ディアソムニア
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「……リリア先輩」
「おや、見つかってしもうたか」
「見つかるも何も、こんなところで何してるんですか」
「お主の待ち伏せじゃ」
「堂々と言うんですね」
「隠れておるつもりじゃったんじゃが…」
「全然隠れてないです」
「おかしいのう」
リリアは首を傾げた。
どう考えても、わざとだ。
「それで、わたしに何か用ですか?」
「うむ。お主にちと頼みがある」
「頼み?」
「ななし、今夜は暇か?」
「……何をするつもりですか」
「なんじゃ、その顔は」
「先輩が絡んでくるとき、だいたい普通じゃないことが起きるので」
「失礼な。わしはいつでも普通じゃよ」
「この前、食堂の厨房に忍び込んでましたよね」
「あれは新作料理の味見じゃ」
「その前は?」
「夜中に校内を散歩しておった」
「なぜか学園長室の前にいましたよね?」
「……」
リリアの笑顔がほんの少しだけ固まった。
「ほれ、細かいことは気にするでない」
「気にしますよ」
「では、今夜の件も断るか?」
そう言われると、ななしは言葉に詰まった。
リリアはそういうところがずるい。
いたずらを持ちかけるときは、いつも楽しそうに笑っている。
危ないことや大変そうなことなら止められるのに、あの顔をされると、つい続きを聞きたくなってしまう。
「……何をするかによります」
「ほう、話を聞いてくれるか」
「とりあえず聞くだけです」
「まったく、お主は用心深いのう」
リリアは楽しそうに笑った。
「実はな、ちょいと取り戻したいものがある」
「取り戻す?」
「うむ。わしの大事なものじゃ」
「なくしたんですか?」
「盗まれた」
「えっ」
ななしの表情が変わると、リリアは少しだけ目を細めた。
「そんな顔をするな。別に大したものではない」
「でも盗まれたんですよね?」
「そうじゃな」
「誰に?」
「それを今から調べる」
「……リリア先輩」
「なんじゃ?」
「それ、わたしが一緒に行く必要あります?」
「ある」
「どうして?」
「わしひとりでは、つい相手を脅してしまいそうじゃからな」
「それ、わたしを連れて行く理由じゃないですよね?」
「ななしが止めてくれればよい」
「わたしに何をさせるつもりなんですか?」
「わしの良心になってくれ」
「もっと適任の人がいると思います」
「それがおらぬのじゃ」
リリアはひらひらと手を振った。
「それに、ななしなら安心じゃ」
「何がですか」
「わしが悪いことをしても、見捨てずに叱ってくれる」
「シルバー先輩たちじゃダメなんですか?」
「それがダメなのじゃ」
そう言われると、否定しづらかった。
リリアが無茶をしようとすると、ななしはいつも止めようとする。
止めきれないことも多いけれど、少なくとも何も言わずに見ていることはできなかった。
そのせいか、リリアは何かあるたびにななしを呼ぶようになっていた。
「……はあ、わかりました」
「おお!」
「ただし、本当に危ないことはしないでください」
「善処しよう」
「それ、やる人の言い方です」
「では約束しよう」
リリアがそう言って、ななしの顔を覗き込んだ。
「これで、わしと共犯じゃな」
「……は?」
「くふふ、冗談じゃ」
そう言ったリリアの笑顔が、どうにも冗談だけには見えなかった。
◇
「それで、盗まれたものって何なんですか?」
しばらく歩いたあと、ななしは改めて尋ねた。
「まだ言っておらんかったか」
「聞いてません」
「では、当ててみるか?」
「ヒントもなしに思い浮かばないです」
「わしの大事なものは、案外少ないぞ」
「そうなんですか?」
「うむ。家族、友人、楽しい時間。それから――」
「それから?」
「秘密じゃ」
「ここまで言って?」
「ここまで言ったからこそ秘密じゃ」
「ずるい」
リリアはいつも通りの調子だった。
けれど、しばらくしてリリアが立ち止まると、ななしも足を止めた。
「ここじゃ」
「ここ?」
そこにあったのは、古い保管庫だった。
「……ここに何かあるんですか?」
「ある」
「まさか、ここに盗まれたものが?」
「その可能性が高い」
「高いって、確定じゃないんですか?」
「わしの記憶ではな」
「リリア先輩」
「まあまあ」
リリアは鍵のかかった扉を見上げた。
「ここに、わしが預けたものがある」
「何を?」
「それが思い出せんのじゃ」
「……」
「そんな目で見るでない」
「だって、盗まれたものが何かわからないのに……」
「わしにもそういうことはある」
「あります?」
「あるとも。長く生きておるとな」
さらりと言ったリリアに、ななしは少しだけ黙った。
冗談めかしているけれど、リリアは本当に長い時間を生きている。
自分がまだ知らない昔のことを、リリアはたくさん知っている。
いつも笑っているから忘れそうになるが、ふとした瞬間に、その時間の長さを思い知らされることがあった。
「……どうした? 何か考えておる顔じゃな」
「いえ、先輩ってたまに遠いところを見てるなと思って」
「ほう?」
「わたしが知らないことを、たくさん知ってるんだろうなって」
「そうじゃな、ななしが知らんことは、たくさんある」
「やっぱり」
「じゃが、わしが知らんこともたくさんあるぞ」
