ハーツラビュル
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ハーツラビュル寮の談話室には、いつも微かに紅茶と薔薇の香りが漂っている。窓の外には規則正しく赤く塗られた薔薇の庭が広がっていた。
放課後の時間は寮生たちの話し声やカップが触れ合う音で賑わっている。その一角、低めのテーブルを囲むソファにケイトとななしは座っていた。
「……ケイト先輩。ここ、全然わかんないんです」
ななしは使い古された魔法史の教科書をケイトの方へぐいと押し出した。ケイトは片手で操作していたスマホを置いて、教科書を覗き込んだ。
「えー、またぁ? さっきも同じページやってなかった?」
「やってました。でも、文字が全部踊って見えるんです。さっき覚えたはずの年号が、もうどっか行っちゃいました」
「それ、ただの居眠りフラグじゃん。マジ、ななしちゃんってば」
ケイトは苦笑いしながらスマホをポケットに放り込んだ。
「うわ、ここ。一番退屈な年表のところだ。オレも正直、ここはパスしたいな〜。見るだけで目がチカチカするし」
「そんなこと言わないでください。明日の小テスト、赤点だと補習なんです。今のわたしにはケイト先輩だけが頼りなんです」
「そんなキラキラした目で見られても困るんだけど。というかさ、ななしちゃん」
ケイトは頬杖をつき、手近にあったペンを器用に回しながら首を傾げた。
「勉強教えてもらうなら、オレよりも適任がいるでしょ?ハーツラビュルが誇る成績優秀者、リドルくんとかトレイくんとかさ。リドルくんなら完璧に叩き込んでくれるし、トレイくんならお菓子食べながら優しく教えてくれるよ」
「それはそうなんですけど……」
「え、なに? 何か不都合でもあるの?」
「二人とも、いつも忙しそうだから申し訳なくて……」
「じゃあ、けーくんは暇だと思われてる感じ? 心外だな〜。これでも結構忙しいんだよ?」
「そうじゃなくて。ケイト先輩がいいんです」
ケイトは一瞬だけ瞬きをして、視線を教科書に落とした。
「……はいはい。そういうの、さらっと言えちゃうあたりがななしちゃんだよね。マジ怖いわ〜。オレ今ちょっとドキッとしちゃったし」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないってば……ま、いいや。そこまで頼られたら、けーくん頑張っちゃおうかな。じゃあこれ、バズり動画とかに例えて説明してあげるから、しっかり聞いててよね?」
ケイトはノートの端にペンでさらさらと図を書き込んでいく。
彼の説明は驚くほど分かりやすかった。難解な魔法の歴史が、まるで現代のSNSの炎上騒動か何かのようにドラマチックに語られていく。
「――で、この当時の王様が『いいね』欲しさに余計な魔法を使っちゃったせいで、隣の国と揉めたわけ。それがこの条約のきっかけ。マジ承認欲求って昔から人間をダメにするよね。分かりやすくない?」
「あはは! すごい、一気にイメージが湧きました」
「でしょ? オレ、意外と教える才能あるかも。将来は魔法学校の先生にもなれるかも。あ、でも朝早いのはパスだな」
ケイトは軽口を叩きながらも、ななしがノートを整理する間、その横顔をじっと眺めていた。窓から差し込む夕日が、彼のオレンジ色の髪をいっそう鮮やかに、どこか幻想的に照らしている。
「……ななしちゃんさ」
「はい」
顔を上げたななしと、至近距離で目が合う。ケイトは逸らさず、どこか探るような、それでいて穏やかな笑みを浮かべた。
「本当に、オレでよかったの? リドルくんたちに頼んだほうが、効率はいいと思うんだけど。オレの教え方、だいぶ偏ってるし」
「効率の問題じゃないですよ。わたしは、ケイト先輩とお喋りしながら勉強するのが楽しいんです。先輩、わたしのレベルに合わせて話してくれるから」
「……それって、オレがななしちゃんと同じくらい、勉強が苦手だって言いたいわけ?」
「違いますよ! 先輩が優しいって言ってるんです、……もしかして迷惑でしたか……」
ななしがそう問いかける。
ケイトは「参ったな」というように両手を上げた。
「あーあ、そうやってオレのこと翻弄するんだ。罪作りだね〜。オレの優しい先輩の仮面が剥がれそう」
「仮面なんて被ってないじゃないですか」
「被ってるかもしれないよ〜。でもさ、ななしちゃんの前だと、なんだか調子狂っちゃうんだよね」
ケイトはななしの頭を、持っていたペンの頭で軽くコツンと叩いた。
「はい、お喋りはここまで。次行くよ。ここをクリアしたら、最近撮った面白い写真見せてあげる」
