スカラビア
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「ジャミル先輩って、たまに意地悪ですよね」
そう言われた瞬間、ジャミルは手にしていた作業道具を止めた。
「……急になんだ」
「だって、困ってると助けてくれるのに、そのあと必ず嫌味を言うから」
ななしは机の上に置かれた資料を整えながら、少しだけ笑った。
「この前だってそうです」
「この前?」
「『次からは気をつけろ。俺がいつも暇だと思うなよ』って」
「事実だろ」
「でも、助けてくれたじゃないですか」
「……」
返す言葉がなくなったのか、ジャミルは視線を逸らした。
こういうところがずるいと思う。
冷たい言葉を選ぶくせに、本当に困った時には必ず手を差し伸べてくれる。
その優しさを隠そうとしていることまで、もうななしは気づいていた。
◇
「先輩、また無理してませんか」
「してない」
「してます」
「即答するな」
「顔に出ています」
ジャミルは小さく息を吐いた。
「お前は人のことをよく見すぎなんだよ」
「ジャミル先輩のことだからです」
その一言に、ジャミルの表情がわずかに揺れた。
「……そういうことを簡単に言うな」
「簡単じゃないです」
ジャミルは驚いたようにななしを見る。
普段なら、彼の言葉に押されて引いてしまうところだった。
けれど今日は、どうしても譲れなかった。
「ジャミル先輩が、自分のことを悪く言うのが嫌なんです」
「……本当にそう思ってるだけだ」
「わたしは思いません」
ジャミルは眉を寄せた。
「お前は何も知らないから言えるんだ」
「知らないことがあるなら、知りたいです」
「知ったところで変わらない」
「変わるかもしれません」
「変わらない」
珍しく言葉に苛立ちが混じった。
それでもななしは目を逸らさなかった。
「ジャミル先輩」
「……なんだ」
「わたしが先輩のことを信じるのは、そんなに迷惑ですか」
その問いに、ジャミルは黙り込んだ。
◇
ジャミルは昔から、自分の立場を理解していた。
何をしても評価されるわけではない。
努力しても、それが当たり前だと思われることもある。
だからこそ、人との距離を間違えないようにしていた。
期待しない。
期待させない。
その方が楽だった。
「ジャミル先輩」
なのに、名前を呼ばれるだけで簡単に調子を崩される。
「……お前は、本当に変なところで頑固だな」
「褒めてます?」
「褒めてない」
「でも嫌そうじゃないです」
「そういうところだ」
ジャミルは呆れたように笑った。
その笑顔を見るだけで、胸の奥が少し苦しくなる。
ななしはずっと気づいていた。
ジャミルは誰にでも優しいわけではない。
必要なことをしているだけだと言うけれど、誰かが困っていれば放っておけない人だ。
料理の手伝いをしている時も、後輩に頼られた時も、面倒そうな顔をしながら最後まで付き合っている。
そんな姿を見てきたから余計に思う。
「俺なんかを信じても、いいことなんてないぞ」
静かな声だった。
「……ジャミル先輩」
「俺は、お前が思ってるほど綺麗な人間じゃない」
「知っています」
「即答するな」
「だって、完璧な人なんていないですから」
「そういう話じゃない」
ジャミルは視線を落とした。
「俺は、お前を傷つけるかもしれない」
その言葉だけは、いつもの冗談ではなかった。
「近くにいるほど、知らなくていいことまで見える」
「それでもです」
「……ばかだな」
ジャミルは小さく呟いた。
「俺なんかを信じたら、絶対に後悔するのに」
その声には、責める気持ちよりも困惑が滲んでいた。
信じてほしくないような言葉とは裏腹に、ジャミルの表情には迷いが浮かんでいた。
◇
「ジャミル先輩」
「なんだ」
「わたし、後悔したことあります」
突然の言葉に、ジャミルは顔を上げる。
「先輩に助けてもらったのに、ちゃんと言えなかったこと」
「……」
「ありがとうって、もっと早く言えばよかったって思いました」
ジャミルは黙っている。
「先輩が何を考えてるのか、全部分かるなんて言いません」
「当然だ」
「でも、分からないから知りたいんです」
「……」
「先輩が一人で抱えてることを、少しくらい分けてもらいたいです」
ジャミルは困ったように眉を下げた。
「お前、本当に怖いもの知らずだな」
「そうですか?」
「そうだ」
「でも、ジャミル先輩だって似たようなことしてます」
「俺が?」
「わたしが困ってる時、何度も助けてくれました」
「それは……」
「それは?」
言葉に詰まるジャミルを見て、ななしは少しだけ笑った。
「先輩も同じじゃないですか」
「……」
「放っておけないんですよね」
「……参ったな」
ぽつりと呟いた声は、いつもの余裕のあるものではなかった。
「お前には敵わない」
「そんなことないです」
「ある」
「ジャミル先輩の方がずっと――」
