってしまって、一人で帰るには少しだけ心細い時間だった。
連絡先を開いて指が止まった先が蘭だった。
それだけだ。
「迎え来るとは思わなかった」
「俺も思ってなかった」
「ひどい」
「だって普通呼ぶか?」
「……呼ばないかも」
「だろ?」
そう言いながら蘭は歩幅を少し緩めた。
隣を歩く速度が自然と合う。
それが余計に落ち着かなかった。
「ななしってさ」
「なに?」
「俺のこと便利に使いすぎじゃね?」
「使ってないよ」
「この前も連絡きたな」
「それは蘭が詳しかったから」
「その前は?」
「それは……」
「ほらな」
蘭がくつくつと笑う。
悔しいけれど否定できなかった。
困った時に思い浮かぶ。
会いたい時にも思い浮かぶ。
その違いを認めたくなくて今までずっと誤魔化してきた。
「でも蘭だって返事早いじゃん」
「あ?」
「既読つくの早いし」
「たまたま」
「電話も出るし」
「気分」
「迎えも来るし」
蘭が足を止めた。
「……それは気分じゃねぇな」
「え?」
「お前だから来た」
一拍遅れて意味が落ちてくる。
蘭は何事もなかったみたいにまた歩き出した。
「ほら行くぞ」
「……うん」
返事が少し裏返った。
聞こえていないことを祈った。
◇
「寒い」
「蘭、上着着ればよかったのに」
「お前に言われたくねぇな」
「わたしは着てるもん」
「薄いだろそれ」
「そう?」
「貸せ」
「え?」
蘭が袖口を摘まむ。
「こんなん気休めだろ」
「別に平気」
「顔赤いけど」
「それは違う」
「何が?」
「……何でもない」
蘭は少しだけ目を細めて口元を緩めた。
「変なの」
「蘭に言われたくない」
「俺は自覚ある」
「開き直らないで」
笑う声が近い。
こんな距離だっただろうかと思う。
蘭は昔から距離感がおかしい。
けれど最近は違う。
近づかれるたびに困るのは蘭のせいじゃない。
「そういやさ」
「ん?」
「お前、最近避けてたろ」
心臓が跳ねた。
「避けてない」
「いや避けてた」
「そんなことない」
「連絡減った」
「忙しかっただけ」
「ふーん」
蘭がこちらを見る。
「嘘が下手」
「……」
「俺、なんかした?」
「してない」
「じゃあ何」
答えられなかった。
好きになったから。
近くにいるほど苦しくなるから。
そんな理由、言えるわけがない。
「言いたくないなら別にいいけど」
蘭が視線を前に戻す。
「嫌われたのかと思った」
「違う!」
思ったより大きな声が出た。
蘭が驚いた顔をする。
「……嫌いじゃない」
「……うん」
「それは絶対違うから」
「分かったって」
困ったように笑う。
その顔を見て、今度は自分が困った。
◇
「なぁ」
「なに?」
「もしさ」
蘭が珍しく言葉を探す。
「俺が面倒なやつでも平気?」
「急にどうしたの」
「いいから」
「……平気だと思う」
「即答なんだ」
「蘭だし」
「それ理由になる?」
「なるよ」
蘭が小さく笑う。
「俺、お前が思ってるより面倒だぞ」
「知ってる」
「知ってんの?」
「知ってるつもり」
「ふーん」
少し沈黙が落ちる。
不思議と居心地は悪くなかった。
「俺さ、最近お前見ると機嫌悪くなる」
「……え?」
「いや正確には違うな」
蘭が頭をかく。
珍しい仕草だった。
「他のやつと話してんの見るとイラつく」
「……」
「俺、だいぶダサいこと言ってる?」
「……うん」
「だよな」
「でも、お前も同じ顔してる」
「……してない」
「してる」
「してない」
「してるって」
笑いながら言う。
その余裕が悔しい。
「この前さ、お前が他の男と帰るって聞いて」
「あれ仕事の人」
「知ってる」
「ならいいじゃん」
「よくねぇよ」
即答だった。
「全然よくねぇ」
視線がぶつかる。
先に逸らしたのは自分だった。
◇
「……ずるい」
「何が?」
「蘭ばっかり」
「俺ばっかり?」
「言いたいこと言うし」
「お前も言えば?」
「言えない」
「なんで」
「……蘭だから」
蘭が少し黙る。
「それ褒めてる?」
「分かんない」
「俺も分かんねぇ」
二人同時に笑った。
