サバナクロー
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夕暮れの植物園、温室の奥にある巨大なヤシの木陰。
そこには、学園の喧騒から切り離された、秘密基地のような静寂がある。だが今日、その静寂は、ひどく苦しげな吐息によって乱されていた。
「……っ、……は、……あ……っ、……く、るし……」
ななしは木陰のベンチに座り込み、膝を抱えて震えていた。
真面目さが裏目に出て、溜め込んでいた不安がパニックとなって溢れ出したのだ。肺がひきつり、何度空気を吸い込んでも、身体がそれを受け付けない。
「ちょ、ななしくん!? 大丈夫ッスか!? 顔色ヤバいッスよ、真っ白じゃないっすか!」
「……っ、……ラギー、……せ……」
「喋んなくていいから! ほら、袋……はダメか、ゆっくり吐いて。ジャックくん! 水、早く!」
「わかってます! ……おい、ななし、これを飲め……いや、今は無理か。……クソッ、どうすりゃいい」
ラギーが背中をさすり、ジャックが大きな身体を屈めて心配そうに覗き込む。二人の必死な呼びかけも、今のななしには遠い海の底からの音のようにしか聞こえない。
「……どけ。お前らが騒いでりゃ、余計に空気が薄くなるだろうが」
重厚な、だがどこか安堵させる声。いつの間にか背後の特等席で身を起こしていたレオナが億劫そうに歩み寄ってきた。
「レオナさん! すみません、起こしちゃって……でも、ななしくんが……」
「見てりゃわかる。……ラギー、ジャック。お前らはそこで日除けになってろ。誰も近づけさせるなよ」
レオナはそう言うと、ななしの隣にドカッと腰を下ろした。
ラギーとジャックが顔を見合わせ、頷く。ジャックが周囲を警戒するように立ち、ラギーは少し離れた場所で、ななしの飲み物を買いに走る気配がした。
「……レオナ、さ……っ、……ごめ、……」
「謝る元気があるなら、俺の心臓の音でも数えてろ」
レオナの大きな手が、ななしの肩を抱き寄せ、自分の胸元に誘導する。強引だが、その手付きには不思議なほど迷いがない。ななしの耳に届いたのは、ドクッ、ドクッ、と深く力強く、そして静かに刻まれる鼓動だった。
「……いいか、草食動物。俺が吸ったら吸え。吐いたら吐け。……ゆっくりでいい」
レオナが、あえてゆっくりと深い呼吸を繰り返す。ななしは彼のシャツに顔を埋めたまま、その胸の上下に合わせて必死に自分の呼吸を同期させていった。
レオナから漂う、乾いたのような心地よい香り。パニックで散り散りになったななしの意識を、一つに繋ぎ止めてくれる。
「……っ、……ふ、……う……」
「……そうだ。それでいい。……焦んな、空気ならいくらでもある」
レオナの指先が、ななしの耳元を掠め、ゆっくりと髪を撫でる。その体温は驚くほど熱く、安心感の塊のようだった。ななしの震えが少しずつ収まっていくのを感じて、レオナの喉から微かな、満足げな唸り声が漏れる。
「……戻ってきたな。……おい、ラギー。水だ」
「はいはい、わかってますって。……ほらななしくん、これ。冷たすぎないやつ買ってきたから、少しずつ飲みな?」
いつの間にか戻っていたラギーが、笑顔でペットボトルを差し出す。ジャックも少し離れた場所から、「……無理すんなよ」と、彼なりの不器用な励ましを投げかけてきた。
「……みんな、ありがとう……ございます……」
「礼ならレオナさんに言ってください。俺たちはただの付き添いっスから」
ラギーがニシシと笑うが、その目は優しくななしを見守っている。レオナはななしを抱いた腕を緩める気配を見せず、顎をななしの頭に乗せたまま、気だるげに目を細めた。
「……レオナさん、もう、大丈夫ですから……」
「……あー? さっきまで死にそうな顔してた奴が、よく言うぜ。……まだ脈が速ぇ。落ち着くまで休んでろ」
そう言って、レオナはななしをさらに深く引き寄せた。
それは執着というよりも、群れの仲間を守る王の、無骨な慈しみのように感じられた。ななしは彼の腕の中で、もう一度深く息を吸い込む。
植物園の温かな空気と仲間たちの気配。
そして自分をしっかりと支えるレオナの熱。
ななしの内側にあった焦燥感は夕陽に溶けるように、静かに消えていった。
「……しょうがねえから、目が覚めるまでは俺がここにいてやるよ」
レオナの低い声が、心地よい子守唄のように響く。
ななしは、彼が差し出してくれた圧倒的な安らぎの中で、ようやく、本当の意味で深い呼吸を取り戻した。
心地よい沈黙が流れる中、植物園の緑はさらに深い影を落とし、夕刻の静寂が四人を包み込む。ななしの呼吸が穏やかになるのを見届けたラギーが、少し離れた場所に座り込み、手近な雑草をいじりながら口を開いた。