「リリア先輩が?」
「うむ」
「たとえば?」
「ななしのこと」
あまりにも自然に言われて、ななしは返事を忘れた。
リリアはそんな彼女を見て、口元を上げる。
「おや、どうした?」
「……急にそういうこと言うの、やめてください」
「何がじゃ?」
「何でもないです」
「くふふ」
絶対にわかっている。
わかっているくせに、リリアは何も言わない。
そのことが少し悔しくて、ななしは保管庫の扉に視線を戻した。
「で、どうするんですか。鍵、開けられるんですか?」
「もちろんじゃ」
「まさか壊すんじゃ……」
「それは最後の手段じゃ」
「最後にはするんだ……」
「冗談じゃよ」
リリアは懐から細い道具を取り出した。
「……リリア先輩」
「なんじゃ?」
「魔法使わないんですね」
「こっちの方がそれっぽいじゃろ?」
金具を扱う指先が動く。
しばらくすると、かちりと小さな音がした。
「開いた」
「本当に開けちゃった……」
「さあ、入るぞ」
「ちょっと待ってください」
「なんじゃ?」
「これ、普通に入っていい場所なんですか?」
「さあ?」
「さあじゃないです!」
リリアは振り返り、悪戯っぽく笑った。
「ななし、今さらじゃよ」
「何がですか」
「ここまで来た時点で、もう十分悪いことをしておる」
「わたしはまだ何もしてません」
「わしと一緒におるじゃろ?」
「それだけ?」
「それだけじゃ」
冗談のような言い方だった。
けれど、リリアが先に保管庫の中へ入っていくと、ななしも結局あとを追った。
◇
保管庫の中には、古い箱や使われなくなった備品が積まれていた。
「本当に何かあるんですか?」
「おそらくのう」
「リリア先輩」
「お主は本当に心配性じゃなぁ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「わしじゃな」
認めるのが早い。
ななしがため息をつくと、リリアは楽しそうに笑いながら棚の間を進んでいった。
「ええと、確かこの辺りに……」
「何を探してるんですか?」
「それがわからんから困っておる」
「探し物としては最悪ですね」
「くふふ」
「笑ってる場合ですか」
「笑っておらんとやってられんからの」
棚の奥から、リリアが小さな箱を引っ張り出した。
「これは?」
「違う」
「見ただけでわかるんですか?」
「わかる」
「じゃあ、これは?」
「違う」
「これは?」
「違う」
「……本当に覚えてるんですか?」
そのとき、保管庫の外から足音が聞こえた。
ななしが振り返る。
リリアは箱を抱えたまま、楽しそうに笑った。
「見回りかもしれませんね……どうします?」
「ふむ、隠れるか」
「どこに?」
「そこじゃ」
リリアが指差したのは、積み上げられた大きな木箱の陰だった。
「入れるんですか、ここ」
「わしらスリムじゃから大丈夫じゃろ」
「本当に?」
「わしを信じよ」
「信じてますけど、これは別問題です」
「ほれ、早くせんと見つかるぞ」
外の足音が近づいてくる。
ななしは仕方なくリリアのあとを追い、狭い箱の陰に身を寄せた。
思っていたよりずっと狭く、肩が触れそうな距離にリリアがいる。
「……リリア先輩」
「なんじゃ」
「近いですね」
「そうじゃな」
「もう少し離れられませんか?」
「無理な話じゃ」
「即答……」
「わしも努力はしておる」
「なにを?」
「これ以上近づかんように」
思わず睨むと、リリアが口元を押さえた。
また笑っている。
「笑わないでくださいよ」
「すまんすまん」
足音が保管庫の前で止まった。
ななしは息を潜める。
隣のリリアも黙っていた。
いつもなら軽口を叩くはずなのに、今は静かだ。
外から扉を確認する気配がした。
ななしの肩がわずかに強張る。
その様子に気づいたのか、リリアが小さく囁いた。
「大丈夫じゃ」
「……はい」
「わしがついておる」
その声は、いつもの調子とは少し違っていた。
足音が遠ざかっていく。
しばらくしてから、リリアが息を吐いた。
「無事、行ったようじゃな」
「……はい」
「もう出てもよいじゃろ」
「わたし、今すごく悪いことをしてる気がします」
「今さらじゃな」
「リリア先輩のせいです」
ななしは呆れたように息を吐いた。
すると、リリアが少しだけ顔を寄せる。
「わしは、こういうのも嫌いではない」
「何がですか?」
「誰にも言えんことを、誰かと分け合うことじゃ」
ななしは黙った。
「ひとりで抱えるより誰かと共有した方が楽しいじゃろ?」
「……内容によります」
「そうかのう」
「今回のことは、まだ何を探してるのかもわかってないですし」
「それもそうじゃな」
リリアはくすりと笑った。
「では、見つけるまで付き合ってくれ」
「え?」
「わしの大事なもの」
その言葉に、ななしはリリアを見た。
冗談ではないようだった。
「……本当に大事なものなんですか?」
「うむ」
「何か、思い出せそうですか?」
「少しだけな」
リリアは棚の奥へ視線を向けた。
「昔、誰かに預けた」
「誰に?」
「それが思い出せん」
「またそれですか」
「まあまあ」
「でも、盗まれたって言ってましたよね」
「そうじゃ」
「誰かに盗まれたのに、その人に預けたんですか?」
「そこが問題なんじゃ」
「……どういうことですか?」
リリアは困ったように笑った。