そのあと少しだけ静かになる。
「ななし」
名前を呼ばれる。
返事をする前に続いた。
「俺、お前のこと好きなんだけど」
世界が止まった気がした。
冗談を言う声じゃなかった。
からかう顔でもなかった。
ただ真っ直ぐだった。
「……返事は?」
「……待って」
「うん」
「待って」
「待ってる」
頭が真っ白になる。
ずっと好きだった。
好きになってはいけない相手だと思っていた。
近づけば傷つくのは自分だと思っていた。
「わたし……」
声が震える。
「わたしも好き」
蘭が瞬きをする。
「マジ?」
「マジ」
「夢じゃない?」
「たぶん」
「確認していい?」
「なにを?」
「ほっぺつねるとか」
「自分でやって」
「冷たいな」
笑う。
いつもの蘭だった。
けれど少しだけ違う。
どこか安心したような顔をしていた。
◇
「なぁ」
「ん?」
「いつから?」
「何が?」
「好きだったの」
「言わない」
「なんで」
「恥ずかしいから」
「俺は結構前」
「嘘」
「嘘じゃねぇよ」
「信じられない」
「ひど」
蘭が肩を竦める。
「最初は面白いやついるなって思っただけ」
「それ褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「気づいたら連絡待ってた」
心臓が忙しい。
「会う予定あると機嫌良くなるし」
「……」
「なくなると最悪」
「知らなかった」
「言ってねぇもん」
「なんで言わなかったの」
「振られると思った」
思わず足を止める。
「蘭が?」
「俺が」
「嘘」
「だからひどいって」
「だって蘭だよ?」
「俺だからだろ」
蘭が笑う。
「好きなやつ相手なら誰でも怖ぇよ」
その言葉が妙に嬉しかった。
特別なのだと分かる。
自分だけじゃなかったのだと分かる。
◇
「帰したくねぇな」
ぽつりと蘭が言う。
「……困る」
「知ってる」
「でも帰らないと」
「知ってる」
「……蘭?」
「分かってるって」
少しだけ不満そうな顔。
それがおかしくて笑ってしまう。
「何笑ってんの」
「蘭でもそんな顔するんだなって」
「失礼」
「ごめん」
「許さない」
「えぇ」
「……嘘」
蘭が少し近づく。
「一個聞いていい?」
「なに?」
「キスしたら困る?」
言葉が出なかった。
蘭が苦笑する。
「沈黙長いな」
「だって急に」
「嫌ならしない」
その声は驚くほど優しかった。
答えを待っている。
急かさず逃げ道も残してくれている。
「……困らない」
「それOKってこと?」
「たぶん」
「曖昧だな」
「蘭こそ」
「俺はしたい」
即答だった。
ずるい、本当にずるい。
「ななし」
名前を呼ばれて顔を上げる。
近い距離に息を呑む。
「目閉じて」
「命令?」
「お願い」
思わず笑う。
言われた通りに目を閉じた。
触れたのはほんの一瞬だった。
短い、けれど十分だった。
離れたあとも心臓は落ち着かない。
「……蘭」
「ん?」
「近い」
「今さら?」
「今さら」
蘭が少しだけ目を細める。
「なぁ」
「なに?」
「もう1回していい?」
「……聞くんだ」
「聞くだろ」
「蘭なら勝手にするかと思った」
「お前が嫌がることはしねぇよ」
返事ができない。
代わりに小さく頷くと蘭が笑った。
「ありがと」
次のキスはさっきより少し長かった。
離れたあと蘭が小さく息をつく。
「やばい」
「なにが?」
「思ったより嬉しい」
「……わたしも」
「それ反則」
「蘭に言われたくない」
蘭が少し笑う。
「……次はちゃんとデート誘う」
「次?」
「あるだろ」
「……あるの?」
「なかったら泣く」
「蘭が?」
「俺が」
思わず吹き出した。
「じゃあある」
「よかった」
蘭が満足そうに笑う。
「約束な」
「うん」
「逃げんなよ」
「逃げないよ」
「俺も逃げない」
その言葉が妙に心に残った。
たぶんずっと忘れない。
好きだと言った声も。
少しだけ照れた顔も。
名前を呼ぶ声も全部。
全部きっと忘れない。
呆れたような声だった。
けれど蘭は笑っていた。
