短編
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「で、それで終わりかよ」
吐き捨てるみたいな声だった。
三途は壁にもたれたまま、こちらを見ようともしない。
ななしは返事をしなかった。
返したところで、また同じことの繰り返しになる気がした。
「黙ってんなよ」
「……春千夜が怒ってるから」
「怒らせたのはお前だろ」
「わかってる」
「じゃあ何であんなこと言った」
「春千夜こそ」
言葉がぶつかった。
「何であんな言い方したの」
「は?」
「わたしが邪魔みたいだった」
「んなわけねぇだろ」
「でもそう聞こえた」
「お前が勝手にそう受け取っただけだろ」
「そうやってすぐそういう言い方する」
空気がぴたりと止まる。
三途が舌打ちをした。
「……めんどくせぇ」
その一言が思ったより深く刺さった。
ななしは視線を落とす。
「じゃあ帰る」
「勝手にしろ」
「うん」
数歩進んだところで足が止まる。
本当に帰っていいのか。
いや帰った方がいいのか。
わからない。
後ろから声が飛んだ。
「おい」
振り返らない。
「ななし」
呼ばれても振り返れない。
今振り返ったら多分泣く。
「チッ」
荒い舌打ち。
次の瞬間、腕を掴まれた。
「待てっつってんだろ」
「離して」
「嫌だ」
「春千夜」
「帰るな」
短かった。
それだけだった。
なのに胸が苦しくなる。
「……さっき勝手にしろって言った」
「言ったな」
「じゃあ」
「撤回する」
「早いね」
「うるせぇ」
三途は眉を寄せる。
機嫌が悪い時の顔。
けれど今日は少し違った。
怒っているというより困っている顔だった。
「俺、喧嘩すると口悪くなる」
「それは知ってる」
「知ってんなら察しろ」
「察してほしいなら言って」
「無理だろ」
「無理じゃない」
「無理だ」
即答だった。
ななしは小さく息を吐く。
「春千夜ってさ」
「あ?」
「不器用」
「殺すぞ」
「ほらすぐそれ」
「褒め言葉じゃねぇだろ」
「褒めてない」
「だろうな」
少しだけ、ほんの少しだけ空気が緩む。
けれどまだ足りなかった。
◇
喧嘩の原因なんて大したことではなかった。
三途が約束の時間を忘れていた。
正確には忘れていたわけじゃない。
別件で呼ばれて、そちらを優先した。
それ自体は珍しいことではない。
問題だったのはその後だった。
『遅れる』
送られてきた短い連絡。
二時間後。
ようやく現れた三途にななしは言った。
『心配した』
すると返ってきたのが。
『だから何だよ』
だった。
悪気はなかったのだろう。
疲れていたのかもしれない。
苛立っていたのかもしれない。
それでも傷ついた。
そして。
『わたしより大事なことなんていっぱいあるもんね』
言ってはいけない言葉を返した。
三途の顔が変わった。
『……そう聞こえたなら悪かったな』
『そういうことじゃない』
『じゃあ何だよ』
『知らない』
『知らねぇなら言うな』
そこから先は早かった。
売り言葉に買い言葉。
気づけば今に至る。
◇
「まだ怒ってるか」
「春千夜は?」
「俺は聞いてねぇ」
「ずるい」
「いいから答えろ」
ななしは少し考える。
「……半分」
「半分かよ」
「春千夜は」
「半分」
「同じなんだ」
「同じだな」
三途はため息をつく。
「俺、お前が心配したって言った時」
「うん」
「ちょっと嬉しかった」
思わず顔を上げた。
「……え」
「何だよその顔」
「いや今、春千夜が嬉しかったって」
「言ったな」
「録音したい」
「調子乗んな」
「でも本当に?」
「あぁ」
三途は視線を逸らす。
「帰った時、誰かが待ってんのとか」
「……うん」
