短編
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遊星が誰かに呼び止められている。
少し離れたところからそれを見ていたクロウは、壁に背を預けたまま眉をひそめた。
「またかよ」
「何が?」
隣にいたななしが、クロウの視線を追う。
「……別に」
「別にって顔じゃないけど」
「どんな顔だよ」
「すごく嫌そう」
「そんなんじゃねえし」
「じゃあ、面白くなさそう」
「それも違う」
「じゃあ何?」
「……知らねえよ」
言いながら、クロウは腕を組んだ。
遊星は相変わらず真面目な顔で話を聞いている。
相手の女は楽しそうに笑っていた。
少し離れているせいで会話までは聞こえないが、どうせまた遊星のことを褒めているのだろう。
最近、こういう場面が多い。
遊星は本人が気にしていないだけで、妙に人気がある。
ジャックは言うまでもない。
あいつはあいつで歩いているだけで目立つし、本人もそれを当然だと思っている節がある。
クロウは二人を見比べた。
「……なんであいつらばっかりなんだよ」
「え?」
「いや、だから」
ななしが首を傾げる。
「遊星とかジャックとか。ああいうの」
「どういうの?」
「どういうのって……」
クロウは言葉に詰まった。
モテる、と口にするのはなんとなく癪だった。
ましてや自分がそれを気にしているみたいで、さらに腹が立つ。
「……別にいいだろ」
「クロウが言い出したんじゃない」
「俺はただ、なんとなく気に食わねえって話をしてんだよ」
「それを気にしてるって言うんじゃない?」
「違うって」
反射的に言い返してから、クロウは少しだけ視線を逸らした。
その横顔を、ななしはじっと見ていた。
「クロウってさ」
「あ?」
「遊星とジャックのこと、よく見てるよね」
「見てねえ」
「見てるよ」
「見てねえって」
「今も見てる」
「……」
クロウはようやく遊星から視線を外した。
「おまえ、そういうとこだけよく見てんのな」
「そういうとこって?」
「いや……」
言いかけて、やめる。
ななしが誰を見ているのかなんて、聞かなくても分かっているつもりだった。
たぶん、遊星だ。
あるいはジャックかもしれない。
少なくとも、クロウではない。
そう思っているのに、隣にいるななしの顔を見ると、どうしても期待してしまう。
「……クロウ?」
「なんでもねえよ」
クロウはいつものように笑った。
ただ、いつもより少しだけうまく笑えていなかった。
◇
「おいクロウ」
背後から声が飛んできた。
「何だよジャック」
「貴様、先ほどから随分と不機嫌だな」
「はあ?」
「実に分かりやすい」
「うるせえな。お前にだけは言われたくねえよ」
「何だと?」
「その顔で何人泣かせたと思ってんだ」
「貴様、喧嘩を売っているのか」
「買う気満々じゃねえか」
ジャックが鼻を鳴らし、その隣で遊星が小さく息を吐く。
「クロウ」
「今度は遊星かよ。何だ?」
「ななしが呼んでいる」
「は?」
「クロウに用があると言っていた」
「……そうかよ」
クロウはすぐに振り返った。
少し離れた場所にななしがいる。
こちらに気づくと、手を上げた。
その仕草を見ただけで、さっきまでの不機嫌があっさり薄れていく。
クロウは自分でも単純だと思った。
「おい」
ジャックが呼び止めた。
「何だよ」
「貴様はななしのことになると、途端に機嫌が直るな」
「は?」
「先ほどまで死んだような顔をしていた」
「してねえよ!」
「……していた」
「遊星まで乗るな!」
二人の反応にクロウは顔をしかめた。
「……おまえら、ほんっと余計なことばっか見てんな」
「見ているのは貴様だろう」
「何の話だよ」
遊星は二人の会話を聞きながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「おい、遊星」
「何だ、クロウ」
「お前までその顔やめろ」
「顔?」
「分かっててやってんだろ」
