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「……まさか、ここで会うとは思わなかったな」
振り返ったななしは、一瞬だけ言葉を失った。
懐かしい姿がそこにあった。
卒業してから何度も思い出した声。
厳しい言葉の中にも、いつも自分を気にかけてくれていた人。
「クルーウェル先生……」
「久しぶりだな、仔犬」
変わらない呼び方に胸の奥が少しだけ痛んだ。
再会できた嬉しさより先に、あの日の記憶が蘇る。
卒業を控えた最後の日。
ななしは先生に伝えたいことがあった。
これまでのお礼。
支えてもらったことへの感謝。
そして、少しだけ特別な気持ち。
けれど言葉にする前にすれ違った。
「卒業してからも、先生と話せたら嬉しいです」
そう伝えた時、クルーウェルは少し黙った。
「……ななし」
「はい」
「お前はこれから先、自分の足で歩いていくんだ」
その言葉は優しかった。
けれど、その時のななしには距離を置かれたように聞こえてしまった。
「先生にとって、私はもう元教え子ですか」
「何を言っている」
「だって……先生は、いつも私が卒業した後のことばかり話して」
「それは……」
「私がいなくなっても困らないみたいに聞こえました」
言ってしまってから後悔した。
クルーウェルが困ったような表情をしたのを見て、余計に胸が苦しくなった。
「仔犬」
「……すみません。今の忘れてください」
「ななし」
「今までありがとうございました」
それ以上、そこにいることができなかった。
◇
それからしばらく、二人は会うことがなかった。
忙しい日々の中で、ななしは何度も考えた。
あれは自分の勘違いだったのかもしれない。
先生はただ、自分が前へ進めるように言葉を選んでくれていたのかもしれない。
それでも、最後に見た表情が忘れられなかった。
怒っていたわけではない。
悲しそうだった。
だからこそ余計に後悔が残った。
そんなある日、偶然の再会だった。
「随分と難しい顔をしているな」
「クルーウェル先生……」
「昔から変わらない。考えすぎる時ほど顔に出る」
「先生も変わりませんね」
「褒めているのか、それは」
「……たぶん」
小さく笑うと、クルーウェルは少しだけ表情を緩めた。
「少し時間はあるか」
「はい」
「話したいことがある」
二人は場所を移した。
久しぶりの会話なのに不思議と緊張は少なかった。
ただ、言えなかったことがたくさん残っている。
「卒業の日のことだが」
クルーウェルが先に切り出した。
「俺は、お前を遠ざけたつもりはなかった」
「……」
「だが、そう感じさせたなら俺の言葉選びが悪かった」
ななしは顔を上げた。
先生がそんなふうに認めるとは思わなかった。
「先生でも、そういうことを言うんですね」
「俺を何だと思っている」
「完璧な人だと思っていました」
「買い被りすぎだ」
少し呆れた声。
でも昔と同じ温度だった。
「俺はな、卒業してからのお前の生活に口を出しすぎたくなかった」
「……」
「あの頃の俺なら、進む方向を示すこともできた。だが、卒業した後は違う」
「だから距離を置いたんですか」
「違う」
即答だった。
「大切に思っていたからだ」
その言葉に、ななしの心臓が大きく跳ねた。
「……大切って」
「言葉通りだ」
「そういう言い方ずるいです」
「何故だ」
「期待してしまいます」
しばらく沈黙が落ちた。
けれど今度は逃げたくなかった。
「私も、先生にちゃんと言えばよかったです」
「何をだ」
「寂しかったって」
クルーウェルは静かにななしを見つめた。
「必要ないと思われたくなかったんです」
「ななし」
「卒業したら、先生にとって私はただの元教え子になるのかなって」
「……仔犬」
その呼び方は、昔よりもずっと近く感じられた。
「俺がそんな薄情な男に見えるのか」
「見えません」
「なら、何故一人で決めた」
「先生もです」
「何?」
「先生も、一人で決めました」
返す言葉がなくなったのか、クルーウェルは目を細めた。
「参ったな」
「先生でもそんな顔するんですね」
「するさ」
少し笑う。
「特に、お前のことになるとな」
◇
その後、二人は少しずつ話すようになった。
