ポムフィオーレ
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「あ、見てエペル。あっちに珍しい色の花が咲いてるよ」
オンボロ寮の庭を横切りながら、ななしは無邪気に声を弾ませる。その足取りは軽く、後ろを結わえた髪が春の風に揺れていた。
「本当だ。……でも、あんまり身を乗り出したら危ないよ。足元、根っこが浮いてるから」
「大丈夫、大丈夫。おっと……!」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、ななしの靴が湿った土に滑る。咄嗟に隣を歩いていたエペルの腕を掴もうとして、勢い余って彼の胸板に正面からぶつかった。
「わ、ごめん! 大丈夫だった?」
「……。……うん、平気。これくらい、なんともないよ」
エペルは揺らぎない足取りでななしを支える。
華奢な見た目に反して、その腕は硬く、抱き留められた瞬間に伝わる体温は思いのほか高い。ななしは不思議そうにエペルの顔を覗き込んだ。
「エペル、最近ちょっと背が伸びた? なんだか、前より視線が高くなった気がする」
「……そうかな。自分じゃよく分からないけど、トレーニングの成果かな」
「そっか。エペルは努力家だもんね。でも、あんまり無理してムキムキになっちゃったら、今の可愛い服が似合わなくなっちゃうかも?」
ななしが冗談めかして笑い、エペルの頬をつつこうとする。
いつもなら「可愛いって言わないで」と膨れるはずの彼が、今日は動かない。差し出されたななしの手首を、エペルが指先で静かに掴まえた。
「……ななしサン。さっきから、距離が近い」
「え? あ、ごめん。つい癖で。嫌だった?」
「嫌じゃないけど。……僕のこと、なんだと思ってるの?」
エペルの瞳が、じっとななしの瞳を射抜く。
いつもの可憐な印象とは違う、低く、芯の通った声。
掴まれた手首から、ドクンドクンという彼の拍動が伝わってくる。
「なんだって、大切な友達で、可愛い同級生だけど……」
「……やっぱり。全然分かってない」
エペルは小さく溜息をつき、掴んでいた手を離さないまま、ぐいと自分の方へ引き寄せた。予期せぬ力に、ななしの体が再び彼に密着する。
「エペル?」
「……いい? 僕、これでも毎日ヴィルサンに絞られてるんだよ。ただ可愛い格好をして座ってるだけじゃない。魔法を振るって、汗を流して……。男として、普通に鍛えてるんだ」
ななしの肩に、エペルの額が預けられる。
首筋に触れる彼の呼気が、先ほどよりも格段に熱を帯びていた。
その熱は布越しに伝わり、ななしの肌をじわじわと侵食していく。
「あ、の……エペル。顔、赤いよ? 熱でもあるんじゃ……」
「熱ならあるよ。……ずっと前から、ななしサンのせいで」
見上げたエペルの瞳は、湿った潤みを湛えながらも獲物を狙う野性味を隠せていない。それは、いつも見せている大人しい少年の顔ではなかった。ななしが気圧されて一歩後ろに下がろうとすると、腰に回された腕がそれを許さない。
「逃げないで。……ななしサンはいつもそうやって、無防備に僕の懐に入ってくる。僕がどれだけ我慢してるか、考えたこともないでしょ」
「……我慢って、何を?」
「これだよ」
エペルが顔を近づける。鼻先が触れ合うほどの距離。
彼の瞳の中に、困惑した自分の顔が映っている。
空気は甘く、それでいて焼けるような緊張感に満たされていく。
ななしは、彼から放たれる男としての濃厚な気配に、ようやく心臓の音が跳ね上がるのを感じた。
「……ななしサン。心臓、すごく速くなってる」
エペルの指がななしの耳元をなぞり、首筋へと滑り落ちる。
その指先はひどく熱く、触れられた場所が火傷をしたように熱を帯びる。内側から込み上げる熱い何かが、ななしの思考を白く塗りつぶしていく。