「嫌いじゃねぇ」
耳が熱くなる。
三途がこういうことを言うのは珍しい。
きっと、今しか言ってくれない。
「でも、お前が俺より下とか思ったことは一回もねぇ」
「……」
「勝手に決めんな」
言葉が落ちる。
乱暴でぶっきらぼうで、けれど真っ直ぐだった。
ななしは小さく笑う。
「春千夜ってたまにずるい」
「何でだよ」
「そういうこと言うから」
「意味わかんねぇ」
「わからなくていい」
「いや教えろ」
「嫌だ」
「おい」
少しだけ笑った声。
さっきまでの空気が嘘みたいだった。
◇
「で、お前は」
「うん」
「俺に言うことあんだろ」
「あります」
「即答かよ」
「あります」
「聞いてやる」
ななしは少し迷う。
「……ごめん」
「何に対して」
「わたしより大事なものいっぱいあるんだって言ったこと」
「あぁ」
「本当はそんなこと思ってない」
「だろうな」
「ただ、寂しかった」
三途は黙る。
「二時間って意外と長いから」
「……悪かった」
「連絡も短かったし」
「悪かった」
「あと」
「まだあんのか」
「ある」
「言え」
「だから何だよって言われたの嫌だった」
「……」
「すごく嫌だった」
三途は額を押さえた。
「最悪だな俺」
「うん」
「否定しろよ」
「今回は無理」
「チッ」
けれど怒った様子はない。
「俺さ」
「うん」
「心配されること慣れてねぇんだよ」
「知ってる」
「知ってんなら」
「でも嫌だった」
「……あぁ」
三途は視線を落とした。
「俺の周りって大体、勝手にいなくなるか」
「うん」
「勝手に死ぬかだから」
言葉が詰まる。
「待ってるとか、帰ってこいとか」
「うん」
「言われんの慣れてねぇ」
ななしは何も言わない。
三途が続ける。
「だから変な返しした」
「うん」
「悪かった」
「……うん」
「次はちゃんと返す」
「どんなふうに?」
「帰ったら話す」
「それだけ?」
「心配かけたも言う」
「すごい成長」
「殴るぞ」
「怖い」
「嘘つけ」
笑った。
今度はちゃんと二人とも。
◇
「なぁ」
「ん?」
「帰るか?」
「春千夜は帰ってほしい?」
「帰ってほしくねぇ」
「じゃあ帰らない」
「即答だな」
「春千夜が言ったから」
「責任重大だな」
「うん」
三途は少し考えて。
「こっち」
と短く言った。
隣に座る。
距離は近いが触れてはいない。
「……なぁ」
「うん」
「まだ怒ってるか」
「半分って言った」
「今は」
「三割くらい」
「減ったな」
「頑張ったから」
「俺が?」
「春千夜が」
「そうかよ」
沈黙が落ちる。
居心地の悪い沈黙じゃない。
何を言わなくても大丈夫な時間。
三途がぽつりと言う。
「こういう喧嘩嫌いなんだよ」
「意外」
「意外言うな」
「だって春千夜すぐ怒るし」
「怒るのと喧嘩は別だろ」
「そうなんだ」
「俺が怒ってもお前が流しゃ終わる」
「なるほど」
「でもお前も怒ると終わんねぇ」
「それは春千夜も」
「俺は被害者」
「絶対違う」
「違わねぇ」
「違う」
「違わねぇ」
「違う」
「……子供か俺ら」
「今さら?」
「それもそうか」
また笑う。
今日はよく笑う日だった。
◇
「ななし」
「なに」
「こっち向け」
「なんで?」
「いいから」
素直に顔を向ける。
近かった。
思ったよりずっと。
「春千夜?」
「……」
三途は少しだけ眉を寄せる。
迷っている顔が珍しい。
「何?」
「いや」
「うん」
「まだ怒ってんならやめる」
「何を?」
「……」
答えない。
でもわかった。
「三割怒ってるって言った」
「あぁ」
「今なら二割」
「減るの早ぇな」
「努力を評価したので」
「何様だよ」
「だから」
ななしは少し笑う。