「どうだろうな」
「絶対分かってる!」
背後でジャックが笑った。
クロウは舌打ちしながらななしのところへ向かう。
「何だ? 俺に用って」
「あ、うん。これ」
ななしが差し出したのは、クロウの工具だった。
「あれ? これ、置いてった?」
「そうだったみたい」
「おまえが持っててくれたのか」
「これがないと、クロウが困るかなって」
たったそれだけの言葉で、クロウは黙った。
「……どうかした?」
「いや」
「変な顔してるよ?」
「おまえまで言うなよ」
「遊星たちにも言われてたの、聞こえた」
「聞いてたのかよ」
「うん、声が大きかったから」
「最悪だ……」
クロウは工具を受け取った。
ななしの指が離れる。
ほんの一瞬だった。
それだけなのに、妙に惜しいと思った自分が嫌になる。
「そういやさ」
「うん」
「おまえ、遊星のこと好きなのか?」
言ってしまった。
ななしの目が丸くなる。
「……急にどうしたの?」
「いや別に、なんとなく」
「なんとなくでそんなこと聞く?」
「聞いちゃ悪いかよ」
「クロウ、なんか変」
「うるせえな」
ななしはしばらく黙っていた。
クロウはその沈黙に耐えられず、視線を逸らす。
「……別に答えたくなきゃいいけどな」
「クロウは?」
「は?」
「クロウは誰か好きなの?」
「俺?」
「うん」
今度はクロウが黙った。
まさか聞き返されるとは思っていなかった。
「……いねえよ」
「本当に?」
「本当だ」
「ふうん」
「何だよ、その顔」
「別に」
「おまえまでそれ言うなよ」
ななしが笑った。
クロウはその笑顔を見て、また胸の奥が落ち着かなくなった。
結局、ななしが誰を好きなのかは聞けなかった。
自分のことも、言えるはずがなかった。
◇
「クロウ」
その日の夜、また名前を呼ばれた。
今度はななしの方からだった。
「まだいたんだ」
「おまえこそ」
「ちょっと忘れ物して」
「何を?」
「……忘れた」
「何だそりゃ」
クロウが笑うとななしも笑った。
それから、少しだけ沈黙が落ちた。
昼間なら誰かが割り込んでくる。
遊星か、ジャックか、あるいは他の誰かが。
けれど今は二人きりだった。
クロウはこういう時間が苦手だった。
普段なら気にならない距離なのに、二人しかいないと、ななしのちょっとした仕草まで目に入る。
「ねえ、クロウ」
「あ?」
「昼間の話なんだけど」
「昼間?」
「遊星のこと」
クロウの表情が固まった。
「ああ……」
「わたし、遊星のこと、そういう目で見てないよ」
「……そうか」
「うん」
「それだけ?」
「それだけって?」
「いや、別に」
クロウは顔を背けた。
胸の奥で、何かが軽くなる。
だが、その直後に別の不安が顔を出した。
遊星じゃないなら、誰だ。
「じゃあ、ジャックか?」
「えっ」
「違うのか?」
「違うよ」
「そうか」
また、少しだけ気分が軽くなる。
その様子を見ていたななしが、目を細めた。
「ねえ、クロウ」
「何だよ」
「もしかして、気にしてくれてる?」
「何を?」
「わたしが遊星やジャックを好きかどうか」
「……」
クロウは答えなかった。
答えられなかった。
「クロウ?」
「……おまえさ」
「うん」
「俺のことなんか見てねえだろ」
口から出た言葉は、思ったよりもずっと素直だった。
言ったあとで、クロウはしまったと思う。
「何それ」
「だから、俺なんか見てねえだろって」
「見てるよ」
「……は?」
「見てる」
「どこを」
「どこって……」
ななしは少し困ったように笑った。
「クロウのこと、全部」
「いや、それは……」
「それだけじゃないよ」
クロウは黙った。
ななしの声が、少しだけ小さくなる。
「クロウが誰かと話してると、気になるし」
「誰かって?」
「女の子とか?」
「……」
「クロウがわたし以外と楽しそうにしてると、ちょっと嫌だし」
「……おまえ」
「だから、クロウもそうなのかなって思ってた」
「何が」
