ディアソムニア
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
放課後の廊下は、西日に照らされて燃えるようなオレンジ色に染まっている。窓の外からは、運動部の威勢の良い声や校門へと向かう生徒たちの話し声が微かに聞こえてくる。そんな喧騒から切り離された図書室近くのベンチで、シルバーは深い眠りに落ちていた。
「……シルバー先輩」
その横顔を覗き込み、ななしは小さく名前を呼んだ。
銀色の睫毛が影を落とす整った顔立ち。規則正しい寝息を聞いているだけで、ななしの胸は温かさとそれ以上の切なさに支配される。
(また、ここで寝ちゃったんだな……)
ななしは、持っていた薄手のブランケットをそっとシルバーの肩に掛けた。いつもなら、このまま目が覚めるまで隣に座っている。けれど、最近のシルバーの態度は、ななしの心を少しずつ確実に削っていた。
◇
数分後、シルバーの意識がゆっくりと浮上した。重い瞼を持ち上げると、目の前には心配そうに自分を見つめるななしの姿がある。
「……ななしか。すまない、また眠ってしまっていたようだ」
シルバーは体を起こし、肩に掛かっていたブランケットを手に取る。その仕草はどこまでも優雅で、それでいてどこか余所余所しい。
「シルバー先輩、お疲れですか?」
「いや、馬術部の世話や授業も特に問題はない。ただ、この体質はどうしようもないな。……お前を待たせてしまった。時間は大丈夫か?」
「はい、わたしは全然。……あの、シルバー先輩。もしよかったら、この後一緒に食堂へ行きませんか? 新作のスイーツが出たって、グリムが騒いでいて」
ななしは努めて明るく、誘いの言葉を口にした。
本当はグリムなんて関係ない。ただ、少しでも長く彼と同じ時間を共有したかった。しかし、シルバーは視線を僅かに泳がせ、静かに首を振った。
「すまない。今日は……これからセベクと自主練の約束があるんだ。俺のような、いつ眠りに落ちるか分からない男と一緒にいても、お前を退屈させるだけだろう」
「えっ……そんなこと、ないです」
「いいや。お前は明るくて、いつも周りに誰かがいる。俺と沈黙の中で過ごすよりも、他の友人たちと賑やかに過ごしている方が、お前らしい笑顔になれるはずだ」
シルバーは、ブランケットをななしの手に返した。
その指先が触れ合うこともない。彼は立ち上がり、一度だけななしの目を見て、すぐに逸らした。
「……では、また。風邪を引かないように、早めに寮に戻るんだぞ」
背を向けて歩き出すシルバー。
その背中は、以前よりもずっと遠く、揺るぎない壁のように感じられた。
ななしは、残されたブランケットを強く抱きしめる。
「……退屈なんて、したことないのに。どうしてそんなこと言うの」
夕闇が迫る廊下で、ななしの声は誰にも届かずに消えた。
◇
一方、廊下を歩くシルバーの足取りは重い。
胸の奥を焦がすような痛みを、彼は必死に押し殺していた。
(……ななしは、優しい。あんなに悲しそうな顔をさせてしまうなんて、俺は失格だ)
シルバーにとって、ななしは特別な存在だ。
異世界から来て、右も左も分からない中で懸命に生きる彼女。その明るさに、何度も救われてきた。いつの間にか、彼女を守る存在でありたいと願うようになったのは必然だった。
だが彼の中には常に拭えない不安があった。
彼女が本当に辛い時、支えが必要な時に、自分は眠ってしまうかもしれない。そんな不甲斐ない自分が、彼女の隣に居座っていいはずがない。
(彼女には、他に相応しい相手がいるのではないか。……例えば、いつも彼女の隣で騒いでいるあの二人なら、彼女を退屈させることはない。彼女が笑顔でいられるのなら、俺は一歩引くべきだ)
彼女が時折見せる、切なげな視線。それを自分に向けられたものだとは、夢にも思わない。誰か別の人物を想っているから、彼女はあんな表情をするのだと、シルバーは自分に言い聞かせた。
(彼女が幸せになれるなら、俺の個人的な感情はこの胸の奥に閉じ込めておくのが正解だ)
それがシルバーの愛の形であり、同時に二人を遠ざける楔となっていた。
◇
数日が経過した。
ななしは、シルバーを誘う勇気を失いつつあった。
