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卒業してから、何度目かの再会だった。
以前なら、学園内で決められた時間に決められた場所でしか会うことはなかった。
教師と生徒。それ以上でも、それ以下でもない関係だった。
けれど今は違う。
目の前にいるななしは、もう学園に通う生徒ではない。
「相変わらず、その呼び方をするのか」
クルーウェルは腕を組みながら、少し呆れたように言った。
「何がですか?」
「俺を見て最初に言う言葉だ」
「……クルーウェル先生、ですか?」
「そうだ」
「だって、ずっとそう呼んできましたから」
ななしがそう答えると、クルーウェルは小さく息を吐いた。
「卒業してからも変わらないとは思わなかった」
「先生は先生ですから」
「俺はもう、お前の担任でも教師でもない」
「でも、クルーウェル先生です」
迷いなく返された言葉に、クルーウェルは一瞬黙った。
昔から変わらないところがある。
授業中、分からないことがあれば素直に聞きに来たこと。
失敗した時には悔しそうな顔をしながらも、次の日にはまた挑戦していたこと。
そういう姿を、クルーウェルはずっと見てきた。
「仔犬」
「はい」
「その呼び方も、まだ許すのか?」
「はい」
「聞き方が違うな」
「え?」
「嫌なら、俺がとっくにやめている」
クルーウェルの言葉に、ななしは少しだけ笑った。
「じゃあ、まだ仔犬なんですね」
「調子に乗るな」
「でも先生、昔からそう呼んでくれました」
「昔の話だ」
「昔の話にしたいんですか?」
その問いに、クルーウェルは答えなかった。
◇
卒業してからの生活の話。
新しく始めたこと。
以前の友人たちの話。
どれも他愛ない内容だった。
けれど、クルーウェルはその一つ一つを丁寧に聞いていた。
「忙しそうだな」
「はい。でも楽しいです」
「無理をしていないか」
「してないです」
「本当か?」
「先生、昔から鋭いですよね」
「お前が分かりやすいだけだ」
「そんなにですか?」
「かなりな」
ななしは笑った。
その笑顔を見て、クルーウェルは少し目を細める。
「……変わったな」
「そうですか?」
「ああ」
「どこがです?」
「昔より、自分の言葉で話すようになった」
「先生にそう言ってもらえると、少し嬉しいです」
「少しだけか?」
「すごく嬉しいです」
「なら最初からそう言え」
相変わらず厳しい言い方だった。
けれど、その声が優しいことをななしは知っている。
「クルーウェル先生」
「何だ」
「卒業してからも会ってくれるとは思っていませんでした」
「なぜだ」
「先生は忙しいですし」
「それだけか?」
問い返されて、ななしは言葉を止めた。
「……昔は生徒だったから」
「今は?」
「今は……」
続きが出てこない。
クルーウェルはそんな様子を見て、ゆっくり距離を縮めた。
「今は、違うだろう」
低い声が落ちる。
「もう俺が導くべき生徒ではない」
「……はい」
「自分で選んで、自分で歩いている」
「はい」
「だから聞く」
クルーウェルはななしを見る。
「お前は、今でも俺を先生と呼びたいのか」
その質問は、思っていたよりもずっと真剣だった。
冗談でもなく、からかいでもない。
「……呼びたいです」
「理由は?」
「先生だから、だけじゃないです」
ななしは少しだけ視線を伏せた。
「尊敬しているからです」
「それだけか?」
また同じ質問。
今度は答えられた。
「……好きだからです」
短い言葉だった。
けれど、クルーウェルには十分だった。
◇
「参ったな」
珍しく、クルーウェルが困ったように笑った。
「先生でも、そんな顔するんですね」
「俺を何だと思っている」
「何でもできる人」
「買いかぶりすぎだ」
「そんなことないです」
「ある」
そう言いながらも、否定する声には少し嬉しさが混じっていた。
「ななし」
「はい」
「今から言うことは、教師としてではない」
その言葉に、ななしの胸が大きく鳴った。
「分かりました」
「本当か?」
「はい」
クルーウェルはゆっくり手を伸ばし、ななしの頬に触れた。
昔なら、決してできなかった距離。
教師と生徒という線を越えないために、互いに守っていたもの。
それを今は、互いの意思で向き合うことができる。
「怖くないか」
「何がですか?」
「俺との関係が変わることだ」
ななしは首を横に振った。
「怖くないです」
「本当に強くなったな」
「先生がそう育ててくれたんですよ」
「……そういうところだ」
「何ですか?」
「俺を困らせるところだ」
そう言った直後、クルーウェルはななしに顔を寄せた。
触れるだけの距離では終わらない。
