イグニハイド
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「……で、結局そのイベント限定衣装は引けたんですか?」
「聞きます? その話聞いちゃいます?」
端末から顔を上げたイデアが、じとりとした視線を向ける。
「天井です」
「わあ……」
「同情が一ミリも感じられない件について」
「ちゃんとありますよ」
「ほんとですかなぁ」
口ではそう言いながらもイデアの表情はどこか緩んでいる。
付き合い始めてから知ったことのひとつは、彼が思っていたよりずっと表情豊かだということだった。
無表情に見える瞬間もある。
けれど少し目を細めたり、呆れたように肩を落としたり。
そういう小さな変化は近くにいると意外と分かる。
「ななし氏」
「はい?」
「人の爆死報告を聞いて笑うのは情けってものが欠如してませんかね?」
「笑ってません」
「笑ってる笑ってる、口元が完全に」
イデアが指先を向けてくる。
「だってイデア先輩、すごく悔しそうだったので」
「悔しいですが?」
「それがちょっと珍しくて」
「えっ」
一瞬、言葉が止まる。
「……珍しい?」
「イデア先輩って、いつも余裕そうだから」
「余裕……?」
「うん」
イデアが妙な顔をした。
「タイムタイム。ななし氏の中の僕、設定盛られてません?」
「そうですか?」
「むしろギリギリで生きてるタイプですが」
「でも慌ててるところ、あんまり見たことないです」
「それはまあ……外には出さないようにしてるので」
「ほら」
「いや『ほら』じゃないですけど」
視線が数秒合う。
先に逸らしたのはイデアの方だった。
「……なんか今日、距離近くない?」
「そうですか?」
「そうです」
「気のせいじゃなくて?」
「気のせいではないですな」
◇
「イデア先輩、」
「はい」
「余裕ないところ、見てみたいかも」
「…………は?」
空気が止まる。
「いや、待って」
「?」
「今なんて?」
「余裕ないところ見てみたいって」
「語弊がすごい」
「そうかな」
「そうかなじゃないですが!?」
イデアがわたわたと視線を泳がせる。
「だってイデア先輩、余裕そうなんだもん」
「いやだから余裕では」
「困った顔とか」
「してますが」
「焦った顔とか」
「してますが?」
「もっと見たい」
沈黙が続く。
イデアがゆっくりと目を瞬いた。
「……それ、普通逆では?」
「逆?」
「恋人に対して『余裕あるところが好き』とか『頼れるところが好き』とか」
「うーん」
少し考える。
「もちろん好きですよ?」
「お、おう」
「でも」
視線を向ける。
「イデア先輩が慌てたり困ったりするの、たぶんわたしの特権だから」
今度こそ完全に言葉が止まった。
「…………」
「イデア先輩?」
「いや」
イデアは顔を押さえる。
「それはちょっと反則では」
「反則?」
「そういう無自覚クリティカルを平然と撃ってくるのやめてもろて」
「?」
「ほら分かってない!」
◇
「……ななし氏」
「はい?」
「ひとつ確認なんですが」
「うん」
「僕が余裕ぶって見えるの、本気で言ってます?」
「本気ですけど」
「まじかぁ……」
ため息。
「拙者、君の前だと割と毎回HP削られてるんですが」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「知らなかった」
「でしょうね」
イデアが苦笑する。
「君ってたまに距離感バグるじゃないですか」
「そうかな」
「そうですとも」
少し間を置いてイデアが続ける。
「でも……嫌じゃない」
「……うん」
「むしろ助かってる」
珍しく真っ直ぐ向けられた言葉に、今度は彼女の方が黙る番だった。
「ほら」
イデアが言う。
「今、困ってる顔してる」
「……してないです」
「してますが?」
「イデア先輩こそ」
「してないですが?」
「してる」
「してません」
「してる」
「してませんな」
言い合って、先に笑ったのは二人同時だった。
「でもさ」
イデアがぽつりと言う。
「君のそういう余裕そうな顔」
「え?」
「たまに崩してみたくなる時はある」
思わず目を見開く。
「……意外」
「何がです?」
「イデア先輩がそんなこと言うの」
「僕だって言いますよ、それくらい」
「へえ」
「へえって」
イデアは少しだけ視線を逸らす。
「いつも落ち着いてるし」
「うん」
「僕が慌ててると割と平気そうだし」
「そんなこと」
