ハーツラビュル
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図書室の奥にある閲覧スペースは、放課後になるといつも人影が疎らになる。窓際のテーブルにノートを広げたななしの隣で、エースはあくびを噛み殺しながらペンを指先で回していた。
「なー、ここさ、全然意味分かんねぇんだけど」
「そこは公式をそのまま当てはめるだけだよ」
「なんでこんなややこしい計算させんの」
ななしが指し示すと、エースは顔を近づけてノートを覗き込んだ。距離が縮まり、耳元で吐き出された溜息が肌をかすめる。
「マジで意味不明。てか、ななし教えるのうまくね?」
「そんなことないよ。エースがちゃんと聞いてるからでしょ」
「聞いてる聞いてる。超真面目に受講中」
軽口を叩きながらエースはニッと笑う。そのまま頬杖をついて、ノートではなくななしの横顔をじっと見つめ始めた。視線に気づいて顔を向けると、目が合って一瞬だけ息が止まる。
「なに?」
「いや? 別に。なんか楽しそうだなって思って」
「課題終わらせないと部活行けないんでしょ」
「まあね。でもまあ、お前とこうやって残ってんのは嫌いじゃないけど」
さらりと言い捨てる言葉に、胸の奥が跳ねる。エースはいつもそうだ。思わせぶりな態度を当然のような顔で取って、こちらの反応を楽しんでいるのか、それとも本当に何も考えていないのか分からない。
「……そういうの、誰にでも言ってるの?」
「は? 言うわけねぇじゃん。お前だから言ってんの」
エースは呆れたように眉を下げて見せた。その表情があまりにも自然で、ななしは返す言葉を失い、慌てて視線をノートに戻した。心臓の鼓動が急にうるさくなり、ペンを握る手に余計な力が入る。
「……いいから手動かして。今日中に終わらなくなるよ」
「へーへー、わかりましたー」
投げやりな返事をしながらも、エースは素直にペンを握り直した。カリカリと紙を滑る音が二人の間に落ちる。
放課後の静けさが広がっていく中で、互いの距離感だけがどうしても曖昧なままだった。友達としては近すぎる距離にいるのに、そこから先へ踏み出す勇気だけは、お互いに持てずにいた。
「ねえ、ななし」
突然名前を呼ばれて振り返ると、エースはペンを置いて真剣な顔をしていた。
「なに?」
「お前さ、好きな奴とかいんの?」
不意打ちのような質問に、喉が引きつる。
「えっ、急になに言ってるの」
「いや、ふと思っただけ」
「思っただけって……」
「だって、そういう話全然しないじゃん。だから、どうなのかなーって」
エースは椅子に背を預け、探るような視線を向けてくる。その瞳に射抜かれたようになって、ななしは上手く呼吸が整えられない。
「いないよ……」
「へえ、本当かな」
「……エースは? いるの?」
聞き返した瞬間、エースの表情が一変した。いつもの余裕そうな笑みが消え、どこか険しい、それでいて切ないような目つきになる。
「……いるよ」
低い声で短く告げられた言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。知りたいのに知るのが怖い。胸の中で相反する気持ちがぐちゃぐちゃに絡まっていく。
「そうなんだ……わたしも知ってる人?」
努めて平気な声を装って尋ねる。エースはしばらく無言のままななしを見つめていたが、やがて小さく鼻で笑った。
「知ってるよ。すごくよく知ってる」
「……そっか」
「なんだよ、気になんの?」
「……驚いただけ。エースってそういうの興味ないと思ってたから」
「オレだって普通の男なんだけど。好きな奴くらいいるでしょ」
エースは肘をテーブルにつき、顔をぐっと近づけてきた。息が届きそうな距離に、胸の鼓動は激しく鳴り響く。
「じゃあさ、試してみる?」
「え?」
「オレの好きな奴が誰なのか、当ててみてよ」
「そんなの分かるわけないでしょ」
「分かるって。だって、一番近くにいるんだから」
エースの手が伸びてきて、ななしの指先に触れた。熱い体温が伝わってきて、身体が固まる。引こうとしたけれど、優しく、けれど強い力で握り締められて逃げられない。
「ちょっとエース、ふざけないで」
「逃げんなよ」
いつもよりずっと真剣な声だった。冗談を言っている時の顔ではない。エースの指が、ななしの手の甲をゆっくりとなぞっていく。
「オレさ、ずっと待ってんだけど。お前が気づくの」
「気づくって、なにを……」
「わかってて聞いてんだろ」
エースは苦笑いを浮かべ、握った手に少しだけ力を込めた。
「オレが誰のこと見てるか、本当に分かんない?」
「……っ」
答えに詰まるななしを見て、エースは深く息を吐き出した。握っていた手を離すと、そのままななしの頬にそっと手を添えてくる。
「オレじゃ、お前の一番にはなれない?」
絞り出すようなその言葉に、胸が熱くなった。
「エース、わたし――」
「言わせんなよ……恥ずかしいだろ」
言葉を遮るようにして、エースの顔が近づいてきた。重なる影と同時に、唇に柔らかく温かい感触が落ちる。
