ディアソムニア
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「ツノ太郎、また来たの?」
オンボロ寮の扉を開けたななしは、そこに立っていた長身の青年を見上げて笑った。
「またとは失礼だな、ヒトの子」
「ごめんごめん、いらっしゃい」
「この辺りを散歩していたついでだ」
「この前も、その前も同じこと言ってたよ」
「そうだったか?」
マレウスは少しだけ口元を緩めた。
彼がこの場所を訪れる理由を、ななしはまだ知らない。
夜の静かな時間に、気兼ねなく話せる場所。
自分が訪れても変わらず迎えてくれる相手。
それがマレウスにとってどれほど特別なのか、ななしはまだ知らない。
◇
「今日は何をしていたんだ?」
「グリムが散らかしたお菓子の袋を片付けてた」
「相変わらず元気そうだ」
「さっきまで『オレ様の食糧を勝手に片付けるな!』って怒ってた」
「それは困った住人だ」
「ツノ太郎が言う?」
「僕が?」
「だって、急に現れて遅くまで話していくじゃん」
マレウスは少し考えるように首を傾けた。
「それは迷惑だっただろうか?」
「え?」
「ななしの時間を奪っているのなら、控えるべきかと思ってな」
その言葉に、ななしは目を丸くした。
「違うよ。迷惑なら入れないって」
「……そうか」
「むしろ、最近は来ないと変な感じするし」
「僕が来ないとか?」
「うん。あれ、今日は来ないんだって思う」
マレウスはすぐには返事をしなかった。
予想していなかった言葉が、しばらく頭から離れなかった。
「それは嬉しいことだな」
「そんなに?」
「ああ」
「ツノ太郎って、たまに素直だよね」
「僕はいつでも素直だ」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、なんでいつも散歩って言うの?」
「……」
「ほら、黙った」
マレウスは視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「お前は鋭いな」
「褒められてる?」
「褒めている」
「ならいいけど」
ななしが笑う、その表情を見るために来ているのだと、マレウス自身はもう理解していた。
◇
「オンボロ寮の愉快な住人たちには感謝しなければな」
「急にどうしたの?」
「僕が訪ねると、彼らはいつも気を利かせて席を外してくれる」
「ああ……」
ななしは少し困ったように笑った。
「たぶん、気を利かせてるっていうより、面白がってるんだと思う」
「面白がる?」
「だって、ツノ太郎が来た時だけグリムが妙に静かになるし」
「珍しいこともあるものだ」
「エースたちも『邪魔しちゃ悪いから』って言って帰っていったことがあったし」
「そうなのか?」
「みんな、ツノ太郎がわたしと話したいんだって思ってるのかも」
その言葉に、マレウスは少しだけ目を細めた。
「実際、その通りだからな」
「え?」
「僕はななしと話すために来ている」
あまりにも自然に言われたせいで、ななしは反応が遅れた。
「……散歩じゃなくて?」
「それも間違いではない」
「一番の理由は?」
「ななしに会うことだ」
静かな声だったが、冗談めかした様子はなかった。
ただ事実を伝えるように、まっすぐ響いた。
ななしは少し頬を赤くして、手元にあったカップへ視線を落とした。
「そういうこと、普通に言うんだね」
「言ってはいけなかったか?」
「嫌じゃないけど……びっくりする」
「お前は僕を驚かせることが多いから、お互い様だろう」
「わたし、何かした?」
「しただろう?」
「何を?」
「僕に怖がらず話しかけた」
「それだけ?」
「僕と一緒に食事をした」
「それも普通じゃない?」
「僕にとっては普通ではなかった」
マレウスの声は穏やかだった。
何気ない会話も小さな約束も、マレウスにとっては決して当たり前ではなかった。
それでもななしは、いつも変わらない態度で接してくれる。
その距離感が彼には心地よかった。
「そういえば、今日は何を持ってきたの?」
「見たいか?」
「うん」
マレウスが取り出したのは、一冊の古い本だった。
「本?」
「古い物語集だ。人間の書いたものだが、なかなか興味深い」