「あるんですよなぁ」
イデアが小さく肩をすくめる。
「だからたまに思うわけです」
「何を?」
「君のそういう余裕ぶった態度、めちゃくちゃにしてみたいなって」
静かになる。
「……イデア先輩」
「はい」
「今の、かなりずるいです」
「おやおやおやぁ?」
「急にそういうこと言うの」
「お互い様では?」
反論できない。
イデアが少し笑う。
「ほら、」
「……なに」
「困った顔してる」
「してません」
「してますが」
「イデア先輩のせいです」
「やった」
「やった?」
「一勝」
「何と戦ってるんですか」
「余裕そうな恋人との攻防戦」
「そんな戦いあったんだ」
「今できました」
沈黙が落ちる。
嫌なものではない。
むしろ心地いい。
「……ななし氏」
「なんですか?」
「僕、たぶん君が思ってるより余裕ない」
「うん」
「君が笑うと安心するし」
「……うん」
「近くにいると落ち着くし」
イデアは少し間を置く。
「だから困る」
「困る?」
「調子、狂うので」
「それは、わたしも同じです」
「えっ」
「イデア先輩がいると安心するし」
「うん」
「でも時々すごく調子狂う」
「なんですと」
「だから、やっぱりお互い様ですね」
イデアが数秒黙る。
それから諦めたように息を吐いた。
「……やっぱり勝てる気がしない」
「まださっきの攻防戦続いてたんですか?」
「少なくとも僕の中では現在進行形でしたが?」
「結果は?」
「引き分けで手を打ちましょう、ここはひとつ」
「それならいいかも」
「ですな」
また笑う。
言葉を交わすたび、少しずつ距離が縮まっていく。
余裕があるとかないとか。
崩したいとか崩されたくないとか。
たぶん本当は、どちらでもよかった。
見せない顔を見せられる相手で。
見せてもいいと思える相手で。
それだけで十分だった。
「イデア先輩」
「はい」
「また困らせてもいいですか?」
「程々にお願いします」
「善処します」
「絶対しないやつだこれ」
「どうでしょう」
「ほらもうその顔」
「どの顔?」
「余裕そうな顔」
「イデア先輩には言われたくないです」
「ぐっ……」
「困ってる顔してる」
「してませんが?」
「してます」
「……否定できない」
小さく笑い声が重なる。
勝敗はきっと、今日もつかない。
それでいい。たぶん二人ともそう思っていた。
「聞きます? その話聞いちゃいます?」
端末から顔を上げたイデアが、じとりとした視線を向ける。
「天井です」
「わあ……」
「同情が一ミリも感じられない件について」
「ちゃんとありますよ」
「ほんとですかなぁ」
口ではそう言いながらもイデアの表情はどこか緩んでいる。
付き合い始めてから知ったことのひとつは、彼が思っていたよりずっと表情豊かだということだった。
無表情に見える瞬間もある。
けれど少し目を細めたり、呆れたように肩を落としたり。
そういう小さな変化は近くにいると意外と分かる。
「ななし氏」
「はい?」
「人の爆死報告を聞いて笑うのは情けってものが欠如してませんかね?」
「笑ってません」
「笑ってる笑ってる、口元が完全に」
イデアが指先を向けてくる。
「だってイデア先輩、すごく悔しそうだったので」
「悔しいですが?」
「それがちょっと珍しくて」
「えっ」
一瞬、言葉が止まる。
「……珍しい?」
「イデア先輩って、いつも余裕そうだから」
「余裕……?」
「うん」
イデアが妙な顔をした。
「タイムタイム。ななし氏の中の僕、設定盛られてません?」
「そうですか?」
「むしろギリギリで生きてるタイプですが」
「でも慌ててるところ、あんまり見たことないです」
「それはまあ……外には出さないようにしてるので」
「ほら」
「いや『ほら』じゃないですけど」
視線が数秒合う。
先に逸らしたのはイデアの方だった。
「……なんか今日、距離近くない?」
「そうですか?」
「そうです」
「気のせいじゃなくて?」
「気のせいではないですな」
◇
「イデア先輩、」
「はい」
「余裕ないところ、見てみたいかも」
「…………は?」
空気が止まる。
「いや、待って」
「?」
「今なんて?」
「余裕ないところ見てみたいって」
「語弊がすごい」
「そうかな」
「そうかなじゃないですが!?」
イデアがわたわたと視線を泳がせる。
「だってイデア先輩、余裕そうなんだもん」
「いやだから余裕では」
「困った顔とか」
「してますが」
「焦った顔とか」
「してますが?」
「もっと見たい」