「……ま、実際ななしくんがいないと、うちの寮もいろいろ困るんすよね。レオナさんの昼寝の邪魔を許されてるの、実質ななしくんくらいだし」
「おいラギー、余計なこと言ってんじゃねぇよ」
「シシシ、本当のことじゃないっすか。ジャックくんだって、ななしくんが来るとちょっと尻尾の動きが怪しいし?」
「……っ! 俺は別に、そんなんじゃねえ……っ!」
ジャックが顔を赤くして視線を逸らす。その動揺を隠すように、彼は大きな手でななしの膝に掛かっていた制服の裾を、無器用な手つきで整えた。
「……ななし。落ち着いたなら、無理に動こうとするな。……今はまだ、身体が重いだろ」
「……うん、ありがとう、ジャック。……ラギー先輩も」
二人のやり取りを、ななしはレオナの胸元に耳を預けたまま聞いていた。レオナの心拍は先ほどよりもずっと落ち着き、深くてゆったりとしたリズムを刻んでいる。その熱が、ななしの強張っていた内面をじわじわと、より深いところから解かしていくようだった。
「……レオナさん、重くないですか……?」
「……あー? お前の体重なんて羽毛と変わらねぇよ。……黙って目を閉じてろ。お前のその真面目すぎる頭ん中、少しは休ませてやれ」
レオナの大きな掌が、ななしの首筋から後頭部へと滑り、そのまま包み込むように固定した。指の隙間から伝わる、彼自身の体温。ななしは、彼が意識的に自分を外部の刺激から遮断してくれていることに気づく。
「……あったかい」
「……お前が冷えすぎなんだよ」
レオナが腕に僅かな力を込めると、密着した部分から彼の鼓動がさらに鮮明に伝わってくる。それは単なる心音ではなく、ななしという存在を現世に繋ぎ止める確かな錨のような響き。ななしの意識は、徐々に微熱を帯びたまどろみへと沈んでいった。
「……レオナさん……」
「……なんだ」
「……もう少しだけ、こうしててくれますか……?」
掠れた、子供のような甘えを含んだ問い。レオナは一瞬、呆れたように鼻を鳴らしたが、その直後、ななしの額に自身の顎を優しく押し当てた。
「……チッ。……気が済むまで、そうしててやる。……俺が飽きるまでは、どこへも行かせねぇからな」
その言葉は命令のようでいて、最高に贅沢な約束だった。
ラギーとジャックが、まるでそれを見守る家族のように一定の距離を保ちながらも温かな気配を放っている。ななしはレオナという大きな盾に守られながら、ようやく本当の眠りへと誘われていった。
そこには、学園の喧騒から切り離された、秘密基地のような静寂がある。だが今日、その静寂は、ひどく苦しげな吐息によって乱されていた。
「……っ、……は、……あ……っ、……く、るし……」
ななしは木陰のベンチに座り込み、膝を抱えて震えていた。
真面目さが裏目に出て、溜め込んでいた不安がパニックとなって溢れ出したのだ。肺がひきつり、何度空気を吸い込んでも、身体がそれを受け付けない。
「ちょ、ななしくん!? 大丈夫ッスか!? 顔色ヤバいッスよ、真っ白じゃないっすか!」
「……っ、……ラギー、……せ……」
「喋んなくていいから! ほら、袋……はダメか、ゆっくり吐いて。ジャックくん! 水、早く!」
「わかってます! ……おい、ななし、これを飲め……いや、今は無理か。……クソッ、どうすりゃいい」
ラギーが背中をさすり、ジャックが大きな身体を屈めて心配そうに覗き込む。二人の必死な呼びかけも、今のななしには遠い海の底からの音のようにしか聞こえない。
「……どけ。お前らが騒いでりゃ、余計に空気が薄くなるだろうが」
重厚な、だがどこか安堵させる声。いつの間にか背後の特等席で身を起こしていたレオナが億劫そうに歩み寄ってきた。
「レオナさん! すみません、起こしちゃって……でも、ななしくんが……」
「見てりゃわかる。……ラギー、ジャック。お前らはそこで日除けになってろ。誰も近づけさせるなよ」
レオナはそう言うと、ななしの隣にドカッと腰を下ろした。
ラギーとジャックが顔を見合わせ、頷く。ジャックが周囲を警戒するように立ち、ラギーは少し離れた場所で、ななしの飲み物を買いに走る気配がした。
「……レオナ、さ……っ、……ごめ、……」
「謝る元気があるなら、俺の心臓の音でも数えてろ」
レオナの大きな手が、ななしの肩を抱き寄せ、自分の胸元に誘導する。強引だが、その手付きには不思議なほど迷いがない。ななしの耳に届いたのは、ドクッ、ドクッ、と深く力強く、そして静かに刻まれる鼓動だった。
「……いいか、草食動物。俺が吸ったら吸え。吐いたら吐け。……ゆっくりでいい」
レオナが、あえてゆっくりと深い呼吸を繰り返す。ななしは彼のシャツに顔を埋めたまま、その胸の上下に合わせて必死に自分の呼吸を同期させていった。