「エペル、待って……。なんだか、いつものエペルじゃないみたい」
「いつもの僕だよ。これが、本当の僕。……可愛いエペルじゃなくて、君を組み伏せたいと思ってる、ただの男」
彼の言葉が鼓膜を震わせ、脳に直接響く。
内面を支配していた友人という平穏な枠組みが、音を立てて崩れていく。ななしは、自分を見つめるエペルの眼差しが、愛おしさと、それ以上に剥き出しの独占欲に染まっていることに気づき息を呑んだ。
「……怖がらせたいわけじゃないんだ。でも、もう限界。分からせてあげなきゃ僕が壊れちゃう」
エペルがななしの手を自分の胸元へと導く。
薄いシャツ越しに感じる彼の心音は、ななしのそれと同じか、あるいはそれ以上に激しく波打っていた。
「感じて。僕だって、生身の人間なんだ。綺麗な人形じゃない。君に触れたいし、君の全部が欲しい。……そう思ってるんだよ」
沈黙が二人を包み込む。
庭の喧騒も、風の音も、今はもう聞こえない。
ただお互いの体温と、混じり合う吐息だけが世界の中心にあった。
エペルの視線がななしの唇に落ち、ゆっくりと、しかし確かな意思を持って重なり合う。
触れるだけのキスではなかった。
そこには、今まで彼が押し殺してきた激情のすべてが込められていた。
深い深い、熱の渦。
ななしの意識は、その濃密な感覚の中に沈んでいく。
抵抗する術も、その理由すらも溶けて消えてしまった。
「……ななしサン。まだ、僕のこと可愛いって思う?」
唇が離れた瞬間、エペルが掠れた声で囁く。
その瞳は勝利を確信した肉食獣のような、艶やかな光を宿していた。
「……思わない。……思えないよ、そんなの」
ななしがようやく絞り出した言葉に、エペルは満足げに、そして酷く煽情的な笑みを浮かべた。
「よし……じゃあ、続き。さっきより、もっと深く……教え込んであげる」
再び引き寄せられる体。
夕暮れに染まり始めた庭園で、二人の影は長く、深く、ひとつに重なっていった。
オンボロ寮の庭を横切りながら、ななしは無邪気に声を弾ませる。その足取りは軽く、後ろを結わえた髪が春の風に揺れていた。
「本当だ。……でも、あんまり身を乗り出したら危ないよ。足元、根っこが浮いてるから」
「大丈夫、大丈夫。おっと……!」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、ななしの靴が湿った土に滑る。咄嗟に隣を歩いていたエペルの腕を掴もうとして、勢い余って彼の胸板に正面からぶつかった。
「わ、ごめん! 大丈夫だった?」
「……。……うん、平気。これくらい、なんともないよ」
エペルは揺らぎない足取りでななしを支える。
華奢な見た目に反して、その腕は硬く、抱き留められた瞬間に伝わる体温は思いのほか高い。ななしは不思議そうにエペルの顔を覗き込んだ。
「エペル、最近ちょっと背が伸びた? なんだか、前より視線が高くなった気がする」
「……そうかな。自分じゃよく分からないけど、トレーニングの成果かな」
「そっか。エペルは努力家だもんね。でも、あんまり無理してムキムキになっちゃったら、今の可愛い服が似合わなくなっちゃうかも?」
ななしが冗談めかして笑い、エペルの頬をつつこうとする。
いつもなら「可愛いって言わないで」と膨れるはずの彼が、今日は動かない。差し出されたななしの手首を、エペルが指先で静かに掴まえた。
「……ななしサン。さっきから、距離が近い」
「え? あ、ごめん。つい癖で。嫌だった?」
「嫌じゃないけど。……僕のこと、なんだと思ってるの?」
エペルの瞳が、じっとななしの瞳を射抜く。
いつもの可憐な印象とは違う、低く、芯の通った声。
掴まれた手首から、ドクンドクンという彼の拍動が伝わってくる。