誘えば断られる。断られる理由はいつも「自分といてもつまらないだろう」というもの。それが「遠回しに拒絶されている」ようにしか思えなかった。
「……やっぱりシルバー先輩にとって、わたしはただの手のかかる後輩なのかな」
図書室の隅で、ななしはノートを広げたまま溜息をつく。
そこへ、騒がしい足音が近づいてきた。
「よお、ななし! 何か湿気た面してんな」
エースがニヤニヤしながら隣の席に座る。後ろにはデュースもいた。
「別に、湿気てないよ。……ねえ、エース。シルバー先輩って、最近変わったところない?」
「あー、シルバー先輩? 相変わらずどこでも寝てるけど……。そういや、この前なんかお前のこと聞いてきたな。『ななしが最近、誰か特定の男子と仲良くしていないか』って。あんな必死な顔した先輩、初めて見たぜ」
ななしの心臓が大きく跳ねた。
「えっ、それって……どういうこと?」
「さあな。まあ、あの先輩は生真面目すぎるんだよ。お前のこと心配しすぎて空回りしてんじゃねーの?」
デュースが真面目な顔で付け加える。
「ななし、もし何かあるなら直接話すべきだ。言葉にしないと伝わらないこともあるからな」
二人の言葉が、ななしの背中を強く押した。
「つまらない」と思われているのではなく、彼もまた、何かを誤解しているのかもしれない。もしそうなら、このまま距離を置くなんて絶対に嫌だ。
「……ありがとう、二人とも! わたし、行ってくる!」
鞄を掴み、ななしは図書室を飛び出した。
向かう先は、彼がよくいる中庭の奥。
今日こそは、逃げずに、彼の本心を聞き出すと決めた。
◇
中庭の大きな木の下。
そこには、案の定シルバーがいた。
しかし、今日は眠っていない。彼は剣を傍らに置き、遠い空を眺めていた。その横顔は今にも消えてしまいそうなほど儚く見える。
「シルバー先輩!」
ななしの声に、シルバーが弾かれたように肩を震わせる。
「……ななし? どうしてここへ」
「お話があります。逃げないで聞いてください」
ななしの強い口調に、シルバーは圧倒されたように立ち尽くした。
ななしは一歩、また一歩と彼との距離を詰める。
「最近の先輩、変です。いつも『自分といてもつまらない』とか『他の人といた方が楽しい』とか。……どうしてそんなこと、勝手に決めるんですか?」
「それは……事実だろう。俺は寝てばかりで、気の利いたことも言えない。お前のような明るい人間には、もっと……」
「もっと、何ですか!? わたしは、シルバー先輩がいいんです! 先輩が隣にいてくれるだけで、どれだけ安心するか分かってますか? 先輩が寝ちゃっても、その寝顔を守れるのはわたしだけだって、自惚れてもいいと思ってたのに!」
ななしの瞳に、涙が溜まる。
シルバーは、その涙を見て、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「……お前が、俺を? だが、お前には好きな人がいるのではなかったのか」
「いますよ! 今、目の前に!」
叫ぶような告白。
静まり返った中庭に、ななしの鼓動の音だけが響いているようだった。
シルバーの瞳が大きく見開かれ、唇が微かに震える。
「……今、なんて……?」
「シルバー先輩が好きです。……先輩がわたしを優先して遠ざけるたびに、嫌われたんだって思って、すごく怖かった……っ」
堪えきれなくなった涙が、ななしの頬を伝い落ちる。
次の瞬間、視界が急に暗くなった。
温かい腕がななしの体を包み込み、強い力で引き寄せられる。
「……ああ、なんてことだ。俺は……とんでもない間違いをしていた」
耳元で、シルバーの低く掠れた声が聞こえる。
彼の心臓の音が、ななしの耳にダイレクトに伝わってくる。それは、ななしと同じくらい激しく波打っていた。
シルバーはななしを抱きしめたまま、その肩に深く顔を埋めた。
彼女の体温、彼女の香り。今まで失うのが怖くて触れられなかった宝物が今、自分の腕の中にある。
「すまない、ななし。俺はお前を想うあまり、お前の本当の気持ちを全く見ていなかった。……俺も、お前が好きだ」
ななしは、彼の胸元で息を呑んだ。