「遊星やジャックのことを気にしてたの」
クロウはしばらく何も言わなかった。
やがて、片手で顔を覆う。
「……マジかよ」
「何が?」
「いや、もう……」
「クロウ?」
「俺、ずっとおまえは遊星かジャックが好きなんだと思ってた」
「どうして?」
「だって、あいつらの方が……」
「クロウ」
「何だよ」
「それ、言わないで」
思いがけず強い声だった。
クロウが顔を上げる。
ななしは少しだけ眉を寄せていた。
「クロウが自分のことをそんなふうに言うの、嫌」
「……」
「遊星やジャックと比べなくていいよ」
「でもよ」
「うん」
「俺だぞ?」
「クロウだよ?」
「いや、だから……こんなマーカーだらけの俺だぞ?」
「それでもわたしは、クロウがいいんだけど」
その言葉が落ちた瞬間、クロウは完全に動きを止めた。
ななしも、言ってから気づいたらしい。
耳まで赤くなっている。
「……今の」
「忘れて」
「無理だろ!」
「じゃあ聞かなかったことにして」
「それも無理だって!」
クロウは思わず笑った。
ずっと引っかかっていたものが、馬鹿みたいに簡単な言葉でほどけていく。
「……おまえさ」
「うん」
「それ、俺が言おうとしてたんだけど」
「何を?」
「だから……」
クロウは言葉を探した。
普段なら、もっと簡単に言える。
危ない場所に行くなとか、腹減ってねえかとか、そんなことならいくらでも。
なのに、たった一言が出てこない。
「俺も」
「……うん」
「俺も……おまえがいい」
ななしが目を見開いた。
「それだけ?」
「それだけって何だよ!」
「もうちょっとないの?」
「無茶言うな!」
クロウが頭を掻く。
「俺、こういうの慣れてねえんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「でも、クロウも人気あるじゃん」
「はあ?」
「だって、よく声かけられてるし」
「それは……」
「だから、わたしなんか見てないと思ってた」
「おまえまでそれ言うのかよ!」
思わず二人で笑った。
笑いながら、クロウはふと気づく。
自分たちはずっと同じことを考えていたのだ。
相手は自分なんか見ていない。
だから、余計なことを言わない方がいい。
そんなふうに勝手に決めて、すぐ近くにいる相手を見ないようにしていた。
「なあ、これからはさ」
「うん」
「あんま、気にすんなよ」
「クロウもね」
「俺は別に気にしてねえし」
「今日ずっと気にしてたのに?」
「……」
「クロウ?」
「うるせえな」
ななしがまた笑う。
クロウはその顔を見て、今度は視線を逸らさなかった。
「なあ、ななし」
「うん」
「俺のこと、ちゃんと見てろよ」
言ってから、さすがに恥ずかしくなった。
けれどななしは笑わなかった。
「クロウこそ」
「何だよ」
「ちゃんと見ててね」
「……ああ、ちゃんと見てる」
「本当に?」
「本当だよ」
「じゃあ、もう遊星やジャックを見て不機嫌にならない?」
「それは無理」
「えっ」
「あいつらばっかりモテてんの、やっぱ気に食わねえからな」
「そこは変わらないんだ」
「変わらねえ」
ななしが吹き出し、クロウもつられて笑った。
たぶんこれからも、遊星やジャックがどうこうって話は続く。
クロウはきっと、また誰かが遊星やジャックに声をかけているのを見て、面白くなさそうな顔をするだろう。
そのたびにななしは隣で笑う。
今度は、ななしの視線がどこに向いているのか、クロウにも分かる。
「……なあ」
「何?」
「もう一回言ってくれねえ?」
「何を?」
「さっきの」
「どれ?」
「だから……俺がいいってやつ」
「えー」
「何でだよ!」
「クロウが言って?」
「俺が?」
「うん」
クロウは少しだけ考えてから、照れくさそうに笑った。
「……俺もおまえがいい」
「うん」
「……何だよ」
「もう一回聞きたかっただけ」
「おまえなあ……!」
クロウの声が響き、ななしの笑い声が重なる。
今度は、誰かに邪魔されるまで二人でその場にいた。
