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「まだ帰らへんのか」
背後から聞こえた声に振り返った。
そこに立っていたカラスバは、いつものように落ち着いた表情で、少しだけ眠そうにも見える顔をしている。
腕を組みながらこちらを見る姿は、何を考えているのか分かりにくい。
「カラスバさんこそ。もう用事は終わったんですか?」
「ああ。オレの方は終わったで」
「じゃあ、どうしてここに?」
「さあな」
短い返事だけ聞けば、興味がないようにも感じられる。
けれど、■■■には分かっていた。
カラスバは本当にどうでもいい相手に、わざわざ声をかけたりしない。
「……またそうやって誤魔化すんですね」
「何をや」
「何でもないふりするところです」
カラスバは少し眉を動かした。
「■■■は変なところ見とるな」
「カラスバさんが分かりやすいだけです」
「オレが?」
「はい」
即答すると、カラスバは小さく息を吐いた。
呆れているようにも見えたが、怒ってはいない。
むしろ少し困っているようだった。
◇
二人が知り合ってから、随分と時間が経った。
最初の頃は、カラスバと話すだけでも緊張していた。
近寄りがたい雰囲気があって、何を言っても軽く流されてしまう気がしたからだ。
それでも何度か顔を合わせるうちに、彼が不器用なだけだと気付いた。
困っている人がいれば助ける。
頼まれれば文句を言いながらも手を貸す。
ただ、それを優しいとは言われたくないらしい。
「別に大したことやない」
何かしてもらった時に礼を言うと、いつもそんな返事が返ってくる。
だから■■■も、少しずつ彼への接し方を覚えていった。
「カラスバさん」
「何や」
「今日、疲れてます?」
「急やな」
「顔に出てますよ」
「出してるつもりはないんやけどな」
「でも分かります」
「……■■■はほんま、細かいところ見とるな」
「嫌ですか?」
「嫌やったら、こんな話してへん」
胸の奥が少しだけ熱くなる。
こういうところがずるい、と■■■は思う。
普段は素っ気ないのに、ふとした瞬間だけ距離を近づけてくる。
そのたびに期待してしまう。
でも、カラスバが自分をどう思っているのかは分からない。
きっと彼も同じなのだろう。
◇
「■■■」
「なんですか?」
「最近、避けとるか?」
突然の言葉に、■■■は目を丸くした。
「え?」
「前より話しかけてこんようになった」
「それは……」
言葉に詰まる。
避けていたつもりはなかった。
ただ、少し怖くなっただけだった。
カラスバが優しくしてくれるたび、もっと近付きたいと思ってしまう。
でも、その気持ちを知られるのが怖かった。
「カラスバさんが忙しそうだったから」
「それだけか?」
「……」
「■■■」
名前を呼ばれて顔を上げる。
カラスバは真っ直ぐこちらを見ていた。
「何か隠しとるやろ」
「カラスバさんだって、よく隠すじゃないですか」
「オレが?」
「はい。大事なことほど言わないです」
「……」
「だから、私だけ言うのはずるい気がします」
少し強い言い方になった。
言った後で後悔する。
でも、カラスバは怒らなかった。
「そうか」
静かな返事だった。
「ほんなら、お互い様やな」
「え?」
「オレも言うてへんことがある」
「……何ですか?」
聞きたい。
でも、聞くのが怖い。
カラスバは少し迷うように黙った。
「■■■と一緒におる時間、好きや」
予想していなかった言葉だった。
「……」
「何か言いや」
「だって……」
「そんな驚くことか?」
「驚きます」
■■■は思わず笑った。
「カラスバさんがそんなこと言うなんて思いませんでした」
「オレを何やと思っとるんや」
「何でも一人で解決する人です」
「違うで」
「違うんですか?」
「■■■がおるから、そうしてるだけや」
予想していなかった言葉に、■■■はすぐに返事ができなかった。
「……それ、反則です」
「何がや」
「そんなこと言われたら、期待します」
カラスバは黙った。
珍しく、本当に困った顔をしている。
「……期待してもええ」
「え?」
「オレも同じやからな」
「カラスバさん」
「何や」
「私、ずっと好きでした」
言ってしまった。
ずっと胸の奥にしまっていた言葉だった。
カラスバは少し驚いたように目を見開いたあと、すぐにいつもの表情へ戻った。
「……知っとった」
「え?」
「分かりやすかったで」
「そんな……」
恥ずかしくなって視線を落とす。
すると、カラスバが小さく笑った。
「でも、オレも大概分かりやすかったみたいやな」
「自覚なかったんですか?」
「なかったわ」
「本当に?」
「ほんまや」
その答えがおかしくて、二人で笑った。
◇
しばらくして、カラスバがゆっくり近付いた。
「■■■」
「はい」
「嫌やったら言いや」
いつもの彼らしくない、慎重な声だった。
その優しさが嬉しかった。
「嫌じゃ……ないです」
答えると、カラスバは少し安心したように息を吐いた。
そして、そっと唇が重なった。
唇が離れるまでの時間は長くなかった。
それでも、言葉にできなかった気持ちまで届いたような気がした。
離れたあと、■■■は顔を上げる。
「カラスバさん」
「何や」
「もう少し、素直になってくれたら嬉しいです」
「努力するわ」
「本当ですか?」
「ああ」
「怪しいです」
「信用ないな」
「だってカラスバさんだから」
「それ、褒めとるんか?」
「半分くらい」
カラスバは呆れたように笑った。
「残り半分は何や」
「これから確認します」
「そうか」
「はい」
隣に並ぶ。
今までと同じ景色なのに、少しだけ違って見えた。
何か特別なことをしなくても、隣にいる理由がある。
それだけで十分だった。
「帰るで」
「はい」
「■■■」
「何ですか?」
「また明日も話すからな」
「……それ、約束ですか?」
「そう思っとき」
「じゃあ、楽しみにしています」
カラスバは少し照れたように視線を逸らした。
その仕草を見て、■■■は小さく笑う。
不器用なところも、素直じゃないところも、全部ひっくるめて好きだった。
「また明日」と言える距離にいることが、今は嬉しかった。
二人は並んで歩きながら、いつもの帰り道を進んでいった。
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