ハーツラビュル
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「はい、お疲れ。お前、今日も頑張りすぎ」
オンボロ寮の談話室。
使い古されたソファに深く腰掛けたエースが、手にしたトランプをシャッフルしながら笑う。窓の外には、ナイトレイブンカレッジの夜景が広がっている。
「……エース、まだいたの? 気にせず帰ってていいって言ったのに」
「帰るわけないじゃん。この山のようなレポート、一人で終わらせるつもりだっただろ」
エースは手際よくカードを捌き、こちらを覗き込む。その瞳は、暗がりのなかでも鮮やかな赤色を宿している。
「わたし、これくらい平気だよ。元いた世界じゃ、もっと大変なこともあったし」
「出たー!その平気ってやつ」
エースは溜息をつき、テーブルの上にトランプを広げる。彼が指を弾くと、カードが一枚宙を舞って手元に届く。
「……なあ、ななし。最近さ、たまに遠く見てるよね」
「そうかな」
「そうだよ。まるで、明日にはここから消えちゃうみたいにさ」
その言葉に、ペンを握る指先がわずかに震える。
図星を突かれた自覚はある。いつか唐突に訪れるかもしれない帰還の時。それを思うたび、胸の奥に冷たい石を置かれたような感覚に陥る。
「……もしそうなったら、エースは寂しがる?」
「は? 何それ。……まあ、お世話係がいなくなったら、グリムは寂しがるんじゃない?」
「そっか。グリムは、そうかもね」
「そうそう、オンボロ寮でひとりぼっちになっちゃうしな」
エースはわざとらしく肩を竦める。けれど、カードを片付ける彼の手元は、いつもより少しだけ乱暴だった。
時計の針が重なる頃、談話室の空気は密度を増していく。窓を打つ風の音さえ遠く、二人の距離だけが不自然に近く感じられる。
「……ななし、手、止まってる」
「……ちょっと、考え事」
「考えすぎ。ほら、こっち向いて」
エースが伸ばした手が、頬に触れる。
エースの指先は、期待していたよりもずっと熱い。
その熱が、肌を通じて自分の内側へと溶け出していく感覚がある。
「エース、近いよ」
「……近くないと、お前が何考えてるか分かんないだろ」
彼の声が、少しだけ低くなる。
いつも軽薄なはずの響きに、湿った熱が混じる。
見つめ合う瞳の奥、自分でも制御できない感情が溢れそうになる。それを必死に心の奥底にある「元の世界」という箱に詰め込もうとする。
「わたし……いつか、いなくなるかもしれないんだよ」
「知ってる」
「だったら、こんな……」
「こんな、何? ……言いたいことあるなら、ハッキリ言えよ」
エースの指が、耳朶をなぞる。
心臓の鼓動が、自分の胸だけでなく、触れ合っている指先からも伝わってくる。トクトク……と、二人で一つのリズムを刻んでいるかのような錯覚。息を吸うたび、エースのまとう独特の香りが肺を充たしていく。
「……苦しいよ、エース」
「……オレもだよ。お前が一人で勝手にいなくなる準備してるの、見てる方がよっぽど苦しい」
エースの顔が、さらに近づく。
触れ合う鼻先。混じり合う吐息。
身体の芯から痺れるような熱が広がり、思考を白く塗りつぶしていく。「好き」と言葉にしてしまえば、この熱は本物になってしまう。形を得た想いは、別れの時に鋭い刃となって自分を切り刻むだろう。そう分かっているのに、彼の熱から逃れることができない。
「ねえ、ななし。……オレのこと、どう思ってる?」
「……それは」
「友だち……なんて嘘は、もう受け付けないから」
エースの手が、首筋から後頭部へと回る。
逃げ場を塞ぐような、強引で、けれど震えている手つき。
自分を追い込む癖が、ここでは最悪の形で作用する。
彼を傷つけたくない。自分も傷つきたくない。けれど、今この瞬間に感じる彼の重みだけが、この異世界で唯一の「真実」のように思えてしまう。
視界が滲む。
エースの顔が、輪郭を失って熱い塊として迫る。
唇が重なる直前、彼は止まった。
焦らし、試すような、残酷なまでの沈黙。