昔の学校生活の話。
卒業してからの出来事。
最近困ったこと。
以前なら聞けなかったことも、今なら自然に尋ねられる。
「仕事は順調か」
「はい。でも、まだ失敗もします」
「失敗しない人間などいない」
「先生ならしなさそうです」
「だから買い被りすぎだと言っている」
「ふふ」
笑うななしを見て、クルーウェルは小さく息をついた。
「変わったな」
「そうですか?」
「ああ」
「悪い意味ですか」
「逆だ」
その声は穏やかだった。
「以前のお前は、相手の言葉を考えすぎていた」
「今も考えています」
「だが、今は自分の気持ちも伝えるようになった」
ななしは少し照れたように視線を逸らした。
「先生に言われると恥ずかしいです」
「褒めたつもりだ」
「分かっています」
二人の間に、以前とは違う空気が流れる。
教師と生徒だった頃には越えられなかった距離。
それが今は少しずつ変わっている。
「ななし」
「はい」
「ひとつ確認したい」
「なんですか」
「今でも俺を先生と呼ぶのか」
「……ダメですか?」
「いや……」
クルーウェルは少し間を置いた。
「ただ、それだけではない呼び方も聞いてみたい気はする」
「先生、それは……」
「冗談だと思うか?」
「思いません」
「なら、答えは急がなくていい」
その優しさが、また胸に響いた。
「クルーウェル先生」
「なんだ」
「私、あの日からずっと後悔していました」
「俺もだ」
「先生も?」
「ああ」
意外な返事にななしは目を丸くする。
「俺は、お前を傷つけたと思った」
「……」
「もう少し違う言葉を選べばよかった」
「先生」
「だから、もう一度言わせてくれ」
クルーウェルは真剣な表情で向き合った。
「卒業したから終わりではない」
「はい」
「お前との関係を、俺は大切にしたい」
胸の奥が熱くなる。
ずっと欲しかった言葉だった。
「私もです」
「そうか」
「先生と離れたくなかったです」
「……ななし」
名前を呼ばれる。
それだけで、今まで我慢していた気持ちが溢れそうになった。
「泣くな」
「泣いてません」
「強がりも変わらないな」
「先生のせいです」
「俺のせいか」
「はい」
少し笑いながら言うと、クルーウェルも笑った。
◇
帰る時間が近づいた。
名残惜しさを感じながら、ななしは立ち上がる。
「また会えますか」
「当然だ」
迷いのない返事だった。
「次は、お前から連絡してこい」
「先生からじゃないんですか?」
「いつまでも待つ男に見えるか?」
「少しだけ」
「失礼だな」
笑い合うその瞬間、離れていた時間がやっと埋まった気がした。
「ななし」
「はい」
「ひとつだけ、わがままを言ってもいいか」
「先生のわがままなら聞きます」
クルーウェルは少しだけ迷うように視線を落とした。
そして、優しく名前を呼んだ。
「……もう、お前を仔犬と呼ぶのはやめようかと思っている」
「え?」
「お前はもう、立派な一人の大人だ」
その言葉が嬉しくて、胸がいっぱいになる。
「でも」
「何だ」
「たまには呼んでほしいです」
「仔犬と?」
「はい」
「欲張りだな」
「先生がそう呼んでくれるの、好きなので」
その答えに、クルーウェルは少し笑った。
「困った仔犬だ」
そう言いながら、距離が近づく。
「先生?」
「一応確認するが、今離れたいと思っているか」
ななしは首を横に振った。
「思っていません」
その返事を聞くと、クルーウェルはそっと顔を寄せた。
触れるだけの短いキス。
驚きで固まった後、ななしは頬を赤くした。
「先生……」
「嫌だったか」
「違います」
小さく答える。
「嬉しかったです」
「ならよかった」
「でも、先生」
「何だ」
「急すぎます」
「そうか?」
「そうです」
「覚えておけ。俺も随分我慢していた」
その言葉に、また胸が高鳴る。
「……ずるいです」
「何度目だ、その言葉は」
「何度でも言います」
「なら俺も言おう」
クルーウェルは優しく名前を呼んだ。
「これからは、ちゃんと話せ」
「はい」
「勝手に離れるな」
「はい」
「俺も気をつける」
その約束が嬉しかった。
「また会いましょう、クルーウェル先生」
「ああ」
「次は私から連絡します」
「期待している」