「やめなくていいよ」
三途が目を細めた。
「後悔すんなよ」
「しない」
距離が消える。
触れた時間は長くない。
確かめるみたいな。
様子を見るみたいな。
そんなキスだった。
離れたあと先に目を逸らしたのは三途だった。
「……」
「春千夜」
「何だよ」
「耳赤い」
「殺すぞ」
「照れてる」
「照れてねぇ」
「照れてる」
「うるせぇ」
ななしは笑う。
三途は舌打ちをした。
けれど怒っていない。
「お前も赤いだろ」
「それはそう」
「だろうな」
「春千夜のせい」
「俺のせいかよ」
「うん」
「理不尽」
「お互い様」
「それは認める」
◇
「なぁ」
「ん?」
「これで仲直りか」
「どうだろ」
「は?」
「もうちょっと足りないかも」
「何が」
「誠意」
「要求多くねぇ?」
「そうかな」
三途は考える。
「……じゃあ」
「うん」
「次から遅れる時ちゃんと連絡する」
「うん」
「言い方気をつける」
「うん」
「あと」
「あと?」
「無事着いたか確認する」
ななしは瞬きをした。
「何だよ」
「優しい」
「違ぇよ」
「優しい」
「違ぇって」
「春千夜優しい」
「しつこい」
「嬉しいから」
「……ならいい」
◇
「ななし」
「なに?」
「お前も約束」
「うん」
「勝手に一人で決めつけんな」
「……うん」
「俺が言わねぇこと勝手に補完すんな」
「努力します」
「努力じゃなくやれ」
「はい」
「あと」
「まだある?」
「ある」
「どうぞ」
「寂しいなら寂しいって言え」
ななしは目を瞬く。
「怒らない?」
「怒んねぇよ」
「面倒って言わない?」
「言わねぇ」
「本当に?」
「……多分」
「多分なんだ」
「保証はしねぇ」
「ひどい」
「でも聞く」
三途は真っ直ぐ言った。
「お前の話はちゃんと聞く」
その言葉だけで十分だった。
◇
「なぁ」
「うん」
「二割は?」
「一割」
「あと少しだな」
「そうだね」
「どうすりゃゼロになる」
「考えて」
「丸投げかよ」
「春千夜ならできる」
「期待すんな」
「してる」
三途は少し考えて、もう一度顔を寄せた。
「これで」
「……」
「ゼロか?」
ななしは笑う。
「ずるい」
「何が」
「答え知ってる顔してる」
「実際知ってるしな」
「自信満々」
「外してねぇだろ」
「……外してない」
「ならいい」
三途が笑った。
珍しい。
本当に珍しい笑い方だった。
「なぁ」
「うん」
「次喧嘩した時、今日のこと思い出せ」
「春千夜もね」
「俺は忘れねぇ」
「本当に?」
「あぁ」
「なんで?」
三途は肩をすくめる。
「お前泣きそうな顔してたから」
「してない」
「してた」
「してない」
「してた」
「……してたかも」
「だろ」
「春千夜は?」
「俺?」
「うん」
「俺は」
三途は少し考える。
「帰るなって言った時、結構必死だった」
ななしは目を丸くする。
「言うんだ」
「今日は特別」
「明日は?」
「言わねぇ」
「残念」
「今日のうちに覚えとけ」
「うん」
「何回でも思い出せ」
「うん」
「忘れんな」
「忘れないよ」
三途は満足そうに目を細めた。
「ならいい」
その距離が心地いいと思った。
喧嘩したことも。
言い過ぎたことも。
傷ついたことも。
全部なかったことにはならない。
それでも、ちゃんと話して、ちゃんと謝って、ちゃんと笑えたなら。
多分、次も大丈夫だ。
「春千夜」
「何だよ」
「大好き」
「……急だな」
「返事は?」
「……」
「春千夜?」
「聞こえてる」
三途は小さく息を吐く。
「俺も」
「うん」
「好きだよ、馬鹿」
最後だけ少し照れた声だった。
「今笑っただろ」
「笑ってない」
「絶対笑った」
「気のせい」