「だって蘭しかいなかったし」
「それ理由になってねぇよ」
終電を逃したわけでもない。
財布を落としたわけでもない。
ただ予定より遅くなってしまって、一人で帰るには少しだけ心細い時間だった。
連絡先を開いて指が止まった先が蘭だった。
それだけだ。
「迎え来るとは思わなかった」
「俺も思ってなかった」
「ひどい」
「だって普通呼ぶか?」
「……呼ばないかも」
「だろ?」
そう言いながら蘭は歩幅を少し緩めた。
隣を歩く速度が自然と合う。
それが余計に落ち着かなかった。
「ななしってさ」
「なに?」
「俺のこと便利に使いすぎじゃね?」
「使ってないよ」
「この前も連絡きたな」
「それは蘭が詳しかったから」
「その前は?」
「それは……」
「ほらな」
蘭がくつくつと笑う。
悔しいけれど否定できなかった。
困った時に思い浮かぶ。
会いたい時にも思い浮かぶ。
その違いを認めたくなくて今までずっと誤魔化してきた。
「でも蘭だって返事早いじゃん」
「あ?」
「既読つくの早いし」
「たまたま」
「電話も出るし」
「気分」
「迎えも来るし」
蘭が足を止めた。
「……それは気分じゃねぇな」
「え?」
「お前だから来た」
一拍遅れて意味が落ちてくる。
蘭は何事もなかったみたいにまた歩き出した。
「ほら行くぞ」
「……うん」
返事が少し裏返った。
聞こえていないことを祈った。
◇
「寒い」
「蘭、上着着ればよかったのに」
「お前に言われたくねぇな」
「わたしは着てるもん」
「薄いだろそれ」
「そう?」
「貸せ」
「え?」
蘭が袖口を摘まむ。
「こんなん気休めだろ」
「別に平気」
「顔赤いけど」
「それは違う」
「何が?」
「……何でもない」
蘭は少しだけ目を細めて口元を緩めた。
「変なの」
「蘭に言われたくない」
「俺は自覚ある」
「開き直らないで」
笑う声が近い。
こんな距離だっただろうかと思う。
蘭は昔から距離感がおかしい。
けれど最近は違う。
近づかれるたびに困るのは蘭のせいじゃない。
「そういやさ」
「ん?」
「お前、最近避けてたろ」
心臓が跳ねた。
「避けてない」
「いや避けてた」
「そんなことない」
「連絡減った」
「忙しかっただけ」
「ふーん」
蘭がこちらを見る。
「嘘が下手」
「……」
「俺、なんかした?」
「してない」
「じゃあ何」
答えられなかった。
好きになったから。
近くにいるほど苦しくなるから。
そんな理由、言えるわけがない。
「言いたくないなら別にいいけど」
蘭が視線を前に戻す。
「嫌われたのかと思った」
「違う!」
思ったより大きな声が出た。
蘭が驚いた顔をする。
「……嫌いじゃない」
「……うん」
「それは絶対違うから」
「分かったって」
困ったように笑う。
その顔を見て、今度は自分が困った。
◇
「なぁ」
「なに?」
「もしさ」
蘭が珍しく言葉を探す。
「俺が面倒なやつでも平気?」
「急にどうしたの」
「いいから」
「……平気だと思う」
「即答なんだ」
「蘭だし」
「それ理由になる?」
「なるよ」
蘭が小さく笑う。
「俺、お前が思ってるより面倒だぞ」
「知ってる」
「知ってんの?」
「知ってるつもり」
「ふーん」
少し沈黙が落ちる。
不思議と居心地は悪くなかった。
「俺さ、最近お前見ると機嫌悪くなる」
「……え?」
「いや正確には違うな」
蘭が頭をかく。
珍しい仕草だった。
「他のやつと話してんの見るとイラつく」
「……」
「俺、だいぶダサいこと言ってる?」
「……うん」
「だよな」
「でも、お前も同じ顔してる」
「……してない」
「してる」
「してない」
「してるって」
笑いながら言う。
その余裕が悔しい。
「この前さ、お前が他の男と帰るって聞いて」
「あれ仕事の人」
「知ってる」
「ならいいじゃん」
「よくねぇよ」
即答だった。
「全然よくねぇ」
視線がぶつかる。
先に逸らしたのは自分だった。
◇
「……ずるい」
「何が?」
「蘭ばっかり」
「俺ばっかり?」
「言いたいこと言うし」
「お前も言えば?」
