ハーツラビュル
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昼休みが終わって人の流れが落ち着くころ、廊下の窓から差し込む光が少しだけやわらかくなっていた。
「ななしちゃん」
聞き慣れた声に振り向くとケイトが片手を上げて笑う。
「ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
「わたしですか?」
「そ。他に誰がいるの」
軽い調子で言われると断る理由も見つからない。
「これさー、どっちがいいと思う?」
差し出されたのはスマホだった。
画面には笑顔のケイトが並んでいる。
「写真ですか?」
「うん。同じ場所で撮ったんだけど微妙に表情違うじゃん?」
「わたしが決めていいんですか?」
「うん、やっぱ女の子の意見聞きたいし」
「……こっちです」
「へえ悩まないんだ」
「笑顔が自然だったので」
「ありがと。じゃあ投稿するならこれにしよ」
スマホを引っ込める仕草まで手慣れている。
「ななしちゃんって見るとこ細かいよね」
「そうですか?」
「うん。オレならそこまで見ないかも」
そう笑われるだけで胸の奥が落ち着かなくなる。
◇
その日から数日。
廊下で会えば声をかけられ、昼休みに見つかれば雑談に付き合わされる。
「そういえばさ」
「はい」
「この前おすすめしてくれたお店、行ってみた」
「本当ですか」
「キッシュ、美味しかった」
「よかったです」
「今度一緒に行く?」
何気ない口調。
それなのに返事が出てこない。
「……あれ」
ケイトが少し首をかしげる。
「冗談半分だったんだけど、固まるほど?」
「いえ、あの」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
ケイトに笑われる。
その笑顔を見るたびに心臓は少し忙しくなる。
「……また見てる」
ぽつりと落ちた声にななしは肩を震わせた。
「えっ」
「オレの顔、何かついてる?」
「ご、ごめんなさい」
「えー、謝らなくていいのに」
「……えっと」
「もっと見てほしいな」
「え、それって――」
言い終わる前にケイトがくすっと笑う。
「ごめんごめん。からかいたくなるんだよね」
「……先輩はいつもそうです」
「だって反応かわいいし」
さらっと言われてしまう。
困って視線を落とすしかない。
「ほら、また」
「……何ですか」
「耳まで赤い」
「違います」
「違わなくない?」
「違いますって」
「ほんと?」
距離が少し縮まり、思わず後ろへ下がろうとして足が止まる。
「意外、逃げないんだ」
「逃げません」
「へえ」
ケイトの楽しそうな声が鼓膜を揺らす。
その余裕がうらめしい。
◇
放課後。
用事を済ませて廊下へ出ると窓の外は夕方の色に変わっていた。
「あっ、いたいた」
ケイトが軽く手を振る。
「もう帰る?」
「はい」
「じゃ、途中まで一緒に行こ」
並んで歩く時間は不思議と静かだった。
「あのさ、最近元気ない?」
「そんなことは」
「あるでしょ」
「……ありません」
「ふーん」
返事は短いのに横顔はどこか考え込んでいるように見えた。
「オレ何かした?」
「え?」
「最近、避けられてる気がしてさ」
思いがけない言葉だった。
「違います、避けてなんて」
「……ならよかった」
その笑顔を見てしまうとますます苦しくなる。
避けたいわけじゃない。
近くにいるほど好きだと気づかれてしまいそうで怖いだけ。
そんなこと口にできるはずもない。
◇
「ねえ」
「なんですか?」
「ちょっとこっち向いて」
言われるまま顔を上げると目が合い、ケイトが少し笑った。
「照れてる?」
「えっと……」
「顔、赤いよ?」
「ち、違います」
「また?」
「……夕方だからです」
「夕焼けのせい?」
「そうです」
「なるほどね〜」
納得したように見えて全然納得していない顔だった。
「でもさ、耳まで真っ赤だよ?」
「……」
「ねえ、なんでそんなに顔赤いの?」
「……それは、」
「もしかして、変なこと考えてた?」
「ち、違います!」
思わず否定するとケイトは肩を揺らして笑った。
「そんな勢いで返されると逆に怪しいなあ」
「違うんです」
「じゃあ何考えてたの」
「それは――」
言えるわけがない。
あなたのことを考えていましたなんて。
「言えない?」
「……はい」
「そっか」
からかう空気が少しだけ薄れる。
「無理に聞かないよ」
その一言に少し救われた気がした。
◇
沈黙が続き、歩幅だけが揃う。
「オレさ、最近ちょっと困ってる」
「困ってる?」
「うん」
「何かあったんですか」
「実は、その困ってる原因が目の前にいる」
「えっ」
「ななしちゃん」
名前を呼ばれる。