「……泣きそうな顔してんじゃねーよ。お前が全部抱え込んでるの、全部知ってるから」
エースの声は、もう囁きに近い。
内面で渦巻く未練、恐怖、そして抑えきれない恋心。
それらが濁流となって、ダムを壊し始める。「いつか別れが来るかもしれない」という現実が、彼の瞳に宿る熱情に溶かされていく。
「エース……わたし、怖いよ。もし、明日目が覚めて、ここが元の世界の自分の部屋だったら。エースが、夢だったってことになったら」
「夢なんかじゃない。オレが今、こうしてななしに触れてんじゃん」
彼は自身の額を、こちらの額に押し当てる。
その力強さに、内側の痛みが一瞬だけ和らぐ。自分の身体の中に、エースという存在が深く、濃く、刻み込まれていく感覚。細胞のひとつひとつが、彼の名前を呼んでいるような錯覚に陥る。
「……オレは、本音を言うとななしを帰したくない。……最低だって言われても、魔法でここに縛り付けておきたいくらいには」
「……エース、それ……」
「言わせんなよ。……オレだって、こんなカッコ悪いこと言いたくねえよ」
エースの腕が腰に回り、強く引き寄せられる。
布越しに伝わる体温が、皮膚を焼くように熱い。
彼を拒絶する理由はいくらでもある。けれど彼を受け入れる理由は、たったひとつ、胸の奥で暴れているこの感情だけで十分だった。
「……明日なんて、来なければいいのに」
「……今夜は、オレのことだけ考えてなよ」
唇が重なった。
それは魔法よりも鮮やかに、そして残酷に二人を繋ぐ。
溶け合うような甘さと、切り裂かれるような痛みが同時に走る。内面で抑えつけていた愛しさが、爆発的な質量を持って溢れ出した。エースという人間が、単なる同級生から自分の世界のすべてへと変質していく。
「ななし……どこにいったって、オレはななしを見つけ出すから」
耳元で囁かれる名前。
その声に、魂が震える。
たとえ明日、すべてが消えてなくなるとしても。今、この場所で、エースに抱かれている熱だけは、何物にも代えがたい本物だった。
濃密な空気の中で二人はただ、互いの存在を確認するように、何度も深い口づけを繰り返した。
オンボロ寮の談話室。
使い古されたソファに深く腰掛けたエースが、手にしたトランプをシャッフルしながら笑う。窓の外には、ナイトレイブンカレッジの夜景が広がっている。
「……エース、まだいたの? 気にせず帰ってていいって言ったのに」
「帰るわけないじゃん。この山のようなレポート、一人で終わらせるつもりだっただろ」
エースは手際よくカードを捌き、こちらを覗き込む。その瞳は、暗がりのなかでも鮮やかな赤色を宿している。
「わたし、これくらい平気だよ。元いた世界じゃ、もっと大変なこともあったし」
「出たー!その平気ってやつ」
エースは溜息をつき、テーブルの上にトランプを広げる。彼が指を弾くと、カードが一枚宙を舞って手元に届く。
「……なあ、ななし。最近さ、たまに遠く見てるよね」
「そうかな」
「そうだよ。まるで、明日にはここから消えちゃうみたいにさ」
その言葉に、ペンを握る指先がわずかに震える。
図星を突かれた自覚はある。いつか唐突に訪れるかもしれない帰還の時。それを思うたび、胸の奥に冷たい石を置かれたような感覚に陥る。
「……もしそうなったら、エースは寂しがる?」
「は? 何それ。……まあ、お世話係がいなくなったら、グリムは寂しがるんじゃない?」
「そっか。グリムは、そうかもね」
「そうそう、オンボロ寮でひとりぼっちになっちゃうしな」
エースはわざとらしく肩を竦める。けれど、カードを片付ける彼の手元は、いつもより少しだけ乱暴だった。
時計の針が重なる頃、談話室の空気は密度を増していく。窓を打つ風の音さえ遠く、二人の距離だけが不自然に近く感じられる。
「……ななし、手、止まってる」
「……ちょっと、考え事」
「考えすぎ。ほら、こっち向いて」
エースが伸ばした手が、頬に触れる。
エースの指先は、期待していたよりもずっと熱い。
その熱が、肌を通じて自分の内側へと溶け出していく感覚がある。