「誰かに大事なものを預けた」
「はい」
「そやつは、わしからそれを持っていった」
「はい?」
「じゃが、わしは怒っておらん」
「ええと……」
「むしろ、今でも返してほしいと思っておる」
ななしはますますわからなくなった。
「それは、盗まれたんじゃなくて……」
「うむ」
「預けたんじゃなくて……」
「うむ」
「……何なんですか?」
「……わからん」
「リリア先輩!」
「いや、本当に」
あまりにも困った顔をするので、ななしはとうとう笑ってしまった。
「もう、何なんですかそれ」
「わしにもわからんのじゃよ」
「自分のことなのに」
「自分のことほど、わからんものじゃろ」
「そういうものですか?」
「そういうものじゃ」
リリアの笑い顔を見ていると、何だかこちらまでおかしくなってくる。
結局、ふたりで保管庫の中を探し続けた。
古い箱の中身を確認し、棚の奥を覗き、忘れられた書類の束をひとつずつ動かす。
何度も「これじゃない」と言われ、何度も「本当に?」と聞き返した。
いくつもの箱を調べ、棚の奥まで確認していくうちに、残ったのは棚の一番下に置かれた小さな箱だけになった。
「これ……」
ななしが手を伸ばすと、リリアが止めた。
「待て」
「え?」
「それは、わしが開ける」
「何か思い出したんですか?」
「……少しな」
リリアは箱の前にしゃがみ込んだ。
蓋に古い傷がついている。
しばらく見つめたあと、リリアはそっと蓋を開けた。
中に入っていたのは、小さな紙片だった。
「これだけ?」
「うむ」
リリアは紙片を取り出した。
そこには、古い文字で短い言葉が書かれていた。
「何て書いてあるんですか?」
「……」
「リリア先輩?」
「いや」
リリアは紙片を指先で撫でた。
「これは、わしのものではないな」
「え?」
「わしが預けたものでもない」
「じゃあ、違ったんですか?」
「そうじゃな」
リリアは紙片を箱へ戻した。
そして、何でもないように立ち上がる。
「帰るかの」
「えっ」
「何じゃ?」
「見つかったんじゃないんですか?」
「違ったからの」
「でも、今のリリア先輩、何か知ってる顔してました」
「ななしはよく見ておるな」
「リリア先輩のことを見てれば、わかります」
言ってから、ななしは自分で驚いた。
リリアも、少しだけ目を見開いた。
「……ほう」
「いえ、今のはそういう意味じゃなくて」
「どういう意味じゃ?」
「その、いつも一緒にいるから」
「いつも?」
「いつもではないですけど」
「では、よく一緒におる?」
「そういう言い方をすると変です」
「何が変なんじゃ?」
「変じゃないですか?」
「わしは思わんがのう」
リリアがじっと見てくる。
ななしは耐えきれず、視線を逸らした。
「……帰りましょう」
「逃げたな?」
「逃げてません」
「そうかの」
「そうです」
「では、帰るとするか」
◇
保管庫を出てから、ふたりはしばらく並んで歩いた。
結局、何も見つからなかった。
リリアが探していたものも、盗まれたという相手も、はっきりしないままだ。
「リリア先輩」
「なんじゃ?」
「本当に何を探してたんですか?」
「まだ気になるか」
「気になりますよ」
「そうじゃなぁ」
リリアは歩きながら、少し考えるように黙った。
「たぶん、わしが誰かに預けたものじゃ」
「それは聞きました」
「では、もうよいじゃろ」
「よくないです」
「なぜじゃ?」
「だって、リリア先輩が大事なものって言ったから」
リリアの足が止まった。
ななしも立ち止まる。
「……そんなに気になるか」
「はい」
「なぜじゃ?」
今度は、リリアが尋ねた。
ななしは答えに詰まった。
なぜ、と聞かれても困る。
リリアが大事にしているものなら知りたいと思った。
誰かに盗まれたのなら、取り戻してほしいと思った。
それだけのはずだった。
「……リリア先輩が困ってるなら、力になりたいからです」
やっとそう答えると、リリアは黙った。
「それだけです」
「それだけかの?」
「はい」
「本当に?」
「……何ですか」
「いや」
リリアは笑った。
いつもの笑顔だった。
ただ、今度は少しだけ寂しそうに見えた。
「わしは、ななしに悪いことをさせたくない」
「じゅうぶん付き合わされてますけど」
「そうじゃな」
リリアは一歩近づいた。
「ななしは、わしと一緒に悪いことをしておる」
「……」
「嫌か?」
その問いに、ななしはすぐに答えられなかった。
もちろん、悪いことをしたいわけではない。
けれど、リリアと一緒にいる時間が嫌だったわけでもない。
「……リリア先輩が、ちゃんと反省するなら」
「反省はするぞ?」
「本当ですか?」
「おそらくな」
「またおそらく」
思わず笑うと、リリアも笑った。
「じゃがな、もし、わしが本当に悪いことをするとしたら」
「はい」
「ななしはどうする?」
「止めます」
「わしを止められるのか?」
「止めてみせます」
「それでも、わしがやると言ったら?」
「……」
ななしは考えた。
リリアは、たぶん本当にやる。
笑いながら、冗談のように言いながら、それでも必要だと思ったことなら進んでしまう。
「そのときは、わたしも一緒に行きます」
「ほう」
「でも、悪いことをしたらちゃんと叱ります」
「それは怖いのう」