「なんだって、大切な友達で、可愛い同級生だけど……」
「……やっぱり。全然分かってない」
エペルは小さく溜息をつき、掴んでいた手を離さないまま、ぐいと自分の方へ引き寄せた。予期せぬ力に、ななしの体が再び彼に密着する。
「エペル?」
「……いい? 僕、これでも毎日ヴィルサンに絞られてるんだよ。ただ可愛い格好をして座ってるだけじゃない。魔法を振るって、汗を流して……。男として、普通に鍛えてるんだ」
ななしの肩に、エペルの額が預けられる。
首筋に触れる彼の呼気が、先ほどよりも格段に熱を帯びていた。
その熱は布越しに伝わり、ななしの肌をじわじわと侵食していく。
「あ、の……エペル。顔、赤いよ? 熱でもあるんじゃ……」
「熱ならあるよ。……ずっと前から、ななしサンのせいで」
見上げたエペルの瞳は、湿った潤みを湛えながらも獲物を狙う野性味を隠せていない。それは、いつも見せている大人しい少年の顔ではなかった。ななしが気圧されて一歩後ろに下がろうとすると、腰に回された腕がそれを許さない。
「逃げないで。……ななしサンはいつもそうやって、無防備に僕の懐に入ってくる。僕がどれだけ我慢してるか、考えたこともないでしょ」
「……我慢って、何を?」
「これだよ」
エペルが顔を近づける。鼻先が触れ合うほどの距離。
彼の瞳の中に、困惑した自分の顔が映っている。
空気は甘く、それでいて焼けるような緊張感に満たされていく。
ななしは、彼から放たれる男としての濃厚な気配に、ようやく心臓の音が跳ね上がるのを感じた。
「……ななしサン。心臓、すごく速くなってる」
エペルの指がななしの耳元をなぞり、首筋へと滑り落ちる。
その指先はひどく熱く、触れられた場所が火傷をしたように熱を帯びる。内側から込み上げる熱い何かが、ななしの思考を白く塗りつぶしていく。
「エペル、待って……。なんだか、いつものエペルじゃないみたい」
「いつもの僕だよ。これが、本当の僕。……可愛いエペルじゃなくて、君を組み伏せたいと思ってる、ただの男」
彼の言葉が鼓膜を震わせ、脳に直接響く。
内面を支配していた友人という平穏な枠組みが、音を立てて崩れていく。ななしは、自分を見つめるエペルの眼差しが、愛おしさと、それ以上に剥き出しの独占欲に染まっていることに気づき息を呑んだ。
「……怖がらせたいわけじゃないんだ。でも、もう限界。分からせてあげなきゃ僕が壊れちゃう」
エペルがななしの手を自分の胸元へと導く。
薄いシャツ越しに感じる彼の心音は、ななしのそれと同じか、あるいはそれ以上に激しく波打っていた。
「感じて。僕だって、生身の人間なんだ。綺麗な人形じゃない。君に触れたいし、君の全部が欲しい。……そう思ってるんだよ」
沈黙が二人を包み込む。
庭の喧騒も、風の音も、今はもう聞こえない。
ただお互いの体温と、混じり合う吐息だけが世界の中心にあった。
エペルの視線がななしの唇に落ち、ゆっくりと、しかし確かな意思を持って重なり合う。
触れるだけのキスではなかった。
そこには、今まで彼が押し殺してきた激情のすべてが込められていた。
深い深い、熱の渦。
ななしの意識は、その濃密な感覚の中に沈んでいく。
抵抗する術も、その理由すらも溶けて消えてしまった。
「……ななしサン。まだ、僕のこと可愛いって思う?」
唇が離れた瞬間、エペルが掠れた声で囁く。
その瞳は勝利を確信した肉食獣のような、艶やかな光を宿していた。
「……思わない。……思えないよ、そんなの」
ななしがようやく絞り出した言葉に、エペルは満足げに、そして酷く煽情的な笑みを浮かべた。
「よし……じゃあ、続き。さっきより、もっと深く……教え込んであげる」
再び引き寄せられる体。
夕暮れに染まり始めた庭園で、二人の影は長く、深く、ひとつに重なっていった。