その声を聞きながらななしは歩き出した。
今度は不安ではなく温かい気持ちを抱えて。
振り返ったななしは、一瞬だけ言葉を失った。
懐かしい姿がそこにあった。
卒業してから何度も思い出した声。
厳しい言葉の中にも、いつも自分を気にかけてくれていた人。
「クルーウェル先生……」
「久しぶりだな、仔犬」
変わらない呼び方に胸の奥が少しだけ痛んだ。
再会できた嬉しさより先に、あの日の記憶が蘇る。
卒業を控えた最後の日。
ななしは先生に伝えたいことがあった。
これまでのお礼。
支えてもらったことへの感謝。
そして、少しだけ特別な気持ち。
けれど言葉にする前にすれ違った。
「卒業してからも、先生と話せたら嬉しいです」
そう伝えた時、クルーウェルは少し黙った。
「……ななし」
「はい」
「お前はこれから先、自分の足で歩いていくんだ」
その言葉は優しかった。
けれど、その時のななしには距離を置かれたように聞こえてしまった。
「先生にとって、私はもう元教え子ですか」
「何を言っている」
「だって……先生は、いつも私が卒業した後のことばかり話して」
「それは……」
「私がいなくなっても困らないみたいに聞こえました」
言ってしまってから後悔した。
クルーウェルが困ったような表情をしたのを見て、余計に胸が苦しくなった。
「仔犬」
「……すみません。今の忘れてください」
「ななし」
「今までありがとうございました」
それ以上、そこにいることができなかった。
◇
それからしばらく、二人は会うことがなかった。
忙しい日々の中で、ななしは何度も考えた。
あれは自分の勘違いだったのかもしれない。
先生はただ、自分が前へ進めるように言葉を選んでくれていたのかもしれない。
それでも、最後に見た表情が忘れられなかった。
怒っていたわけではない。
悲しそうだった。
だからこそ余計に後悔が残った。
そんなある日、偶然の再会だった。
「随分と難しい顔をしているな」
「クルーウェル先生……」
「昔から変わらない。考えすぎる時ほど顔に出る」
「先生も変わりませんね」
「褒めているのか、それは」
「……たぶん」
小さく笑うと、クルーウェルは少しだけ表情を緩めた。
「少し時間はあるか」
「はい」
「話したいことがある」
二人は場所を移した。
久しぶりの会話なのに不思議と緊張は少なかった。
ただ、言えなかったことがたくさん残っている。
「卒業の日のことだが」
クルーウェルが先に切り出した。
「俺は、お前を遠ざけたつもりはなかった」
「……」
「だが、そう感じさせたなら俺の言葉選びが悪かった」
ななしは顔を上げた。
先生がそんなふうに認めるとは思わなかった。
「先生でも、そういうことを言うんですね」
「俺を何だと思っている」
「完璧な人だと思っていました」
「買い被りすぎだ」
少し呆れた声。
でも昔と同じ温度だった。
「俺はな、卒業してからのお前の生活に口を出しすぎたくなかった」
「……」
「あの頃の俺なら、進む方向を示すこともできた。だが、卒業した後は違う」
「だから距離を置いたんですか」
「違う」
即答だった。
「大切に思っていたからだ」
その言葉に、ななしの心臓が大きく跳ねた。
「……大切って」
「言葉通りだ」
「そういう言い方ずるいです」
「何故だ」
「期待してしまいます」
しばらく沈黙が落ちた。
けれど今度は逃げたくなかった。
「私も、先生にちゃんと言えばよかったです」
「何をだ」
「寂しかったって」
クルーウェルは静かにななしを見つめた。
「必要ないと思われたくなかったんです」
「ななし」
「卒業したら、先生にとって私はただの元教え子になるのかなって」
「……仔犬」
その呼び方は、昔よりもずっと近く感じられた。
「俺がそんな薄情な男に見えるのか」
「見えません」
「なら、何故一人で決めた」
「先生もです」
「何?」
「先生も、一人で決めました」
返す言葉がなくなったのか、クルーウェルは目を細めた。
「参ったな」
「先生でもそんな顔するんですね」
「するさ」
少し笑う。
「特に、お前のことになるとな」
◇
その後、二人は少しずつ話すようになった。
昔の学校生活の話。
卒業してからの出来事。
最近困ったこと。