いつもと同じはずなのに響きが違って聞こえた。
「オレね……なんか調子狂うんだよ」
「わたしのせいですか?」
「そう」
「どうして」
「それ聞いちゃう?」
「だって……」
「誰と話しても普通なのにさ」
少し視線をそらしてから、ケイトはまたこちらを見る。
「ななしちゃん相手だと妙に意識する」
「……」
「反応見たくなるし、かわいい顔されると調子に乗るし」
「……」
「でも帰ってから反省する」
「先輩でも反省するんですね」
「失礼だなあ」
ケイトが不意に立ち止まった。
「じゃあ、今度はオレの質問に答えて」
「……はい」
「さっきの顔」
逃げ道をふさぐような聞き方ではない。
ただ確かめるような声だった。
「もしかして、オレのこと考えてた?」
「……少しだけ」
「少し?」
「少しじゃないかもしれません」
ケイトが目を丸くする。
その表情を見るのは初めてだった。
「え」
「ずっとです」
鼓動が速くなる。
言ってしまったことに気づいた瞬間、恥ずかしさで顔を隠したくなった。
「だから赤くなって」
最後まで言えずに黙る。
返事を待つような沈黙が流れる。
笑われるかもしれない。
困らせたかもしれない。
そんな不安が膨らんだ瞬間――
「……そっか」
聞こえたケイトの声は驚くほどやさしかった。
「それ聞いたら、オレまで顔熱くなるじゃん」
「え」
「ずるいなあ」
照れたように笑うケイトを見て、思わず顔を上げる。
「オレだけ余裕あると思ってた?」
「はい」
「そんなわけないでしょ」
少し照れくさそうに笑ってから続ける。
「オレも同じ」
「……」
「気づいたら探してるし」
肩をすくめる。
「話せる日は機嫌いいし、顔赤いの見たらついからかいたくなるし」
「それはやめてください」
「ごめん、でもたぶんまたやる」
「ケイト先輩」
「うん?」
「意外といじわるですね」
「否定できないなあ」
二人で笑う。
その笑い声はどちらも少し照れていて、さっきまでのぎこちなさを少しずつ遠ざけていった。
「ねえ」
「はい」
「これからは変な想像しなくても聞けばいいよ」
「変な想像なんてしてません」
「ほんと?」
「ほんとです」
「じゃあ、また顔赤くなったら教えて」
「教えません」
「えー」
「絶対です」
「残念」
そう言いながらも、ケイトの表情はどこかうれしそうだった。
並んで歩き出す道のりは、同じ帰り道なのに少しだけ距離が近い。
他愛ない話を重ねるたび視線が合っては笑って、また言葉が続く。
夕方の風は穏やかで二人の歩幅は最後まで自然と揃った。
「ななしちゃん」
聞き慣れた声に振り向くとケイトが片手を上げて笑う。
「ちょっと見てほしいものがあるんだけど」
「わたしですか?」
「そ。他に誰がいるの」
軽い調子で言われると断る理由も見つからない。
「これさー、どっちがいいと思う?」
差し出されたのはスマホだった。
画面には笑顔のケイトが並んでいる。
「写真ですか?」
「うん。同じ場所で撮ったんだけど微妙に表情違うじゃん?」
「わたしが決めていいんですか?」
「うん、やっぱ女の子の意見聞きたいし」
「……こっちです」
「へえ悩まないんだ」
「笑顔が自然だったので」
「ありがと。じゃあ投稿するならこれにしよ」
スマホを引っ込める仕草まで手慣れている。
「ななしちゃんって見るとこ細かいよね」
「そうですか?」
「うん。オレならそこまで見ないかも」
そう笑われるだけで胸の奥が落ち着かなくなる。
◇
その日から数日。
廊下で会えば声をかけられ、昼休みに見つかれば雑談に付き合わされる。
「そういえばさ」
「はい」
「この前おすすめしてくれたお店、行ってみた」
「本当ですか」
「キッシュ、美味しかった」
「よかったです」
「今度一緒に行く?」
何気ない口調。
それなのに返事が出てこない。
「……あれ」
ケイトが少し首をかしげる。
「冗談半分だったんだけど、固まるほど?」
「いえ、あの」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だって」
ケイトに笑われる。
その笑顔を見るたびに心臓は少し忙しくなる。
「……また見てる」
ぽつりと落ちた声にななしは肩を震わせた。
「えっ」
「オレの顔、何かついてる?」
「ご、ごめんなさい」
「えー、謝らなくていいのに」
「……えっと」
「もっと見てほしいな」
「え、それって――」
言い終わる前にケイトがくすっと笑う。
「ごめんごめん。からかいたくなるんだよね」
「……先輩はいつもそうです」
「だって反応かわいいし」
さらっと言われてしまう。
困って視線を落とすしかない。
「ほら、また」
「……何ですか」
「耳まで赤い」
「違います」
「違わなくない?」
「違いますって」
「ほんと?」