「ツノ太郎が本を持ってくるの珍しい気がする」
「そうか?」
「いつもはツノ太郎が話をしてくれるから」
「本を読むのは嫌いか?」
「嫌いじゃないよ。でも、難しい話になると途中で頭が追いつかなくなる」
「正直でいい」
「笑った?」
「少しな」
「ひどい」
「悪い意味ではない」
マレウスは本を開いた。
「この話の主人公は、人間の街を訪れることができない存在だった」
「寂しい話?」
「最初はな」
「最後は?」
「僕もまだ読んでいる途中だ」
「え、途中なの?」
「ななしと読むために持ってきた」
「……」
「嫌だったか?」
「……嫌じゃない」
ななしは本を受け取った。
「じゃあ、一緒に読もう」
その言葉だけで、マレウスの表情が少し和らぐ。
本の内容よりも、隣で同じ時間を過ごせることの方が彼には大切だった。
◇
しばらくして、廊下から物音がした。
「グリムかな?」
ななしが立ち上がろうとすると、マレウスが声をかけた。
「気にしなくてもいい」
「でも」
「きっと彼らは戻るタイミングを考えている」
「やっぱり気を遣われてるじゃん」
「そうかもしれないな」
「ツノ太郎、なんか楽しそう」
「分かるのか?」
「なんとなくね」
その言葉に、マレウスは少し驚いた。
「ななしは時々、僕が予想しないことを言うな」
「そう?」
「ああ」
二人の間に流れる時間は、特別な出来事がなくても穏やかだった。
くだらない話をして、途中で笑って、また別の話題へ移る。
マレウスは、こうして誰かと他愛ない話をする時間を不思議に感じていた。
◇
「そろそろ寝ないと」
窓の外を見て、ななしが呟いた。
「そうだな」
「ツノ太郎、また来る?」
「ななしが望むなら」
「また来てほしい」
「……迷わず答えるんだな」
「だって、来てくれたら嬉しいから」
マレウスはしばらく黙った。
それから、いつものように落ち着いた声で言った。
「では、また訪ねよう」
「散歩の途中で?」
「いや、ななしに会いに来る」
「じゃあ、待ってる」
その言葉を聞いて、マレウスは静かに頷いた。
自分を待っている人がいる。
その事実が、マレウスには何より嬉しかった。
オンボロ寮の扉を開けたななしは、そこに立っていた長身の青年を見上げて笑った。
「またとは失礼だな、ヒトの子」
「ごめんごめん、いらっしゃい」
「この辺りを散歩していたついでだ」
「この前も、その前も同じこと言ってたよ」
「そうだったか?」
マレウスは少しだけ口元を緩めた。
彼がこの場所を訪れる理由を、ななしはまだ知らない。
夜の静かな時間に、気兼ねなく話せる場所。
自分が訪れても変わらず迎えてくれる相手。
それがマレウスにとってどれほど特別なのか、ななしはまだ知らない。
◇
「今日は何をしていたんだ?」
「グリムが散らかしたお菓子の袋を片付けてた」
「相変わらず元気そうだ」
「さっきまで『オレ様の食糧を勝手に片付けるな!』って怒ってた」
「それは困った住人だ」
「ツノ太郎が言う?」
「僕が?」
「だって、急に現れて遅くまで話していくじゃん」
マレウスは少し考えるように首を傾けた。
「それは迷惑だっただろうか?」
「え?」
「ななしの時間を奪っているのなら、控えるべきかと思ってな」
その言葉に、ななしは目を丸くした。
「違うよ。迷惑なら入れないって」
「……そうか」
「むしろ、最近は来ないと変な感じするし」
「僕が来ないとか?」
「うん。あれ、今日は来ないんだって思う」
マレウスはすぐには返事をしなかった。
予想していなかった言葉が、しばらく頭から離れなかった。
「それは嬉しいことだな」
「そんなに?」
「ああ」
「ツノ太郎って、たまに素直だよね」
「僕はいつでも素直だ」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ、なんでいつも散歩って言うの?」
「……」
「ほら、黙った」
マレウスは視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「お前は鋭いな」
「褒められてる?」
「褒めている」
「ならいいけど」
