ディアソムニア
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「シルバー先輩、またここで寝てる」
昼休みの終わりが近い静かな時間だった。
開いた本を膝に置いたまま、彼は壁にもたれかかって目を閉じている。
規則正しい呼吸。
長いまつ毛。
起こすべきか迷っているうちに、つい見入ってしまう。
「……先輩」
返事はない。
「シルバー先輩」
少しだけ声を大きくする。
それでも起きない。
相変わらずだなと思いながら肩に触れようとした瞬間。
「……ななし」
「えっ」
思わず手が止まる。
今、確かに聞こえた。
「ななし……」
聞き間違いではなかった。
寝言。
しかも自分の名前。
鼓動が一気に速くなる。
「……先輩?」
恐る恐る呼ぶ。
けれど彼は目を覚まさない。
「どういう夢見てるんですか……」
答えが返ってくるはずもない。
結局、起こすのも忘れてしばらくその場に立ち尽くしてしまった。
◇
「……寝言?」
翌日。
シルバーは珍しく目を見開いていた。
「はい」
「俺が?」
「わたしの名前、呼んでました」
「……」
沈黙。
「二回くらい」
「……」
さらに沈黙。
「シルバー先輩?」
「……それは本当か」
「本当です」
「……そうか」
妙に静かだと思った次の瞬間、彼が顔を逸らした。
耳まで赤い。
「先輩?」
「……寝言でお前の名前を呼んでいた、だと?」
「はい」
「……すまない、顔が熱い」
「謝ることですか?」
「謝るだろう……」
珍しい反応だった。
いつも落ち着いている彼が明らかに動揺している。
「嫌ではなかったか」
「え?」
「勝手に名前を呼んでいたんだろう」
「別に嫌じゃないですけど」
「……そうか」
今度は少しだけ安心したような顔。
けれどまたすぐ視線を逸らす。
「どんな夢だったんですか?」
「覚えていない」
「残念です」
「……残念?」
「気になりますし」
「俺も気になる」
真面目な顔で言うから少し笑ってしまう。
「笑うな」
「だって」
「……俺は割と真剣なんだ」
その言葉に笑いが止まった。
◇
それから数日。
会うたびに少しだけ気まずい。
いや、気まずいというより意識してしまう。
名前を呼ばれたことを思い出すたび落ち着かなくなる。
向こうも同じらしかった。
「シルバー先輩?」
「……どうした」
「今、三回目です」
「何がだ?」
「目が合ったの」
「……」
「そのたび逸らしてますよね」
「……そんなことはない」
「あります」
「……気のせいだ」
分かりやすい。
驚くほど分かりやすい。
「シルバー先輩」
「なんだ」
「もしかして照れてます?」
「…………」
否定しない。
「図星なんですね」
「……そういうお前はどうなんだ」
「え?」
「平気なのか」
「……」
今度はこっちが黙る番だった。
「……平気じゃないです」
「……そうか」
「ちょっと困ってます」
「俺もだ」
短い言葉。
けれど不思議と嬉しかった。
「シルバー先輩って」
「ん?」
「好きな人とかいるんですか」
聞いてしまってから後悔した。
けれど彼は少し考えてから答える。
「……いる」
「……そっか」
予想していたはずなのに胸が重い。
「長いこと気づいていなかった」
「え?」
「周囲には分かりやすいと言われた」
「へえ……」
「本人にだけ伝わっていないらしい」
「鈍い人なんですね」
「そうだな」
少し笑う。
「でも、最近ようやく自覚した」
「……」
「寝言で名前を呼ぶくらいには」
呼吸が止まる。
「先輩、」
「なんだ」
「それって」
「……お前のことだ」
まっすぐな声だった。
誤魔化しも冗談もない。
ただ事実を伝えるみたいに。
「俺はお前が好きだ」
返事ができない。
心臓がうるさい。
「急に言ってすまない」
「いえ」
「返事は急がなくていい」
「……」
「あの寝言の件を聞いて、もう隠せそうになかった」
困ったように笑う。
そんな顔、初めて見た。
「わたしも」
「……?」
「好きです」
今度は彼が黙る。
「シルバー先輩のこと」
「……」
「ずっと前から」
しばらく沈黙。
「……本当に?」