「リリア先輩が一人で行く方が怖いので」
「……」
「何ですか?」
「いや」
リリアはしばらく黙っていた。
それから、いつもの調子を取り戻すように笑った。
「お主は、本当に困った子じゃな」
「リリア先輩に言われたくないです」
「そうかのう」
「そうです」
「では、ひとつ頼みがある」
「まだあるんですか?」
「うむ」
リリアは、ななしの前に立った。
「わしの共犯者にならんか?」
「……」
「嫌なら断ってよい」
その言葉に、ななしは目を瞬いた。
リリアは、いつものように笑っている。
けれど今度は、からかっているわけではなかった。
「共犯者って」
「うむ」
「今日みたいなことを、これからも?」
「それだけではない」
「じゃあ、何ですか?」
リリアは少しだけ視線を逸らした。
その仕草が意外だった。
「わしにも、まだわからん」
「またですか」
「うむ。わからんことばかりじゃ」
「……」
「じゃが」
リリアは、今度はまっすぐにななしを見た。
「お主と共犯者になれるなら、悪者にでも何にでもなってやろう」
冗談のような口調だった。
なのに、胸の奥が大きく揺れた。
「……それ、ずるいです」
「何がじゃ?」
「そんな言い方されたら、断れないじゃないですか」
「ほう?」
「わたしだって、リリア先輩が悪いことをするときは止めたいです」
「うむ」
「でも、ひとりで行かせるのは嫌です」
「……」
「だから、その時は一緒に悪いことしましょう」
リリアが瞬きをした。
ほんの一瞬だけ、いつもの余裕が消える。
「後悔するかもしれんぞ」
「そのときはリリア先輩のせいにします」
「それは困ったのう」
「責任取ってください」
「責任?」
「わたしを誘った責任です」
リリアは、しばらく黙っていた。
やがて、ふっと笑う。
「よいぞ」
「何がですか?」
「全部、わしのせいにするがよい」
「……」
「じゃから、ななし」
名前を呼ばれただけなのに、胸が跳ねた。
「わしの隣におれ」
「それは……」
「嫌か?」
「嫌じゃないです」
「そうか」
「でも、リリア先輩」
「なんじゃ?」
「わたしだけ共犯者なのは不公平です」
「ほう?」
「リリア先輩も、わたしの共犯者になってください」
リリアは目を丸くした。
それから、声を立てて笑った。
「なんじゃ、それは」
「だって、わたしだって悪いことするかもしれないので」
「ななしが?」
「するかもしれないですよ?」
「何を?」
「それは秘密です」
「ほう」
リリアが楽しそうに目を細めた。
「では、わしも共犯者になろう」
「本当ですか?」
「もちろんじゃ」
「何をしても?」
「何をしても、は困るのう」
「さっきリリア先輩が言ったんですよ」
「わしは長く生きておるから、途中で考えが変わることもある」
「ずるい」
「お互い様じゃ」
ふたりの間に笑い声が落ちた。
帰る道は、来たときより少しだけ短く感じられた。
何も見つからなかった。
リリアが何を探していたのかも、結局わからないままだった。
けれど、もう気にはならなかった。
隣を歩くリリアが、いつもより少しだけ近い。
それだけで、今夜は十分だった。
◇
別れ際、リリアがふいに振り返った。
「そうじゃ、ななし」
「はい?」
「今日のことは、秘密じゃぞ」
「わかってます」
「誰にも言ってはならん」
「リリア先輩が保管庫の鍵を開けたことも?」
「特にそれじゃな」
「やっぱり悪いことだったんじゃないですか」
「さてのう」
リリアは笑った。
「じゃが、もし誰かに聞かれたら」
「聞かれたら?」
「わしは何もしておらんと言う」
「わたしもですか?」
「うむ」
「リリア先輩」
「なんじゃ?」
「共犯者なんですよね?」
「そうじゃ」
「じゃあ、黙ってる代わりに、ひとつだけお願いしてもいいですか」
「何じゃ?」
ななしは少し迷った。
けれど、今なら言える気がした。
「また、誘ってください」
「……」
「何ですか?」
「いや」
リリアは笑った。
今まで見たことがないほど、嬉しそうに。
「もちろんじゃ」
「本当ですか?」
「うむ」
「次は、もっと普通のことでもいいですからね」
「たとえば?」
「一緒にご飯を食べるとか」
「それは普通すぎんか?」
「普通でいいんです」
「では、夜中にこっそり菓子を食べるのは?」
「それは少し悪いですね」
「よいじゃろ?」
「……まあ」
「くふふ、共犯者らしくなってきたではないか」
「リリア先輩のせいです」
「そうじゃな」
リリアは楽しそうに笑った。
そして、今度こそ背を向ける。
「おやすみ、ななし」
「おやすみなさい、リリア先輩」
数歩進んだところで、リリアが振り返った。
「ななし」
「はい?」
「わしのことを悪者にするなら、最後までついてきてくれるか」
冗談めかした声音だった。
けれど、その言葉だけは胸の奥に残った。
ななしは、今度こそ迷わず答える。
「リリア先輩こそ、わたしを置いていかないでください」
リリアは少しだけ目を見開いた。
すぐに、いつもの笑顔に戻る。
「約束じゃ」
「はい」
「これでわしらは立派な共犯者じゃな」
「……本当に?」
「うむ」
「今日のことだけじゃなくて?」
「もちろん」
リリアは笑った。
「これからも、ずっとじゃ」
その言葉を聞いて、ななしも笑った。
悪いことをするつもりなんて、本当はなかった。