「エース、近いよ」
「……近くないと、お前が何考えてるか分かんないだろ」
彼の声が、少しだけ低くなる。
いつも軽薄なはずの響きに、湿った熱が混じる。
見つめ合う瞳の奥、自分でも制御できない感情が溢れそうになる。それを必死に心の奥底にある「元の世界」という箱に詰め込もうとする。
「わたし……いつか、いなくなるかもしれないんだよ」
「知ってる」
「だったら、こんな……」
「こんな、何? ……言いたいことあるなら、ハッキリ言えよ」
エースの指が、耳朶をなぞる。
心臓の鼓動が、自分の胸だけでなく、触れ合っている指先からも伝わってくる。トクトク……と、二人で一つのリズムを刻んでいるかのような錯覚。息を吸うたび、エースのまとう独特の香りが肺を充たしていく。
「……苦しいよ、エース」
「……オレもだよ。お前が一人で勝手にいなくなる準備してるの、見てる方がよっぽど苦しい」
エースの顔が、さらに近づく。
触れ合う鼻先。混じり合う吐息。
身体の芯から痺れるような熱が広がり、思考を白く塗りつぶしていく。「好き」と言葉にしてしまえば、この熱は本物になってしまう。形を得た想いは、別れの時に鋭い刃となって自分を切り刻むだろう。そう分かっているのに、彼の熱から逃れることができない。
「ねえ、ななし。……オレのこと、どう思ってる?」
「……それは」
「友だち……なんて嘘は、もう受け付けないから」
エースの手が、首筋から後頭部へと回る。
逃げ場を塞ぐような、強引で、けれど震えている手つき。
自分を追い込む癖が、ここでは最悪の形で作用する。
彼を傷つけたくない。自分も傷つきたくない。けれど、今この瞬間に感じる彼の重みだけが、この異世界で唯一の「真実」のように思えてしまう。
視界が滲む。
エースの顔が、輪郭を失って熱い塊として迫る。
唇が重なる直前、彼は止まった。
焦らし、試すような、残酷なまでの沈黙。
「……泣きそうな顔してんじゃねーよ。お前が全部抱え込んでるの、全部知ってるから」
エースの声は、もう囁きに近い。
内面で渦巻く未練、恐怖、そして抑えきれない恋心。
それらが濁流となって、ダムを壊し始める。「いつか別れが来るかもしれない」という現実が、彼の瞳に宿る熱情に溶かされていく。
「エース……わたし、怖いよ。もし、明日目が覚めて、ここが元の世界の自分の部屋だったら。エースが、夢だったってことになったら」
「夢なんかじゃない。オレが今、こうしてななしに触れてんじゃん」
彼は自身の額を、こちらの額に押し当てる。
その力強さに、内側の痛みが一瞬だけ和らぐ。自分の身体の中に、エースという存在が深く、濃く、刻み込まれていく感覚。細胞のひとつひとつが、彼の名前を呼んでいるような錯覚に陥る。
「……オレは、本音を言うとななしを帰したくない。……最低だって言われても、魔法でここに縛り付けておきたいくらいには」
「……エース、それ……」
「言わせんなよ。……オレだって、こんなカッコ悪いこと言いたくねえよ」
エースの腕が腰に回り、強く引き寄せられる。
布越しに伝わる体温が、皮膚を焼くように熱い。
彼を拒絶する理由はいくらでもある。けれど彼を受け入れる理由は、たったひとつ、胸の奥で暴れているこの感情だけで十分だった。
「……明日なんて、来なければいいのに」
「……今夜は、オレのことだけ考えてなよ」
唇が重なった。
それは魔法よりも鮮やかに、そして残酷に二人を繋ぐ。
溶け合うような甘さと、切り裂かれるような痛みが同時に走る。内面で抑えつけていた愛しさが、爆発的な質量を持って溢れ出した。エースという人間が、単なる同級生から自分の世界のすべてへと変質していく。
「ななし……どこにいったって、オレはななしを見つけ出すから」
耳元で囁かれる名前。
その声に、魂が震える。
たとえ明日、すべてが消えてなくなるとしても。今、この場所で、エースに抱かれている熱だけは、何物にも代えがたい本物だった。
濃密な空気の中で二人はただ、互いの存在を確認するように、何度も深い口づけを繰り返した。