確かめるように重なった唇は、昔には許されなかった想いをゆっくりほどいていくようだった。
ななしは驚きながらも、すぐに目を閉じた。
クルーウェルの腕の中で、今まで積み重ねてきた時間を思い出す。
厳しい言葉。
褒められた瞬間の嬉しさ。
失敗した時にかけられた言葉。
全部が今につながっていた。
「……先生」
離れたあと、ななしが小さく呼ぶ。
「まだその呼び方か」
「嫌ですか?」
「いや」
クルーウェルは少し間を置いて答えた。
「ただ、いつか変わるのかと思っていた」
「変えた方がいいですか?」
「俺に聞くな」
「先生なら答えてくれると思いました」
「ずるいな」
「先生に似たんです」
その返事に、クルーウェルは笑った。
「困った仔犬だ」
「でも嫌じゃないですよね」
「……ああ」
短い返事だった。
けれど、それで十分だった。
「これから先も、勝手に遠くへ行くなよ」
「リードで繋ぐんですか?」
「違う」
「じゃあ何ですか?」
「確認だ」
「何の?」
「俺の隣にいる気があるのか」
まっすぐな言葉だった。
ななしは少し笑って頷く。
「あります」
「即答か」
「迷う理由がないです」
「そうか」
クルーウェルは満足そうに頷いた。
「ならいい」
「先生」
「何だ」
「これからも先生って呼んでもいいですか?」
「好きにしろ」
「じゃあ、これからも呼びます」
「頑固だな」
「先生に教わりました」
「俺はそんな教育をした覚えはない」
二人で笑う。
昔と同じようで少し違う。
「ななし」
「はい」
「予定を聞かせろ」
「予定?」
「ああ」
「デートの予約ですか?」
「言わせるな」
「先生、今ちょっと照れました?」
「余計なことを見るな」
そう言いながらも、クルーウェルは否定しなかった。
ななしは嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ながらクルーウェルは静かに思った。
もうこの仔犬は、自分の意思でここにいる。
だからこそ、大切にできる。
過去の続きではなく、これから始まる関係として。
「次に会う日を決めるぞ」
「はい、クルーウェル先生」
「……その呼び方も、悪くないな」
「知ってました」
「生意気になったものだ」
優しい声が返ってくる。
その夜、二人の距離は少しだけ変わった。
けれど、変わらなかったものもある。
呼び方も、信頼も、長い時間をかけて育った想いも。
それらを抱えたまま、二人は新しい関係を歩き始めた。
以前なら、学園内で決められた時間に決められた場所でしか会うことはなかった。
教師と生徒。それ以上でも、それ以下でもない関係だった。
けれど今は違う。
目の前にいるななしは、もう学園に通う生徒ではない。
「相変わらず、その呼び方をするのか」
クルーウェルは腕を組みながら、少し呆れたように言った。
「何がですか?」
「俺を見て最初に言う言葉だ」
「……クルーウェル先生、ですか?」
「そうだ」
「だって、ずっとそう呼んできましたから」
ななしがそう答えると、クルーウェルは小さく息を吐いた。
「卒業してからも変わらないとは思わなかった」
「先生は先生ですから」
「俺はもう、お前の担任でも教師でもない」
「でも、クルーウェル先生です」
迷いなく返された言葉に、クルーウェルは一瞬黙った。
昔から変わらないところがある。
授業中、分からないことがあれば素直に聞きに来たこと。
失敗した時には悔しそうな顔をしながらも、次の日にはまた挑戦していたこと。
そういう姿を、クルーウェルはずっと見てきた。
「仔犬」
「はい」
「その呼び方も、まだ許すのか?」
「はい」
「聞き方が違うな」
「え?」
「嫌なら、俺がとっくにやめている」
クルーウェルの言葉に、ななしは少しだけ笑った。
「じゃあ、まだ仔犬なんですね」
「調子に乗るな」
「でも先生、昔からそう呼んでくれました」
「昔の話だ」
「昔の話にしたいんですか?」
その問いに、クルーウェルは答えなかった。
◇
卒業してからの生活の話。
新しく始めたこと。
以前の友人たちの話。
どれも他愛ない内容だった。
けれど、クルーウェルはその一つ一つを丁寧に聞いていた。
「忙しそうだな」
「はい。でも楽しいです」
「無理をしていないか」
「してないです」
「本当か?」
「先生、昔から鋭いですよね」
「お前が分かりやすいだけだ」
「そんなにですか?」
「かなりな」
ななしは笑った。
その笑顔を見て、クルーウェルは少し目を細める。
「……変わったな」
「そうですか?」
「ああ」
「どこがです?」
「昔より、自分の言葉で話すようになった」
「先生にそう言ってもらえると、少し嬉しいです」
「少しだけか?」
「すごく嬉しいです」