けれどリリアが隣にいるなら、少しくらいなら――そう思ってしまった。
「おや、見つかってしもうたか」
「見つかるも何も、こんなところで何してるんですか」
「お主の待ち伏せじゃ」
「堂々と言うんですね」
「隠れておるつもりじゃったんじゃが…」
「全然隠れてないです」
「おかしいのう」
リリアは首を傾げた。
どう考えても、わざとだ。
「それで、わたしに何か用ですか?」
「うむ。お主にちと頼みがある」
「頼み?」
「ななし、今夜は暇か?」
「……何をするつもりですか」
「なんじゃ、その顔は」
「先輩が絡んでくるとき、だいたい普通じゃないことが起きるので」
「失礼な。わしはいつでも普通じゃよ」
「この前、食堂の厨房に忍び込んでましたよね」
「あれは新作料理の味見じゃ」
「その前は?」
「夜中に校内を散歩しておった」
「なぜか学園長室の前にいましたよね?」
「……」
リリアの笑顔がほんの少しだけ固まった。
「ほれ、細かいことは気にするでない」
「気にしますよ」
「では、今夜の件も断るか?」
そう言われると、ななしは言葉に詰まった。
リリアはそういうところがずるい。
いたずらを持ちかけるときは、いつも楽しそうに笑っている。
危ないことや大変そうなことなら止められるのに、あの顔をされると、つい続きを聞きたくなってしまう。
「……何をするかによります」
「ほう、話を聞いてくれるか」
「とりあえず聞くだけです」
「まったく、お主は用心深いのう」
リリアは楽しそうに笑った。
「実はな、ちょいと取り戻したいものがある」
「取り戻す?」
「うむ。わしの大事なものじゃ」
「なくしたんですか?」
「盗まれた」
「えっ」
ななしの表情が変わると、リリアは少しだけ目を細めた。
「そんな顔をするな。別に大したものではない」
「でも盗まれたんですよね?」
「そうじゃな」
「誰に?」
「それを今から調べる」
「……リリア先輩」
「なんじゃ?」
「それ、わたしが一緒に行く必要あります?」
「ある」
「どうして?」
「わしひとりでは、つい相手を脅してしまいそうじゃからな」
「それ、わたしを連れて行く理由じゃないですよね?」
「ななしが止めてくれればよい」
「わたしに何をさせるつもりなんですか?」
「わしの良心になってくれ」
「もっと適任の人がいると思います」
「それがおらぬのじゃ」
リリアはひらひらと手を振った。
「それに、ななしなら安心じゃ」
「何がですか」
「わしが悪いことをしても、見捨てずに叱ってくれる」
「シルバー先輩たちじゃダメなんですか?」
「それがダメなのじゃ」
そう言われると、否定しづらかった。
リリアが無茶をしようとすると、ななしはいつも止めようとする。
止めきれないことも多いけれど、少なくとも何も言わずに見ていることはできなかった。
そのせいか、リリアは何かあるたびにななしを呼ぶようになっていた。
「……はあ、わかりました」
「おお!」
「ただし、本当に危ないことはしないでください」
「善処しよう」
「それ、やる人の言い方です」
「では約束しよう」
リリアがそう言って、ななしの顔を覗き込んだ。
「これで、わしと共犯じゃな」
「……は?」
「くふふ、冗談じゃ」
そう言ったリリアの笑顔が、どうにも冗談だけには見えなかった。
◇
「それで、盗まれたものって何なんですか?」
しばらく歩いたあと、ななしは改めて尋ねた。
「まだ言っておらんかったか」
「聞いてません」
「では、当ててみるか?」
「ヒントもなしに思い浮かばないです」
「わしの大事なものは、案外少ないぞ」
「そうなんですか?」
「うむ。家族、友人、楽しい時間。それから――」
「それから?」
「秘密じゃ」
「ここまで言って?」
「ここまで言ったからこそ秘密じゃ」
「ずるい」
リリアはいつも通りの調子だった。
けれど、しばらくしてリリアが立ち止まると、ななしも足を止めた。
「ここじゃ」
「ここ?」
そこにあったのは、古い保管庫だった。
「……ここに何かあるんですか?」
「ある」
「まさか、ここに盗まれたものが?」
「その可能性が高い」
「高いって、確定じゃないんですか?」
「わしの記憶ではな」
「リリア先輩」
「まあまあ」
リリアは鍵のかかった扉を見上げた。
「ここに、わしが預けたものがある」
「何を?」
「それが思い出せんのじゃ」
「……」
「そんな目で見るでない」
「だって、盗まれたものが何かわからないのに……」
「わしにもそういうことはある」
「あります?」
「あるとも。長く生きておるとな」
さらりと言ったリリアに、ななしは少しだけ黙った。
冗談めかしているけれど、リリアは本当に長い時間を生きている。
自分がまだ知らない昔のことを、リリアはたくさん知っている。
いつも笑っているから忘れそうになるが、ふとした瞬間に、その時間の長さを思い知らされることがあった。
「……どうした? 何か考えておる顔じゃな」
「いえ、先輩ってたまに遠いところを見てるなと思って」
「ほう?」
「わたしが知らないことを、たくさん知ってるんだろうなって」
「そうじゃな、ななしが知らんことは、たくさんある」
「やっぱり」
「じゃが、わしが知らんこともたくさんあるぞ」
「リリア先輩が?」
「うむ」
「たとえば?」
「ななしのこと」