「そういうところだ」
「え?」
「すぐ俺を持ち上げる」
「本当のことです」
「……本当に、調子が狂う」
ジャミルはしばらく黙ったあと、ゆっくり口を開いた。
「俺は、お前に特別な感情なんて持つつもりはなかった」
「……」
「余計なことを考える暇なんてないと思っていた」
「ジャミル先輩」
「でも」
そこで言葉が止まる。
いつもなら迷いなく話す彼が珍しく言葉を探していた。
「お前が俺を頼るたびに、嬉しいと思ってしまった」
「……」
「心配されるのも、名前を呼ばれるのも、嫌じゃなかった」
ジャミルは苦笑した。
「だから困ってる」
「どうしてですか?」
「そんなの決まってるだろ」
少しだけ視線が重なる。
「これ以上近づいたら、俺の方が離れられなくなる」
「……それなら、離れなければいいじゃないですか」
「……簡単に言うな」
「簡単に言ってないです」
「……」
「わたしも怖いです」
「怖い?」
「先輩に嫌われること」
「……嫌うわけないだろ」
「でも、いつも距離を取ろうとします」
「……」
「わたしが大事じゃないなら、そんな顔しないです」
ジャミルは何も言えなかった。
◇
しばらくして、ジャミルは小さく息を吐いた。
「本当に、お前は面倒な奴だな」
「すみません」
「褒めてるんだよ」
「分かりにくいです」
「俺らしいだろ」
そう言って笑う姿に、ななしもつられて笑った。
「ジャミル先輩」
「ん?」
「これからも、信じてもいいですか」
「……」
「迷惑なら、ちゃんと言ってください」
ジャミルは少し考えるように黙った。
そして、いつものように少し意地悪な顔をする。
「お前は本当にばかだな」
「またですか」
「俺なんかを信じるなんて、変わってる」
「知ってます」
「でも」
ジャミルは柔らかい声で続けた。
「……悪い気はしない」
その一言だけで十分だった。
不器用で素直じゃなくて、自分を後回しにしてしまう人。
それでも誰よりも周りを見ている人。
そんな彼の隣にいることを、もう迷う理由はなかった。
「ジャミル先輩」
「なんだ」
「好きです」
「……お前は本当に」
「はい」
「そういうところがずるい」
「先輩に言われたくないです」
「違いないな」
小さく笑ったあと、ジャミルは静かに言った。
「……俺もだ」
短い言葉だった。
それでも、その声に込められた想いは十分伝わってきた。
隠していた気持ちも、怖がっていたことも、全部なくなるわけではない。
それでも二人なら、少しずつ変えていける気がした。
そう言われた瞬間、ジャミルは手にしていた作業道具を止めた。
「……急になんだ」
「だって、困ってると助けてくれるのに、そのあと必ず嫌味を言うから」
ななしは机の上に置かれた資料を整えながら、少しだけ笑った。
「この前だってそうです」
「この前?」
「『次からは気をつけろ。俺がいつも暇だと思うなよ』って」
「事実だろ」
「でも、助けてくれたじゃないですか」
「……」
返す言葉がなくなったのか、ジャミルは視線を逸らした。
こういうところがずるいと思う。
冷たい言葉を選ぶくせに、本当に困った時には必ず手を差し伸べてくれる。
その優しさを隠そうとしていることまで、もうななしは気づいていた。
◇
「先輩、また無理してませんか」
「してない」
「してます」
「即答するな」
「顔に出ています」
ジャミルは小さく息を吐いた。
「お前は人のことをよく見すぎなんだよ」
「ジャミル先輩のことだからです」
その一言に、ジャミルの表情がわずかに揺れた。
「……そういうことを簡単に言うな」
「簡単じゃないです」
ジャミルは驚いたようにななしを見る。
普段なら、彼の言葉に押されて引いてしまうところだった。
けれど今日は、どうしても譲れなかった。
「ジャミル先輩が、自分のことを悪く言うのが嫌なんです」
「……本当にそう思ってるだけだ」
「わたしは思いません」
ジャミルは眉を寄せた。
「お前は何も知らないから言えるんだ」
「知らないことがあるなら、知りたいです」
「知ったところで変わらない」
「変わるかもしれません」
「変わらない」
珍しく言葉に苛立ちが混じった。
それでもななしは目を逸らさなかった。
「ジャミル先輩」
「……なんだ」
「わたしが先輩のことを信じるのは、そんなに迷惑ですか」
その問いに、ジャミルは黙り込んだ。
◇
ジャミルは昔から、自分の立場を理解していた。
何をしても評価されるわけではない。
努力しても、それが当たり前だと思われることもある。
だからこそ、人との距離を間違えないようにしていた。
期待しない。
期待させない。
その方が楽だった。
「ジャミル先輩」
なのに、名前を呼ばれるだけで簡単に調子を崩される。
「……お前は、本当に変なところで頑固だな」
「褒めてます?」
「褒めてない」
「でも嫌そうじゃないです」
「そういうところだ」