信じられない思いで顔を上げると、そこにはいつもの冷静さを欠いた、情熱的で潤んだ瞳のシルバーがいた。
「俺は……お前が誰か別の男を想っているのだと思っていた。そして眠ってばかりの俺は、お前にとって重荷にしかならないと。……だが、それは俺の卑怯な逃げだったのかもしれない」
シルバーの手が、ななしの頬に添えられる。
親指でそっと涙を拭うその手つきは、壊れ物を扱うように繊細だった。
「お前が隣にいてくれるなら、俺はどんな魔法の眠りからも覚めてみせる。……たとえ、この先何度眠りに落ちてしまっても、目を開けた時に最初にお前を探す。……だからもう二度と、あんな悲しい顔をさせないと誓おう」
「シルバー、先輩……」
「俺の誓いだ。……受け取ってくれるか?」
ななしは、溢れそうになる笑みを堪えきれず、力強く頷いた。
「はい。……でも、無理に起きようとしなくていいですよ。先輩が眠っている間は、わたしが先輩を守りますから」
その言葉にシルバーはふっと柔らかく微笑んだ。
それは誰にも見せたことのない、一人の男としての幸福に満ちた笑顔だった。
◇
それからの二人の関係は校内でも有名なものとなった。
相変わらずシルバーは所構わず眠りに落ちるが、その隣には必ずななしが寄り添っている。
「……ん……」
今日も馬術部の裏の草むらで、シルバーがななしの膝を枕にして眠っていた。ななしはシルバーの柔らかな髪を指で梳きながら、手元の本を読んでいる。
「シルバー先輩。そろそろ起きないと、リドル先輩に怒られちゃいますよ」
耳元で小さく囁くと、シルバーがゆっくりと目を開けた。
銀色の瞳がななしを映し、彼は満足そうに目を細める。
「……ああ。お前の声が聞こえた。……夢の中でも、お前を探していたんだ」
「もう、起きてすぐに甘いこと言わないでください」
赤くなるななしの顔を見て、シルバーは体を起こし、彼女の手を優しく握りしめ、指と指を絡ませる。かつては数センチの距離が果てしなく遠く感じられたのが、嘘のようだ。
「本当のことだ。……ななし、今日も隣にいてくれてありがとう」
「こちらこそ。……大好きですよ、シルバー先輩」
シルバーは、ななしの手の甲にそっと唇を落とした。
その仕草は、まさに物語から抜け出してきた騎士そのものであった。
二人の間に、もうすれ違う風は吹かない。オレンジ色の夕陽が、寄り添う二人の影を長く美しく地面に映し出していた。
「……シルバー先輩」
その横顔を覗き込み、ななしは小さく名前を呼んだ。
銀色の睫毛が影を落とす整った顔立ち。規則正しい寝息を聞いているだけで、ななしの胸は温かさとそれ以上の切なさに支配される。
(また、ここで寝ちゃったんだな……)
ななしは、持っていた薄手のブランケットをそっとシルバーの肩に掛けた。いつもなら、このまま目が覚めるまで隣に座っている。けれど、最近のシルバーの態度は、ななしの心を少しずつ確実に削っていた。
◇
数分後、シルバーの意識がゆっくりと浮上した。重い瞼を持ち上げると、目の前には心配そうに自分を見つめるななしの姿がある。
「……ななしか。すまない、また眠ってしまっていたようだ」
シルバーは体を起こし、肩に掛かっていたブランケットを手に取る。その仕草はどこまでも優雅で、それでいてどこか余所余所しい。
「シルバー先輩、お疲れですか?」
「いや、馬術部の世話や授業も特に問題はない。ただ、この体質はどうしようもないな。……お前を待たせてしまった。時間は大丈夫か?」
「はい、わたしは全然。……あの、シルバー先輩。もしよかったら、この後一緒に食堂へ行きませんか? 新作のスイーツが出たって、グリムが騒いでいて」
ななしは努めて明るく、誘いの言葉を口にした。
本当はグリムなんて関係ない。ただ、少しでも長く彼と同じ時間を共有したかった。しかし、シルバーは視線を僅かに泳がせ、静かに首を振った。
「すまない。今日は……これからセベクと自主練の約束があるんだ。俺のような、いつ眠りに落ちるか分からない男と一緒にいても、お前を退屈させるだけだろう」
「えっ……そんなこと、ないです」
「いいや。お前は明るくて、いつも周りに誰かがいる。俺と沈黙の中で過ごすよりも、他の友人たちと賑やかに過ごしている方が、お前らしい笑顔になれるはずだ」