沈黙が続く。
イデアがゆっくりと目を瞬いた。
「……それ、普通逆では?」
「逆?」
「恋人に対して『余裕あるところが好き』とか『頼れるところが好き』とか」
「うーん」
少し考える。
「もちろん好きですよ?」
「お、おう」
「でも」
視線を向ける。
「イデア先輩が慌てたり困ったりするの、たぶんわたしの特権だから」
今度こそ完全に言葉が止まった。
「…………」
「イデア先輩?」
「いや」
イデアは顔を押さえる。
「それはちょっと反則では」
「反則?」
「そういう無自覚クリティカルを平然と撃ってくるのやめてもろて」
「?」
「ほら分かってない!」
◇
「……ななし氏」
「はい?」
「ひとつ確認なんですが」
「うん」
「僕が余裕ぶって見えるの、本気で言ってます?」
「本気ですけど」
「まじかぁ……」
ため息。
「拙者、君の前だと割と毎回HP削られてるんですが」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「知らなかった」
「でしょうね」
イデアが苦笑する。
「君ってたまに距離感バグるじゃないですか」
「そうかな」
「そうですとも」
少し間を置いてイデアが続ける。
「でも……嫌じゃない」
「……うん」
「むしろ助かってる」
珍しく真っ直ぐ向けられた言葉に、今度は彼女の方が黙る番だった。
「ほら」
イデアが言う。
「今、困ってる顔してる」
「……してないです」
「してますが?」
「イデア先輩こそ」
「してないですが?」
「してる」
「してません」
「してる」
「してませんな」
言い合って、先に笑ったのは二人同時だった。
「でもさ」
イデアがぽつりと言う。
「君のそういう余裕そうな顔」
「え?」
「たまに崩してみたくなる時はある」
思わず目を見開く。
「……意外」
「何がです?」
「イデア先輩がそんなこと言うの」
「僕だって言いますよ、それくらい」
「へえ」
「へえって」
イデアは少しだけ視線を逸らす。
「いつも落ち着いてるし」
「うん」
「僕が慌ててると割と平気そうだし」
「そんなこと」
「あるんですよなぁ」
イデアが小さく肩をすくめる。
「だからたまに思うわけです」
「何を?」
「君のそういう余裕ぶった態度、めちゃくちゃにしてみたいなって」
静かになる。
「……イデア先輩」
「はい」
「今の、かなりずるいです」
「おやおやおやぁ?」
「急にそういうこと言うの」
「お互い様では?」
反論できない。
イデアが少し笑う。
「ほら、」
「……なに」
「困った顔してる」
「してません」
「してますが」
「イデア先輩のせいです」
「やった」
「やった?」
「一勝」
「何と戦ってるんですか」
「余裕そうな恋人との攻防戦」
「そんな戦いあったんだ」
「今できました」
沈黙が落ちる。
嫌なものではない。
むしろ心地いい。
「……ななし氏」
「なんですか?」
「僕、たぶん君が思ってるより余裕ない」
「うん」
「君が笑うと安心するし」
「……うん」
「近くにいると落ち着くし」
イデアは少し間を置く。
「だから困る」
「困る?」
「調子、狂うので」
「それは、わたしも同じです」
「えっ」
「イデア先輩がいると安心するし」
「うん」
「でも時々すごく調子狂う」
「なんですと」
「だから、やっぱりお互い様ですね」
イデアが数秒黙る。
それから諦めたように息を吐いた。
「……やっぱり勝てる気がしない」
「まださっきの攻防戦続いてたんですか?」
「少なくとも僕の中では現在進行形でしたが?」
「結果は?」
「引き分けで手を打ちましょう、ここはひとつ」
「それならいいかも」
「ですな」
また笑う。
言葉を交わすたび、少しずつ距離が縮まっていく。
余裕があるとかないとか。
崩したいとか崩されたくないとか。
たぶん本当は、どちらでもよかった。
見せない顔を見せられる相手で。
見せてもいいと思える相手で。
それだけで十分だった。
「イデア先輩」
「はい」
「また困らせてもいいですか?」
「程々にお願いします」
「善処します」
「絶対しないやつだこれ」
「どうでしょう」
「ほらもうその顔」
「どの顔?」
「余裕そうな顔」
「イデア先輩には言われたくないです」
「ぐっ……」
「困ってる顔してる」
「してませんが?」
「してます」
「……否定できない」
小さく笑い声が重なる。
勝敗はきっと、今日もつかない。
それでいい。たぶん二人ともそう思っていた。