距離が少し縮まり、思わず後ろへ下がろうとして足が止まる。
「意外、逃げないんだ」
「逃げません」
「へえ」
ケイトの楽しそうな声が鼓膜を揺らす。
その余裕がうらめしい。
◇
放課後。
用事を済ませて廊下へ出ると窓の外は夕方の色に変わっていた。
「あっ、いたいた」
ケイトが軽く手を振る。
「もう帰る?」
「はい」
「じゃ、途中まで一緒に行こ」
並んで歩く時間は不思議と静かだった。
「あのさ、最近元気ない?」
「そんなことは」
「あるでしょ」
「……ありません」
「ふーん」
返事は短いのに横顔はどこか考え込んでいるように見えた。
「オレ何かした?」
「え?」
「最近、避けられてる気がしてさ」
思いがけない言葉だった。
「違います、避けてなんて」
「……ならよかった」
その笑顔を見てしまうとますます苦しくなる。
避けたいわけじゃない。
近くにいるほど好きだと気づかれてしまいそうで怖いだけ。
そんなこと口にできるはずもない。
◇
「ねえ」
「なんですか?」
「ちょっとこっち向いて」
言われるまま顔を上げると目が合い、ケイトが少し笑った。
「照れてる?」
「えっと……」
「顔、赤いよ?」
「ち、違います」
「また?」
「……夕方だからです」
「夕焼けのせい?」
「そうです」
「なるほどね〜」
納得したように見えて全然納得していない顔だった。
「でもさ、耳まで真っ赤だよ?」
「……」
「ねえ、なんでそんなに顔赤いの?」
「……それは、」
「もしかして、変なこと考えてた?」
「ち、違います!」
思わず否定するとケイトは肩を揺らして笑った。
「そんな勢いで返されると逆に怪しいなあ」
「違うんです」
「じゃあ何考えてたの」
「それは――」
言えるわけがない。
あなたのことを考えていましたなんて。
「言えない?」
「……はい」
「そっか」
からかう空気が少しだけ薄れる。
「無理に聞かないよ」
その一言に少し救われた気がした。
◇
沈黙が続き、歩幅だけが揃う。
「オレさ、最近ちょっと困ってる」
「困ってる?」
「うん」
「何かあったんですか」
「実は、その困ってる原因が目の前にいる」
「えっ」
「ななしちゃん」
名前を呼ばれる。
いつもと同じはずなのに響きが違って聞こえた。
「オレね……なんか調子狂うんだよ」
「わたしのせいですか?」
「そう」
「どうして」
「それ聞いちゃう?」
「だって……」
「誰と話しても普通なのにさ」
少し視線をそらしてから、ケイトはまたこちらを見る。
「ななしちゃん相手だと妙に意識する」
「……」
「反応見たくなるし、かわいい顔されると調子に乗るし」
「……」
「でも帰ってから反省する」
「先輩でも反省するんですね」
「失礼だなあ」
ケイトが不意に立ち止まった。
「じゃあ、今度はオレの質問に答えて」
「……はい」
「さっきの顔」
逃げ道をふさぐような聞き方ではない。
ただ確かめるような声だった。
「もしかして、オレのこと考えてた?」
「……少しだけ」
「少し?」
「少しじゃないかもしれません」
ケイトが目を丸くする。
その表情を見るのは初めてだった。
「え」
「ずっとです」
鼓動が速くなる。
言ってしまったことに気づいた瞬間、恥ずかしさで顔を隠したくなった。
「だから赤くなって」
最後まで言えずに黙る。
返事を待つような沈黙が流れる。
笑われるかもしれない。
困らせたかもしれない。
そんな不安が膨らんだ瞬間――
「……そっか」
聞こえたケイトの声は驚くほどやさしかった。
「それ聞いたら、オレまで顔熱くなるじゃん」
「え」
「ずるいなあ」
照れたように笑うケイトを見て、思わず顔を上げる。
「オレだけ余裕あると思ってた?」
「はい」
「そんなわけないでしょ」
少し照れくさそうに笑ってから続ける。
「オレも同じ」
「……」
「気づいたら探してるし」
肩をすくめる。
「話せる日は機嫌いいし、顔赤いの見たらついからかいたくなるし」
「それはやめてください」
「ごめん、でもたぶんまたやる」
「ケイト先輩」
「うん?」
「意外といじわるですね」
「否定できないなあ」
二人で笑う。
その笑い声はどちらも少し照れていて、さっきまでのぎこちなさを少しずつ遠ざけていった。
「ねえ」
「はい」
「これからは変な想像しなくても聞けばいいよ」
「変な想像なんてしてません」
「ほんと?」
「ほんとです」
「じゃあ、また顔赤くなったら教えて」
「教えません」
「えー」
「絶対です」
「残念」
そう言いながらも、ケイトの表情はどこかうれしそうだった。
並んで歩き出す道のりは、同じ帰り道なのに少しだけ距離が近い。
他愛ない話を重ねるたび視線が合っては笑って、また言葉が続く。
夕方の風は穏やかで二人の歩幅は最後まで自然と揃った。
