ポムフィオーレ
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「ななし」
放課後の廊下で呼び止められた。
振り返るとヴィルが腕を組んで立っていた。
「ヴィル先輩?」
「少し付き合いなさい」
「今からですか?」
「そうよ、今から」
有無を言わせない調子だったが不思議と強引さは感じない。
「また部活のお手伝いですか?」
「違うわ」
「メイクの練習台?」
「それも違う」
「じゃあ何ですか?」
ヴィルは小さく肩をすくめた。
「たまには理由もなく呼び出したっていいでしょう?」
「ヴィル先輩が言うと裏がありそうです」
「あら失礼ね」
口ではそう言いながら、少しだけ機嫌がよさそうだった。
◇
「座って」
「はい」
向かいに腰を下ろすと、ヴィルはじっとこちらを見る。
「どうかしました?」
「……アンタ、最近よく一緒にいるでしょう」
「誰とです?」
「本当に分からない顔をするのね」
呆れたように息をつく。
「あの騒がしいジャガイモたち」
「ああ!」
「毎日楽しそうじゃない」
「楽しいですよ」
「そう」
それだけ言ってヴィルは視線を落とした。
「ヴィル先輩?」
「別に責めているわけじゃないの」
「はい」
「ただ少し気になっただけ」
「何がですか?」
「アンタって誰にでも距離が近いのよ」
「そうですか?」
「そうよ」
即答だった。
「困っていたら放っておけないし、頼まれたら断れない」
「そんなことないです」
「……」
ヴィルは頬杖をついた。
「ほんと、無自覚なのが一番厄介ね」
「厄介って……」
「アンタが誰と話そうが自由よ……本来ならね」
「本来なら?」
「何でもないわ、気にしないで」
「ヴィル先輩、今日なんだか変ですよ」
「あら、いつも通り美しいけれど?」
「そこじゃなくて」
「なによ、失礼ね」
ふっと笑う。
けれどその笑顔はどこかぎこちなかった。
「アンタは……」
「はい」
「もし誰かに閉じ込められたらどうするのかしら」
「え?」
唐突な問いだった。
「閉じ込められるって?」
「例えば、誰かの部屋とか」
「なんでそんな話に?」
「いいから答えなさい」
真剣な顔だった。
「うーん……助けを呼びます」
「呼べなかったら?」
「逃げ道を探します」
「見つからなかったら?」
「開けてもらえるまで待つかも」
「そう」
ヴィルは指先で机を軽く叩く。
「じゃあ質問を変えるわ」
ゆっくり視線が上がった。
「アタシが本気でアンタを閉じ込めようとしたら、どうやって逃げるつもりかしら?」
思わず瞬きをする。
「ヴィル先輩が、わたしを?」
「ええ」
「閉じ込めないでしょう」
「仮定の話よ」
「うーん……たぶん逃げません」
ヴィルが目を細めた。
「どうしてそう思うの?」
「ヴィル先輩なら変なことしないと思うので」
「ずいぶんアタシのことを信頼しているのね」
「してますよ」
「……そう」
ヴィルは視線を逸らした。
「それはそれで困るわね」
「困るんですか?」
「ええ、困るのよ」
「……」
「アンタは無防備すぎる」
「またですか」
「そうよ」
ヴィルは呆れたように言った。
「もし相手がアタシじゃなかったら?」
「でもヴィル先輩ですし」
「そういう話をしているんじゃないの」
少しだけ声が強くなる。
「アンタは誰かの特別になろうとしてるわけじゃないんでしょうけど」
「え?」
「誰にでも優しい人間は、時々残酷なのよ」
「どうしてですか?」
「期待させるから」
言葉が止まりヴィルは視線を伏せた。
「……アタシみたいなのをね」
「ヴィル先輩を?」
「言わせないで頂戴」
珍しく弱った顔だった。
「アタシはね、努力して今のアタシを作ったの」
「はい」
「欲しいものを手に入れるために妥協したことなんて一度もない」