「おい」
「春千夜」
「何だよ」
「帰らないでね」
「……お前もな」
吐き捨てるみたいな声だった。
三途は壁にもたれたまま、こちらを見ようともしない。
ななしは返事をしなかった。
返したところで、また同じことの繰り返しになる気がした。
「黙ってんなよ」
「……春千夜が怒ってるから」
「怒らせたのはお前だろ」
「わかってる」
「じゃあ何であんなこと言った」
「春千夜こそ」
言葉がぶつかった。
「何であんな言い方したの」
「は?」
「わたしが邪魔みたいだった」
「んなわけねぇだろ」
「でもそう聞こえた」
「お前が勝手にそう受け取っただけだろ」
「そうやってすぐそういう言い方する」
空気がぴたりと止まる。
三途が舌打ちをした。
「……めんどくせぇ」
その一言が思ったより深く刺さった。
ななしは視線を落とす。
「じゃあ帰る」
「勝手にしろ」
「うん」
数歩進んだところで足が止まる。
本当に帰っていいのか。
いや帰った方がいいのか。
わからない。
後ろから声が飛んだ。
「おい」
振り返らない。
「ななし」
呼ばれても振り返れない。
今振り返ったら多分泣く。
「チッ」
荒い舌打ち。
次の瞬間、腕を掴まれた。
「待てっつってんだろ」
「離して」
「嫌だ」
「春千夜」
「帰るな」
短かった。
それだけだった。
なのに胸が苦しくなる。
「……さっき勝手にしろって言った」
「言ったな」
「じゃあ」
「撤回する」
「早いね」
「うるせぇ」
三途は眉を寄せる。
機嫌が悪い時の顔。
けれど今日は少し違った。
怒っているというより困っている顔だった。
「俺、喧嘩すると口悪くなる」
「それは知ってる」
「知ってんなら察しろ」
「察してほしいなら言って」
「無理だろ」
「無理じゃない」
「無理だ」
即答だった。
ななしは小さく息を吐く。
「春千夜ってさ」
「あ?」
「不器用」
「殺すぞ」
「ほらすぐそれ」
「褒め言葉じゃねぇだろ」
「褒めてない」
「だろうな」
少しだけ、ほんの少しだけ空気が緩む。
けれどまだ足りなかった。
◇
喧嘩の原因なんて大したことではなかった。
三途が約束の時間を忘れていた。
正確には忘れていたわけじゃない。
別件で呼ばれて、そちらを優先した。
それ自体は珍しいことではない。
問題だったのはその後だった。
『遅れる』
送られてきた短い連絡。
二時間後。
ようやく現れた三途にななしは言った。
『心配した』
すると返ってきたのが。
『だから何だよ』
だった。
悪気はなかったのだろう。
疲れていたのかもしれない。
苛立っていたのかもしれない。
それでも傷ついた。
そして。
『わたしより大事なことなんていっぱいあるもんね』
言ってはいけない言葉を返した。
三途の顔が変わった。
『……そう聞こえたなら悪かったな』
『そういうことじゃない』
『じゃあ何だよ』
『知らない』
『知らねぇなら言うな』
そこから先は早かった。
売り言葉に買い言葉。
気づけば今に至る。
◇
「まだ怒ってるか」
「春千夜は?」
「俺は聞いてねぇ」
「ずるい」
「いいから答えろ」
ななしは少し考える。
「……半分」
「半分かよ」
「春千夜は」
「半分」
「同じなんだ」
「同じだな」
三途はため息をつく。
「俺、お前が心配したって言った時」
「うん」
「ちょっと嬉しかった」
思わず顔を上げた。
「……え」
「何だよその顔」
「いや今、春千夜が嬉しかったって」
「言ったな」
「録音したい」
「調子乗んな」
「でも本当に?」
「あぁ」
三途は視線を逸らす。
「帰った時、誰かが待ってんのとか」
「……うん」
「嫌いじゃねぇ」
耳が熱くなる。
三途がこういうことを言うのは珍しい。