シルバーは、ブランケットをななしの手に返した。
その指先が触れ合うこともない。彼は立ち上がり、一度だけななしの目を見て、すぐに逸らした。
「……では、また。風邪を引かないように、早めに寮に戻るんだぞ」
背を向けて歩き出すシルバー。
その背中は、以前よりもずっと遠く、揺るぎない壁のように感じられた。
ななしは、残されたブランケットを強く抱きしめる。
「……退屈なんて、したことないのに。どうしてそんなこと言うの」
夕闇が迫る廊下で、ななしの声は誰にも届かずに消えた。
◇
一方、廊下を歩くシルバーの足取りは重い。
胸の奥を焦がすような痛みを、彼は必死に押し殺していた。
(……ななしは、優しい。あんなに悲しそうな顔をさせてしまうなんて、俺は失格だ)
シルバーにとって、ななしは特別な存在だ。
異世界から来て、右も左も分からない中で懸命に生きる彼女。その明るさに、何度も救われてきた。いつの間にか、彼女を守る存在でありたいと願うようになったのは必然だった。
だが彼の中には常に拭えない不安があった。
彼女が本当に辛い時、支えが必要な時に、自分は眠ってしまうかもしれない。そんな不甲斐ない自分が、彼女の隣に居座っていいはずがない。
(彼女には、他に相応しい相手がいるのではないか。……例えば、いつも彼女の隣で騒いでいるあの二人なら、彼女を退屈させることはない。彼女が笑顔でいられるのなら、俺は一歩引くべきだ)
彼女が時折見せる、切なげな視線。それを自分に向けられたものだとは、夢にも思わない。誰か別の人物を想っているから、彼女はあんな表情をするのだと、シルバーは自分に言い聞かせた。
(彼女が幸せになれるなら、俺の個人的な感情はこの胸の奥に閉じ込めておくのが正解だ)
それがシルバーの愛の形であり、同時に二人を遠ざける楔となっていた。
◇
数日が経過した。
ななしは、シルバーを誘う勇気を失いつつあった。
誘えば断られる。断られる理由はいつも「自分といてもつまらないだろう」というもの。それが「遠回しに拒絶されている」ようにしか思えなかった。
「……やっぱりシルバー先輩にとって、わたしはただの手のかかる後輩なのかな」
図書室の隅で、ななしはノートを広げたまま溜息をつく。
そこへ、騒がしい足音が近づいてきた。
「よお、ななし! 何か湿気た面してんな」
エースがニヤニヤしながら隣の席に座る。後ろにはデュースもいた。
「別に、湿気てないよ。……ねえ、エース。シルバー先輩って、最近変わったところない?」
「あー、シルバー先輩? 相変わらずどこでも寝てるけど……。そういや、この前なんかお前のこと聞いてきたな。『ななしが最近、誰か特定の男子と仲良くしていないか』って。あんな必死な顔した先輩、初めて見たぜ」
ななしの心臓が大きく跳ねた。
「えっ、それって……どういうこと?」
「さあな。まあ、あの先輩は生真面目すぎるんだよ。お前のこと心配しすぎて空回りしてんじゃねーの?」
デュースが真面目な顔で付け加える。
「ななし、もし何かあるなら直接話すべきだ。言葉にしないと伝わらないこともあるからな」
二人の言葉が、ななしの背中を強く押した。
「つまらない」と思われているのではなく、彼もまた、何かを誤解しているのかもしれない。もしそうなら、このまま距離を置くなんて絶対に嫌だ。
「……ありがとう、二人とも! わたし、行ってくる!」
鞄を掴み、ななしは図書室を飛び出した。
向かう先は、彼がよくいる中庭の奥。
今日こそは、逃げずに、彼の本心を聞き出すと決めた。
◇
中庭の大きな木の下。
そこには、案の定シルバーがいた。
しかし、今日は眠っていない。彼は剣を傍らに置き、遠い空を眺めていた。その横顔は今にも消えてしまいそうなほど儚く見える。
「シルバー先輩!」
ななしの声に、シルバーが弾かれたように肩を震わせる。
「……ななし? どうしてここへ」
「お話があります。逃げないで聞いてください」
ななしの強い口調に、シルバーは圧倒されたように立ち尽くした。
ななしは一歩、また一歩と彼との距離を詰める。
「最近の先輩、変です。いつも『自分といてもつまらない』とか『他の人といた方が楽しい』とか。……どうしてそんなこと、勝手に決めるんですか?」