少し離れたところからそれを見ていたクロウは、壁に背を預けたまま眉をひそめた。
「またかよ」
「何が?」
隣にいたななしが、クロウの視線を追う。
「……別に」
「別にって顔じゃないけど」
「どんな顔だよ」
「すごく嫌そう」
「そんなんじゃねえし」
「じゃあ、面白くなさそう」
「それも違う」
「じゃあ何?」
「……知らねえよ」
言いながら、クロウは腕を組んだ。
遊星は相変わらず真面目な顔で話を聞いている。
相手の女は楽しそうに笑っていた。
少し離れているせいで会話までは聞こえないが、どうせまた遊星のことを褒めているのだろう。
最近、こういう場面が多い。
遊星は本人が気にしていないだけで、妙に人気がある。
ジャックは言うまでもない。
あいつはあいつで歩いているだけで目立つし、本人もそれを当然だと思っている節がある。
クロウは二人を見比べた。
「……なんであいつらばっかりなんだよ」
「え?」
「いや、だから」
ななしが首を傾げる。
「遊星とかジャックとか。ああいうの」
「どういうの?」
「どういうのって……」
クロウは言葉に詰まった。
モテる、と口にするのはなんとなく癪だった。
ましてや自分がそれを気にしているみたいで、さらに腹が立つ。
「……別にいいだろ」
「クロウが言い出したんじゃない」
「俺はただ、なんとなく気に食わねえって話をしてんだよ」
「それを気にしてるって言うんじゃない?」
「違うって」
反射的に言い返してから、クロウは少しだけ視線を逸らした。
その横顔を、ななしはじっと見ていた。
「クロウってさ」
「あ?」
「遊星とジャックのこと、よく見てるよね」
「見てねえ」
「見てるよ」
「見てねえって」
「今も見てる」
「……」
クロウはようやく遊星から視線を外した。
「おまえ、そういうとこだけよく見てんのな」
「そういうとこって?」
「いや……」
言いかけて、やめる。
ななしが誰を見ているのかなんて、聞かなくても分かっているつもりだった。
たぶん、遊星だ。
あるいはジャックかもしれない。
少なくとも、クロウではない。
そう思っているのに、隣にいるななしの顔を見ると、どうしても期待してしまう。
「……クロウ?」
「なんでもねえよ」
クロウはいつものように笑った。
ただ、いつもより少しだけうまく笑えていなかった。
◇
「おいクロウ」
背後から声が飛んできた。
「何だよジャック」
「貴様、先ほどから随分と不機嫌だな」
「はあ?」
「実に分かりやすい」
「うるせえな。お前にだけは言われたくねえよ」
「何だと?」
「その顔で何人泣かせたと思ってんだ」
「貴様、喧嘩を売っているのか」
「買う気満々じゃねえか」
ジャックが鼻を鳴らし、その隣で遊星が小さく息を吐く。
「クロウ」
「今度は遊星かよ。何だ?」
「ななしが呼んでいる」
「は?」
「クロウに用があると言っていた」
「……そうかよ」
クロウはすぐに振り返った。
少し離れた場所にななしがいる。
こちらに気づくと、手を上げた。
その仕草を見ただけで、さっきまでの不機嫌があっさり薄れていく。
クロウは自分でも単純だと思った。
「おい」
ジャックが呼び止めた。
「何だよ」
「貴様はななしのことになると、途端に機嫌が直るな」
「は?」
「先ほどまで死んだような顔をしていた」
「してねえよ!」
「……していた」
「遊星まで乗るな!」
二人の反応にクロウは顔をしかめた。
「……おまえら、ほんっと余計なことばっか見てんな」
「見ているのは貴様だろう」
「何の話だよ」
遊星は二人の会話を聞きながら、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「おい、遊星」
「何だ、クロウ」
「お前までその顔やめろ」
「顔?」
「分かっててやってんだろ」
「どうだろうな」
「絶対分かってる!」
背後でジャックが笑った。
クロウは舌打ちしながらななしのところへ向かう。