以前なら聞けなかったことも、今なら自然に尋ねられる。
「仕事は順調か」
「はい。でも、まだ失敗もします」
「失敗しない人間などいない」
「先生ならしなさそうです」
「だから買い被りすぎだと言っている」
「ふふ」
笑うななしを見て、クルーウェルは小さく息をついた。
「変わったな」
「そうですか?」
「ああ」
「悪い意味ですか」
「逆だ」
その声は穏やかだった。
「以前のお前は、相手の言葉を考えすぎていた」
「今も考えています」
「だが、今は自分の気持ちも伝えるようになった」
ななしは少し照れたように視線を逸らした。
「先生に言われると恥ずかしいです」
「褒めたつもりだ」
「分かっています」
二人の間に、以前とは違う空気が流れる。
教師と生徒だった頃には越えられなかった距離。
それが今は少しずつ変わっている。
「ななし」
「はい」
「ひとつ確認したい」
「なんですか」
「今でも俺を先生と呼ぶのか」
「……ダメですか?」
「いや……」
クルーウェルは少し間を置いた。
「ただ、それだけではない呼び方も聞いてみたい気はする」
「先生、それは……」
「冗談だと思うか?」
「思いません」
「なら、答えは急がなくていい」
その優しさが、また胸に響いた。
「クルーウェル先生」
「なんだ」
「私、あの日からずっと後悔していました」
「俺もだ」
「先生も?」
「ああ」
意外な返事にななしは目を丸くする。
「俺は、お前を傷つけたと思った」
「……」
「もう少し違う言葉を選べばよかった」
「先生」
「だから、もう一度言わせてくれ」
クルーウェルは真剣な表情で向き合った。
「卒業したから終わりではない」
「はい」
「お前との関係を、俺は大切にしたい」
胸の奥が熱くなる。
ずっと欲しかった言葉だった。
「私もです」
「そうか」
「先生と離れたくなかったです」
「……ななし」
名前を呼ばれる。
それだけで、今まで我慢していた気持ちが溢れそうになった。
「泣くな」
「泣いてません」
「強がりも変わらないな」
「先生のせいです」
「俺のせいか」
「はい」
少し笑いながら言うと、クルーウェルも笑った。
◇
帰る時間が近づいた。
名残惜しさを感じながら、ななしは立ち上がる。
「また会えますか」
「当然だ」
迷いのない返事だった。
「次は、お前から連絡してこい」
「先生からじゃないんですか?」
「いつまでも待つ男に見えるか?」
「少しだけ」
「失礼だな」
笑い合うその瞬間、離れていた時間がやっと埋まった気がした。
「ななし」
「はい」
「ひとつだけ、わがままを言ってもいいか」
「先生のわがままなら聞きます」
クルーウェルは少しだけ迷うように視線を落とした。
そして、優しく名前を呼んだ。
「……もう、お前を仔犬と呼ぶのはやめようかと思っている」
「え?」
「お前はもう、立派な一人の大人だ」
その言葉が嬉しくて、胸がいっぱいになる。
「でも」
「何だ」
「たまには呼んでほしいです」
「仔犬と?」
「はい」
「欲張りだな」
「先生がそう呼んでくれるの、好きなので」
その答えに、クルーウェルは少し笑った。
「困った仔犬だ」
そう言いながら、距離が近づく。
「先生?」
「一応確認するが、今離れたいと思っているか」
ななしは首を横に振った。
「思っていません」
その返事を聞くと、クルーウェルはそっと顔を寄せた。
触れるだけの短いキス。
驚きで固まった後、ななしは頬を赤くした。
「先生……」
「嫌だったか」
「違います」
小さく答える。
「嬉しかったです」
「ならよかった」
「でも、先生」
「何だ」
「急すぎます」
「そうか?」
「そうです」
「覚えておけ。俺も随分我慢していた」
その言葉に、また胸が高鳴る。
「……ずるいです」
「何度目だ、その言葉は」
「何度でも言います」
「なら俺も言おう」
クルーウェルは優しく名前を呼んだ。
「これからは、ちゃんと話せ」
「はい」
「勝手に離れるな」
「はい」
「俺も気をつける」
その約束が嬉しかった。
「また会いましょう、クルーウェル先生」
「ああ」
「次は私から連絡します」
「期待している」
その声を聞きながらななしは歩き出した。
今度は不安ではなく温かい気持ちを抱えて。