「それは……事実だろう。俺は寝てばかりで、気の利いたことも言えない。お前のような明るい人間には、もっと……」
「もっと、何ですか!? わたしは、シルバー先輩がいいんです! 先輩が隣にいてくれるだけで、どれだけ安心するか分かってますか? 先輩が寝ちゃっても、その寝顔を守れるのはわたしだけだって、自惚れてもいいと思ってたのに!」
ななしの瞳に、涙が溜まる。
シルバーは、その涙を見て、雷に打たれたような衝撃を受けた。
「……お前が、俺を? だが、お前には好きな人がいるのではなかったのか」
「いますよ! 今、目の前に!」
叫ぶような告白。
静まり返った中庭に、ななしの鼓動の音だけが響いているようだった。
シルバーの瞳が大きく見開かれ、唇が微かに震える。
「……今、なんて……?」
「シルバー先輩が好きです。……先輩がわたしを優先して遠ざけるたびに、嫌われたんだって思って、すごく怖かった……っ」
堪えきれなくなった涙が、ななしの頬を伝い落ちる。
次の瞬間、視界が急に暗くなった。
温かい腕がななしの体を包み込み、強い力で引き寄せられる。
「……ああ、なんてことだ。俺は……とんでもない間違いをしていた」
耳元で、シルバーの低く掠れた声が聞こえる。
彼の心臓の音が、ななしの耳にダイレクトに伝わってくる。それは、ななしと同じくらい激しく波打っていた。
シルバーはななしを抱きしめたまま、その肩に深く顔を埋めた。
彼女の体温、彼女の香り。今まで失うのが怖くて触れられなかった宝物が今、自分の腕の中にある。
「すまない、ななし。俺はお前を想うあまり、お前の本当の気持ちを全く見ていなかった。……俺も、お前が好きだ」
ななしは、彼の胸元で息を呑んだ。
信じられない思いで顔を上げると、そこにはいつもの冷静さを欠いた、情熱的で潤んだ瞳のシルバーがいた。
「俺は……お前が誰か別の男を想っているのだと思っていた。そして眠ってばかりの俺は、お前にとって重荷にしかならないと。……だが、それは俺の卑怯な逃げだったのかもしれない」
シルバーの手が、ななしの頬に添えられる。
親指でそっと涙を拭うその手つきは、壊れ物を扱うように繊細だった。
「お前が隣にいてくれるなら、俺はどんな魔法の眠りからも覚めてみせる。……たとえ、この先何度眠りに落ちてしまっても、目を開けた時に最初にお前を探す。……だからもう二度と、あんな悲しい顔をさせないと誓おう」
「シルバー、先輩……」
「俺の誓いだ。……受け取ってくれるか?」
ななしは、溢れそうになる笑みを堪えきれず、力強く頷いた。
「はい。……でも、無理に起きようとしなくていいですよ。先輩が眠っている間は、わたしが先輩を守りますから」
その言葉にシルバーはふっと柔らかく微笑んだ。
それは誰にも見せたことのない、一人の男としての幸福に満ちた笑顔だった。
◇
それからの二人の関係は校内でも有名なものとなった。
相変わらずシルバーは所構わず眠りに落ちるが、その隣には必ずななしが寄り添っている。
「……ん……」
今日も馬術部の裏の草むらで、シルバーがななしの膝を枕にして眠っていた。ななしはシルバーの柔らかな髪を指で梳きながら、手元の本を読んでいる。
「シルバー先輩。そろそろ起きないと、リドル先輩に怒られちゃいますよ」
耳元で小さく囁くと、シルバーがゆっくりと目を開けた。
銀色の瞳がななしを映し、彼は満足そうに目を細める。
「……ああ。お前の声が聞こえた。……夢の中でも、お前を探していたんだ」
「もう、起きてすぐに甘いこと言わないでください」
赤くなるななしの顔を見て、シルバーは体を起こし、彼女の手を優しく握りしめ、指と指を絡ませる。かつては数センチの距離が果てしなく遠く感じられたのが、嘘のようだ。
「本当のことだ。……ななし、今日も隣にいてくれてありがとう」
「こちらこそ。……大好きですよ、シルバー先輩」
シルバーは、ななしの手の甲にそっと唇を落とした。
その仕草は、まさに物語から抜け出してきた騎士そのものであった。
二人の間に、もうすれ違う風は吹かない。オレンジ色の夕陽が、寄り添う二人の影を長く美しく地面に映し出していた。