「やった! 頑張ります、絶対見たいです!」
「その意気。よしよし、いい子だね」
ノートに向かうななしの隣で、ケイトは再びスマホを取り出した。画面を眺めるふりをして、インカメラに映る自分たちの姿をチェックする。
必死にペンを動かすななしと、それを見守る自分。
構図としては完璧だったが、彼はシャッターを切るのをやめた。
「先輩? どうしたんですか?」
「ん? なんでもなーい。あ、この項目もテストに出やすいよ。星三つくらいの重要度。マジカメなら、絶対ハッシュタグつけるレベル」
「ハッシュタグ『#魔法史』『#赤点』ですか?」
「それ、全然映えないじゃん! もっとこう、ポジティブなやつにしてよ」
二人の笑い声が談話室に溶けていく。
ケイトが語る魔法の歴史は、教科書に載っている冷たい文字よりもずっと温かく、ななしの記憶に刻まれていった。
「あ、先輩。ここの理論なんですけど……」
「んー、どれどれ? これはちょっと複雑だよ。でも大丈夫、ななしちゃんなら理解できるよ。オレが保証してあげる。その代わりテストで良い点取ったら、今度マジカメ用の写真撮影に付き合ってよね? 新しいカフェの予約取れたんだ」
「もちろんです! 合格点取って、どこまでも付いていきます」
「はは、頼もしいね。じゃあその言葉、信じちゃうよ?」
ケイトの言葉にななしは元気に頷いた。
彼が時折見せる、軽薄な笑みの裏にある本音。それに気づいているのかいないのか、ななしはただ純粋に彼との時間を楽しんでいる。
「ななしちゃん集中切れてきたでしょ。あと5分だけ頑張ったら今日は終わりにしよっか。トレイくんにお願いして、内緒でタルト取っておいてもらったから」
「えっ、本当ですか!? 頑張れます、あと10分頑張ります!」
「現金だな〜。でも、そういうとこ嫌いじゃないよ」
外はすっかり暗くなり、談話室のランプが温かな光を放ち始めていた。ケイトはペンを動かしながら、時折、隣で必死に文字を書くななしを盗み見る。
彼がリドルやトレイの名前を出したのは、自分への自信のなさからくる予防線だった。けれど、こうしてまっすぐに自分を選び、隣で笑う少女を前に、その壁は少しずつ、確実に脆くなっていた。
「……ま、オレも、たまには本気になっちゃうかな」
小さく呟いた言葉は、教科書を捲る音にかき消され、二人の時間は、甘く少しだけ切ない熱を帯びて続いていった。
放課後の時間は寮生たちの話し声やカップが触れ合う音で賑わっている。その一角、低めのテーブルを囲むソファにケイトとななしは座っていた。
「……ケイト先輩。ここ、全然わかんないんです」
ななしは使い古された魔法史の教科書をケイトの方へぐいと押し出した。ケイトは片手で操作していたスマホを置いて、教科書を覗き込んだ。
「えー、またぁ? さっきも同じページやってなかった?」
「やってました。でも、文字が全部踊って見えるんです。さっき覚えたはずの年号が、もうどっか行っちゃいました」
「それ、ただの居眠りフラグじゃん。マジ、ななしちゃんってば」
ケイトは苦笑いしながらスマホをポケットに放り込んだ。
「うわ、ここ。一番退屈な年表のところだ。オレも正直、ここはパスしたいな〜。見るだけで目がチカチカするし」
「そんなこと言わないでください。明日の小テスト、赤点だと補習なんです。今のわたしにはケイト先輩だけが頼りなんです」
「そんなキラキラした目で見られても困るんだけど。というかさ、ななしちゃん」
ケイトは頬杖をつき、手近にあったペンを器用に回しながら首を傾げた。
「勉強教えてもらうなら、オレよりも適任がいるでしょ?ハーツラビュルが誇る成績優秀者、リドルくんとかトレイくんとかさ。リドルくんなら完璧に叩き込んでくれるし、トレイくんならお菓子食べながら優しく教えてくれるよ」
「それはそうなんですけど……」
「え、なに? 何か不都合でもあるの?」
「二人とも、いつも忙しそうだから申し訳なくて……」
「じゃあ、けーくんは暇だと思われてる感じ? 心外だな〜。これでも結構忙しいんだよ?」
「そうじゃなくて。ケイト先輩がいいんです」
ケイトは一瞬だけ瞬きをして、視線を教科書に落とした。
「……はいはい。そういうの、さらっと言えちゃうあたりがななしちゃんだよね。マジ怖いわ〜。オレ今ちょっとドキッとしちゃったし」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないってば……ま、いいや。そこまで頼られたら、けーくん頑張っちゃおうかな。じゃあこれ、バズり動画とかに例えて説明してあげるから、しっかり聞いててよね?」
