スカラビア
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オンボロ寮の談話室に、沈黙が澱んでいた。
外はあいにくの雨。
窓を叩く音だけが、不自然なほど大きく響く。
ソファーの端と端。
ジャミルとななしの間には、大人一人が座れるほどの空白があった。
「……まだ、怒ってるんですか」
ななしが膝の上で指を組む。
ジャミルは手元の本から目を離さない。
「別に。怒るようなことじゃないと言ったはずだ」
「嘘です。さっきから一回も目が合ってない」
「自意識過剰だな。俺はただ、効率を考えているだけだ。お前のくだらない相談に乗る時間があるなら予習を済ませた方がいい」
「くだらなくないです。わたしはただ、ジャミル先輩に相談したかっただけで」
「他の誰かでもいいだろう。アズールでも、あの能天気なカリムでも」
ジャミルの声はどこまでも冷ややかだ。
突き放すような言葉。
ななしは唇を噛み、一歩も引かずに横顔を睨みつける。
「カリム先輩じゃダメなんです。……ジャミル先輩じゃないと、意味がないから」
「……」
ジャミルが初めて、本を閉じた。
だが、その視線は鋭く拒絶の光を宿している。
「意味、か。その言葉にどれほどの重みがあると思っている」
「重みとか、そんなの……! わたしは、ただ一緒にいたいって言ってるだけなのに」
「それが身勝手だと言っているんだ。お前のそういう感情に、俺がどれほどの時間を割いているか理解していない。俺には、お前を構っている余裕なんてないんだ」
「余裕がないのは、わたしのせいなんですか? 全部わたしのせいにして、逃げてるだけじゃないですか!」
ななしの立ち上がった勢いで、小さなテーブルが揺れる。
ジャミルの眉間に深い皺が寄った。
「逃げている? 俺が?」
「そうです。怖いんでしょ。誰かに踏み込まれるのが。……わたしに、本当のことを言われるのが!」
「黙れ。お前に何がわかる」
ジャミルも立ち上がる。
体格差が、圧倒的な威圧感となってななしを包む。
けれど、ななしは逃げない。
瞳を潤ませながらも、真っ直ぐにジャミルを見据える。
「わかります。ジャミル先輩が、いつも自分の気持ちを押し殺してること。……わたしの前でさえ、本音を隠して完璧でいようとすることくらい!」
「知ったような口を……!」
ジャミルがななしの肩を掴む。
強い力。
指先が震えていることに、本人は気づいていない。
「……離してください。ジャミル先輩のバカ」
「バカだと?」
「バカです! 寂しいって言わせるのも、不安にさせるのも……全部、最低です」
ななしの目から、一筋の涙が零れ落ちる。
それを見た瞬間、ジャミルの瞳に宿っていた冷徹な色が激しい動揺へと塗り替えられた。
「ななし、俺は……」
「大嫌い。嘘つきで、意地っ張りで、甘えさせてくれない先輩なんて、大嫌いです」
ななしが背を向けようとした瞬間、腕が強く引き戻された。
反動でジャミルの胸の中に閉じ込められる。
「……勝手なことを言うな。大嫌いだと? お前が、俺を?」
ジャミルの声が低く、熱を帯びて耳元に響く。
先ほどまでの冷たさは消え、隠しきれない独占欲が滲み出していた。
「離して、ください」
「嫌だと言ったら?」
「先輩の、意地悪」
「ああ、意地悪だな。自分でも嫌になるほどに」
ジャミルの手が、ななしの背中に回る。
薄いシャツ越しに伝わる、彼の体温。
ドクドクと速い鼓動が、どちらのものかわからないほど密着している。
ななしは彼の胸に顔を埋めたまま、小さく声を漏らした。
「……心臓、うるさいです」