「本当です」
「夢ではないか?」
「違います」
「……そうか」
彼が小さく息を吐く。
「良かった」
その一言が妙に優しかった。
◇
付き合い始めても大きく何かが変わるわけではなかった。
隣にいる時間が少し増えて。
名前を呼ぶ回数も増えて。
視線を交わす時間が長くなったくらい。
「先輩」
「ん?」
「眠そうですね」
「少しだけ」
「寝ます?」
「……お前の前で寝るのは危険だ」
「なんでですか」
「また寝言を聞かれるかもしれない」
思わず笑う。
「今度は何を言うんでしょうね」
「考えたくない」
「ひどい」
「……いや」
彼は少し考える。
「お前の名前を呼ぶだけならまだいい」
「まだ?」
「もっと恥ずかしいことを言っていたら困る」
「例えば?」
「言わない」
「気になります」
「絶対に言わない」
珍しく頑固だった。
◇
けれど数日後、結局その日は来た。
「……ななし」
静かな声。
また名前。
けれど今日はそれだけじゃない。
「……好きだ」
思わず固まる。
「ずっと……好きだった」
寝顔は穏やかなまま。
「……先輩」
返事はない。
「ずるいですよ」
聞こえるはずもない言葉をそっと零す。
「起きてる時に言ってください」
「……言った」
「え?」
目が合う。
起きていた。
「聞こえていたのか」
「途中からです」
「……」
「全部じゃないですよ」
「……そうか」
たぶん安心しているのだろう。
けれど、少しだけ残念そうにも見えた。
「じゃあ改めて言います?」
「……必要か?」
「あります」
彼は少し考えたあと、真っ直ぐこちらを見る。
「好きだ」
逃げない視線。
「これからも隣にいてほしい」
「はい」
「……それと」
「?」
「もしまた寝言で名前を呼んでいても」
「うん」
「笑わないでくれると助かる」
思わず吹き出す。
「努力します」
「努力か……」
「だって嬉しいので」
「……そうか」
また耳が赤くなる。
「シルバー先輩」
「なんだ」
「今度は起きてる時にたくさん呼んでください」
「……分かった」
少し照れたように笑う。
「ななし」
名前を呼ばれる。
今度は夢じゃない。
ちゃんと届く声だった。
昼休みの終わりが近い静かな時間だった。
開いた本を膝に置いたまま、彼は壁にもたれかかって目を閉じている。
規則正しい呼吸。
長いまつ毛。
起こすべきか迷っているうちに、つい見入ってしまう。
「……先輩」
返事はない。
「シルバー先輩」
少しだけ声を大きくする。
それでも起きない。
相変わらずだなと思いながら肩に触れようとした瞬間。
「……ななし」
「えっ」
思わず手が止まる。
今、確かに聞こえた。
「ななし……」
聞き間違いではなかった。
寝言。
しかも自分の名前。
鼓動が一気に速くなる。
「……先輩?」
恐る恐る呼ぶ。
けれど彼は目を覚まさない。
「どういう夢見てるんですか……」
答えが返ってくるはずもない。
結局、起こすのも忘れてしばらくその場に立ち尽くしてしまった。
◇
「……寝言?」
翌日。
シルバーは珍しく目を見開いていた。
「はい」
「俺が?」
「わたしの名前、呼んでました」
「……」
沈黙。
「二回くらい」
「……」
さらに沈黙。
「シルバー先輩?」
「……それは本当か」
「本当です」
「……そうか」
妙に静かだと思った次の瞬間、彼が顔を逸らした。
耳まで赤い。
「先輩?」
「……寝言でお前の名前を呼んでいた、だと?」
「はい」
「……すまない、顔が熱い」
「謝ることですか?」
「謝るだろう……」
珍しい反応だった。
いつも落ち着いている彼が明らかに動揺している。
「嫌ではなかったか」
「え?」
「勝手に名前を呼んでいたんだろう」
「別に嫌じゃないですけど」
「……そうか」
今度は少しだけ安心したような顔。
けれどまたすぐ視線を逸らす。
「どんな夢だったんですか?」
「覚えていない」
「残念です」
「……残念?」
「気になりますし」
「俺も気になる」
真面目な顔で言うから少し笑ってしまう。
「笑うな」
「だって」
「……俺は割と真剣なんだ」
その言葉に笑いが止まった。
◇
それから数日。
会うたびに少しだけ気まずい。