「知ってます」
「でも、」
ヴィルは苦く笑った。
「人の気持ちだけはどうにもならないのよ」
「ヴィル先輩……」
「アンタを見るたびに思うわ」
視線が重なる。
「誰に向けている笑顔なのか、誰を待っているのか」
「……」
「……誰を選ぶのか」
一つずつ落とされる言葉が静かだった。
「気になって仕方がない」
「……嫉妬、ですか?」
「……そうね」
「ヴィル先輩が、わたしに?」
あまりにもあっさり認められて言葉を失う。
「隠すのも馬鹿らしいもの」
「ヴィル先輩でも嫉妬するんですね」
「あら、アタシを何だと思っていたのかしら」
「もっと余裕がある人かと」
「あるわよ? でも……アンタが絡むと話が別」
ヴィルは小さく笑う。
「情けないでしょう?」
「そんなこと……」
「あるのよ」
視線が落ちる。
「アンタが誰かと笑っているだけで落ち着かないし、名前を呼ばれて振り返るだけで気になる」
「……」
「今日は誰といるんだろうとか、明日は誰と話すんだろうとか、そんなことばかり考えてる」
「ヴィル先輩……」
「だから思ったの」
ゆっくり顔を上げる。
「いっそ閉じ込めてしまえば楽になるのかしらって」
冗談めいた口調だった。
けれど目だけは笑っていない。
「もちろん実際にはやらないわ」
「……はい」
「アタシはヴィル・シェーンハイトよ」
誇りを持った声だった。
「そんな醜い真似はしない」
「……」
「でも、想像くらいはするの」
◇
「もし閉じ込められたら、アンタは泣く?」
「たぶん泣きます」
「怒る?」
「怒ります」
「嫌いになる?」
「……理由によります」
「理由?」
「ヴィル先輩がどうしてそんなことしたのか聞きます」
ヴィルが目をわずかに見開く。
「逃げないの?」
「話し合います」
「本当、甘いわね」
「そうかもしれません」
「アタシならもっと警戒する」
「でもヴィル先輩ですから」
また同じ答えだった。
ヴィルは額を押さえる。
「本当に困る」
「何がです?」
「その信頼よ」
「嫌ですか?」
「嬉しいに決まってるでしょう」
即答だった。
「嬉しくて……同じくらい怖いのよ」
◇
外はすっかり暗くなっていた。
「そろそろ帰るわ」
「はい」
立ち上がったヴィルが足を止める。
「ななし」
「なんですか?」
「さっきの質問だけれど」
「閉じ込める話ですか?」
「ええ」
ヴィルは小さく笑った。
「答えが分かったわ」
「なんでした?」
「アタシはたぶん、アンタを閉じ込めたいわけじゃない」
「じゃあ?」
「アタシだけを見てほしいの」
その言葉は驚くほどまっすぐだった。
「それだけ」
返事ができない。
ヴィルは困ったように笑う。
「重いでしょう?」
「少しだけ」
「あら正直ね」
「でも嫌じゃないです」
ヴィルが目を瞬かせる。
「……そう」
「はい」
「だったら、逃げ道を探す必要はなさそうね」
「ヴィル先輩?」
「アタシも、もう少し正々堂々やることにするわ」
振り返った顔にはいつもの自信が戻っていた。
「奪うんじゃない、選ばれる努力をする。アタシはそういう人間だもの」
その言葉に思わず笑う。
「さすがヴィル先輩です」
「あら当然でしょう? 覚悟しておきなさい」
「何をです?」
「アタシ、本気になるとしつこいわよ」
「知ってます」
「なら結構」
ヴィルは満足そうに笑った。
「逃げるなら今のうちよ」
「どうしようかな」
「迷う余地なんて与えないわ」
その声音は冗談のようでいて本気だった。
けれど不思議と怖くはない。
ヴィル・シェーンハイトはきっと本当に閉じ込めたりはしない。
美しくある努力をやめず、誇りを持って選ばれるために立ち続ける。
それが彼の矜持なのだろう。
「帰るわよ」
「はい、ヴィル先輩」
並んで歩き出す。