ケイトはノートの端にペンでさらさらと図を書き込んでいく。
彼の説明は驚くほど分かりやすかった。難解な魔法の歴史が、まるで現代のSNSの炎上騒動か何かのようにドラマチックに語られていく。
「――で、この当時の王様が『いいね』欲しさに余計な魔法を使っちゃったせいで、隣の国と揉めたわけ。それがこの条約のきっかけ。マジ承認欲求って昔から人間をダメにするよね。分かりやすくない?」
「あはは! すごい、一気にイメージが湧きました」
「でしょ? オレ、意外と教える才能あるかも。将来は魔法学校の先生にもなれるかも。あ、でも朝早いのはパスだな」
ケイトは軽口を叩きながらも、ななしがノートを整理する間、その横顔をじっと眺めていた。窓から差し込む夕日が、彼のオレンジ色の髪をいっそう鮮やかに、どこか幻想的に照らしている。
「……ななしちゃんさ」
「はい」
顔を上げたななしと、至近距離で目が合う。ケイトは逸らさず、どこか探るような、それでいて穏やかな笑みを浮かべた。
「本当に、オレでよかったの? リドルくんたちに頼んだほうが、効率はいいと思うんだけど。オレの教え方、だいぶ偏ってるし」
「効率の問題じゃないですよ。わたしは、ケイト先輩とお喋りしながら勉強するのが楽しいんです。先輩、わたしのレベルに合わせて話してくれるから」
「……それって、オレがななしちゃんと同じくらい、勉強が苦手だって言いたいわけ?」
「違いますよ! 先輩が優しいって言ってるんです、……もしかして迷惑でしたか……」
ななしがそう問いかける。
ケイトは「参ったな」というように両手を上げた。
「あーあ、そうやってオレのこと翻弄するんだ。罪作りだね〜。オレの優しい先輩の仮面が剥がれそう」
「仮面なんて被ってないじゃないですか」
「被ってるかもしれないよ〜。でもさ、ななしちゃんの前だと、なんだか調子狂っちゃうんだよね」
ケイトはななしの頭を、持っていたペンの頭で軽くコツンと叩いた。
「はい、お喋りはここまで。次行くよ。ここをクリアしたら、最近撮った面白い写真見せてあげる」
「やった! 頑張ります、絶対見たいです!」
「その意気。よしよし、いい子だね」
ノートに向かうななしの隣で、ケイトは再びスマホを取り出した。画面を眺めるふりをして、インカメラに映る自分たちの姿をチェックする。
必死にペンを動かすななしと、それを見守る自分。
構図としては完璧だったが、彼はシャッターを切るのをやめた。
「先輩? どうしたんですか?」
「ん? なんでもなーい。あ、この項目もテストに出やすいよ。星三つくらいの重要度。マジカメなら、絶対ハッシュタグつけるレベル」
「ハッシュタグ『#魔法史』『#赤点』ですか?」
「それ、全然映えないじゃん! もっとこう、ポジティブなやつにしてよ」
二人の笑い声が談話室に溶けていく。
ケイトが語る魔法の歴史は、教科書に載っている冷たい文字よりもずっと温かく、ななしの記憶に刻まれていった。
「あ、先輩。ここの理論なんですけど……」
「んー、どれどれ? これはちょっと複雑だよ。でも大丈夫、ななしちゃんなら理解できるよ。オレが保証してあげる。その代わりテストで良い点取ったら、今度マジカメ用の写真撮影に付き合ってよね? 新しいカフェの予約取れたんだ」
「もちろんです! 合格点取って、どこまでも付いていきます」
「はは、頼もしいね。じゃあその言葉、信じちゃうよ?」
ケイトの言葉にななしは元気に頷いた。
彼が時折見せる、軽薄な笑みの裏にある本音。それに気づいているのかいないのか、ななしはただ純粋に彼との時間を楽しんでいる。
「ななしちゃん集中切れてきたでしょ。あと5分だけ頑張ったら今日は終わりにしよっか。トレイくんにお願いして、内緒でタルト取っておいてもらったから」
「えっ、本当ですか!? 頑張れます、あと10分頑張ります!」
「現金だな〜。でも、そういうとこ嫌いじゃないよ」
外はすっかり暗くなり、談話室のランプが温かな光を放ち始めていた。ケイトはペンを動かしながら、時折、隣で必死に文字を書くななしを盗み見る。
彼がリドルやトレイの名前を出したのは、自分への自信のなさからくる予防線だった。けれど、こうしてまっすぐに自分を選び、隣で笑う少女を前に、その壁は少しずつ、確実に脆くなっていた。
「……ま、オレも、たまには本気になっちゃうかな」
小さく呟いた言葉は、教科書を捲る音にかき消され、二人の時間は、甘く少しだけ切ない熱を帯びて続いていった。