きっと、今しか言ってくれない。
「でも、お前が俺より下とか思ったことは一回もねぇ」
「……」
「勝手に決めんな」
言葉が落ちる。
乱暴でぶっきらぼうで、けれど真っ直ぐだった。
ななしは小さく笑う。
「春千夜ってたまにずるい」
「何でだよ」
「そういうこと言うから」
「意味わかんねぇ」
「わからなくていい」
「いや教えろ」
「嫌だ」
「おい」
少しだけ笑った声。
さっきまでの空気が嘘みたいだった。
◇
「で、お前は」
「うん」
「俺に言うことあんだろ」
「あります」
「即答かよ」
「あります」
「聞いてやる」
ななしは少し迷う。
「……ごめん」
「何に対して」
「わたしより大事なものいっぱいあるんだって言ったこと」
「あぁ」
「本当はそんなこと思ってない」
「だろうな」
「ただ、寂しかった」
三途は黙る。
「二時間って意外と長いから」
「……悪かった」
「連絡も短かったし」
「悪かった」
「あと」
「まだあんのか」
「ある」
「言え」
「だから何だよって言われたの嫌だった」
「……」
「すごく嫌だった」
三途は額を押さえた。
「最悪だな俺」
「うん」
「否定しろよ」
「今回は無理」
「チッ」
けれど怒った様子はない。
「俺さ」
「うん」
「心配されること慣れてねぇんだよ」
「知ってる」
「知ってんなら」
「でも嫌だった」
「……あぁ」
三途は視線を落とした。
「俺の周りって大体、勝手にいなくなるか」
「うん」
「勝手に死ぬかだから」
言葉が詰まる。
「待ってるとか、帰ってこいとか」
「うん」
「言われんの慣れてねぇ」
ななしは何も言わない。
三途が続ける。
「だから変な返しした」
「うん」
「悪かった」
「……うん」
「次はちゃんと返す」
「どんなふうに?」
「帰ったら話す」
「それだけ?」
「心配かけたも言う」
「すごい成長」
「殴るぞ」
「怖い」
「嘘つけ」
笑った。
今度はちゃんと二人とも。
◇
「なぁ」
「ん?」
「帰るか?」
「春千夜は帰ってほしい?」
「帰ってほしくねぇ」
「じゃあ帰らない」
「即答だな」
「春千夜が言ったから」
「責任重大だな」
「うん」
三途は少し考えて。
「こっち」
と短く言った。
隣に座る。
距離は近いが触れてはいない。
「……なぁ」
「うん」
「まだ怒ってるか」
「半分って言った」
「今は」
「三割くらい」
「減ったな」
「頑張ったから」
「俺が?」
「春千夜が」
「そうかよ」
沈黙が落ちる。
居心地の悪い沈黙じゃない。
何を言わなくても大丈夫な時間。
三途がぽつりと言う。
「こういう喧嘩嫌いなんだよ」
「意外」
「意外言うな」
「だって春千夜すぐ怒るし」
「怒るのと喧嘩は別だろ」
「そうなんだ」
「俺が怒ってもお前が流しゃ終わる」
「なるほど」
「でもお前も怒ると終わんねぇ」
「それは春千夜も」
「俺は被害者」
「絶対違う」
「違わねぇ」
「違う」
「違わねぇ」
「違う」
「……子供か俺ら」
「今さら?」
「それもそうか」
また笑う。
今日はよく笑う日だった。
◇
「ななし」
「なに」
「こっち向け」
「なんで?」
「いいから」
素直に顔を向ける。
近かった。
思ったよりずっと。
「春千夜?」
「……」
三途は少しだけ眉を寄せる。
迷っている顔が珍しい。
「何?」
「いや」
「うん」
「まだ怒ってんならやめる」
「何を?」
「……」
答えない。
でもわかった。
「三割怒ってるって言った」
「あぁ」
「今なら二割」
「減るの早ぇな」
「努力を評価したので」
「何様だよ」
「だから」
ななしは少し笑う。
「やめなくていいよ」
三途が目を細めた。
「後悔すんなよ」
「しない」