その距離は近すぎず遠すぎず。
けれどきっと、彼はもう二度と目を逸らさない。
放課後の廊下で呼び止められた。
振り返るとヴィルが腕を組んで立っていた。
「ヴィル先輩?」
「少し付き合いなさい」
「今からですか?」
「そうよ、今から」
有無を言わせない調子だったが不思議と強引さは感じない。
「また部活のお手伝いですか?」
「違うわ」
「メイクの練習台?」
「それも違う」
「じゃあ何ですか?」
ヴィルは小さく肩をすくめた。
「たまには理由もなく呼び出したっていいでしょう?」
「ヴィル先輩が言うと裏がありそうです」
「あら失礼ね」
口ではそう言いながら、少しだけ機嫌がよさそうだった。
◇
「座って」
「はい」
向かいに腰を下ろすと、ヴィルはじっとこちらを見る。
「どうかしました?」
「……アンタ、最近よく一緒にいるでしょう」
「誰とです?」
「本当に分からない顔をするのね」
呆れたように息をつく。
「あの騒がしいジャガイモたち」
「ああ!」
「毎日楽しそうじゃない」
「楽しいですよ」
「そう」
それだけ言ってヴィルは視線を落とした。
「ヴィル先輩?」
「別に責めているわけじゃないの」
「はい」
「ただ少し気になっただけ」
「何がですか?」
「アンタって誰にでも距離が近いのよ」
「そうですか?」
「そうよ」
即答だった。
「困っていたら放っておけないし、頼まれたら断れない」
「そんなことないです」
「……」
ヴィルは頬杖をついた。
「ほんと、無自覚なのが一番厄介ね」
「厄介って……」
「アンタが誰と話そうが自由よ……本来ならね」
「本来なら?」
「何でもないわ、気にしないで」
「ヴィル先輩、今日なんだか変ですよ」
「あら、いつも通り美しいけれど?」
「そこじゃなくて」
「なによ、失礼ね」
ふっと笑う。
けれどその笑顔はどこかぎこちなかった。
「アンタは……」
「はい」
「もし誰かに閉じ込められたらどうするのかしら」
「え?」
唐突な問いだった。
「閉じ込められるって?」
「例えば、誰かの部屋とか」
「なんでそんな話に?」
「いいから答えなさい」
真剣な顔だった。
「うーん……助けを呼びます」
「呼べなかったら?」
「逃げ道を探します」
「見つからなかったら?」
「開けてもらえるまで待つかも」
「そう」
ヴィルは指先で机を軽く叩く。
「じゃあ質問を変えるわ」
ゆっくり視線が上がった。
「アタシが本気でアンタを閉じ込めようとしたら、どうやって逃げるつもりかしら?」
思わず瞬きをする。
「ヴィル先輩が、わたしを?」
「ええ」
「閉じ込めないでしょう」
「仮定の話よ」
「うーん……たぶん逃げません」
ヴィルが目を細めた。
「どうしてそう思うの?」
「ヴィル先輩なら変なことしないと思うので」
「ずいぶんアタシのことを信頼しているのね」
「してますよ」
「……そう」
ヴィルは視線を逸らした。
「それはそれで困るわね」
「困るんですか?」
「ええ、困るのよ」
「……」
「アンタは無防備すぎる」
「またですか」
「そうよ」
ヴィルは呆れたように言った。
「もし相手がアタシじゃなかったら?」
「でもヴィル先輩ですし」
「そういう話をしているんじゃないの」
少しだけ声が強くなる。
「アンタは誰かの特別になろうとしてるわけじゃないんでしょうけど」
「え?」
「誰にでも優しい人間は、時々残酷なのよ」
「どうしてですか?」
「期待させるから」
言葉が止まりヴィルは視線を伏せた。
「……アタシみたいなのをね」
「ヴィル先輩を?」
「言わせないで頂戴」
珍しく弱った顔だった。
「アタシはね、努力して今のアタシを作ったの」
「はい」
「欲しいものを手に入れるために妥協したことなんて一度もない」
「知ってます」
「でも、」
ヴィルは苦く笑った。