「言えない」
「なんで」
「……蘭だから」
蘭が少し黙る。
「それ褒めてる?」
「分かんない」
「俺も分かんねぇ」
二人同時に笑った。
そのあと少しだけ静かになる。
「ななし」
名前を呼ばれる。
返事をする前に続いた。
「俺、お前のこと好きなんだけど」
世界が止まった気がした。
冗談を言う声じゃなかった。
からかう顔でもなかった。
ただ真っ直ぐだった。
「……返事は?」
「……待って」
「うん」
「待って」
「待ってる」
頭が真っ白になる。
ずっと好きだった。
好きになってはいけない相手だと思っていた。
近づけば傷つくのは自分だと思っていた。
「わたし……」
声が震える。
「わたしも好き」
蘭が瞬きをする。
「マジ?」
「マジ」
「夢じゃない?」
「たぶん」
「確認していい?」
「なにを?」
「ほっぺつねるとか」
「自分でやって」
「冷たいな」
笑う。
いつもの蘭だった。
けれど少しだけ違う。
どこか安心したような顔をしていた。
◇
「なぁ」
「ん?」
「いつから?」
「何が?」
「好きだったの」
「言わない」
「なんで」
「恥ずかしいから」
「俺は結構前」
「嘘」
「嘘じゃねぇよ」
「信じられない」
「ひど」
蘭が肩を竦める。
「最初は面白いやついるなって思っただけ」
「それ褒めてる?」
「たぶん」
「たぶんなんだ」
「気づいたら連絡待ってた」
心臓が忙しい。
「会う予定あると機嫌良くなるし」
「……」
「なくなると最悪」
「知らなかった」
「言ってねぇもん」
「なんで言わなかったの」
「振られると思った」
思わず足を止める。
「蘭が?」
「俺が」
「嘘」
「だからひどいって」
「だって蘭だよ?」
「俺だからだろ」
蘭が笑う。
「好きなやつ相手なら誰でも怖ぇよ」
その言葉が妙に嬉しかった。
特別なのだと分かる。
自分だけじゃなかったのだと分かる。
◇
「帰したくねぇな」
ぽつりと蘭が言う。
「……困る」
「知ってる」
「でも帰らないと」
「知ってる」
「……蘭?」
「分かってるって」
少しだけ不満そうな顔。
それがおかしくて笑ってしまう。
「何笑ってんの」
「蘭でもそんな顔するんだなって」
「失礼」
「ごめん」
「許さない」
「えぇ」
「……嘘」
蘭が少し近づく。
「一個聞いていい?」
「なに?」
「キスしたら困る?」
言葉が出なかった。
蘭が苦笑する。
「沈黙長いな」
「だって急に」
「嫌ならしない」
その声は驚くほど優しかった。
答えを待っている。
急かさず逃げ道も残してくれている。
「……困らない」
「それOKってこと?」
「たぶん」
「曖昧だな」
「蘭こそ」
「俺はしたい」
即答だった。
ずるい、本当にずるい。
「ななし」
名前を呼ばれて顔を上げる。
近い距離に息を呑む。
「目閉じて」
「命令?」
「お願い」
思わず笑う。
言われた通りに目を閉じた。
触れたのはほんの一瞬だった。
短い、けれど十分だった。
離れたあとも心臓は落ち着かない。
「……蘭」
「ん?」
「近い」
「今さら?」
「今さら」
蘭が少しだけ目を細める。
「なぁ」
「なに?」
「もう1回していい?」
「……聞くんだ」
「聞くだろ」
「蘭なら勝手にするかと思った」
「お前が嫌がることはしねぇよ」
返事ができない。
代わりに小さく頷くと蘭が笑った。
「ありがと」
次のキスはさっきより少し長かった。
離れたあと蘭が小さく息をつく。
「やばい」
「なにが?」
「思ったより嬉しい」
「……わたしも」
「それ反則」
「蘭に言われたくない」
蘭が少し笑う。
「……次はちゃんとデート誘う」
「次?」
「あるだろ」
「……あるの?」
「なかったら泣く」
「蘭が?」
「俺が」
思わず吹き出した。
「じゃあある」
「よかった」
蘭が満足そうに笑う。
「約束な」
「うん」
「逃げんなよ」
「逃げないよ」
「俺も逃げない」
その言葉が妙に心に残った。
たぶんずっと忘れない。
好きだと言った声も。
少しだけ照れた顔も。
名前を呼ぶ声も全部。
全部きっと忘れない。