「なら最初からそう言え」
相変わらず厳しい言い方だった。
けれど、その声が優しいことをななしは知っている。
「クルーウェル先生」
「何だ」
「卒業してからも会ってくれるとは思っていませんでした」
「なぜだ」
「先生は忙しいですし」
「それだけか?」
問い返されて、ななしは言葉を止めた。
「……昔は生徒だったから」
「今は?」
「今は……」
続きが出てこない。
クルーウェルはそんな様子を見て、ゆっくり距離を縮めた。
「今は、違うだろう」
低い声が落ちる。
「もう俺が導くべき生徒ではない」
「……はい」
「自分で選んで、自分で歩いている」
「はい」
「だから聞く」
クルーウェルはななしを見る。
「お前は、今でも俺を先生と呼びたいのか」
その質問は、思っていたよりもずっと真剣だった。
冗談でもなく、からかいでもない。
「……呼びたいです」
「理由は?」
「先生だから、だけじゃないです」
ななしは少しだけ視線を伏せた。
「尊敬しているからです」
「それだけか?」
また同じ質問。
今度は答えられた。
「……好きだからです」
短い言葉だった。
けれど、クルーウェルには十分だった。
◇
「参ったな」
珍しく、クルーウェルが困ったように笑った。
「先生でも、そんな顔するんですね」
「俺を何だと思っている」
「何でもできる人」
「買いかぶりすぎだ」
「そんなことないです」
「ある」
そう言いながらも、否定する声には少し嬉しさが混じっていた。
「ななし」
「はい」
「今から言うことは、教師としてではない」
その言葉に、ななしの胸が大きく鳴った。
「分かりました」
「本当か?」
「はい」
クルーウェルはゆっくり手を伸ばし、ななしの頬に触れた。
昔なら、決してできなかった距離。
教師と生徒という線を越えないために、互いに守っていたもの。
それを今は、互いの意思で向き合うことができる。
「怖くないか」
「何がですか?」
「俺との関係が変わることだ」
ななしは首を横に振った。
「怖くないです」
「本当に強くなったな」
「先生がそう育ててくれたんですよ」
「……そういうところだ」
「何ですか?」
「俺を困らせるところだ」
そう言った直後、クルーウェルはななしに顔を寄せた。
触れるだけの距離では終わらない。
確かめるように重なった唇は、昔には許されなかった想いをゆっくりほどいていくようだった。
ななしは驚きながらも、すぐに目を閉じた。
クルーウェルの腕の中で、今まで積み重ねてきた時間を思い出す。
厳しい言葉。
褒められた瞬間の嬉しさ。
失敗した時にかけられた言葉。
全部が今につながっていた。
「……先生」
離れたあと、ななしが小さく呼ぶ。
「まだその呼び方か」
「嫌ですか?」
「いや」
クルーウェルは少し間を置いて答えた。
「ただ、いつか変わるのかと思っていた」
「変えた方がいいですか?」
「俺に聞くな」
「先生なら答えてくれると思いました」
「ずるいな」
「先生に似たんです」
その返事に、クルーウェルは笑った。
「困った仔犬だ」
「でも嫌じゃないですよね」
「……ああ」
短い返事だった。
けれど、それで十分だった。
「これから先も、勝手に遠くへ行くなよ」
「リードで繋ぐんですか?」
「違う」
「じゃあ何ですか?」
「確認だ」
「何の?」
「俺の隣にいる気があるのか」
まっすぐな言葉だった。
ななしは少し笑って頷く。
「あります」
「即答か」
「迷う理由がないです」
「そうか」
クルーウェルは満足そうに頷いた。
「ならいい」
「先生」
「何だ」
「これからも先生って呼んでもいいですか?」
「好きにしろ」
「じゃあ、これからも呼びます」
「頑固だな」
「先生に教わりました」
「俺はそんな教育をした覚えはない」
二人で笑う。
昔と同じようで少し違う。
「ななし」
「はい」
「予定を聞かせろ」
「予定?」
「ああ」
「デートの予約ですか?」
「言わせるな」
「先生、今ちょっと照れました?」
「余計なことを見るな」
そう言いながらも、クルーウェルは否定しなかった。
ななしは嬉しそうに笑う。
その笑顔を見ながらクルーウェルは静かに思った。
もうこの仔犬は、自分の意思でここにいる。
だからこそ、大切にできる。
過去の続きではなく、これから始まる関係として。
「次に会う日を決めるぞ」
「はい、クルーウェル先生」
「……その呼び方も、悪くないな」
「知ってました」
「生意気になったものだ」
優しい声が返ってくる。
その夜、二人の距離は少しだけ変わった。
けれど、変わらなかったものもある。
呼び方も、信頼も、長い時間をかけて育った想いも。
それらを抱えたまま、二人は新しい関係を歩き始めた。