「人の気持ちだけはどうにもならないのよ」
「ヴィル先輩……」
「アンタを見るたびに思うわ」
視線が重なる。
「誰に向けている笑顔なのか、誰を待っているのか」
「……」
「……誰を選ぶのか」
一つずつ落とされる言葉が静かだった。
「気になって仕方がない」
「……嫉妬、ですか?」
「……そうね」
「ヴィル先輩が、わたしに?」
あまりにもあっさり認められて言葉を失う。
「隠すのも馬鹿らしいもの」
「ヴィル先輩でも嫉妬するんですね」
「あら、アタシを何だと思っていたのかしら」
「もっと余裕がある人かと」
「あるわよ? でも……アンタが絡むと話が別」
ヴィルは小さく笑う。
「情けないでしょう?」
「そんなこと……」
「あるのよ」
視線が落ちる。
「アンタが誰かと笑っているだけで落ち着かないし、名前を呼ばれて振り返るだけで気になる」
「……」
「今日は誰といるんだろうとか、明日は誰と話すんだろうとか、そんなことばかり考えてる」
「ヴィル先輩……」
「だから思ったの」
ゆっくり顔を上げる。
「いっそ閉じ込めてしまえば楽になるのかしらって」
冗談めいた口調だった。
けれど目だけは笑っていない。
「もちろん実際にはやらないわ」
「……はい」
「アタシはヴィル・シェーンハイトよ」
誇りを持った声だった。
「そんな醜い真似はしない」
「……」
「でも、想像くらいはするの」
◇
「もし閉じ込められたら、アンタは泣く?」
「たぶん泣きます」
「怒る?」
「怒ります」
「嫌いになる?」
「……理由によります」
「理由?」
「ヴィル先輩がどうしてそんなことしたのか聞きます」
ヴィルが目をわずかに見開く。
「逃げないの?」
「話し合います」
「本当、甘いわね」
「そうかもしれません」
「アタシならもっと警戒する」
「でもヴィル先輩ですから」
また同じ答えだった。
ヴィルは額を押さえる。
「本当に困る」
「何がです?」
「その信頼よ」
「嫌ですか?」
「嬉しいに決まってるでしょう」
即答だった。
「嬉しくて……同じくらい怖いのよ」
◇
外はすっかり暗くなっていた。
「そろそろ帰るわ」
「はい」
立ち上がったヴィルが足を止める。
「ななし」
「なんですか?」
「さっきの質問だけれど」
「閉じ込める話ですか?」
「ええ」
ヴィルは小さく笑った。
「答えが分かったわ」
「なんでした?」
「アタシはたぶん、アンタを閉じ込めたいわけじゃない」
「じゃあ?」
「アタシだけを見てほしいの」
その言葉は驚くほどまっすぐだった。
「それだけ」
返事ができない。
ヴィルは困ったように笑う。
「重いでしょう?」
「少しだけ」
「あら正直ね」
「でも嫌じゃないです」
ヴィルが目を瞬かせる。
「……そう」
「はい」
「だったら、逃げ道を探す必要はなさそうね」
「ヴィル先輩?」
「アタシも、もう少し正々堂々やることにするわ」
振り返った顔にはいつもの自信が戻っていた。
「奪うんじゃない、選ばれる努力をする。アタシはそういう人間だもの」
その言葉に思わず笑う。
「さすがヴィル先輩です」
「あら当然でしょう? 覚悟しておきなさい」
「何をです?」
「アタシ、本気になるとしつこいわよ」
「知ってます」
「なら結構」
ヴィルは満足そうに笑った。
「逃げるなら今のうちよ」
「どうしようかな」
「迷う余地なんて与えないわ」
その声音は冗談のようでいて本気だった。
けれど不思議と怖くはない。
ヴィル・シェーンハイトはきっと本当に閉じ込めたりはしない。
美しくある努力をやめず、誇りを持って選ばれるために立ち続ける。
それが彼の矜持なのだろう。
「帰るわよ」
「はい、ヴィル先輩」
並んで歩き出す。
その距離は近すぎず遠すぎず。
けれどきっと、彼はもう二度と目を逸らさない。