ななしが笑う、その表情を見るために来ているのだと、マレウス自身はもう理解していた。
◇
「オンボロ寮の愉快な住人たちには感謝しなければな」
「急にどうしたの?」
「僕が訪ねると、彼らはいつも気を利かせて席を外してくれる」
「ああ……」
ななしは少し困ったように笑った。
「たぶん、気を利かせてるっていうより、面白がってるんだと思う」
「面白がる?」
「だって、ツノ太郎が来た時だけグリムが妙に静かになるし」
「珍しいこともあるものだ」
「エースたちも『邪魔しちゃ悪いから』って言って帰っていったことがあったし」
「そうなのか?」
「みんな、ツノ太郎がわたしと話したいんだって思ってるのかも」
その言葉に、マレウスは少しだけ目を細めた。
「実際、その通りだからな」
「え?」
「僕はななしと話すために来ている」
あまりにも自然に言われたせいで、ななしは反応が遅れた。
「……散歩じゃなくて?」
「それも間違いではない」
「一番の理由は?」
「ななしに会うことだ」
静かな声だったが、冗談めかした様子はなかった。
ただ事実を伝えるように、まっすぐ響いた。
ななしは少し頬を赤くして、手元にあったカップへ視線を落とした。
「そういうこと、普通に言うんだね」
「言ってはいけなかったか?」
「嫌じゃないけど……びっくりする」
「お前は僕を驚かせることが多いから、お互い様だろう」
「わたし、何かした?」
「しただろう?」
「何を?」
「僕に怖がらず話しかけた」
「それだけ?」
「僕と一緒に食事をした」
「それも普通じゃない?」
「僕にとっては普通ではなかった」
マレウスの声は穏やかだった。
何気ない会話も小さな約束も、マレウスにとっては決して当たり前ではなかった。
それでもななしは、いつも変わらない態度で接してくれる。
その距離感が彼には心地よかった。
「そういえば、今日は何を持ってきたの?」
「見たいか?」
「うん」
マレウスが取り出したのは、一冊の古い本だった。
「本?」
「古い物語集だ。人間の書いたものだが、なかなか興味深い」
「ツノ太郎が本を持ってくるの珍しい気がする」
「そうか?」
「いつもはツノ太郎が話をしてくれるから」
「本を読むのは嫌いか?」
「嫌いじゃないよ。でも、難しい話になると途中で頭が追いつかなくなる」
「正直でいい」
「笑った?」
「少しな」
「ひどい」
「悪い意味ではない」
マレウスは本を開いた。
「この話の主人公は、人間の街を訪れることができない存在だった」
「寂しい話?」
「最初はな」
「最後は?」
「僕もまだ読んでいる途中だ」
「え、途中なの?」
「ななしと読むために持ってきた」
「……」
「嫌だったか?」
「……嫌じゃない」
ななしは本を受け取った。
「じゃあ、一緒に読もう」
その言葉だけで、マレウスの表情が少し和らぐ。
本の内容よりも、隣で同じ時間を過ごせることの方が彼には大切だった。
◇
しばらくして、廊下から物音がした。
「グリムかな?」
ななしが立ち上がろうとすると、マレウスが声をかけた。
「気にしなくてもいい」
「でも」
「きっと彼らは戻るタイミングを考えている」
「やっぱり気を遣われてるじゃん」
「そうかもしれないな」
「ツノ太郎、なんか楽しそう」
「分かるのか?」
「なんとなくね」
その言葉に、マレウスは少し驚いた。
「ななしは時々、僕が予想しないことを言うな」
「そう?」
「ああ」
二人の間に流れる時間は、特別な出来事がなくても穏やかだった。
くだらない話をして、途中で笑って、また別の話題へ移る。
マレウスは、こうして誰かと他愛ない話をする時間を不思議に感じていた。
◇
「そろそろ寝ないと」
窓の外を見て、ななしが呟いた。
「そうだな」
「ツノ太郎、また来る?」
「ななしが望むなら」
「また来てほしい」
「……迷わず答えるんだな」
「だって、来てくれたら嬉しいから」
マレウスはしばらく黙った。
それから、いつものように落ち着いた声で言った。
「では、また訪ねよう」
「散歩の途中で?」
「いや、ななしに会いに来る」
「じゃあ、待ってる」
その言葉を聞いて、マレウスは静かに頷いた。
自分を待っている人がいる。
その事実が、マレウスには何より嬉しかった。