触れるだけの短いキスだった。離れたエースの顔はほんのり赤く染まり、気まずそうに視線を泳がせている。
「……返事、聞かせて」
まっすぐに見つめ返してくるエースの手に、ななしは自分の手をそっと重ねた。
「なー、ここさ、全然意味分かんねぇんだけど」
「そこは公式をそのまま当てはめるだけだよ」
「なんでこんなややこしい計算させんの」
ななしが指し示すと、エースは顔を近づけてノートを覗き込んだ。距離が縮まり、耳元で吐き出された溜息が肌をかすめる。
「マジで意味不明。てか、ななし教えるのうまくね?」
「そんなことないよ。エースがちゃんと聞いてるからでしょ」
「聞いてる聞いてる。超真面目に受講中」
軽口を叩きながらエースはニッと笑う。そのまま頬杖をついて、ノートではなくななしの横顔をじっと見つめ始めた。視線に気づいて顔を向けると、目が合って一瞬だけ息が止まる。
「なに?」
「いや? 別に。なんか楽しそうだなって思って」
「課題終わらせないと部活行けないんでしょ」
「まあね。でもまあ、お前とこうやって残ってんのは嫌いじゃないけど」
さらりと言い捨てる言葉に、胸の奥が跳ねる。エースはいつもそうだ。思わせぶりな態度を当然のような顔で取って、こちらの反応を楽しんでいるのか、それとも本当に何も考えていないのか分からない。
「……そういうの、誰にでも言ってるの?」
「は? 言うわけねぇじゃん。お前だから言ってんの」
エースは呆れたように眉を下げて見せた。その表情があまりにも自然で、ななしは返す言葉を失い、慌てて視線をノートに戻した。心臓の鼓動が急にうるさくなり、ペンを握る手に余計な力が入る。
「……いいから手動かして。今日中に終わらなくなるよ」
「へーへー、わかりましたー」
投げやりな返事をしながらも、エースは素直にペンを握り直した。カリカリと紙を滑る音が二人の間に落ちる。
放課後の静けさが広がっていく中で、互いの距離感だけがどうしても曖昧なままだった。友達としては近すぎる距離にいるのに、そこから先へ踏み出す勇気だけは、お互いに持てずにいた。
「ねえ、ななし」
突然名前を呼ばれて振り返ると、エースはペンを置いて真剣な顔をしていた。
「なに?」
「お前さ、好きな奴とかいんの?」
不意打ちのような質問に、喉が引きつる。
「えっ、急になに言ってるの」
「いや、ふと思っただけ」
「思っただけって……」
「だって、そういう話全然しないじゃん。だから、どうなのかなーって」
エースは椅子に背を預け、探るような視線を向けてくる。その瞳に射抜かれたようになって、ななしは上手く呼吸が整えられない。
「いないよ……」
「へえ、本当かな」
「……エースは? いるの?」
聞き返した瞬間、エースの表情が一変した。いつもの余裕そうな笑みが消え、どこか険しい、それでいて切ないような目つきになる。
「……いるよ」
低い声で短く告げられた言葉に、胸がぎゅっと締め付けられた。知りたいのに知るのが怖い。胸の中で相反する気持ちがぐちゃぐちゃに絡まっていく。
「そうなんだ……わたしも知ってる人?」
努めて平気な声を装って尋ねる。エースはしばらく無言のままななしを見つめていたが、やがて小さく鼻で笑った。
「知ってるよ。すごくよく知ってる」
「……そっか」
「なんだよ、気になんの?」
「……驚いただけ。エースってそういうの興味ないと思ってたから」
「オレだって普通の男なんだけど。好きな奴くらいいるでしょ」
エースは肘をテーブルにつき、顔をぐっと近づけてきた。息が届きそうな距離に、胸の鼓動は激しく鳴り響く。
「じゃあさ、試してみる?」
「え?」
「オレの好きな奴が誰なのか、当ててみてよ」
「そんなの分かるわけないでしょ」
「分かるって。だって、一番近くにいるんだから」
エースの手が伸びてきて、ななしの指先に触れた。熱い体温が伝わってきて、身体が固まる。引こうとしたけれど、優しく、けれど強い力で握り締められて逃げられない。
「ちょっとエース、ふざけないで」
「逃げんなよ」
いつもよりずっと真剣な声だった。冗談を言っている時の顔ではない。エースの指が、ななしの手の甲をゆっくりとなぞっていく。
「オレさ、ずっと待ってんだけど。お前が気づくの」
「気づくって、なにを……」
「わかってて聞いてんだろ」
エースは苦笑いを浮かべ、握った手に少しだけ力を込めた。
「オレが誰のこと見てるか、本当に分かんない?」
「……っ」
答えに詰まるななしを見て、エースは深く息を吐き出した。握っていた手を離すと、そのままななしの頬にそっと手を添えてくる。
「オレじゃ、お前の一番にはなれない?」
絞り出すようなその言葉に、胸が熱くなった。
「エース、わたし――」
「言わせんなよ……恥ずかしいだろ」
言葉を遮るようにして、エースの顔が近づいてきた。重なる影と同時に、唇に柔らかく温かい感触が落ちる。
触れるだけの短いキスだった。離れたエースの顔はほんのり赤く染まり、気まずそうに視線を泳がせている。
「……返事、聞かせて」
まっすぐに見つめ返してくるエースの手に、ななしは自分の手をそっと重ねた。