レオナから漂う、乾いたのような心地よい香り。パニックで散り散りになったななしの意識を、一つに繋ぎ止めてくれる。
「……っ、……ふ、……う……」
「……そうだ。それでいい。……焦んな、空気ならいくらでもある」
レオナの指先が、ななしの耳元を掠め、ゆっくりと髪を撫でる。その体温は驚くほど熱く、安心感の塊のようだった。ななしの震えが少しずつ収まっていくのを感じて、レオナの喉から微かな、満足げな唸り声が漏れる。
「……戻ってきたな。……おい、ラギー。水だ」
「はいはい、わかってますって。……ほらななしくん、これ。冷たすぎないやつ買ってきたから、少しずつ飲みな?」
いつの間にか戻っていたラギーが、笑顔でペットボトルを差し出す。ジャックも少し離れた場所から、「……無理すんなよ」と、彼なりの不器用な励ましを投げかけてきた。
「……みんな、ありがとう……ございます……」
「礼ならレオナさんに言ってください。俺たちはただの付き添いっスから」
ラギーがニシシと笑うが、その目は優しくななしを見守っている。レオナはななしを抱いた腕を緩める気配を見せず、顎をななしの頭に乗せたまま、気だるげに目を細めた。
「……レオナさん、もう、大丈夫ですから……」
「……あー? さっきまで死にそうな顔してた奴が、よく言うぜ。……まだ脈が速ぇ。落ち着くまで休んでろ」
そう言って、レオナはななしをさらに深く引き寄せた。
それは執着というよりも、群れの仲間を守る王の、無骨な慈しみのように感じられた。ななしは彼の腕の中で、もう一度深く息を吸い込む。
植物園の温かな空気と仲間たちの気配。
そして自分をしっかりと支えるレオナの熱。
ななしの内側にあった焦燥感は夕陽に溶けるように、静かに消えていった。
「……しょうがねえから、目が覚めるまでは俺がここにいてやるよ」
レオナの低い声が、心地よい子守唄のように響く。
ななしは、彼が差し出してくれた圧倒的な安らぎの中で、ようやく、本当の意味で深い呼吸を取り戻した。
心地よい沈黙が流れる中、植物園の緑はさらに深い影を落とし、夕刻の静寂が四人を包み込む。ななしの呼吸が穏やかになるのを見届けたラギーが、少し離れた場所に座り込み、手近な雑草をいじりながら口を開いた。
「……ま、実際ななしくんがいないと、うちの寮もいろいろ困るんすよね。レオナさんの昼寝の邪魔を許されてるの、実質ななしくんくらいだし」
「おいラギー、余計なこと言ってんじゃねぇよ」
「シシシ、本当のことじゃないっすか。ジャックくんだって、ななしくんが来るとちょっと尻尾の動きが怪しいし?」
「……っ! 俺は別に、そんなんじゃねえ……っ!」
ジャックが顔を赤くして視線を逸らす。その動揺を隠すように、彼は大きな手でななしの膝に掛かっていた制服の裾を、無器用な手つきで整えた。
「……ななし。落ち着いたなら、無理に動こうとするな。……今はまだ、身体が重いだろ」
「……うん、ありがとう、ジャック。……ラギー先輩も」
二人のやり取りを、ななしはレオナの胸元に耳を預けたまま聞いていた。レオナの心拍は先ほどよりもずっと落ち着き、深くてゆったりとしたリズムを刻んでいる。その熱が、ななしの強張っていた内面をじわじわと、より深いところから解かしていくようだった。
「……レオナさん、重くないですか……?」
「……あー? お前の体重なんて羽毛と変わらねぇよ。……黙って目を閉じてろ。お前のその真面目すぎる頭ん中、少しは休ませてやれ」
レオナの大きな掌が、ななしの首筋から後頭部へと滑り、そのまま包み込むように固定した。指の隙間から伝わる、彼自身の体温。ななしは、彼が意識的に自分を外部の刺激から遮断してくれていることに気づく。
「……あったかい」
「……お前が冷えすぎなんだよ」
レオナが腕に僅かな力を込めると、密着した部分から彼の鼓動がさらに鮮明に伝わってくる。それは単なる心音ではなく、ななしという存在を現世に繋ぎ止める確かな錨のような響き。ななしの意識は、徐々に微熱を帯びたまどろみへと沈んでいった。
「……レオナさん……」
「……なんだ」
「……もう少しだけ、こうしててくれますか……?」
掠れた、子供のような甘えを含んだ問い。レオナは一瞬、呆れたように鼻を鳴らしたが、その直後、ななしの額に自身の顎を優しく押し当てた。
「……チッ。……気が済むまで、そうしててやる。……俺が飽きるまでは、どこへも行かせねぇからな」
その言葉は命令のようでいて、最高に贅沢な約束だった。
ラギーとジャックが、まるでそれを見守る家族のように一定の距離を保ちながらも温かな気配を放っている。ななしはレオナという大きな盾に守られながら、ようやく本当の眠りへと誘われていった。