あまりにも自然に言われて、ななしは返事を忘れた。
リリアはそんな彼女を見て、口元を上げる。
「おや、どうした?」
「……急にそういうこと言うの、やめてください」
「何がじゃ?」
「何でもないです」
「くふふ」
絶対にわかっている。
わかっているくせに、リリアは何も言わない。
そのことが少し悔しくて、ななしは保管庫の扉に視線を戻した。
「で、どうするんですか。鍵、開けられるんですか?」
「もちろんじゃ」
「まさか壊すんじゃ……」
「それは最後の手段じゃ」
「最後にはするんだ……」
「冗談じゃよ」
リリアは懐から細い道具を取り出した。
「……リリア先輩」
「なんじゃ?」
「魔法使わないんですね」
「こっちの方がそれっぽいじゃろ?」
金具を扱う指先が動く。
しばらくすると、かちりと小さな音がした。
「開いた」
「本当に開けちゃった……」
「さあ、入るぞ」
「ちょっと待ってください」
「なんじゃ?」
「これ、普通に入っていい場所なんですか?」
「さあ?」
「さあじゃないです!」
リリアは振り返り、悪戯っぽく笑った。
「ななし、今さらじゃよ」
「何がですか」
「ここまで来た時点で、もう十分悪いことをしておる」
「わたしはまだ何もしてません」
「わしと一緒におるじゃろ?」
「それだけ?」
「それだけじゃ」
冗談のような言い方だった。
けれど、リリアが先に保管庫の中へ入っていくと、ななしも結局あとを追った。
◇
保管庫の中には、古い箱や使われなくなった備品が積まれていた。
「本当に何かあるんですか?」
「おそらくのう」
「リリア先輩」
「お主は本当に心配性じゃなぁ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「わしじゃな」
認めるのが早い。
ななしがため息をつくと、リリアは楽しそうに笑いながら棚の間を進んでいった。
「ええと、確かこの辺りに……」
「何を探してるんですか?」
「それがわからんから困っておる」
「探し物としては最悪ですね」
「くふふ」
「笑ってる場合ですか」
「笑っておらんとやってられんからの」
棚の奥から、リリアが小さな箱を引っ張り出した。
「これは?」
「違う」
「見ただけでわかるんですか?」
「わかる」
「じゃあ、これは?」
「違う」
「これは?」
「違う」
「……本当に覚えてるんですか?」
そのとき、保管庫の外から足音が聞こえた。
ななしが振り返る。
リリアは箱を抱えたまま、楽しそうに笑った。
「見回りかもしれませんね……どうします?」
「ふむ、隠れるか」
「どこに?」
「そこじゃ」
リリアが指差したのは、積み上げられた大きな木箱の陰だった。
「入れるんですか、ここ」
「わしらスリムじゃから大丈夫じゃろ」
「本当に?」
「わしを信じよ」
「信じてますけど、これは別問題です」
「ほれ、早くせんと見つかるぞ」
外の足音が近づいてくる。
ななしは仕方なくリリアのあとを追い、狭い箱の陰に身を寄せた。
思っていたよりずっと狭く、肩が触れそうな距離にリリアがいる。
「……リリア先輩」
「なんじゃ」
「近いですね」
「そうじゃな」
「もう少し離れられませんか?」
「無理な話じゃ」
「即答……」
「わしも努力はしておる」
「なにを?」
「これ以上近づかんように」
思わず睨むと、リリアが口元を押さえた。
また笑っている。
「笑わないでくださいよ」
「すまんすまん」
足音が保管庫の前で止まった。
ななしは息を潜める。
隣のリリアも黙っていた。
いつもなら軽口を叩くはずなのに、今は静かだ。
外から扉を確認する気配がした。
ななしの肩がわずかに強張る。
その様子に気づいたのか、リリアが小さく囁いた。
「大丈夫じゃ」
「……はい」
「わしがついておる」
その声は、いつもの調子とは少し違っていた。
足音が遠ざかっていく。
しばらくしてから、リリアが息を吐いた。
「無事、行ったようじゃな」
「……はい」
「もう出てもよいじゃろ」
「わたし、今すごく悪いことをしてる気がします」
「今さらじゃな」
「リリア先輩のせいです」
ななしは呆れたように息を吐いた。
すると、リリアが少しだけ顔を寄せる。
「わしは、こういうのも嫌いではない」
「何がですか?」
「誰にも言えんことを、誰かと分け合うことじゃ」
ななしは黙った。
「ひとりで抱えるより誰かと共有した方が楽しいじゃろ?」
「……内容によります」
「そうかのう」
「今回のことは、まだ何を探してるのかもわかってないですし」
「それもそうじゃな」
リリアはくすりと笑った。
「では、見つけるまで付き合ってくれ」
「え?」
「わしの大事なもの」
その言葉に、ななしはリリアを見た。
冗談ではないようだった。
「……本当に大事なものなんですか?」
「うむ」
「何か、思い出せそうですか?」
「少しだけな」
リリアは棚の奥へ視線を向けた。
「昔、誰かに預けた」
「誰に?」
「それが思い出せん」
「またそれですか」
「まあまあ」
「でも、盗まれたって言ってましたよね」
「そうじゃ」
「誰かに盗まれたのに、その人に預けたんですか?」
「そこが問題なんじゃ」
「……どういうことですか?」
リリアは困ったように笑った。
「誰かに大事なものを預けた」
「はい」