いや、気まずいというより意識してしまう。
名前を呼ばれたことを思い出すたび落ち着かなくなる。
向こうも同じらしかった。
「シルバー先輩?」
「……どうした」
「今、三回目です」
「何がだ?」
「目が合ったの」
「……」
「そのたび逸らしてますよね」
「……そんなことはない」
「あります」
「……気のせいだ」
分かりやすい。
驚くほど分かりやすい。
「シルバー先輩」
「なんだ」
「もしかして照れてます?」
「…………」
否定しない。
「図星なんですね」
「……そういうお前はどうなんだ」
「え?」
「平気なのか」
「……」
今度はこっちが黙る番だった。
「……平気じゃないです」
「……そうか」
「ちょっと困ってます」
「俺もだ」
短い言葉。
けれど不思議と嬉しかった。
「シルバー先輩って」
「ん?」
「好きな人とかいるんですか」
聞いてしまってから後悔した。
けれど彼は少し考えてから答える。
「……いる」
「……そっか」
予想していたはずなのに胸が重い。
「長いこと気づいていなかった」
「え?」
「周囲には分かりやすいと言われた」
「へえ……」
「本人にだけ伝わっていないらしい」
「鈍い人なんですね」
「そうだな」
少し笑う。
「でも、最近ようやく自覚した」
「……」
「寝言で名前を呼ぶくらいには」
呼吸が止まる。
「先輩、」
「なんだ」
「それって」
「……お前のことだ」
まっすぐな声だった。
誤魔化しも冗談もない。
ただ事実を伝えるみたいに。
「俺はお前が好きだ」
返事ができない。
心臓がうるさい。
「急に言ってすまない」
「いえ」
「返事は急がなくていい」
「……」
「あの寝言の件を聞いて、もう隠せそうになかった」
困ったように笑う。
そんな顔、初めて見た。
「わたしも」
「……?」
「好きです」
今度は彼が黙る。
「シルバー先輩のこと」
「……」
「ずっと前から」
しばらく沈黙。
「……本当に?」
「本当です」
「夢ではないか?」
「違います」
「……そうか」
彼が小さく息を吐く。
「良かった」
その一言が妙に優しかった。
◇
付き合い始めても大きく何かが変わるわけではなかった。
隣にいる時間が少し増えて。
名前を呼ぶ回数も増えて。
視線を交わす時間が長くなったくらい。
「先輩」
「ん?」
「眠そうですね」
「少しだけ」
「寝ます?」
「……お前の前で寝るのは危険だ」
「なんでですか」
「また寝言を聞かれるかもしれない」
思わず笑う。
「今度は何を言うんでしょうね」
「考えたくない」
「ひどい」
「……いや」
彼は少し考える。
「お前の名前を呼ぶだけならまだいい」
「まだ?」
「もっと恥ずかしいことを言っていたら困る」
「例えば?」
「言わない」
「気になります」
「絶対に言わない」
珍しく頑固だった。
◇
けれど数日後、結局その日は来た。
「……ななし」
静かな声。
また名前。
けれど今日はそれだけじゃない。
「……好きだ」
思わず固まる。
「ずっと……好きだった」
寝顔は穏やかなまま。
「……先輩」
返事はない。
「ずるいですよ」
聞こえるはずもない言葉をそっと零す。
「起きてる時に言ってください」
「……言った」
「え?」
目が合う。
起きていた。
「聞こえていたのか」
「途中からです」
「……」
「全部じゃないですよ」
「……そうか」
たぶん安心しているのだろう。
けれど、少しだけ残念そうにも見えた。
「じゃあ改めて言います?」
「……必要か?」
「あります」
彼は少し考えたあと、真っ直ぐこちらを見る。
「好きだ」
逃げない視線。
「これからも隣にいてほしい」
「はい」
「……それと」
「?」
「もしまた寝言で名前を呼んでいても」
「うん」
「笑わないでくれると助かる」
思わず吹き出す。
「努力します」
「努力か……」
「だって嬉しいので」
「……そうか」
また耳が赤くなる。
「シルバー先輩」
「なんだ」
「今度は起きてる時にたくさん呼んでください」
「……分かった」
少し照れたように笑う。
「ななし」
名前を呼ばれる。
今度は夢じゃない。
ちゃんと届く声だった。