ジャミルは呆れたように笑った。
その笑顔を見るだけで、胸の奥が少し苦しくなる。
ななしはずっと気づいていた。
ジャミルは誰にでも優しいわけではない。
必要なことをしているだけだと言うけれど、誰かが困っていれば放っておけない人だ。
料理の手伝いをしている時も、後輩に頼られた時も、面倒そうな顔をしながら最後まで付き合っている。
そんな姿を見てきたから余計に思う。
「俺なんかを信じても、いいことなんてないぞ」
静かな声だった。
「……ジャミル先輩」
「俺は、お前が思ってるほど綺麗な人間じゃない」
「知っています」
「即答するな」
「だって、完璧な人なんていないですから」
「そういう話じゃない」
ジャミルは視線を落とした。
「俺は、お前を傷つけるかもしれない」
その言葉だけは、いつもの冗談ではなかった。
「近くにいるほど、知らなくていいことまで見える」
「それでもです」
「……ばかだな」
ジャミルは小さく呟いた。
「俺なんかを信じたら、絶対に後悔するのに」
その声には、責める気持ちよりも困惑が滲んでいた。
信じてほしくないような言葉とは裏腹に、ジャミルの表情には迷いが浮かんでいた。
◇
「ジャミル先輩」
「なんだ」
「わたし、後悔したことあります」
突然の言葉に、ジャミルは顔を上げる。
「先輩に助けてもらったのに、ちゃんと言えなかったこと」
「……」
「ありがとうって、もっと早く言えばよかったって思いました」
ジャミルは黙っている。
「先輩が何を考えてるのか、全部分かるなんて言いません」
「当然だ」
「でも、分からないから知りたいんです」
「……」
「先輩が一人で抱えてることを、少しくらい分けてもらいたいです」
ジャミルは困ったように眉を下げた。
「お前、本当に怖いもの知らずだな」
「そうですか?」
「そうだ」
「でも、ジャミル先輩だって似たようなことしてます」
「俺が?」
「わたしが困ってる時、何度も助けてくれました」
「それは……」
「それは?」
言葉に詰まるジャミルを見て、ななしは少しだけ笑った。
「先輩も同じじゃないですか」
「……」
「放っておけないんですよね」
「……参ったな」
ぽつりと呟いた声は、いつもの余裕のあるものではなかった。
「お前には敵わない」
「そんなことないです」
「ある」
「ジャミル先輩の方がずっと――」
「そういうところだ」
「え?」
「すぐ俺を持ち上げる」
「本当のことです」
「……本当に、調子が狂う」
ジャミルはしばらく黙ったあと、ゆっくり口を開いた。
「俺は、お前に特別な感情なんて持つつもりはなかった」
「……」
「余計なことを考える暇なんてないと思っていた」
「ジャミル先輩」
「でも」
そこで言葉が止まる。
いつもなら迷いなく話す彼が珍しく言葉を探していた。
「お前が俺を頼るたびに、嬉しいと思ってしまった」
「……」
「心配されるのも、名前を呼ばれるのも、嫌じゃなかった」
ジャミルは苦笑した。
「だから困ってる」
「どうしてですか?」
「そんなの決まってるだろ」
少しだけ視線が重なる。
「これ以上近づいたら、俺の方が離れられなくなる」
「……それなら、離れなければいいじゃないですか」
「……簡単に言うな」
「簡単に言ってないです」
「……」
「わたしも怖いです」
「怖い?」
「先輩に嫌われること」
「……嫌うわけないだろ」
「でも、いつも距離を取ろうとします」
「……」
「わたしが大事じゃないなら、そんな顔しないです」
ジャミルは何も言えなかった。
◇
しばらくして、ジャミルは小さく息を吐いた。
「本当に、お前は面倒な奴だな」
「すみません」
「褒めてるんだよ」
「分かりにくいです」
「俺らしいだろ」
そう言って笑う姿に、ななしもつられて笑った。
「ジャミル先輩」
「ん?」
「これからも、信じてもいいですか」
「……」
「迷惑なら、ちゃんと言ってください」
ジャミルは少し考えるように黙った。
そして、いつものように少し意地悪な顔をする。
「お前は本当にばかだな」
「またですか」
「俺なんかを信じるなんて、変わってる」
「知ってます」
「でも」
ジャミルは柔らかい声で続けた。
「……悪い気はしない」
その一言だけで十分だった。
不器用で素直じゃなくて、自分を後回しにしてしまう人。
それでも誰よりも周りを見ている人。
そんな彼の隣にいることを、もう迷う理由はなかった。
「ジャミル先輩」
「なんだ」
「好きです」
「……お前は本当に」
「はい」
「そういうところがずるい」
「先輩に言われたくないです」
「違いないな」
小さく笑ったあと、ジャミルは静かに言った。
「……俺もだ」
短い言葉だった。
それでも、その声に込められた想いは十分伝わってきた。
隠していた気持ちも、怖がっていたことも、全部なくなるわけではない。
それでも二人なら、少しずつ変えていける気がした。