距離が消える。
触れた時間は長くない。
確かめるみたいな。
様子を見るみたいな。
そんなキスだった。
離れたあと先に目を逸らしたのは三途だった。
「……」
「春千夜」
「何だよ」
「耳赤い」
「殺すぞ」
「照れてる」
「照れてねぇ」
「照れてる」
「うるせぇ」
ななしは笑う。
三途は舌打ちをした。
けれど怒っていない。
「お前も赤いだろ」
「それはそう」
「だろうな」
「春千夜のせい」
「俺のせいかよ」
「うん」
「理不尽」
「お互い様」
「それは認める」
◇
「なぁ」
「ん?」
「これで仲直りか」
「どうだろ」
「は?」
「もうちょっと足りないかも」
「何が」
「誠意」
「要求多くねぇ?」
「そうかな」
三途は考える。
「……じゃあ」
「うん」
「次から遅れる時ちゃんと連絡する」
「うん」
「言い方気をつける」
「うん」
「あと」
「あと?」
「無事着いたか確認する」
ななしは瞬きをした。
「何だよ」
「優しい」
「違ぇよ」
「優しい」
「違ぇって」
「春千夜優しい」
「しつこい」
「嬉しいから」
「……ならいい」
◇
「ななし」
「なに?」
「お前も約束」
「うん」
「勝手に一人で決めつけんな」
「……うん」
「俺が言わねぇこと勝手に補完すんな」
「努力します」
「努力じゃなくやれ」
「はい」
「あと」
「まだある?」
「ある」
「どうぞ」
「寂しいなら寂しいって言え」
ななしは目を瞬く。
「怒らない?」
「怒んねぇよ」
「面倒って言わない?」
「言わねぇ」
「本当に?」
「……多分」
「多分なんだ」
「保証はしねぇ」
「ひどい」
「でも聞く」
三途は真っ直ぐ言った。
「お前の話はちゃんと聞く」
その言葉だけで十分だった。
◇
「なぁ」
「うん」
「二割は?」
「一割」
「あと少しだな」
「そうだね」
「どうすりゃゼロになる」
「考えて」
「丸投げかよ」
「春千夜ならできる」
「期待すんな」
「してる」
三途は少し考えて、もう一度顔を寄せた。
「これで」
「……」
「ゼロか?」
ななしは笑う。
「ずるい」
「何が」
「答え知ってる顔してる」
「実際知ってるしな」
「自信満々」
「外してねぇだろ」
「……外してない」
「ならいい」
三途が笑った。
珍しい。
本当に珍しい笑い方だった。
「なぁ」
「うん」
「次喧嘩した時、今日のこと思い出せ」
「春千夜もね」
「俺は忘れねぇ」
「本当に?」
「あぁ」
「なんで?」
三途は肩をすくめる。
「お前泣きそうな顔してたから」
「してない」
「してた」
「してない」
「してた」
「……してたかも」
「だろ」
「春千夜は?」
「俺?」
「うん」
「俺は」
三途は少し考える。
「帰るなって言った時、結構必死だった」
ななしは目を丸くする。
「言うんだ」
「今日は特別」
「明日は?」
「言わねぇ」
「残念」
「今日のうちに覚えとけ」
「うん」
「何回でも思い出せ」
「うん」
「忘れんな」
「忘れないよ」
三途は満足そうに目を細めた。
「ならいい」
その距離が心地いいと思った。
喧嘩したことも。
言い過ぎたことも。
傷ついたことも。
全部なかったことにはならない。
それでも、ちゃんと話して、ちゃんと謝って、ちゃんと笑えたなら。
多分、次も大丈夫だ。
「春千夜」
「何だよ」
「大好き」
「……急だな」
「返事は?」
「……」
「春千夜?」
「聞こえてる」
三途は小さく息を吐く。
「俺も」
「うん」
「好きだよ、馬鹿」
最後だけ少し照れた声だった。
「今笑っただろ」
「笑ってない」
「絶対笑った」
「気のせい」
「おい」
「春千夜」
「何だよ」
「帰らないでね」
「……お前もな」