「お前のせいだ。全部、お前がかき乱したんだ。……責任を取れ」
ジャミルの指先が、ななしの顎を掬い上げる。
視線が絡み合う。
そこにはもう偽りの仮面はない。
剥き出しの渇望だけがある。
「……ななし」
「……はい」
「二度と、他の男の名前を出すな。俺以外の前で、そんな顔を見せるな」
「先に他の男の人の名前だしたの、ジャミル先輩じゃないですか」
一瞬、ジャミルが虚を突かれたように目を見開く。
ななしは涙の滲んだ瞳で、挑発するように彼を見上げた。
「それは……」
「……ジャミル先輩の独裁者」
「……文句があるか」
ジャミルの顔が近づく。
吐息が混ざり合い、視界が彼の黒髪で覆われる。
ななしはそっと目を閉じた。
触れ合った唇は驚くほど柔らかく、そして熱い。
最初は確認するように。
次は、確かめるように。
やがて、お互いの存在を貪るような深いものへと変わっていく。
ジャミルの舌が、ななしの唇を割り内側へと侵入する。
脳を直接揺さぶるような、甘い痺れ。
ななしは彼の首に腕を回し、その熱に必死にしがみつく。
「……ん、ジャミル、先輩……」
名前を呼ぶ声さえも、深い口付けの中に溶けていく。
ジャミルの呼吸が荒くなる。
彼の指がななしの髪を強く掴み、逃がさないと言わんばかりに力を込める。逃げるつもりなんて、毛頭ないのに。
銀色の糸を引いて唇が離れても、ジャミルは至近距離でななしを離さない。額を合わせ、お互いの荒い呼吸を交換する。
「……許さないからな。俺をここまで狂わせたこと」
「……こっちの台詞です」
ジャミルが、ふっと小さく、けれど確かに笑った。
それはななしだけが知っている、防壁の内側の表情。
「……今度は、返事をする余裕もなくしてやる」
ジャミルは再び、愛おしくて堪らないといった様子で、ななしの唇を塞いだ。雨の音はもう、二人の耳には届かない。ただ、狂おしいほどの熱だけが、暗い部屋を満たしていた。
外はあいにくの雨。
窓を叩く音だけが、不自然なほど大きく響く。
ソファーの端と端。
ジャミルとななしの間には、大人一人が座れるほどの空白があった。
「……まだ、怒ってるんですか」
ななしが膝の上で指を組む。
ジャミルは手元の本から目を離さない。
「別に。怒るようなことじゃないと言ったはずだ」
「嘘です。さっきから一回も目が合ってない」
「自意識過剰だな。俺はただ、効率を考えているだけだ。お前のくだらない相談に乗る時間があるなら予習を済ませた方がいい」
「くだらなくないです。わたしはただ、ジャミル先輩に相談したかっただけで」
「他の誰かでもいいだろう。アズールでも、あの能天気なカリムでも」
ジャミルの声はどこまでも冷ややかだ。
突き放すような言葉。
ななしは唇を噛み、一歩も引かずに横顔を睨みつける。
「カリム先輩じゃダメなんです。……ジャミル先輩じゃないと、意味がないから」
「……」
ジャミルが初めて、本を閉じた。
だが、その視線は鋭く拒絶の光を宿している。
「意味、か。その言葉にどれほどの重みがあると思っている」
「重みとか、そんなの……! わたしは、ただ一緒にいたいって言ってるだけなのに」
「それが身勝手だと言っているんだ。お前のそういう感情に、俺がどれほどの時間を割いているか理解していない。俺には、お前を構っている余裕なんてないんだ」
「余裕がないのは、わたしのせいなんですか? 全部わたしのせいにして、逃げてるだけじゃないですか!」
ななしの立ち上がった勢いで、小さなテーブルが揺れる。
ジャミルの眉間に深い皺が寄った。
「逃げている? 俺が?」
「そうです。怖いんでしょ。誰かに踏み込まれるのが。……わたしに、本当のことを言われるのが!」