「そやつは、わしからそれを持っていった」
「はい?」
「じゃが、わしは怒っておらん」
「ええと……」
「むしろ、今でも返してほしいと思っておる」
ななしはますますわからなくなった。
「それは、盗まれたんじゃなくて……」
「うむ」
「預けたんじゃなくて……」
「うむ」
「……何なんですか?」
「……わからん」
「リリア先輩!」
「いや、本当に」
あまりにも困った顔をするので、ななしはとうとう笑ってしまった。
「もう、何なんですかそれ」
「わしにもわからんのじゃよ」
「自分のことなのに」
「自分のことほど、わからんものじゃろ」
「そういうものですか?」
「そういうものじゃ」
リリアの笑い顔を見ていると、何だかこちらまでおかしくなってくる。
結局、ふたりで保管庫の中を探し続けた。
古い箱の中身を確認し、棚の奥を覗き、忘れられた書類の束をひとつずつ動かす。
何度も「これじゃない」と言われ、何度も「本当に?」と聞き返した。
いくつもの箱を調べ、棚の奥まで確認していくうちに、残ったのは棚の一番下に置かれた小さな箱だけになった。
「これ……」
ななしが手を伸ばすと、リリアが止めた。
「待て」
「え?」
「それは、わしが開ける」
「何か思い出したんですか?」
「……少しな」
リリアは箱の前にしゃがみ込んだ。
蓋に古い傷がついている。
しばらく見つめたあと、リリアはそっと蓋を開けた。
中に入っていたのは、小さな紙片だった。
「これだけ?」
「うむ」
リリアは紙片を取り出した。
そこには、古い文字で短い言葉が書かれていた。
「何て書いてあるんですか?」
「……」
「リリア先輩?」
「いや」
リリアは紙片を指先で撫でた。
「これは、わしのものではないな」
「え?」
「わしが預けたものでもない」
「じゃあ、違ったんですか?」
「そうじゃな」
リリアは紙片を箱へ戻した。
そして、何でもないように立ち上がる。
「帰るかの」
「えっ」
「何じゃ?」
「見つかったんじゃないんですか?」
「違ったからの」
「でも、今のリリア先輩、何か知ってる顔してました」
「ななしはよく見ておるな」
「リリア先輩のことを見てれば、わかります」
言ってから、ななしは自分で驚いた。
リリアも、少しだけ目を見開いた。
「……ほう」
「いえ、今のはそういう意味じゃなくて」
「どういう意味じゃ?」
「その、いつも一緒にいるから」
「いつも?」
「いつもではないですけど」
「では、よく一緒におる?」
「そういう言い方をすると変です」
「何が変なんじゃ?」
「変じゃないですか?」
「わしは思わんがのう」
リリアがじっと見てくる。
ななしは耐えきれず、視線を逸らした。
「……帰りましょう」
「逃げたな?」
「逃げてません」
「そうかの」
「そうです」
「では、帰るとするか」
◇
保管庫を出てから、ふたりはしばらく並んで歩いた。
結局、何も見つからなかった。
リリアが探していたものも、盗まれたという相手も、はっきりしないままだ。
「リリア先輩」
「なんじゃ?」
「本当に何を探してたんですか?」
「まだ気になるか」
「気になりますよ」
「そうじゃなぁ」
リリアは歩きながら、少し考えるように黙った。
「たぶん、わしが誰かに預けたものじゃ」
「それは聞きました」
「では、もうよいじゃろ」
「よくないです」
「なぜじゃ?」
「だって、リリア先輩が大事なものって言ったから」
リリアの足が止まった。
ななしも立ち止まる。
「……そんなに気になるか」
「はい」
「なぜじゃ?」
今度は、リリアが尋ねた。
ななしは答えに詰まった。
なぜ、と聞かれても困る。
リリアが大事にしているものなら知りたいと思った。
誰かに盗まれたのなら、取り戻してほしいと思った。
それだけのはずだった。
「……リリア先輩が困ってるなら、力になりたいからです」
やっとそう答えると、リリアは黙った。
「それだけです」
「それだけかの?」
「はい」
「本当に?」
「……何ですか」
「いや」
リリアは笑った。
いつもの笑顔だった。
ただ、今度は少しだけ寂しそうに見えた。
「わしは、ななしに悪いことをさせたくない」
「じゅうぶん付き合わされてますけど」
「そうじゃな」
リリアは一歩近づいた。
「ななしは、わしと一緒に悪いことをしておる」
「……」
「嫌か?」
その問いに、ななしはすぐに答えられなかった。
もちろん、悪いことをしたいわけではない。
けれど、リリアと一緒にいる時間が嫌だったわけでもない。
「……リリア先輩が、ちゃんと反省するなら」
「反省はするぞ?」
「本当ですか?」
「おそらくな」
「またおそらく」
思わず笑うと、リリアも笑った。
「じゃがな、もし、わしが本当に悪いことをするとしたら」
「はい」
「ななしはどうする?」
「止めます」
「わしを止められるのか?」
「止めてみせます」
「それでも、わしがやると言ったら?」
「……」
ななしは考えた。
リリアは、たぶん本当にやる。
笑いながら、冗談のように言いながら、それでも必要だと思ったことなら進んでしまう。
「そのときは、わたしも一緒に行きます」
「ほう」
「でも、悪いことをしたらちゃんと叱ります」
「それは怖いのう」
「リリア先輩が一人で行く方が怖いので」
「……」
「何ですか?」
「いや」