「何だ? 俺に用って」
「あ、うん。これ」
ななしが差し出したのは、クロウの工具だった。
「あれ? これ、置いてった?」
「そうだったみたい」
「おまえが持っててくれたのか」
「これがないと、クロウが困るかなって」
たったそれだけの言葉で、クロウは黙った。
「……どうかした?」
「いや」
「変な顔してるよ?」
「おまえまで言うなよ」
「遊星たちにも言われてたの、聞こえた」
「聞いてたのかよ」
「うん、声が大きかったから」
「最悪だ……」
クロウは工具を受け取った。
ななしの指が離れる。
ほんの一瞬だった。
それだけなのに、妙に惜しいと思った自分が嫌になる。
「そういやさ」
「うん」
「おまえ、遊星のこと好きなのか?」
言ってしまった。
ななしの目が丸くなる。
「……急にどうしたの?」
「いや別に、なんとなく」
「なんとなくでそんなこと聞く?」
「聞いちゃ悪いかよ」
「クロウ、なんか変」
「うるせえな」
ななしはしばらく黙っていた。
クロウはその沈黙に耐えられず、視線を逸らす。
「……別に答えたくなきゃいいけどな」
「クロウは?」
「は?」
「クロウは誰か好きなの?」
「俺?」
「うん」
今度はクロウが黙った。
まさか聞き返されるとは思っていなかった。
「……いねえよ」
「本当に?」
「本当だ」
「ふうん」
「何だよ、その顔」
「別に」
「おまえまでそれ言うなよ」
ななしが笑った。
クロウはその笑顔を見て、また胸の奥が落ち着かなくなった。
結局、ななしが誰を好きなのかは聞けなかった。
自分のことも、言えるはずがなかった。
◇
「クロウ」
その日の夜、また名前を呼ばれた。
今度はななしの方からだった。
「まだいたんだ」
「おまえこそ」
「ちょっと忘れ物して」
「何を?」
「……忘れた」
「何だそりゃ」
クロウが笑うとななしも笑った。
それから、少しだけ沈黙が落ちた。
昼間なら誰かが割り込んでくる。
遊星か、ジャックか、あるいは他の誰かが。
けれど今は二人きりだった。
クロウはこういう時間が苦手だった。
普段なら気にならない距離なのに、二人しかいないと、ななしのちょっとした仕草まで目に入る。
「ねえ、クロウ」
「あ?」
「昼間の話なんだけど」
「昼間?」
「遊星のこと」
クロウの表情が固まった。
「ああ……」
「わたし、遊星のこと、そういう目で見てないよ」
「……そうか」
「うん」
「それだけ?」
「それだけって?」
「いや、別に」
クロウは顔を背けた。
胸の奥で、何かが軽くなる。
だが、その直後に別の不安が顔を出した。
遊星じゃないなら、誰だ。
「じゃあ、ジャックか?」
「えっ」
「違うのか?」
「違うよ」
「そうか」
また、少しだけ気分が軽くなる。
その様子を見ていたななしが、目を細めた。
「ねえ、クロウ」
「何だよ」
「もしかして、気にしてくれてる?」
「何を?」
「わたしが遊星やジャックを好きかどうか」
「……」
クロウは答えなかった。
答えられなかった。
「クロウ?」
「……おまえさ」
「うん」
「俺のことなんか見てねえだろ」
口から出た言葉は、思ったよりもずっと素直だった。
言ったあとで、クロウはしまったと思う。
「何それ」
「だから、俺なんか見てねえだろって」
「見てるよ」
「……は?」
「見てる」
「どこを」
「どこって……」
ななしは少し困ったように笑った。
「クロウのこと、全部」
「いや、それは……」
「それだけじゃないよ」
クロウは黙った。
ななしの声が、少しだけ小さくなる。
「クロウが誰かと話してると、気になるし」
「誰かって?」
「女の子とか?」
「……」
「クロウがわたし以外と楽しそうにしてると、ちょっと嫌だし」
「……おまえ」
「だから、クロウもそうなのかなって思ってた」
「何が」
「遊星やジャックのことを気にしてたの」
クロウはしばらく何も言わなかった。
やがて、片手で顔を覆う。
「……マジかよ」
「何が?」
「いや、もう……」