「黙れ。お前に何がわかる」
ジャミルも立ち上がる。
体格差が、圧倒的な威圧感となってななしを包む。
けれど、ななしは逃げない。
瞳を潤ませながらも、真っ直ぐにジャミルを見据える。
「わかります。ジャミル先輩が、いつも自分の気持ちを押し殺してること。……わたしの前でさえ、本音を隠して完璧でいようとすることくらい!」
「知ったような口を……!」
ジャミルがななしの肩を掴む。
強い力。
指先が震えていることに、本人は気づいていない。
「……離してください。ジャミル先輩のバカ」
「バカだと?」
「バカです! 寂しいって言わせるのも、不安にさせるのも……全部、最低です」
ななしの目から、一筋の涙が零れ落ちる。
それを見た瞬間、ジャミルの瞳に宿っていた冷徹な色が激しい動揺へと塗り替えられた。
「ななし、俺は……」
「大嫌い。嘘つきで、意地っ張りで、甘えさせてくれない先輩なんて、大嫌いです」
ななしが背を向けようとした瞬間、腕が強く引き戻された。
反動でジャミルの胸の中に閉じ込められる。
「……勝手なことを言うな。大嫌いだと? お前が、俺を?」
ジャミルの声が低く、熱を帯びて耳元に響く。
先ほどまでの冷たさは消え、隠しきれない独占欲が滲み出していた。
「離して、ください」
「嫌だと言ったら?」
「先輩の、意地悪」
「ああ、意地悪だな。自分でも嫌になるほどに」
ジャミルの手が、ななしの背中に回る。
薄いシャツ越しに伝わる、彼の体温。
ドクドクと速い鼓動が、どちらのものかわからないほど密着している。
ななしは彼の胸に顔を埋めたまま、小さく声を漏らした。
「……心臓、うるさいです」
「お前のせいだ。全部、お前がかき乱したんだ。……責任を取れ」
ジャミルの指先が、ななしの顎を掬い上げる。
視線が絡み合う。
そこにはもう偽りの仮面はない。
剥き出しの渇望だけがある。
「……ななし」
「……はい」
「二度と、他の男の名前を出すな。俺以外の前で、そんな顔を見せるな」
「先に他の男の人の名前だしたの、ジャミル先輩じゃないですか」
一瞬、ジャミルが虚を突かれたように目を見開く。
ななしは涙の滲んだ瞳で、挑発するように彼を見上げた。
「それは……」
「……ジャミル先輩の独裁者」
「……文句があるか」
ジャミルの顔が近づく。
吐息が混ざり合い、視界が彼の黒髪で覆われる。
ななしはそっと目を閉じた。
触れ合った唇は驚くほど柔らかく、そして熱い。
最初は確認するように。
次は、確かめるように。
やがて、お互いの存在を貪るような深いものへと変わっていく。
ジャミルの舌が、ななしの唇を割り内側へと侵入する。
脳を直接揺さぶるような、甘い痺れ。
ななしは彼の首に腕を回し、その熱に必死にしがみつく。
「……ん、ジャミル、先輩……」
名前を呼ぶ声さえも、深い口付けの中に溶けていく。
ジャミルの呼吸が荒くなる。
彼の指がななしの髪を強く掴み、逃がさないと言わんばかりに力を込める。逃げるつもりなんて、毛頭ないのに。
銀色の糸を引いて唇が離れても、ジャミルは至近距離でななしを離さない。額を合わせ、お互いの荒い呼吸を交換する。
「……許さないからな。俺をここまで狂わせたこと」
「……こっちの台詞です」
ジャミルが、ふっと小さく、けれど確かに笑った。
それはななしだけが知っている、防壁の内側の表情。
「……今度は、返事をする余裕もなくしてやる」
ジャミルは再び、愛おしくて堪らないといった様子で、ななしの唇を塞いだ。雨の音はもう、二人の耳には届かない。ただ、狂おしいほどの熱だけが、暗い部屋を満たしていた。