リリアはしばらく黙っていた。
それから、いつもの調子を取り戻すように笑った。
「お主は、本当に困った子じゃな」
「リリア先輩に言われたくないです」
「そうかのう」
「そうです」
「では、ひとつ頼みがある」
「まだあるんですか?」
「うむ」
リリアは、ななしの前に立った。
「わしの共犯者にならんか?」
「……」
「嫌なら断ってよい」
その言葉に、ななしは目を瞬いた。
リリアは、いつものように笑っている。
けれど今度は、からかっているわけではなかった。
「共犯者って」
「うむ」
「今日みたいなことを、これからも?」
「それだけではない」
「じゃあ、何ですか?」
リリアは少しだけ視線を逸らした。
その仕草が意外だった。
「わしにも、まだわからん」
「またですか」
「うむ。わからんことばかりじゃ」
「……」
「じゃが」
リリアは、今度はまっすぐにななしを見た。
「お主と共犯者になれるなら、悪者にでも何にでもなってやろう」
冗談のような口調だった。
なのに、胸の奥が大きく揺れた。
「……それ、ずるいです」
「何がじゃ?」
「そんな言い方されたら、断れないじゃないですか」
「ほう?」
「わたしだって、リリア先輩が悪いことをするときは止めたいです」
「うむ」
「でも、ひとりで行かせるのは嫌です」
「……」
「だから、その時は一緒に悪いことしましょう」
リリアが瞬きをした。
ほんの一瞬だけ、いつもの余裕が消える。
「後悔するかもしれんぞ」
「そのときはリリア先輩のせいにします」
「それは困ったのう」
「責任取ってください」
「責任?」
「わたしを誘った責任です」
リリアは、しばらく黙っていた。
やがて、ふっと笑う。
「よいぞ」
「何がですか?」
「全部、わしのせいにするがよい」
「……」
「じゃから、ななし」
名前を呼ばれただけなのに、胸が跳ねた。
「わしの隣におれ」
「それは……」
「嫌か?」
「嫌じゃないです」
「そうか」
「でも、リリア先輩」
「なんじゃ?」
「わたしだけ共犯者なのは不公平です」
「ほう?」
「リリア先輩も、わたしの共犯者になってください」
リリアは目を丸くした。
それから、声を立てて笑った。
「なんじゃ、それは」
「だって、わたしだって悪いことするかもしれないので」
「ななしが?」
「するかもしれないですよ?」
「何を?」
「それは秘密です」
「ほう」
リリアが楽しそうに目を細めた。
「では、わしも共犯者になろう」
「本当ですか?」
「もちろんじゃ」
「何をしても?」
「何をしても、は困るのう」
「さっきリリア先輩が言ったんですよ」
「わしは長く生きておるから、途中で考えが変わることもある」
「ずるい」
「お互い様じゃ」
ふたりの間に笑い声が落ちた。
帰る道は、来たときより少しだけ短く感じられた。
何も見つからなかった。
リリアが何を探していたのかも、結局わからないままだった。
けれど、もう気にはならなかった。
隣を歩くリリアが、いつもより少しだけ近い。
それだけで、今夜は十分だった。
◇
別れ際、リリアがふいに振り返った。
「そうじゃ、ななし」
「はい?」
「今日のことは、秘密じゃぞ」
「わかってます」
「誰にも言ってはならん」
「リリア先輩が保管庫の鍵を開けたことも?」
「特にそれじゃな」
「やっぱり悪いことだったんじゃないですか」
「さてのう」
リリアは笑った。
「じゃが、もし誰かに聞かれたら」
「聞かれたら?」
「わしは何もしておらんと言う」
「わたしもですか?」
「うむ」
「リリア先輩」
「なんじゃ?」
「共犯者なんですよね?」
「そうじゃ」
「じゃあ、黙ってる代わりに、ひとつだけお願いしてもいいですか」
「何じゃ?」
ななしは少し迷った。
けれど、今なら言える気がした。
「また、誘ってください」
「……」
「何ですか?」
「いや」
リリアは笑った。
今まで見たことがないほど、嬉しそうに。
「もちろんじゃ」
「本当ですか?」
「うむ」
「次は、もっと普通のことでもいいですからね」
「たとえば?」
「一緒にご飯を食べるとか」
「それは普通すぎんか?」
「普通でいいんです」
「では、夜中にこっそり菓子を食べるのは?」
「それは少し悪いですね」
「よいじゃろ?」
「……まあ」
「くふふ、共犯者らしくなってきたではないか」
「リリア先輩のせいです」
「そうじゃな」
リリアは楽しそうに笑った。
そして、今度こそ背を向ける。
「おやすみ、ななし」
「おやすみなさい、リリア先輩」
数歩進んだところで、リリアが振り返った。
「ななし」
「はい?」
「わしのことを悪者にするなら、最後までついてきてくれるか」
冗談めかした声音だった。
けれど、その言葉だけは胸の奥に残った。
ななしは、今度こそ迷わず答える。
「リリア先輩こそ、わたしを置いていかないでください」
リリアは少しだけ目を見開いた。
すぐに、いつもの笑顔に戻る。
「約束じゃ」
「はい」
「これでわしらは立派な共犯者じゃな」
「……本当に?」
「うむ」
「今日のことだけじゃなくて?」
「もちろん」
リリアは笑った。
「これからも、ずっとじゃ」
その言葉を聞いて、ななしも笑った。
悪いことをするつもりなんて、本当はなかった。
けれどリリアが隣にいるなら、少しくらいなら――そう思ってしまった。