「クロウ?」
「俺、ずっとおまえは遊星かジャックが好きなんだと思ってた」
「どうして?」
「だって、あいつらの方が……」
「クロウ」
「何だよ」
「それ、言わないで」
思いがけず強い声だった。
クロウが顔を上げる。
ななしは少しだけ眉を寄せていた。
「クロウが自分のことをそんなふうに言うの、嫌」
「……」
「遊星やジャックと比べなくていいよ」
「でもよ」
「うん」
「俺だぞ?」
「クロウだよ?」
「いや、だから……こんなマーカーだらけの俺だぞ?」
「それでもわたしは、クロウがいいんだけど」
その言葉が落ちた瞬間、クロウは完全に動きを止めた。
ななしも、言ってから気づいたらしい。
耳まで赤くなっている。
「……今の」
「忘れて」
「無理だろ!」
「じゃあ聞かなかったことにして」
「それも無理だって!」
クロウは思わず笑った。
ずっと引っかかっていたものが、馬鹿みたいに簡単な言葉でほどけていく。
「……おまえさ」
「うん」
「それ、俺が言おうとしてたんだけど」
「何を?」
「だから……」
クロウは言葉を探した。
普段なら、もっと簡単に言える。
危ない場所に行くなとか、腹減ってねえかとか、そんなことならいくらでも。
なのに、たった一言が出てこない。
「俺も」
「……うん」
「俺も……おまえがいい」
ななしが目を見開いた。
「それだけ?」
「それだけって何だよ!」
「もうちょっとないの?」
「無茶言うな!」
クロウが頭を掻く。
「俺、こういうの慣れてねえんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「でも、クロウも人気あるじゃん」
「はあ?」
「だって、よく声かけられてるし」
「それは……」
「だから、わたしなんか見てないと思ってた」
「おまえまでそれ言うのかよ!」
思わず二人で笑った。
笑いながら、クロウはふと気づく。
自分たちはずっと同じことを考えていたのだ。
相手は自分なんか見ていない。
だから、余計なことを言わない方がいい。
そんなふうに勝手に決めて、すぐ近くにいる相手を見ないようにしていた。
「なあ、これからはさ」
「うん」
「あんま、気にすんなよ」
「クロウもね」
「俺は別に気にしてねえし」
「今日ずっと気にしてたのに?」
「……」
「クロウ?」
「うるせえな」
ななしがまた笑う。
クロウはその顔を見て、今度は視線を逸らさなかった。
「なあ、ななし」
「うん」
「俺のこと、ちゃんと見てろよ」
言ってから、さすがに恥ずかしくなった。
けれどななしは笑わなかった。
「クロウこそ」
「何だよ」
「ちゃんと見ててね」
「……ああ、ちゃんと見てる」
「本当に?」
「本当だよ」
「じゃあ、もう遊星やジャックを見て不機嫌にならない?」
「それは無理」
「えっ」
「あいつらばっかりモテてんの、やっぱ気に食わねえからな」
「そこは変わらないんだ」
「変わらねえ」
ななしが吹き出し、クロウもつられて笑った。
たぶんこれからも、遊星やジャックがどうこうって話は続く。
クロウはきっと、また誰かが遊星やジャックに声をかけているのを見て、面白くなさそうな顔をするだろう。
そのたびにななしは隣で笑う。
今度は、ななしの視線がどこに向いているのか、クロウにも分かる。
「……なあ」
「何?」
「もう一回言ってくれねえ?」
「何を?」
「さっきの」
「どれ?」
「だから……俺がいいってやつ」
「えー」
「何でだよ!」
「クロウが言って?」
「俺が?」
「うん」
クロウは少しだけ考えてから、照れくさそうに笑った。
「……俺もおまえがいい」
「うん」
「……何だよ」
「もう一回聞きたかっただけ」
「おまえなあ……!」
クロウの声が響き、ななしの笑い声が重なる。
今度は、誰かに邪魔されるまで二人でその場にいた。
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